五 閉鎖三号(二)
二日後の夜。
「真中、こっち!」
伴乃が腕を引っ張って、間一髪、真中は白魔の攻撃から逃れた。
「はああああっ!」
瑠奈はビル屋上のもう一体の白魔に上段蹴りを浴びせて破壊してから、すぐさま他の二人を追う白魔に向き直る。しかし側方からさらにもう一体の白魔が襲いかかった。
「うわっ」
瑠奈はとっさに転がって回避した。
その背後、エアコン室外機の陰からも別の白魔が。
「これで十体め、何体でてくるんだよう」
伴乃は真中の手を引いて逃げ回った。
「おまえら伏せてろ! 私が全員やる!」
上空から声が降ってきた。
芽宜未が放ったライフルの弾が、屋上にいた三体の白魔を次々に撃ち抜いた。
全員の変身が解けた。芽宜未の羽だけが微かに残っていて、彼女が着地すると同時に完全に消えた。
瑠奈と伴乃は息を切らしていた。
芽宜未も同様だった。開始早々複数の白魔に襲われて、彼女は地上での機動力や戦闘力が劣るにもかかわらず真中を守る羽目になったのだ。どうにか伴乃に真中を託し、空に飛翔する頃には、すでに何発かの攻撃を食らっていた。
「はあっ……はあっ」
芽宜未は真中に近づいた。そして、
「戦えよ、おまえ……」
ギロリと睨みつけた。
真中はテレビでも観るように、ただそれに視線を合わせただけだった。芽宜未はしばらく睨み続けていたが、
「…………。いや、仕方ないよな。わかった」
踵を返して彼女から離れた。
「逃げられるのに逃げないで、食べられるのに食べないで死ぬやつだ。『戦え』『逃げろ』『生きろ』……どの言葉も届かなくて当然……。よかったな、ここが食事の要らないところで」
緊張の面持ちで成り行きを見守っていた伴乃は、
「びっくりした〜。めぎみめっちゃキレちゃうんじゃないかと思った」
「おまえにはいつもキレてるんだよ」
と芽宜未。
瑠奈はそれまで黙っていたが、
「……なんか、白魔、変わりましたね……。この間の二体とか。今回は十体だし……」
と言った。
「こっちは四人に増えてるしな。実質三人だが……。まあ、とにかく今回のことで学んだ。私は戦闘が始まったら速攻で空に逃れよう」
芽宜未はそう言って、真中にまた向き直り、彼女の両側のほっぺたをつねった。
「博士がどうとかじゃなくて、おまえはおまえなのに。わからないんだな」
フン、と鼻を鳴らしてまた背を向けた。
真中は夜寝ることもなく、座ることすらなく、ずっと佇んでいた。何もしないということがこの世界では可能だった。
瑠奈達はそれを無理やり連れ回したり、食べ物を食べさせようとしたりした。伴乃が彼女の唇にねじこもうとしたカレーライスは歯でせき止められてぼたぼたと落ちた。
無反応、無感情、灰色の世界よりも灰色な真中の世界。その周囲でめまぐるしく動く他の三人。奇妙なコントラスト。そんな日々がしばらく続き、
――白魔が現れた。
それは、よりにもよって深夜の総合病院屋上だった。
「……どんな事故が起こるか、想像するだけでわくわくするじゃないか……」
皮肉っぽく言って、芽宜未は大通りから空に羽ばたいた。
「おまえらは待機だ。この前の二の舞はごめんだからな。私が瞬殺する!」
素早くライフルを出現させて構えた。
屋上ヘリポートにいたのは、包帯の塊だった。
「ボス級か……。だが関係ない……。この状態では弱点なんてわからないが、とりあえず頭を撃ち抜けば……」
暗黒色のライフルの、鳥の頭に似た銃身装飾部が禍々しい鳴き声をあげた。芽宜未はトリガーを引いた。銃弾は高速で空気を貫き、敵へ向かった。
そのとき、敵を包んでいた包帯が周囲にはじけ飛んだ。刀を構えた白魔が中から現れた。
白魔の前で鋭い光が走った。耳をつんざくような音もした。刀を腰の鞘におさめた白魔の左右の地面に、一発ずつの弾痕が現れていた。
「……。まさか、弾を斬ったなんて言わないよな……」
芽宜未はライフルを構え直して素早く三連射した。
白魔は刀を抜いた、かと思うともう鞘に収めていた。
地面の弾痕が六つ増えていた。
「ふっ……ふふふ……ふはははは……!」
芽宜未は顔を俯けて不気味に笑った。
「ならばこれはどうだ……」
突然に羽をばたつかせて、空中で狂ったような動きをした。その最中にライフルを連射。当然弾はでたらめな方向に飛んだ。しかし不意に敵の方向に正確な射撃がなされた。
白魔は全く動じることなく弾を斬り裂いた。
が、その側方から、頭上から、後方から、芽宜未がでたらめに撃ったはずの弾丸が襲いかかった。
「魔弾は私の思念で動く弾……。軌道も自由自在なんだよ……。死ねっ!」
そのとき白魔は視認不可能な高速の太刀さばきを行った。
バラバラになった弾丸が、周囲に着弾した。
白魔はそこからさらに、舞うような動きをした。すると芽宜未の羽が斬り裂かれた。その後方に、敵が投げた刀が回転しながら飛んでいくのが視認できたはずだが、芽宜未は事態についていけず、声を上げることすらできずに落下した。
白魔は自身の骨の一本を抜き取ると、それを新しい刀に変化させた。
そして跳躍。
大通りの瑠奈達の前に着地した。
「白魔が……降りてきた」
敵を目の前にして、伴乃が言った。
「これまで、高いところから降りてくるやつはいなかったのに」
「……好戦的ってことですか……?」
芽宜未が落ちていった方角を心配げに見ながら、瑠奈が言った。
「そうかも」
と言った伴乃が目を見開いた。白魔が全く構えない姿勢から斬り込んだ。伴乃はチェーンで受けたが、敵はさらにもう一歩踏み込んでの突きを放った。黒い服は貫かれずに剣先を受け止めた。が、伴乃は衝撃で吹き飛ばされた。
白魔は次に瑠奈を狙った。
「へ、変身していれば、刃物でもっ!?」
おっかなびっくり振り上げた拳で刀を止めた。
「切れてない……切れてないけど……」
瑠奈の言葉を、倒れた伴乃が顔を上げて継いだ。
「くらいすぎたらやばいと思う!」
素早く刀を引いて、白魔の二撃めが来る。
瑠奈は左拳で受けると同時に踏み込んで、右ストレート。しかし白魔はすでに一歩さがって避けている。瑠奈は無防備な胴に斬撃をくらった。
「うあっ……」
よろけながらも敵から離れて瑠奈は言った。
「なんか、攻撃する前に避けられてましたよ!?」
「達人だ……。この白魔、普通にめっちゃ強い。でもたぶん、それだけじゃなくて……」
そう言って伴乃が自身の装備を吹き飛ばして姿を消した。音だけになった彼女と白魔の攻防がしばらく続いたが、白魔が刀を素早く振ると、伴乃がはじかれて転がった。
「心を読んでる……。空気に表れた殺気とかじゃなくて、人の内部を……」
また伴乃は攻撃を仕掛けた。が、残像すら残らないそれはどれも、動きを極限に抑えた白魔の剣さばきで無力化される。
「無心で攻撃をしても、そのさらに奥……無意識まで読まれてる……。でも二人で同時にかかるなら…………瑠奈ちゃん!」
「はいっ!」
瑠奈が応じて、白魔を挟み撃ちにした。
だが敵は、これまで見せなかったトリッキーな動きで伴乃を飛び越え離脱――離れたところにいる真中に襲いかかった。
「やっぱそうなるかぁ!」
伴乃が無理な体勢から飛び込んで、真中を押しやった。しかし伴乃本人は避けきれず、足に斬撃をくらった。
そこから敵は真中を集中的に狙いはじめた。彼女を守ることで瑠奈や伴乃の動きに隙が生まれる。そこを白魔は攻撃する。
「……やばい」
伴乃が目をこすった。
「意識が飛びそうだ」
瑠奈と伴乃の服や肌の色が若干かすみだして、灰色に近くなった。二人の動きが鈍くなり、ついに真中も攻撃を食らいはじめた。
無抵抗な彼女の色もかすんで、灰色めいてきた。
そのとき銃声が響いた。白魔が素早い剣さばきで弾を斬り裂いた。
「三人で一斉に攻撃するぞ!」
病院敷地内から芽宜未が駆けつけた。
真中の手を引いて、攻撃を避けさせながら瑠奈が叫んだ。
「だめです! 敵は真中さんを狙っています! 今目を離したら、集中的に狙われてやられてしまいます!」
「それが敵の狙いなんだよ! 乗るな!」
芽宜未の怒声を受けながらも、瑠奈は必死に攻撃を避ける。
「る……瑠奈ちゃん、もう時間が」
伴乃が言った。
目に見えてはわからないが、病院からは確実に不穏な空気が漂っていた。
「瑠奈、よく聞け!」
芽宜未は叫んだ。
「こいつは強い。三人でかかっても勝てるかはわからない。もし無理なら逃げるしかない。今回は犠牲者を出すことになるが、私達がこの世界から消えればもっと人が死ぬことになる。引き際を見極めるためにも、一度、全員で仕掛けるんだ。私達もダメージを受けているから、最後のチャンスだ。もうそいつは見捨てろ! 戦わないやつは死ぬ、自明だろ!」
「い……いやです」
「瑠奈!!」
白魔と向かい合って、瑠奈はつぶやいた。
「彼女は……好きでこうなったわけじゃないです……。不幸が重なって……。仕方ないんです……」
「だから生き残れないのも仕方ないだろ。本人もそれを望んでるフシすらあるんだ! 自然淘汰なんだよ!」
「私は! 仕方のないものを見捨てたくない!!」
瑠奈は胸のあたりをぎゅっと押さえた。
「今度は……絶対に見捨てない……!」
芽宜未は半ば呆気にとられた顔で言った。
「病院のやつらを死なせてもか……?」
「はい」
瑠奈は全く迷わず首肯した。
「私達まで死ぬんだぞ……。いいのか」
「はい」
芽宜未は片手で頭を抱えた。そして、
「伴乃! もういい、私達だけでも――」
「瑠奈ちゃん、私も付き合うよ」
と、伴乃は瑠奈のそばについた。
「私は瑠奈ちゃんに一度救われてる。だからこの命……この『今』を……自分のためには使いたくないんだよね」
「お…………」
芽宜未は信じられないという顔で言った。
「おまえら、どうかしてる……。それは綺麗事とかじゃなくて、もうただの馬鹿だぞ…………」
白魔が瑠奈と真中に襲いかかった。
それを芽宜未の撃った弾が牽制した。
「けど……、なんだよ、私が間違ってるみたいじゃないか! クソ!」
芽宜未はライフルを連射した。白魔はそれを切断せずに、滑るような動きで伴乃の背後にまわり、彼女を盾にした。芽宜未が舌打ちをすると、弾は急カーブを描いて地面に着弾した。
真中を背中に隠した瑠奈と、振り返った伴乃が同時に蹴りを放った。
白魔は瑠奈の方をかわしきれなかったが、背後を気にして思いきれなかったその攻撃の当たりは浅かった。
真中は――、
「理解不能」
そう言った。
疲労でふらついた伴乃が、正面から斬撃を受けた。
「非合理的」
真中は言った。
愚痴を吐きながら、芽宜未が敵に近づいた。倒れた伴乃の代わりに接近戦を挑んだ。
「自己矛盾」
真中は芽宜未が倒れるのを目で追った。
「真中さんっ」
瑠奈は叫んだ。
「逃げて……。逃げてください……」
「…………」
真中は瑠奈の背中をみつめた。
「何故」
小さく口を開いた。
「何故、無駄なことをした。あなたは二人を無意味に犠牲にした。そして自分も倒れようとしている」
「なぜって……」
瑠奈は笑った。泣き笑いだった。
「笑顔のためじゃないですか……。明日笑うために、今日がんばるんです……」
「……」
「真中さんがいなくなったら、笑えないですから」
白魔が仕掛けた。
上段から振り下ろされた刀を、瑠奈は拳ではなく、一歩前に出て、額で受けた。
「心を……読んでいる……だからなんだ……。私はこの右を、絶対におまえにぶちこむ!」
一歩飛び退った敵に、瑠奈はさらに一歩距離を詰め、右ストレート。肋骨にヒットした。だが、色の抜けかかった瑠奈の力では、それを砕くには至らなかった。
白魔は瑠奈を斬り払った。
「……」
倒れた三人と、白い骸骨。
真中はそれを見る。
無機質な数列を見るように。
「理解不能」
と言った。
「無価値と判断する」
視線を空に転じた。
温度のない風が吹いていた。髪がさらさらとなびいた。
――真中の、いやアンドロイド・クローズスリーのこの件への関わりはこれで終了した。
あとは目の前の何者かに倒されようと、なにがあろうと、成り行きにまかせるだけだった。命令外の行動は許可されていない。
彼女は機械だ。
紛れもない機械だ。
ただ、事実として、体は人であった。
そのことが複雑な過程を経て、ひとつの反応を示した。
頬を液体が伝った。
「理解不能」
その意味を、彼女はわからなかった。
わかろうともしなかった。
そもそも、そのために必要なものは、失われていた。
真中の表情は変わらない。
だが、
感情とは、理解するものではない。
それはただ、人を動かすもの。
「体内に」
淡々と、真中は言った。
「理解不能の精神作用が発生。命令外の行動を欲している。『私は』博士に造られた。博士に大切にされた。大切――それと酷似するこの精神作用は、博士の意志であると判断する。よって、これは命令に反しない」
光の消えた目が敵を捉えた。
「クローズスリー、戦闘を開始する」
鎧に似た硬質の黒い服が、前面から展開した。
その一部は、彼女の頭部を覆うモニター付きヘッドギアとなり、他はデジタルチックな発光をともなう八本の可動肢となって、黒いボディスーツのような軽装の彼女の背中に広がった。
白魔が刀を構えた。
同時、真中の可動肢の一本が、複雑な関節運動をしながら敵に向かった。
それは打ち払おうとする刀には当たらず、それどころかまるで何もかもが別世界の出来事であるかのように空間をただ移動していき、白魔の胸部を叩いた。
白魔は吹き飛んだ。
しかしすぐに体勢を立て直し、真中に斬りかかる。
可動肢が的確にそれを受けた。
別の可動肢が二本、攻撃を開始。やはり異次元の動きで敵にヒット。白魔は見切っていたはずなのに、見切れていない。避けていたはずなのに、避けれていない。
「見たことが……ある……」
地面に突っ伏して、片目だけを開けていた瑠奈がつぶやいた。
「……幻の戦闘スタイル……その名は……」
『ストレンジャー』
この世界は様々な法則に縛られている。
重力。
それを超越する者は『フェイクマスター』と呼ばれる。
力学。
それを超越する者は『パワーファイター』、
論理。
それを超越する者は『スマートシューター』である。
だが、その法則達をさらに統べるものが、知識や常識という上位の法則だ。一見すべてが無軌道のようになった戦場でも、人や文化が生み出す常識が強い影響を及ぼしている。
その常識を真に超越した者とは、心を持たない者。
格闘技界に、稀に、なにかの事故のように放り込まれてしまう彼らは、戦いにおいて最も必要とされる意志を持っていない。だが、その動作はあまりに異質すぎて、プロでも、いや熟練された者ほど惑わされる。
あるボクシングチャンプが、故郷のジムに帰ったとき、たまたまいた素人同然の新人とサービスでスパーリングをした。その新人は選手としては弱く、その後すぐにジムを辞めて一生を機械工として過ごした。
だが、彼こそが『ストレンジャー(異次元の者)』だった。
無敗のボクシングチャンプは、後年、唯一苦戦した試合として、そのときの一戦を挙げた。
法則に縛られる世界で、そこから外れる者は脆い。
しかし強い。
心を読む能力の持ち主も、機械の思考はわからない。
「敵耐久値、減少。敵温度、上昇。クローズスリー、半警戒体勢」
真中が言った。その眼前で白魔の骨が展開した。刀の刀身も赤黒く展開し、蒸気を噴出させた。
「温度上昇率から、動作速度上昇、二〇〇パーセントと推定。クローズスリー……」
半分体を覆うようにしていた可動肢をすべて広げて、真中は言った。
「処理可能。実行する」
高速で襲いかかった白魔の攻撃を、可動肢の一部が受ける。下部の二本の可動肢が真中自身を移動させ、ポジショニング。他の可動肢すべてが、青く光るレーザー光を先端から発射し、複雑な、うねるような軌道で、襲いかかる――。
白魔は、一瞬で八つ裂きになった。
その白い体細胞が、少女達の服の黒が、そして失色の灰色が、はじけて、空へとのぼっていく。色を取り戻した瑠奈達の姿を見て、真中はふっと脱力した。
「博士、私は」
目を細めて空を仰いだ。
「あなたが私にくれたものを……守ります」
ぱたりと倒れ、そのまま他の三人と同じく眠りに落ちた。
その夜起きた二字区立病院の停電、機械トラブル、医療ミスの多発は、翌朝の全国トップニュースとなった。
さらに世間を賑わせたのが、死者数、健康被害者数、ともにゼロという奇跡。
未だ地面に横たわったまま泥のように眠る少女達は知る由もなかった。
駆けつけたマスコミ関係者が片っ端からそれを踏んで、本来のニュースそっちのけの大騒ぎとなっていることも……。




