四 モラトリアム(二)
*
「おっ……? おおお……」
ほか二人の服の変化に合わせて、芽宜未の着ていた制服が黒く染まっていく。
先のやぶれたスカート、ところどころに入った紫色のラインと呪術めいた模様、そして鳥卵を連ねたようなネックレス。
「なんだこれ……、なにが始まるんだ」
「戦うんです。私達がやるのを見ていてください。伴乃さん、ここからジャンプして届くでしょうか」
「気合次第かな〜」
戸惑う芽宜未の横で、瑠奈と伴乃は構えて走り出した。
「一」
瑠奈が大股で一歩飛び込む、
「二」
伴乃が足を揃えてかがみ込み、
「「三っ!」」
二人は駅ビルに向かって大跳躍をした。
「おお……」
芽宜未が見上げた先で、二人は無事、ビル屋上に着地した。
そこにいた白魔は、細くなく太ってもおらず、これまでによく見たタイプのものだった。
「雑魚なやつだ。瞬殺だね」
伴乃が手首のチェーンをびしっと張って飛びかかった。
「私もやりますよ!」
瑠奈はぐっと拳を握って駆け出した。
白魔は一歩も動かなかったが、しかしそれによって、
「――ん? わっ!? ごめん!」
「す、すみません!」
同時に接近した二人がぶつかりそうになった。瑠奈がとっさに体勢を立て直して白魔に蹴りを放ったが、容易く避けられてしまった。
「やばいやばい。仲間が増えてなんか浮かれちゃってる」
「私もです。引き締めなきゃ」
一方、繁華街の芽宜未は、
「よく見えないが……あの白いのと戦ってるな……」
ビルから自分の黒い服に視線をおとして、
「……漫画みたいだ」
そのとき、激しいクラクションが鳴った。
「おおっ!?」
芽宜未の眼前を、道路からはみ出した乗用車が猛スピードで通過していった。
それだけではない。繁華街と駅ビル間の道路を通る車の運転が全体的に荒くなっている。その中の一台がいつ歩道に突っ込んでもおかしくない空気だった。
「これは……」
芽宜未は数歩あとずさった場所から、じっとそれを見つめた。
「瑠奈ちゃん、今!」
伴乃が叫んだ。床に這わせたチェーンが、白魔の足を捕まえていた。
瑠奈は短く息を吐いて、敵の懐に素早いステップで飛び込んだ。同時に目にもとまらぬラッシュが放たれ、白い頭蓋が粉々に吹き飛んだ。
「ふう……」
瑠奈は拳をおろして息をついた。
「あぁー、もっと連携を練習しなきゃね〜」
と伴乃が言った。
「ですね……。人数が増えたから、なおさら。なんていうか、気持ちがバラバラだとまずいですね」
「まぁでも、今ので覚えた気がする。この感じこの感じ」
伴乃はリズムよく体を動かした。
「この感じですね」
と瑠奈も同じようにした。何が一体この感じなのかわからなかったが、なんとなく伴乃とはこれからも息が合う気がした。
「なるほどな。あの敵を放置すると事故が起こる。私達の役目はあれを倒すことなわけだ」
繁華街で合流後、芽宜未が言った。
「ここで気をつけなければいけないことといえば、それだけですね。とにかく白魔にやられないように」
と瑠奈。
「あとはのーんびりしててよし」
伴乃が言った。
「ふむふむ。面白そうだ」
芽宜未は不敵に笑った。
「なんかめぎみって、強そう。武器、なんだった?」
と伴乃がきいた。
「武器? そんなのあるのか」
と芽宜未。
「なしということもありますけどね……」
瑠奈は手をぶらぶらやった。
「ほう」
芽宜未は二人を見て言った。
「まぁ何にせよ、負ける気はしないさ」
芽宜未を含めた三人で過ごす日常は、それまでの二人きりのものとは全く違うものになった。それは人数的なものというより、ほとんど芽宜未のキャラクターゆえだった。
「伴乃、おまえテレビゲームしたことないのか」
まさに化石を発見したような驚きをもって、芽宜未はそう言った。
「なーい」
と伴乃。
「実は私も……」
と瑠奈。
「ゲームというか、遊びをしてこなかったんですよね……。ずっと格闘技に夢中で」
「おまえら、友達いない系か……? まさか私よりいない系なのか……」
若干あわれんだ顔で芽宜未が言った。
「……とにかくこのゲー厶はな」
と、目の前の画面を指す。
それぞれソファーやリクライニングシートに座る三人。
ここはネットカフェのファミリー席だった。芽宜未がカウンター裏で端末処理をして、使用中ということにしてある。
「なんでもありだ。殴っても蹴っても、武器を使っても逃げ回っても。最終的に残っているのが自分ならいい」
「え、全員敵同士ですか」
「燃える〜!」
操作が簡単だったこともあり、初心者の二人はすぐに慣れた。しかし芽宜未という人間の何が絶妙かというと、そうした無知の者を引き込み、頃合いを見て実力を見せつける半ば詐欺のようなさじ加減だった。二人は完全に乗せられて、突然完膚なきまでに叩き潰された。
「わはははは! もう不慣れは言い訳にできないぞ。この中で一番上手いのは私だ!」
と言う芽宜未のコントローラーさばきは、素人目に見ても相当年季が入っていた。
「……」
「……」
瑠奈と伴乃は一瞬目を見合わせた。
そして次のラウンドで息のあった協力戦法を披露し、邪神芽宜未を打ち倒した。
「ぐぎゃあああああ!!」
「やった」
と瑠奈。
「なんでもありなら、手を組むのもありだよね〜。……あっ」
と伴乃が油断したところに、瑠奈の必殺技が入った。伴乃の操作キャラは宇宙の彼方へ吹き飛ばされた。
「あ、すみません」
「る……瑠奈ちゃん〜……」
「案外、一番腹黒いのは瑠奈かもな……」
次に芽宜未が二人を連れて行ったのはカラオケだ。また例のやり方で部屋を確保した。防犯カメラがあるため、誰もいないという異常がすぐに露見するものと思われたが、客全員が部屋を出ているということがよくあるのか、怪しまれることはなかった。
「さあ歌え!」
芽宜未が突き出したマイクを、
「い、嫌です! 絶対いや。いやいやいや!」
「え〜、なんか無理」
二人は頑なに拒否した。
「ふははは、やっぱりこの中でまともに歌えるのは私だけのようだな。私の独壇場。気分がいい! マイク回すからな。次は瑠奈、絶対に歌えよ」
そう言って歌いだした芽宜未もあまり上手いものではなかったが、続いてしぶしぶ歌いだした瑠奈はさらにその下をいっていた。というか壊滅的だった。
それを見ていた伴乃が、
「あ、カラオケって自由に歌っていいんだ。上手く歌わなきゃいけないと思ってめちゃ焦ったよ」
と言った。
「いやいや、音程とか色々あるんだよ。瑠奈の歌を聞いたらわからないだろうけど」
芽宜未がそう言ったが時すでに遅く、伴乃が歌った昔の歌謡曲は完全にラップになった。
「わあー、なんか、歌うのって抵抗あったけど、やってみると楽しいですね」
二曲目のあたりから瑠奈がそう言いはじめた。
「歌詞なんて見ない。私はそのときの気持ちをうたうんだい!」
伴乃の歌は、ただの彼女の日記と化した。
「……私は、とんでもない奴らを目覚めさせてしまったのかもしれない……」
不協和音しか流れない部屋で、芽宜未は一人戦慄した。
そして夜――。
「寝るなんてありえないぞ!」
芽宜未は大声をあげた。
「人々は今、自室等にこもって完全なるプライベートな時を過ごしている……。伴乃、この世で最もおもしろいものはなんだ……」
「ゲーム?」
「ちがう! 次、瑠奈!」
「カラオケですか? あの、私、けっこう上手くなかったですか?」
「誰かこいつにハッキリいってやってくれ! 二人ともちがう! いいか、この世で最もおもしろいもの、それは」
芽宜未は急に声のトーンを落として言った。
「……人間だ」
瑠奈と伴乃は、はっと息をのんだ。
「人とは、社会的な生き物だ。今そこに存在している自分とは、本来のものではなく、周囲に見せたいイメージが具現化したものにすぎない。ありのままの人間なんて実際はいない。誰もが多かれ少なかれ自分を演じているんだ。ただ、四六時中ではない。誰もいない場所で一人になったときは、誰だってその殻を脱ぎすてる。これから見に行くのは、裸になった人間達だ……」
「ほ、本気ですか……」
瑠奈はおじけづいた。だがすでに三人が立っているのは二字区南の住宅街だった。
「えっ、一人になるとみんな何するの、たとえば」
と伴乃が言った。
「なんでしょうね……。私は一人だとそれなりに気は抜けてると思うんですけど、特別なにをするってわけでは……」
と瑠奈。
「うーん、私は妄想かなあ。雲のなかに入ってみたいな〜、とか」
と伴乃。
「おまえら、かわい子ぶってんじゃねえーーーーーーー!!!!」
芽宜未が叫んだ。
目を丸くする二人に、彼女はまくしたてた。
「嘘つくな! 一人になったら何をするか。まずダンスをするだろ! 人には見せられない恥ずかしい動きするだろ! したことないやつなんているわけがない! それからちょっとかっこいい台詞を言ってみたりとか! した覚えがあるだろう! ない!? はい嘘嘘! ならこれはどうだ! 人は一人になると、封印したあの衝動を開放して、そう――」
猫ちゃんになるんだああああっ!!!!
芽宜未の声が、灰色の世界のずっと遠くまで響いた。
「かわいいなぁ〜、めぎみ」
「かわいい。一人のときは猫になっちゃうんですね」
と二人。
「……はっ? おまえら、猫にもならないのか? わ、私だけ……?」
その後、民家に侵入する雰囲気でもなくなり、芽宜未がただ自身の奇行を暴露しただけに終わったのだが……、
「今気づいた。この世界は」
二日後、芽宜未はふと言った。
「快適だ」
図書館の屋上には、真夏の強烈な日差しが容赦なく照りつけていた。しかしそれは色など持たず、暑さなど彼女達とはまったく無縁の要素なのだった。
雨風で劣化した椅子や、雑草が生え放題になった花壇のブロックなど、それぞれ思い思いの場所に座って、三人は本をのんびりと読んでいた。
「今ごろ気づいたか〜」
と伴乃が言った。
「思えばずっと時間に追われていた。いや、小説を書くのはこの上なく楽しかったんだが、すべてから解放されて自由になるというのもいいもんだ。心に羽が生えたような……いや、リアルに翼を手に入れたような感覚だな」
芽宜未はふっと笑った。
「芽宜未さん……。でも、向こうの世界に未練は……」
「ないよ」
瑠奈の言葉に、芽宜未は即答した。
「シリーズで書いていたものは一段落していたし、『モラトリアム』の次の本も構想すら練っていなかった。書きかけというのは作家にとって未練以外のなにものでもないから、これは不幸中の幸いかな。そりゃあもっと書きたい気持ちはあるさ。でも仕方ない。こうなってしまったものは。それに……」
芽宜未は二人を見つめて言った。
「友達もできたしな」
瑠奈の顔がぱあっと明るくなった。
「芽宜未さん……!」
「なんてすごい。私は小説家と友達だ。自慢自慢」
と伴乃。
「また書いてください。芽宜未さん。私達二人が読みます」
そう瑠奈に言われて、芽宜未は照れくさそうに笑った。
「っていってもおまえら、ファンでもなんでもないんだろ」
「『モラトリアム』は読みました!」
「同じく〜」
「ニワカめ! これまでの作品全部読んでこい。そしたら書いてやる!」
わあっと場が湧いた。
「よし、図書館に取りにいこう」
と伴乃が立ち上がった。
「考えてみれば失礼でしたよね。作家さんが目の前にいたのに私達、適当なエッセイとか猫の写真集とかばかり読んでて……」
瑠奈も立ち上がった。
「まったくだ!」
芽宜未が椅子にふんぞり返った。その顔は、ここに来て一番の晴れやかさだった。
「――ん」
ぴくりと、その目尻が動いた。
階段に向かっていた二人も振り返った。
「今、……空気が変わったな」
芽宜未が言った。
「ふむ……武器……」
芽宜未は黒くなった服のあちこちを探っていた。
「一見なにもないようだが……」
と、ネックレスの鳥卵のようなアクセサリーをつまんだ。少し引っ張ると、パチンと音を立てて外れた。
空の明かりに透かした。薄く亀裂のような模様が見えた。
「割るのか?」
と言って芽宜未は軽くそれを握った。
卵は簡単につぶれて、黒い液体が漏れだした。
液体はどろどろと垂れて地面に落ちると思われたが、突如重力に逆らって、芽宜未の手を覆いはじめた。
「ほう……。ほうほうほう!」
気づけばそこには漆黒の、魔界めいたおどろおどろしい形状のライフル銃が握られていた。
「いた……! あそこです」
その隣で瑠奈が言った。図書館から少し離れた低いビルの屋上に、白い人影があった。
「ん……なんか」
伴乃が目を細めた。
「包帯っぽい……」
屋上の白魔は、通常の骸骨ではなく、以前にも出現した包帯で巻かれたタイプだった。
「……強いやつです。芽宜未さん。念のため、またここで待っていてください」
瑠奈が言って、駆け出した。
「まぁでも、たぶん勝てる」
伴乃は軽くストレッチのようなことをしてから瑠奈を追った。
二人は屋上から跳躍。隣のビルに移った。
「あれは練習が要りそうだな……」
芽宜未はそう言って、ビルの下の道路に視線を転じた。
若干だが、そこを走る車の運転がどれも荒くなっていた。車間距離も短い。
「前回よりも危なっかしいな。ひょっとして、強い敵なら、起きる事故も大きい……」
そのとき、芽宜未の背中でなにかがざわざわと音を立てた。
「む……」
それに手で触れると、彼女はうっすらと笑った。
瑠奈と伴乃がビルに着地したとき、敵の包帯がほどけて風に流され、中身があらわになった。
それは、これまでの白魔と比較しても異形だった。
骸骨は骸骨であった。これまで同様の人型であった。しかしその骨が細かすぎた。
グロテスクな深海魚の内部を思わせる、細密な骨模様。骨の連続体。膨大な数が一個に集合した、ある種の嫌悪を引き起こす造形。
「うっ……」
瑠奈は思わず口もとを押さえた。
「きもい」
伴乃はストレートに言った。
その敵の腕が変形した。両腕がそれぞれ二又に分かれ、左右一本ずつ上方に伸びた。二本の指が対称方向に折れ、手首の回転がはじまった。
プルルルルルル……と音が鳴った。
瑠奈はまさかと思ったが、やはり敵はそのプロペラによって浮遊した。
どんどん高度を上げていく敵を二人は見上げていたが、
「ん……?」
「今なんか光っ……」
次の瞬間、瑠奈の足元のコンクリートが激しく吹き飛んだ。
そこに突き刺さっていたのは小さな白い骨だった。
「う、撃ってきてる。骨を……。うわっ!」
瑠奈はまた付近を狙われて、とにかくでたらめに走り回った。
「瑠奈ちゃん、待ってて。たぶん私なら捕まえられる……」
伴乃はそう言って、チェーンを適当な長さに伸ばした。そして深くしゃがみ込んで、頭上を見上げた。
「垂直跳びで……、あの距離なら……。うん、届く。一……二の……」
伴乃が脚にぐぐっと力を入れた、そのとき、
「うははははははっ! はははははははは!!」
高笑いと共に、空に黒い鳥――いや、背中に巨大な羽を生やした芽宜未が現れた。
「なんて気分がいいんだ」
芽宜未は言った。背中の羽は一度軽く羽ばたくだけで、十数秒も彼女を滞空させた。
「芽宜未さんっ」
瑠奈が叫んだ。
「……おまえら」
芽宜未は屋上の二人を見下ろした。
それから、少し離れたところを浮遊する白魔を見やった。
手に持ったライフルを構え――ようとしてやめた。
彼女は微笑して言った。
「なあ、おまえら、こいつを倒す必要ってあるのか?」
「えっ……」
瑠奈は固まった。
伴乃はどこか無感情に空の彼女を見つめた。
「倒すのが私達の使命だ、みたく言ったよな。しかし倒さないことによる罰則はあるのか?…………伴乃は知ってるみたいだな。その顔は、ないってことだよな」
伴乃は何も反応を示さなかった。
「ない……んだろうけど……」
瑠奈は自信なさげに言った。
「なら、わざわざ危険をおかしてこいつを倒す意味ってなんだ? はっきり言おうか。そのへんを歩いてる灰色の人間達を助けてやる義理なんてないんだぞ」
「でも!」
瑠奈はうつむいたまま言った。
「それじゃあ、気分が嫌です……。いつも、事故のニュースを見るたび思うんです。これが……」
空に向かって叫んだ。
「これがなくなれば、世界はどんなにすばらしいかって!」
伴乃が続けて言った。
「芽宜未……君は好きにしたらいいさ。私達も私達で勝手にやる」
「ほう……。ほうほうほう。そうかそうか。じゃあ二体二だなあ」
芽宜未はライフルを伴乃に向けた。
瑠奈はたまらず叫んだ。
「芽宜未さん、私達友達じゃなかったんですか!」
「だけどな憎いんだよこの世界が!! 未練はないって言ったけど恨みはあるんだよ!!!」
芽宜未が激高した。
「おまえらはわからんよなあ! この世界から拒絶されたことのないおまえらには!」
伴乃がぴくりと反応した。
瑠奈は静かに視線を落とした。
「やれ小説の真似をするやつがいるから書くなだ、謝罪しろだ、全部おまえらのそもそもの弱さを他人のせいにしてるだけだろうが! 不倫タレントを殺された恨みだ? 馬鹿か! 低レベルすぎて物も言えんわ! そんなクソ世界は滅されて当然だ! 自分でぶち壊したいくらいだが、手を下すのも馬鹿らしい。だが滅びようとしているのを守るだなんて有り得ない! さあ白魔よ、協力してあいつらを――」
ちゅどーん。
白魔の体から発射された骨が芽宜未を撃ち落とした。
「あ……」
と瑠奈。
「……まあ、うん、あいつが一番敵に近かったし……」
と伴乃。
「ぬああ゛あ゛!!」
へろへろと落ちていった芽宜未だったが、気合で急上昇した。
「私は味方だ! わからないのか、クソッ!」
しかし白魔は容赦なく小骨を飛ばし続ける。芽宜未は飛び回ってそれをかわした。
「チッ……。しかしそろそろ事故が起きるんじゃないか。どでかい事故が……。見ものだぞこれは……」
芽宜未が見下ろした道路では、頻繁に急ブレーキ、急停車、そして車外に降りての言い争いが起きていた。
「あの二人に死んでもらっちゃあ夢見が悪い。だが白魔を倒されては困る。適度に撃って邪魔をしようか」
芽宜未はライフルをビル屋上に向けて発射した。
いざ跳ぼうとしていた伴乃の頭上を弾丸がかすめた。
「め〜ぎ〜み〜」
伴乃が睨んだ。
「むっ」
口調こそゆるかったが、その視線にぞくりとした芽宜未はビルと逆方向に飛翔して距離をとった。
「逃げた……」
芽宜未の方向に体を構えていた伴乃は、その途端、白魔から骨の大爆撃を受けた。
「伴乃さん! うあっ……!」
瑠奈も巻き添えをくらった。
「……ひとつひとつの威力は小さいけど、これ、地味に削られる……」
骨とコンクリートの噴煙の中で、伴乃はよろけかかっていた。
「くらい続けたら、やばいです……」
瑠奈が見上げた先で、骨を撃ち尽してとうもろこし様のクレーターだらけとなった白魔は、例の骨の展開と蒸気の噴出がなされると、また小骨が再装填されて元通りの姿となった。
「決めるしかない」
伴乃は言った、と同時、彼女の装備が弾け飛んだ。
次の一瞬で、もうそこには誰もおらず、上空の白魔の眼前に、髪の短い軽量型の伴乃が出現した。
ダアン、と銃声が響いた。
伴乃の体がぐらついた。
そこに白魔の小骨が雨のように殴りかかった。白い粉塵の爆発が起きて、その中から伴乃が落下した。
「やられた!? 軽装になって防御力が落ちてるんだ……。伴っ、乃っ、さ……」
地面に衝突する寸前のそれを、瑠奈は飛び込みスライディングでキャッチした。
「う……」
伴乃は体じゅう傷だらけで、息はあるものの意識を失っていた。
「は、速かった……。思わず撃ってしまった……」
上空で芽宜未は動揺を顔に浮かべていた。
「だが……、だからなんだ。……悪いのはおまえらだろうが……」
そのとき、白魔の追い打ちがビル屋上を狙った。瑠奈はとっさに伴乃を放ったが、自身は逃げ切れなかった。
無数の骨に撃たれて地面に倒れた瑠奈を、さらに倍の数の骨が襲った。
「ははははは……。別に良心は傷まないぞ。おまえらが選択した結果だ。戦闘のたびに対立するのも馬鹿げている。早いうちにこうなって正解だ。おまえらとは友達だったが、私はドライなんだ。優先すべきもののためなら何だって切り捨てる」
芽宜未は羽を羽ばたかせて、ぼろぼろになった二人に背を向けた。
「芽宜未さん……」
微かな声がした。
「芽宜未さんっ!」
地面に頬をつけた瑠奈の声だった。
「あなたは、これでいいんですか……」
芽宜未は振り返らない。
「あなた『が』これでいいんですか」
瑠奈の瞼から涙がこぼれた。
「こんな、悲しい結末でいいんですか……。あなたは小説家だった。お金のため、生活のため、人気になるためって言ってたけど……みんなに向けて、書いてたんですよね……言葉を伝えようとしてたんですよね……」
瑠奈はそして、目を見開いて強く言い切った。
「伝えられないですよ。私は小説を書いたことはないですけど、そんな自分本位な理由だけじゃ……言葉は……思いは……。あなたにもあったはずです。ただ書いて、伝える喜びが……。それって、相手が……人がいないと成り立たないことじゃないんですか!? どんなに、世界に拒絶されたって……それは」
白魔の次の攻撃が放たれた。
それに気づくか気づかないかの意識の中で、瑠奈は言葉をつむいだ。
「それは……変わらないこと……」
襲いかかった無数の骨を、
瞬間、黒い羽が弾き飛ばした。
両者のあいだに飛び込んだ芽宜未は、被弾した片翼の機能不全のために徐々に降下しながら言った。
「……私が、愚図の読者に読んでもらうのを、純粋に楽しんでいた……? 馬鹿な」
そして彼女はせせら笑って、
「だから、拒絶されて傷ついたっていうのか。おいおいそれってダサすぎるじゃないか」
そのとき飛んだ白魔の攻撃を、彼女はもう片翼で弾き飛ばした。
「ダサすぎる……」
顔を片手で覆った。
「だが」
指の隙間から、形はいいが陰険な目が覗き、白魔を睨んだ。
「それが人間か」
ライフルを構える。目を見開く。その視線は遥か上空の敵を正確に捉える。
「――ところで私は射撃の経験なんてないんだが、こいつが思考誘導のいわゆる魔弾だったってのがウマい話だよなあ。まったく神というのはどこまでも私という美少女を贔屓しやがる。まあ気持ちは、わからんでもないがな」
トリガーを引く。どこかソリッドな発砲音がして、空中の白魔の体がかすかに揺れた。
そこから、それまで安定していた白魔の滞空がガタガタと崩れはじめた。
「天才と凡人の違いは色々ありすぎて語り尽くせないが、ひとつだけ挙げるとすれば、それは『狙い』だ。天才は一撃を」
また構える。
「確実に」
トリガーに力を込める。
「有効に、撃ち込む」
ダアン!
白魔の体を構成する、ざっと千個を超える骨のうち、ひとつが破壊された。
それはプロペラのように回転する骨――、
ではなく、
プロペラを支える骨――、
でもなく、
腰部にある、なんの変哲もない小さな一個の骨――。
白魔はガクリと体勢を崩して、急速落下した。
「飛行機能を制御する骨だ。さっき壊したのと合わせてこの二つの骨が、空中移動の際に不自然に振動していた。プロペラに直接繋がっている骨は、飛ばしてくる小骨と同じ表層付近の骨……壊してもおそらく『生え変わる』。天才はそんなものを狙わず、元を断つ」
芽宜未は言った。
「ところで私、喋り過ぎか?」
「ス――」
『スマートシューター』
屋上に突っ伏した瑠奈は思った。
芽宜未が使うのは銃で、格闘技ではないが、これは戦いと名のつくもの全てに共通する、『思考の戦闘スタイル』。
一切の無駄を配し、一撃必殺の有効打のみを狙う。そのために行われる退避と、鋭い観察。
ひとつの試合ではなく、一個の人生、いやそれを超えた長い時間が経ったとき、最後に残っている者――すなわち格闘界を変えた歴史的偉人に見られる特質であると瑠奈は考えている。
「要するに」
ビル屋上にうずくまる白魔に、芽宜未はライフルを構えて言った。
「私はおまえをいつでも倒せる状態にあったわけだ。戦う前から勝っていた……次元が違いすぎて申し訳ないね。それじゃ」
芽宜未が撃ち抜いたのは、敵のくるぶしにある地味な骨――あらゆる活動時に最もアクティブに振動していた骨だった。
次の瞬間、白魔は、自重を支えきれなくなったように足元から順に崩壊していった。
続けざまに芽宜未、瑠奈、伴乃の服の黒がはじけて、白魔の白と一緒に空へと浮き出した。
「ふん。きれいじゃないか」
芽宜未はそれを見上げた。
「……はっ」
伴乃がガバッと飛び起きて、体をわさわさと探ると、芽宜未に顔を向けてずんずん近づいた。
「私を撃ったな〜!」
「ああ。一応、撃っても平気そうなところを狙ったよ。うん、どうともなさそうじゃないか」
芽宜未は伴乃の体を適当に調べて言った。
瑠奈も起き上がって、二人のところに歩いてきた。
「芽宜未さん」
「ああ」
芽宜未はバツの悪そうな顔をして、
「悪かったな……。まぁ、わかっちゃいたさ。わかっちゃいたけど、色々と認められなかったんだ」
「そういうこと……あります」
瑠奈はどこか不自然に目をそらした。
「でも乗り越えられたのは、すごいことです。芽宜未さんは強い人です」
「そうかな……」
芽宜未は照れ笑いをした。
「これから、よろしくお願いします」
「ああ」
二人は握手をした。
「なんかお咎めなしになってる! 私撃たれたのに〜!」
伴乃が叫んだ。
「あっ、伴乃さん、大丈夫ですか。……なんともなさそうですね」
瑠奈は伴乃の体を遠慮がちにさわって言った。
「大丈夫だけど、なんかついていけてない……」
と困惑気味に伴乃は言う。
「おまえ、寝てたからな。なんで寝てたんだ?」
と言う芽宜未は目が笑っていた。
プチンと音が鳴った。なんとなく瑠奈は、伴乃の中からした音だなと思った。
「ふははは!……えっ? お、おい、ちょっ、うわあああ!」
そこから芽宜未と伴乃の追いかけっこが始まったかと思ったが、すぐにそれは終結して、
「うっ……。おい瑠奈……こいつ見かけによらず素早いし、力も強い……」
そこには組み付かれて首を曲げられていく芽宜未の姿があった。
「ギブギブ……! 悪かった、悪かった伴乃! う゛っ、こいつ、マジで首折ろうとしてる! 瑠奈助けてくれ! 助けて!!」
「もう。芽宜未さんがからかうからですよー」
とにこにこする瑠奈の前で、芽宜未は泡を吹いて失神した。
所変わり、二字区、住宅街の某所。
の、地下。
「こちら、クローズスリー……。体機能が著しく低下しています」
コンクリートの壁に囲まれた部屋で、少女が倒れている。
「博士、応答を願います。クローズスリー、体機能不全……。視界にも、徐々に霞が……」
うつろな目で、掠れた声で、彼女はしかし、事務的、いや、機械的に言葉を発し続ける。
「今から五秒、応答がなければ、現状況が博士の意思であると判断し、機能の継続を断念します。四、三、二、一。…………」
彼女の目から光がきえた。
そしてその目は静かに閉じられた。
かすかに呼吸は続いていたが、それすらも徐々に小さくなっていき――、
やがて、地下室に完全な静寂が訪れた。




