三 リトルガール
三 リトルガール
二字駅前繁華街の夜。
人が縦横無尽に行き交うその上で、ネオンが街を照らしている。
そのような灰色の景色を、瑠奈はビルの屋上から眺めていた。
不意に大音量が響いた。街頭ビジョンが、白黒のボールとそれを追う選手達のプロモーション映像を流しはじめた。
「ワールドカップ!」
伴乃が声を上げた。
「もうすぐだね〜。私いつもここから街のみんなと一緒に応援してるんだよ。パブリックビューイング」
「わあ……」
瑠奈は大画面の特等席の見応えに感嘆しながら言った。
「格闘技は放送されないんですかね」
「あー……、なさそう。なんでだろ」
「……まぁ、テンション上がってそこらへんで殴り合いが始まっても困りますしね……」
と、瑠奈は下におろしていた視線をビジョンに戻してから、
「私、サッカーってわからないんですよね。ルールとか、選手とか……」
「私もだよ」
と伴乃。
「え」
「いつもなんとなく、雰囲気で楽しんでる。一応、攻めてる方、勝ってる方、わかるし。みんながいけいけ〜! ってときは、わたしもいけいけ〜! ゴール入ったら、みんなと一緒に盛り上がる」
「ああ、なるほど。……」
瑠奈は頷きながら、視線をそらした。実をいうと、周りが盛り上がるから自分も、とか、自分の国のチームを応援する、という感覚がよくわからないのだが、流石に言うのは自重した。きっと自分は帰属意識とか愛国心というやつが低いのだろう。
「あっ、でもこの選手は知ってる。かっこいい」
と伴乃が指をさした。そこには長髪の、瑠奈でも知っている有名選手が映っていたのだが、
『臨時ニュースです』
スタジオで正面を向く男性アナウンサーの姿に切り替わった。
それがひどいブ男だったせいかはわからないが、伴乃の指はさりげなく曲げられていった。
『都内の繁華街で、男が刃物を振り回し通行人を次々と切りつけました。駆けつけた警察官により男は取り押さえられましたが――』
「……。こういうのは、私達には防げないんですよね……」
「うん……。二字区で起きるなら、まだやりようがあるんだけど」
二人は街頭ビジョンを神妙な顔で眺めた。怪我人多数、死者も出たという内容が伝えられた。
「私、もしこういう事件の現場に居合わせたら……って考えてしまうんです」
瑠奈は言った。
「もし警察が来る前に、犯人をやっつけられたら……。もっといえば、運良く自分が最初に狙われて、返り討ちにして、被害ゼロだったらどんなにいいかって」
「うん」
「それで私、格闘技を習い始めた部分もあるんです。でも、まだ一度も目の前で事件が起きたことはないっていう……」
「瑠奈ちゃんってめっちゃ、正義感つよい」
伴乃は言ったが、それは誰に向けてでもなく空につぶやいたような言葉だった。
「多分そんな立派なのじゃないですけど……。ヒーローになりたいとか、活躍したい、誉められたいような気持ちもありますし。でも、現状、許せないです」
瑠奈はアナウンサーが映る画面を、その先に犯人がいるかのように睨みつけた。
「ためらいなく人を傷つけられる、最低限の良心も持たない人間……。いろいろとはっきりしない世の中ですけど、これだけは明確な悪です。……そう思うだけで何も成せないとしても、私はそれを許さない人の一人であり続けたい」
「うん」
伴乃はそんな瑠奈を横目で見てから、ビルの欄干に視線を落とした。
「そうだね」
翌朝、解体工事中のビル屋上に現れた白い骸骨――、
「白魔っ!」
伴乃が叫びながらその敵を追いかけ、おそらく長髪のサッカー代表選手を意識したであろう鋭いスライディングを仕掛けた。
白魔はひらりと宙返りをしてそれをかわした。身軽なタイプだ。瑠奈は初撃をかわされ、今も五メートルほど後方で、戦闘に追いつけずにいる。
そのとき、白魔の例の本気モードが発動した。全身の骨が展開し、動きが急激に勢いづいた。
「こいつも……フェイクマスター!」
瑠奈は驚嘆した。敵はすでに伴乃のチェーン攻撃を何度か受けていた。あえて受けたのだ。今の好機を最大に活かすために。
白魔は宙返り着地の不安定な姿勢から、鋭い手刀を放った。
しかし伴乃の動きはそれをさらに上回るものだった。
自身の足のチェーンを踏んで、スライディングに急制動をかける。――瑠奈に認識できたのはここまでだった。このあと何かが起こって伴乃の体はまったく脈絡のない横旋回をともないながら宙に浮く。そうして敵の攻撃を眼下に見ながら、
パアン。
と逆さまの格好で広げた足が、敵の頭を卵のように割った。
「な、な、なに今の動き……」
瑠奈は味方ながら恐ろしくなった。見ていて一瞬、ここが地球だという感覚が消えうせたのだ。
黒い服がもとに戻っていく。伴乃が、「あ〜今日も働いたね〜」と言いながら歩いてくるが、瑠奈の頭の中にはまったく別のことが渦巻いていた。
――伴乃は、段違いに強い。
――自分もある程度やれると思っていたが、全然だ。
――昨日かっこつけて「悪は許さない」だのなんだの言わなきゃよかったあああっああああぁぁぁ!!
瑠奈は恥ずかしさに頭を抱えながら、「うぐうう、この勘違い野郎……!」と小さく叫んだ。
伴乃がその顔を覗き込んで言った。
「白魔との戦いはいつまで続くのだろう。だがどんな敵が現れてもこの街の平和は守ってみせる。私達は運命に選ばれた戦士……」
「ぎゃああああああああああああ!!!!」
と瑠奈は仰け反った。
「えー、でもかっこいいよ〜」
と伴乃。
「やめましょう……。誰も見てなくても恥ずかしいんです……」
しかし一番恥ずかしい素養を持っていて、ふとしたときにそれが出てしまうのは、そう言う瑠奈自身なのだった。
「……というか伴乃さん、お願いがあります」
「ん?」
瑠奈は表情を改めて言った。
「私を、弟子にしてください」
「おお〜?」
「いえ、せめてその強さの秘密だけでも教えてください」
瑠奈は頭を下げ、そこから伴乃の顔をうかがってさらに続けた。
「黒い服に変身すれば単純に力や頑丈さが上がる……。でも本来の技術やセンスは変わりません。戦う前はわかりませんでした。変身によって強くなっているものとばかり……。でも違う。伴乃さんは元々の超人です」
「えーっ。でも腕相撲では瑠奈ちゃんに負ける気がするなぁ」
「力はまぁ……自信ありますから。でも、私の攻撃、伴乃さんに当たりますか」
「んー」
伴乃は困ったように顔を変に歪めて、
「当たらないだろうね」
「私、こうして戦うからには足手まといにはなりたくないんです。格闘技……というか個人を強くする方法は、古今東西調べ尽くした気でいたのに、伴乃さんの技はまるで見たことがない。教えてください。お願いします!」
もうこれ以上さげられないというくらい瑠奈は頭を下げた。
伴乃はしばらく、「ん〜」とか「む〜」とか言っていたが、
「おしえなーい」
と、そっぽを向いた。
「えっ……」
二人のあいだに風が流れた。
なびいた髪の隙間から、伴乃は瑠奈を見て言った。
「……我が暗黒神拳の教示を受けたいのであれば、この世界に伝わる三つの宝を持ってくるがよい。一つは――」
「いやいや真面目な話でお願いします」
瑠奈が言うと、伴乃は威厳たっぷりの表情のまま目だけをそらして、
「まぁ、実はなんとなく戦ってるだけっていう……」
「え……。う、うそでしょう。天才ですか」
「んー……」
伴乃は頭をかいた。
「とにかく、教えてって言われてもむずかしいんだよ。こればっかりは。呼吸の仕方と一緒さ」
「ううーむ……」
瑠奈は納得いかなかったが、話はそこでお流れになった。
見て技を盗めというのは、格闘技に限らず常識とされていること。
だが伴乃の技は見えないのだ。どうしようもない。
「でもあれだけ凄い人なら、何も知らずに空手の大会に出たって優勝しちゃいそうだし……」
瑠奈は閉店後の家電店で、商品のパソコンを立ち上げた。
真っ暗なフロアにそこだけ明かりがついた。
「何か記録が残っているかもしれない。ええと、蔦、伴乃……。珍しいから同姓同名の別人はいないはず……」
検索窓に打ち込んで、検索。
該当結果、ゼロ。
「だよな……」
半ばわかっていたことだ。そんなに都合よくネットに足跡が残っているはずがない。ましてや全く未知の格闘技術の使い手なのだ。
「いや、念の為、別の検索エンジンで……」
検索。
結果、ゼロ件。
「海外のサイトも引っかかるように、『tomono tsuta』」
結果、ゼロ件。
「カタカナでツタトモノ、とかどうだろ……」
完全に時間を無駄にしてるな、と思いながらも、またまた窓に単語を入れて検索を実行する。
結果、三件。
「で…………」
出た。
「でたっ!」
叫んでしまってから、自らの口を塞いで、周囲を見回した。今夜は伴乃とは別行動だ。彼女は図書館に読み終えたい本があり、瑠奈は家電店のシアタールームにセットされていた映画が観たかった……わけではないがそう言ってみたところ、このようになった。
したがってこの場に伴乃がいるわけはないのだが、瑠奈は慎重になった。
画面を少しずつスクロールする。
一件目は、ハズレだった。どこかの誰かのブログだ。
『とかなんとか言って笑った。友の言ってることがイマイチよくわからんのだが』という文にツタトモノと読める箇所がある。
「こういうのもヒットするのか……。ていうか友達を『友』とか変に略して言うな……」
紛らわしいあまり、少々毒舌になる瑠奈。
つづいて二件目。
『世紀末やばすぎる都市伝説五十一 柴山共生著 オンラインブックスで今すぐ買う 中身を立ち読みする 目次』
「…………?」
クリックすると、ネット立ち読み用の本の目次欄が出た。
『二十五 洒落にならない人面鳥
二十六 〇〇の夢を見た人は……
二十七 あなたはツタトモノを知っているか』
「なにこれ……。いや、その前に『世紀末』って……」
スクロールしていくうちに、『現在、この商品は取り扱いしていません』の文字が見えた。出版年月日の表示にたどり着くと、やはり。今から二十年以上も前の本だった。
「よく……わからない……。三件目―─」
ブラウザを戻って、検索結果へ。最後の一件を表示させる。
『メカ生テニに! コボになお滝な(。。。 カヨム苫のツたト モノ細谷とか!!!! 小甥いいいいののこのノノ!』
「…………」
どこかの掲示板に投稿された意味不明な文字列だった。
「なんでこういうのを書くんだろう……」
瑠奈はぼやきながら画面をスクロールし、二件目の検索結果に戻った。
『ツタトモノを知っているか』
数秒その画面を見つめていたが、ふと思い立って区立図書館のページを開いた。
蔵書検索。
『世紀末やばすぎる都市伝説五十一』
打ち込み、キーを叩く。
…………。
ヒット。B棟書庫に蔵書あり。
しかし、今その図書館には伴乃がいる。さすがに堂々と彼女の前で本人のことを調べる度胸はない。
それに、この本が当たりかどうかも怪しい。昔の怪しげな都市伝説の本では……。瑠奈の頭には、伴乃とたまたま同名の架空の珍獣の姿が思い浮かんだ。
「……明日にしよう」
そこから、調査(?)は亀の歩みになった。
数日が経って、今度は伴乃が家電店で寝たいと言う日があったが、疑念を持たれるのを恐れた瑠奈は別行動を避けた。
しかし翌日、今度は図書館に泊まることになり、瑠奈は、繊維技術関連の書籍に熱中する伴乃に、少し探検をしてくると言って書庫に向かった。
これなら違和感は持たれない。おそらく。
少し後ろめたさはあったが、もともとの動機の純粋さが行為を正当化した。
それに、期待もなかった。伴乃は超人だ。なぜ、という疑問は残るが、この世界はそもそも理屈に合わないことから始まっている。死後は灰色じゃない、無だったはずだ。
細い廊下を通って入った書庫には、見慣れない移動式の書架が並んでいた。記憶にあった棚番号を探し、勘をたよりにして操作ボタンを押す。電気駆動音をともなって書架が動いた。できた隙間に入って本を探した。
「……あった」
黒く、安っぽい表紙のそれを手にとった。
*
二十七 あなたはツタトモノを知っているか
これはもう二十年近くオカルト・都市伝説界隈で本を書いている著者の先輩であるK氏でも「まったく聞いたことがなかった」という話だ。
筆者は知り合いから常時、都市伝説系の噂を内容に関わらず一口千円の報酬付きで募集している。名刺にもその旨を書いていて、一度会っただけの相手や飲み屋の女からでもネタを集められる体制をとっている。
電話をしてきたのは、出張先で昼食にと入ったレストランでたまたま相席にさせられた老人だ。例にもれず一言二言会話をしただけの彼にも名刺を渡しておいたのだが、
「あんたが好きそうな話を思い出した」
そう言ってきた。
距離も遠かったのでこのまま電話で、謝礼は郵送ということで話を聞いた。認識が少し危うい老人だったので、できの悪い妄想が長々と語られるのではないかと(そこまでを含めてのこの地道なネタ収集なのだが)あまり期待はしていなかった。
「リトルガールが戦争を終わらせる」
老人は言った。
「自分が軍にいたころ流れた噂だ。まぁ噂でしかなかった。実際の戦争終結はそれから半年後。あのキノコ雲を自分は確かに見たんだが、他の者はここから見えたわけがないと言う。だが自分は確かに見たんだがなぁ」
それは戦後テレビで散々流れたのをリアルで見たと思いこんでいるだけだ。筆者の母もこれと同じ錯誤を最近よくやる。やはり妄想……と思いながらも、話の前半部には妙に興味を惹かれた。まぁこれも錯誤とは思ったが。
「そのリトルガールというのは、兵器ですか。うちの軍ではなく、連合軍側の」
筆者はきいた。
「そう。しかし兵器じゃない。女だ。ツタトモノという」
「ツタ……トモノ……」
うむ、おかしいな。連合側の所有物なら外国人名になりそうなものだ。
そう思ったがあえてきかずに続きをうながした。
「何の公式性もないただの噂だったが、上長も知っていた。ある日、『〝それ〟がもし少女だとしても油断するな、敵は迷わず撃て』という、あきらかに例の噂を受けての発言が朝礼でされた。自分達は身構えた。状況に、妙な信憑性があった。おそらく本当に、リトルガールは来る。……しかしひと月、ふた月が経ち、誰もがそれを忘れた頃、唐突に戦争は終わった。自分は一度も本土から出ず、戦いを経験しなかった」
老人からはそれ以上の情報は出なかった。
事実かどうかはともかく、話としては面白いと思った。追加で調べる価値はある。
筆者は本土勤務の元軍人を当たって、この裏をとろうとした。結果、実際に噂はあったらしい。数人だったが、例の老人と似たような証言がとれた。
ここで正直に告白するが、いわゆる真偽不明の都市伝説を扱う著者としては、この時点、つまり噂の確認が取れ、ネタに一定以上の信憑性が生まれた時点で、この件に関しては撮れ高を満たしたと言えた。
(都市伝説は一種の創作でもあり、このようなメタな物言いはその価値を低めるものだが、次のことを報告するために、これを書くのはやむを得ない。許してほしい)
というわけで、すぐに取材を終えてもよかったのだが、もうアポをとっていたため、最後に会いに行った人物がいた。
彼もやはり元軍人で、他の者と同様、普通の……というのもおかしいが戦争取材という建前だった。それは万一この件が機密に触れていた場合、初っ端の取材拒否を避けるための策だった。ただどの相手も、噂ということもあってあけすけに話してくれたので杞憂ではあったのだが、――彼はどうやら違った。
リトルガールの名を出した瞬間、その身なりのいい老人の顔色が変わった。
それはしかし一秒に満たない間の変化だった。事実彼は瞬きのあいだに元の温和な表情に戻っていた。
「ああ、ありましたな。そんな噂が」
彼は言った。
その後、筆者がすでに知った内容の証言をとって取材は終わった。
だが、筆者――いや、この俺はわかる。キャリア時代に大手の戦争取材を専門にしてきた記者……この柴山共生だからわかる。
彼が一瞬見せたあれは、紛れもない軍人の顔。それも、本土では経験できないはずの実戦……殺しをしてきた者の顔だ。
このことが何を意味するのか。噂は本当に、ただの噂だったのか。
ここから先は、あなた自身が考えてほしい。
*
「リトルガール……」
瑠奈は本を棚に戻してつぶやいた。
「戦争を、終わらせる……」
実際に昔あった戦争を終わらせたのは別の要因だったわけだが、伴乃のあの規格外さは、それが可能とされたリトルガールのイメージと一致する。
本から得られた情報はここまで。しかし、
「もう一度、検索……」
瑠奈は館内の子どもスペースに戻った。立ち読みに随分時間をかけてしまったらしい。伴乃は虫のように丸くなって眠っていた。
それを確認すると、裏出口へと一直線に向かった。
大通りを走るあいだ、何も考えられなかった。瑠奈は家電店の裏口ドアに、この間から借りたままの鍵を差し込んで回した。
パソコンフロア、角の最新型の一台。ブラウザ起動、検索窓に入力。
『リトルガール 連合軍 ……』
一瞬考えて、瑠奈はさらにキーを叩いた。
『……少女』
これで何も出なければもういい。調べすぎた自分が間違っていた。彼女にも何もきかず、今までどおりに付き合おう。誰だって、
「触れられたくない過去はあるだろ……何をやってるんだ、私は……」
だが、三つのワードが探り当てた検索結果は一件。
真実とは複数ないものだ。無論、ゼロであるはずもない。
だめだ――、という最後のブレーキを離して、瑠奈は結果をクリックした。




