二 交通安全の神様
二 交通安全の神様
二字区、三波川一丁目。三波川河川前。
瑠奈の目前で、灰色の景色は突然に途絶えている。
描きかけの絵のように。真っ白なキャンバスがどこまでも続いている、
瑠奈の横に進み出た伴乃は、手を伸ばして言った。
「ここ、壁がある」
見えない壁に手を添わせながら歩いた。瑠奈も同じようにした。
「川沿いの通り……もしかして、旧二字町……。四字町と合併して二字区になる前の、旧二字町の境なのでは……」
「当たり。よくわかったねぇ。合併って三十年前だよ」
「祖父が散歩のときよく話してくれたので」
ちょうどそこにバス停があり、二字区全体の地図があった。
伴乃はそれを指でなぞっていく。薄く汚れた地図看板に、もう記されなくなった町境界が蘇った。
「私達はこの旧二字町から出られない。っていうか先の景色すら見えない」
「それって、つまり、閉じ込められてる……みたいな……」
「うーんと」
伴乃は腕組みをした。
「私はなんていうか、私が二字町の担当なんだって思ってたんだよねぇ」
しみじみと言って、景色の消えている方を指さした。
「あっち側は別の担当がいて、別の白いやつと戦ってるのかなぁって。予想だけど」
「なるほど」
「今は一人じゃなくて、瑠奈ちゃんと二人だけどね」
瑠奈が伴乃から教わった、この世界のルール……というより、断片的にわかっていることは以下の通りだ。
定期的に『白いやつ』が現れる。
すると自分たちの服が黒く変化して、白いやつと戦うことになる。(戦わずに逃げてもいいのかもしれないが)
服が黒くなると、強くなる。――伴乃はざっくりとそう言った。
戦って勝てば、白いやつの死骸は消えて、黒くなっていた服はもとに戻る。
その繰り返し。
そして、そのような自分達の世界は、旧二字町境界線の中で終わっている。
『今朝、二字区二字噴水公園前交差点で高齢者が車に轢かれ、病院に運ばれましたが……』
繁華街の大型ビジョンに流れる夜の地方ニュースを見ながら、瑠奈は歩く。
――全ての事故が防げるわけではない。
繁華街を抜けて大通りに入り、少しすると救急車のサイレンが聞こえてくる。
「そして全ての死を防げるわけでもない。……当たり前か」
つぶやいてまた歩き出す。
カジュアル向けの衣料品店についた。適当に上下を選んで試着室へ。その場で着替えても誰にも気づかれないのだろうが、そこは気分の問題だ。自分達の服は汚れの概念を持たないと伴乃から聞かされていても、いつも同じ服ではいたくない。それと同じ。
「なんだよ、誰も入ってないじゃん」
と言いながら若い男が突然入ってきて、脱いだばかりの瑠奈と肌が触れそうになった。気分どころの問題ではなかった、と前言を撤回しつつ、店内の隅っこで着替えた。
レジの店員がよそ見をした隙に、伴乃に借りた財布から多めの代金を出してカウンターに置いた。お金が鮮やかな色彩を失っていくのを確認して、店を出る。
なるほど……。瑠奈はこうして自分で支払いをしてみて初めてわかった。これはただの正直さの表明ではない。店の会計に差異を出さないことは、こちらの存在を隠すことに繋がるし、無実の誰かが代わりに疑われるのも防げる。一方、大元の収入源である神社の賽銭箱からはいくら盗もうと向こうの世界に実質的な混乱はひとつも与えない。それは現代の精神文化への皮肉のように思えた。
しばらく歩いて、区立図書館に着いた。
閉館後だというのに、窓から明かりが漏れている。
瑠奈は裏口の扉を開けて入った。
「おかえりー」
と伴乃がカエルの図鑑から顔を上げて言った。
「ただいま……」
瑠奈は返事もそこそこに天井を見上げた。誰もいないはずの図書館に煌々と明かりが。騒ぎにならないのかと思ったが、ならない理由がすぐにわかった。
照明は白色ではなく、わずかに橙の色味があった。
なるほど。ということは、今これは伴乃の持ち物だ。向こうの人間に光が見えることはない。
「新しい服、めっちゃ似合うねぇ」
と伴乃が言った。
「どうも。適当に選んだやつですけど」
本当に適当なプリントTシャツとスカートだったが、瑠奈は素材がいいのでなんでも似合った。
「かわいいといいなぁ。おしゃれのしがいがあるから。私みたいな変な顔も、尖った格好ができるからアリはアリなんだけどね」
「変な顔じゃないですよ」
と瑠奈は笑った。確かに伴乃の顔は瑠奈のような正統派ではなかったが、人によってはこちらのほうが好きなはずだ。
「まぁ変な顔はおいといて、今日の寝床はここ。本を読みながら寝よう!」
と伴乃が言った。
「いいですね」
瑠奈は周囲を囲む本棚を見回した。
「毎日、寝る場所は変えているんですか?」
ときいた。
「うん。これを見ながらね。『閉店マップ』〜!」
伴乃は二字区の地図を出した。家具店、家電店、役所、ショッピングモール等の場所が記してあって、それぞれの閉店時間が書かれていた。
「一八時〜六時……。そうか、私達にとっては、これが開店時間なんですね」
「うん。区役所とかいいよ〜。早く閉まるし、休みも多い」
「うわっ、ありがたい……。本来不便なことがありがたい……」
瑠奈は複雑な顔をした。
二人はマットの敷かれた子どもコーナーに好きな本を持ってきて、おしゃべりをしながら読み始めた。
伴乃は生き物図鑑や科学図鑑。
瑠奈は恋愛小説。
「あれ? 格闘技本は?」
と伴乃がきいた。
瑠奈は言いにくそうに目をそらしながら、
「ここにあるものはもう、ほとんど読んじゃいまして……」
「まじで!」
「今はまあ、人並みにこういうのを……」
と恋愛小説を顔の前に持ち上げた。
「あ……、それじゃあねぇ」
伴乃は立ち上がって、ぴゅーっと走っていき、一冊の文庫本を持ってすぐに戻ってきた。
「これだなっ。恋愛ものならこれがまさに決定版」
と、それは本自体は割と新しいものだが、十九世紀海外恋愛古典小説の新訳だった。
「ええっ、伴乃さん、こんな難しそうなの読むんですか!」
「うん。けっこう前だけど、読んだ。超絶おもろいよ」
「え、もしかしてかなり本読む人ですか」
「あーうん。かなり読むかも。でも別に好きとかじゃなくて、なんかもう空気吸うみたいに読んじゃってるなあ。習慣っていうか」
読書家……、しかし伴乃は知的というより、とにかく雑食という印象だった。今も、色鮮やかなカエルの紹介図を指して、「こいつの毒がやばいらしいぞ……。でも当然ながらこの町には生息していない。明日ネットで動いてる動画みよう……」そう言う傍らには何やら見慣れない分厚い本が。瑠奈がそれについてきくと、「心理学の専門書だよ。心理学自体は飽きてきたけど、これ書いてる人のファンでさぁ」と言う。その著者名はアルファベット表記で、本の内容も全て外国語だった。瑠奈はさすがに冗談だろうと思ったが、ぱらりとめくった序文が印象的だったらしく思わず出たという感じの彼女の音読は完全にネイティブだった。
「留学とかされてたんですか……」
その質問に伴乃は、数秒上を見てから、
「そうだね、してた」
「す、すごい人なのかも……」
小声で言って瑠奈は、勧められた恋愛小説を開いて視線を落とした。
しばらくしてから言った。
「……こっちもすごいかも……」
「もうですね、もう……!」
翌朝、大通りを歩く瑠奈は興奮のさなかにあった。
「あんなにかっこいい男性がこの世にいるとは!」
普段の三割増の声量で叫んだ。
「この世じゃないけどね〜」
とゆるく突っ込む伴乃。
「すごくよかったです。徹夜で読んじゃいました。寝なくてもいいこの体がありがたいです!」
「おおー。寝たいときは何日も寝て、起きて遊びたいときは何日も遊べるのがこの世界のいいところ。瑠奈ちゃんもわかってきたねぇ」
「最高です!!」
瑠奈は色付きの、『自分のもの』にした例の小説を掲げて小躍りした。食事をしたあとで、もう一度読み返すつもりなのだ。
「ハッピーエンドだからよかったです! 様々な苦難を乗り越えた末の大団円! これ以上ない物語の結末です!」
「ハッピーエンドいいよねー。瑠奈ちゃん、私と一緒にハッピーエンド党に入らないか」
「是非!」
瑠奈は伴乃の手をがしりと握った。
二人はまた、コンビニで食事を買ってビルの上にのぼった。カップ麺とおにぎりとパン。
「お店で出来たての料理もたまには食べたいんだけどねぇ。私達は注文がとれないから。まぁ仕方ないよね」
伴乃が言った。
「食べなくていいのに食べてること自体が贅沢だしね〜。……どうしたの瑠奈ちゃん」
「え、いや、その」
瑠奈は落ち着かなげに立ったり座ったりして、ときどき周りのビルに視線をやっていた。
「そろそろかなって」
「ああー」
伴乃は言った。
「白いやつだね。あれは決まった時間にいつも出るわけじゃないし、出ない日もあるんだよ」
「あ、そうなんですか」
「まーのんびり構えとくべし」
と言って伴乃は床にごろんと寝転がった。
瑠奈は、ほっと息をついた。
それから少しして、瑠奈がデザートに手を付けようとしていると、伴乃が言った。
「……っていうか、倒さなきゃいけないものでもないし」
「えっ」
「私がただ、なんとなく倒したいってだけで、あれは別に義務とかじゃない。危険もともなうし。昨日はなんか無理やり誘っちゃったけど、瑠奈ちゃんには瑠奈ちゃんの自由があるわけで……」
伴乃は灰色の空を見ていた。
瑠奈は何も言えずにいた。
ふいに伴乃が起き上がり、
「……あっ、違う、これはなんていうか、拒絶とか、誘わないって意味じゃなくて。瑠奈ちゃんがもし嫌だったら……戦いが怖かったりしたら、悪いなって……」
「ぜ、全然大丈夫です。平気ですよ。気にしないでください」
瑠奈は慌ててそう言った。
「ごめん、変な感じになっちゃった……」
と伴乃は顔を背けて、
「私、実はこういうのはじめてで……」
「……こういうの、って、ええと」
瑠奈は少し考えて、
「え、……友達、ですか?」
「あ、うん。そう。ていうか、瑠奈ちゃんがそれでいいなら……」
恐る恐る伴乃は瑠奈のほうを見て言った。
「な、なにいってるんですかぁ! 伴乃さんと友達じゃないなんて私が嫌ですよ。そんなこと気にしないでください。ほらほらこれ食べて」
瑠奈は自分のデザートの牛乳プリンを強引に伴乃の口に運んだ。
「ん……。そうだね、気にしない。よかった、瑠奈ちゃんはあったかいやつだ……」
伴乃はしみじみと言って口の中のプリンを飲んだ。
(友達いない系か……)
ごみ捨て役を買って出て、瑠奈は下のコンビニへと階段をおりていく。
(伴乃さんは明るい人だけど、その裏の闇は深いのかもしれない。思えば、ずっとこの世界に一人でいたわけだし)
そう考えながら、
「って……私が言えたことか」
とつぶやく。
コンビニ内に入って、ゴミ箱に縛った袋を投入。外に出ると、目の前には交通量の多い大通りがある。
(それに……)
とまた思考する。
(昨日のように戦う覚悟が、まだ私はできていなかった。それを彼女は感づいたんだ)
「私に……」
階段を上りながら、
「できるかわからない」
人間離れした伴乃の動きを思いだす。
「あんな戦い方が……」
屋上ドアの前に立って、一拍おいてから開けた。
そこにいた伴乃は腕を広げて、何故か低い姿勢でポーズを決めて言った。
「さあ、今日は神社にいこう!」
二字区には、二字神社という比較的大きめの神社がある。
何も行事のない平日でも境内に人はそれなりに入っている。
そして、拝殿には賽銭箱。今、参拝者の老人夫婦が紙幣を投げ込んだ。
「めっちゃ入ってる……」
裏側から覗き込んで伴乃が言った。
「めっちゃ入ってますね……」
瑠奈も言った。
「でも、どうやって抜き取るんですか」
そうきくと、
「まぁ、これだ……」
と古い鍵をポケットから出した。
伴乃は、このような行きつけの店等の合鍵を複数所有している、と言った。入手方法は、ただ盗むだけ。運が良ければ(というか大抵がそうなるのだが)、店側は盗まれたなどと思わず、錠を変えずに予備鍵を使うようになる、という簡単な話だ。
「……さて、誰もいなくなった隙に」
と伴乃が蓋を開こうとしたとき、
「待ってください。誰かきました」
瑠奈が言って、そこまでする必要はないのだが二人とも柱の陰に隠れた。
中年の男が走ってきて、息を切らしたまま財布からありったけの金を抜いて投げ込み、激しく鈴緒を振った。
「神様、神様……どうか娘の病気を治してください。……」
その後、長い時間、彼は目を閉じて手を合わせていた。
「よし……」
と踵を返して、また急いで出口へと駆けていった。
瑠奈と伴乃はしばし呆然として、ゆっくりと顔を見合わせた。
「なんか、よくない気がしてきた……」
「ですね…………」
「みんなが神様にあげたお金なのに。私達、神様じゃないし」
「はい……」
「でも、神様っているのかな」
「実際、いる気がしませんよね……」
「でも、だからって……」
「はい、わかります……」
二人は拝殿を離れて、とぼとぼと歩きだした。
賽銭箱から金を抜いて、混乱はなくても罪悪感は生まれる。精神文化は侮れない。死んでもなおそこから抜け出せないのだ。などと瑠奈は考えた。
それから二人は細かな思考のスパイラルに陥った。
公園に行っては、「もう住民ではない自分達がここを使うなんて……」と思い。
図書館に行っても同じ理由で居心地が悪く。(なので借りた例の小説はそっと棚に返した)
そもそもこの道路も、自分達が払っていない税金で……と考えたとき、もう一切がどうでもよくなった。
「きりがないですよ!」
瑠奈が叫んだ。
「…………」
伴乃は無言で自販機のジュースを二本買った。それを瑠奈に分けて言った。
「向こうの人達に迷惑かけなきゃいいよね、もう。賽銭箱はだめでも、ほかはある程度ならさ」
「気づけば空はもう真っ暗です! 伴乃さん、今夜の寝床に向かいましょう!」
「よおし、今日は家電店だ。タダでネットやりまくって、マッサージチェアで爆睡してやるぞー」
「いきましょう!」
そのようなテンションで二人は大通りの家電店に向かった。
裏口の鍵を締めて帰る店長らしき男とすれ違いざま、
「おつかれさまでーす」
と声をかけて伴乃は鍵を開け、二人は中に侵入。
照明をまばらに点けて、ちょうど店内にディスプレイされたホームシアターの区画に、手頃なデスクとパソコンを移動させて、ネットカフェの高級シアタールームのような配置を完成させた。
「あ、これ観たかったやつです」
瑠奈は、プレイヤーに入っていた映画を再生した。
「私はこれ」
伴乃はパソコンでカエルの動画を見はじめた。
数分後、瑠奈はマッサージチェアを起動。全身のもみほぐしを始めた。
伴乃は足裏マッサージ機も持ってきて、ふくらはぎのマッサージと併せながら、カエルの動画を楽しんだ。
しばらくして、瑠奈が言った。
「ああ、やっぱり……この状態……自分がダメ人間な気がしてきました……。世間は当たり前にまわっているのに……」
「考えたら負けだ、瑠奈ちゃん……」
そう言う伴乃も明らかに、ダメを自覚する人の顔になっていた。
「いや、私達、今普通に生活するのが不可能なんですけど、なんか、絵面的に……」
「絵面を考えたら負けだ、瑠奈ちゃん……!」
「というか、私は……」
瑠奈は声のトーンを落とした。
「よく考えたら、今こうなってるのも、きっと自分のせいなんですよね……」
そう言って、視線も落とした。
「生きてるときも、ちゃんと生きられなかった。だから
、死んでからもこういう世界で、便利だけど、気持ち的には不便な生活をすることになってるのかもしれません……」
伴乃は瑠奈を見つめた。
「瑠奈ちゃん……」
「私って、価値ないんですよ」
薄暗い家電店のフロアは、しんと静まり返った。
流れ続けている映画の音に、存在感はまるでなかった。
「あ…………す、すみません」
瑠奈は言った。
「今度は私が変なこと言っちゃいましたね……」
伴乃は首を横に振った。
「ぜんぜん。変じゃない。ていうか、わかるよ、そういうの」
「え、そうなんですか」
「うん。私も、たぶん同じふうに思ってる。自分が嫌……みたいな」
誰も見ていない傍らのパソコン画面が光を放っている。
瑠奈は、どこか嬉しげな溜息をついた。
「あの……実は私も、不慣れなんです。ほとんど初めてなんです、こういうの」
「えっと、……友達?」
「はい」
二人は笑った。
「変なの、私達」
「変ですね」
気づけば、映画はもう終わっていた。
操作されないパソコンの画面も暗くなっていた。
決して不快ではない沈黙のなかで、瑠奈はぽつりと言った。
「私達って、なんでここにいるんでしょう」
伴乃の答えはなかった。
静かな寝息が聞こえてきた。
瑠奈は、大型モニターを映画からテレビに切り替えた。見慣れたCMが流れていた。
チェアから降りて、伴乃の使っていたパソコンを畳んだ。
瑠奈はテレビも切ろうとしたが、そのときちょうど番組が始まって、今日起きた他県の交通事故のニュースが流れた。
嫌なニュースだった。
偶然が重なり、運命が狂って、子供が数人犠牲になった。
悪魔が考えたような不幸な事故。
「私達は」
画面に魅入られたように立ち尽くす。
瑠奈は言う。
「なんのために」
――空気が変わった。
翌朝、早朝仕入れ作業をする家電店員達を眺めていたときだった。それは今回は瑠奈にも感じられた。
すぐに忘れてしまいそうな感覚を急いで言語化した。
「すべてが裏返る感じ……」
従業員以外立入禁止の階段を上りながら、
「裏返っても形は同じ。だけど、全くの別物……」
「それだ。すごくわかる」
と伴乃が頷いた。
二人は扉を開けた。
広い屋上の端に、白い巨体が立っていた。
前回のものよりも若干背が高い。
そしてなにより、横に太い。
肉のない骸骨の、矛盾するようなシルエット。
「あれっ、ここに出たんだ。探す手間がなくていいけど」
伴乃が言った。
瑠奈は、景色を見回した。
大通りを、車が規則正しく流れている。
風にのって、姿は見えないが通学中の子供の声が聞こえてくる。
二人の服が、黒く染まっていく。
「あの……伴乃さん」
瑠奈は言った。
「これ、すごく意義のあることですよ」
少し前に出ていた伴乃が振り返った。手足にチェーンが発生して、頭を灰と黒の縞帽子が包んだ。
瑠奈は続けた。
「……物語はハッピーエンドがいい。現実だってそうに決まってる。不幸な事故なんて、ない方がいい。それをなくすことが、もし、できるのなら……」
瑠奈の服は、胸元にひだ飾り、それと相反するように全体はタイトになっていく。
「神様はいます」
瑠奈は言った。
「――私達が、交通安全の神様です」
変身が完了した。
二人の黒い少女達が、白い骸骨と対峙した。
「それいい!」
伴乃が言った。
いまさら恥ずかしくなった瑠奈は、「あ、はい……」と短く返した。
しかし前の敵を見据えるとそんな感情は消えた。
「いきましょう」
瑠奈は言った。
骸骨が一歩近づいた。それは軽い地鳴りを伴った。
バチン! 例の音が伴乃のリストバンドから鳴って、ダラララララッと伸びたチェーンが床を叩いた。
「よし、私も……」
瑠奈は自分の腰のあたりに手を触れた。
「いや、ここかな?」
何もないので次は背中を探ってみた。
そこにも何もない。
「あの、伴乃さん。私の武器ってないんですかね……」
「え、どこかについてない?」
伴乃は瑠奈の全身をくまなく見た。
瑠奈も、脇の下など色々と探ってみた。
「……ないねぇ」
と伴乃。
「え、なしですか」
「わからぬ……。ていうか」
伴乃は前を向いた。そこに敵が迫っていた。しかし彼女は動じることなく言った。
「もう倒しちゃう」
腕を振ると、延長していたチェーンが引っ張られる。その先はどういうわけか床にあいた穴の中へと消えていて、瑠奈達の足の下でジャラジャラとまるで鉄の蛇が動き回るような音がした。
建物屋上の床面が吹き飛んだ。内部に根を張るように潜んでいた大量のチェーンが屋上の貯水タンクと店内入口を支点に集束し、敵を何重にも縛りあげた。
「すごっ……」
瑠奈が驚嘆した。
「お店には悪いけど、派手にやっちゃうよ」
伴乃はチェーンを軽く引いた。敵の体がミシミシと音を立てた。
次は思い切り振りかぶって、
「つぶれろっ」
引く。
チェーンが集束する。
バギャアと派手な音がして、巻き付いたチェーンの中から細かな欠片が飛び散った。
それは伴乃の足元に転がったが、
「……ん? これって」
破損したチェーンの破片だった。
散乱したのは全て、敵の体ではなく、伴乃のチェーン。
骸骨の頭部が複雑なスリットを生じさせ、展開した。赤黒いその内部は、骨の中に潜む敵本来の意志の存在を感じさせた。
拘束された胴体部が膨らみ、蒸気が漏れ出した。骨の展開が、その中でも行われたのだ。
敵は、腕を広げるだけの動作でチェーンを内側から引きちぎった。
そしてその末端を掴んで、豪快に振り回した。
「やば……」
と言う間にチェーンにつられて伴乃の体は飛んだ。
屋上のフェンスを軽く超えて、
「伴乃さん!」
瑠奈の視界から消えた。
「嘘……」
青ざめた瑠奈だったが、そのとき、貯水槽に巻き付いたままのチェーンが微かに軋んだのを見た。
それが続く先、建物下方から声が聞こえてきた。
「生きてるよ〜……。のぼるまでちょっと待ってて……」
しかし待つ間などない。
骸骨は瑠奈の方を向いて、大股に距離をつめた。
「武器……」
迫る巨体。プレッシャー。瑠奈はつぶやいて、首を横に振った。
「いらない」
黒いグローブに覆われた手を握りしめた。
そして目を閉じた。
――戦うことで、誰かを救える。
この世界で、
不完全な、欠陥だらけの、
意味のなかった私の命に、価値が生まれた。
目を開けた。敵はもう眼前にいた。
「こいつを、倒す……絶対に……」
息を大きく吸い込むと同時、鋭く敵を睨んだ。
「絶対の絶対に、絶対の絶対の絶対の絶対の絶対に、私が倒す!」
次の瞬間、骸骨の動きが停止した。
瑠奈の左拳が、その腰の骨に触れていた。
屋上に這い上がった伴乃は、耳を抑えて言った。
「なんか今、鐘みたいな音が……」
カアン! 二度目の鐘の音が響いた。瑠奈の右ストレートは敵の胸部に当たり、今度は静止だけではすまず、二メートル超えの骸骨は後ろによろめいた。
骸骨の骨は硬かった。
しかし瑠奈の攻撃も鋭かった。
響いたのは通常の打撃音ではなく、金属がぶつかり合うような音。
目にも止まらぬ速さで、瑠奈の体から三発の連打が繰り出された。それらは動こうとした骸骨の腕、脚を、その動作前に制した。
「あの動き……ボクシングだ。知らないけど、それっぽい」
伴乃は言った。
瑠奈はその途端、蹴り技を放った。敵の脚にヒビが入って、膝ががくりと落ちた。
「ボクシングを五年。空手を七年。その他も色々してきたからかなり混ざってるけれど……そうだった、これが」
瑠奈の全身の可動を用いた左ストレートが、敵の腰骨を打ち割った。
「――私の武器だ」
『パワーファイター』
生まれつき骨格が強く、手足が長くて筋肉量も多い瑠奈は、細身の俊敏さと一撃の重さを両立させる格闘スタイルをとる。
スタンダードでシンプルゆえ戦術が組みやすく、なにより、
「はあああああっ!」
感情が強さに直結する。
気合とともに放たれた正拳の一撃が、ひざまずいた骸骨の頭を粉々に粉砕した。
瑠奈は、張り詰めていた空気がもとに戻ったのを感じた。今散らばった白い破片が、ふわりと浮いて宙に舞った。
つづけて骸骨の体も少しずつ、空気に分解されるようにして浮きあがった。
瑠奈と伴乃の服からも黒い粒子が浮遊して、骸骨のそれと混じり合いながら空へと昇っていった。
戦闘終了。
「瑠奈ちゃんめっちゃ強い!」
伴乃が嬉しそうに駆け寄った。
「いや……まぁでも、黒い服に変身したお陰です。信じられないくらい体が動きますし」
高校に入ってからの数ヶ月は何もしていなかったので、なまっていてもおかしくなかった。それが全く問題なく、むしろこれまでの限界を軽々と超えられそうなほどの破格の身体能力が得られていた。
「『変身』……いいねえ〜」
伴乃が言って、瑠奈は「あっ」と気づいて顔を赤くした。
「私達は二字町を守る正義のヒーローだ! ん、ヒロイン? わかんないけど、とにかく交通安全の神様だもんね〜」
伴乃は謎のポーズを決めまくった。
「や、やめてください……。やっぱりそれ、かなり恥ずかしいんで……」
「えーっ、うそうそ! 瑠奈ちゃんもこういうの好きなんじゃん絶対! ていうか誰も見てないのに恥ずかしいとかないってば!」
「う〜……」
瑠奈は顔を手で隠した。
が、指の間から伴乃を伺うように見て、
「……そ、それじゃあ、あの、…………骸骨の敵、なんですけど」
「えっ? うんうん」
「ただ『白いやつ』じゃなくて、白い魔物とか、白い悪魔みたいな意味で、…………『白魔』……なんて……」
「でたーーーーーーーーーーーっ!!!」
伴乃は飛び上がって叫んだ。
「めちゃかっこいいそれ! 燃える! ビャクマ! もうそれに決定した!」
「うわああぁぁ……」
自分が発端なのに瑠奈は身悶えした。
伴乃はまたゆらりと謎めいたポーズをとりながら、
「この街に蔓延る白魔と戦う、私達は――」
「わーーーー! やめてください!!」
「……私達は……なんだろ? 私達の名前。……これ、めっちゃ重要だよ! 瑠奈ちゃん考えて!」
「思いつかないし、思いついたとしても言った瞬間に私、爆発しそうです……!」
瑠奈は顔を隠して縮こまった。
伴乃は「私達は……」「私達は……」と目を閉じて言うが、その先が出てこない。
「瑠奈ちゃん、まじで考えといてね! 私、戦う前に毎回言うから!」
「ぎゃあああ……!」
瑠奈は絶叫した。
屋上から見える、大通りの車列の穏やかさとは不似合いなほどに。
悲痛に。




