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ハイクロ  作者:
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七 ハイクロ

七 ハイクロ



 数日雨が続いたあとの、天気がいい日だった。

 芽宜未は図書館屋上のソファーやテーブルをざっと払って、濡れてはおらず、自分達の体と同様汚れもついていないのを確認してからソファーに腰掛ける。

「汚れの概念がない世界。掃除が要らないのは素晴らしいな、全く。さあさあ今日も仕事にかかるか」

 ノートパソコンを開いて文章の執筆をはじめる。最近彼女はネットに小説以外のものも書いている。本人はそれをエッセイだと言うが、読んだ者は皆、芸能人等の悪口ブログだと認識している。

 カタカタとキーボードを叩いていると、どこからともなく真中がやってきて、ソファーの背もたれの上の猫の定位置ともいえる場所に器用に寝転がった。

 そしてゲームをはじめた。

 早々にだらんと垂れた足が芽宜未の背中に当たった。

「う、うぜえー……」

 芽宜未が言った。

 まるで聞こえていないように黙々とゲームをしていた真中だったが、

「ん…………。詰まった」

 と言った。

「芽宜未、至急攻略サイトを開いて。四面のボス戦」

「何様だ?」

 と言いながらも、芽宜未は自分の作業窓を小さくして、サイトを開いてやった。

「……んっ!? 四面のボス戦だって? ということはおまえ、三面終盤のアレをクリアしたってことか?」

 芽宜未はがばっと振り向いてゲーム画面を覗き込んだ。「おいおいおいおいマジかマジか」と言ってゲーム機ごと奪いとった。

「しかもアイテム全回収、タイムボーナス達成のパーフェクトクリアじゃないか。アクションゲーム史に残る鬼ゲーと評されたこのゲームのさらにあきらかな調整ミスと言われる序盤の激ムズステージを……」

「私はパーフェクトクリアしか狙わない」

 真中は言った。

「四面の方が難しい。私の苦手な謎解き要素がある」

「いや、おまえのその技術は貴重だぞ……。待て待て、ちょっと待て…………三面をこのタイムでクリアしてるやつは……」

 芽宜未は検索をして、

「……いない。ということは狙える。プレイ動画を上げて再生数を稼げる…………いやいやいや、そんな小さいことをしてどうする。この腕前ならプロゲーマーとしてやっていけるじゃないか!」

「……?」

「よしっ! 私がプロデューサーだ! 謎の電脳ゲーマー、マナカをデビューさせる! むむっ! そうか、真中の今の顔を知る者は刑務所にいる約一名だけだから、顔出しOKだ! 写真や動画を撮ってアップロードして……確か伴乃によれば任意で向こうに見えるようにできるはずだから……。いける! こいつも私ほどじゃないが可愛いからな。こりゃ世の中湧くぞ〜! ふひひひひ!」

「よくわからないけど、その手には乗らない」

 と真中。

「いやいやいや、これはおまえにとってもいい話なんだよ! ゲームをするだけで他のやつを打ち負かせる! 有名になれる! ちやほやされる!」

「全部興味ない」

「おいおい、待て待て、じゃあなんでゲームしてるんだ、達成感を味わうためじゃないのか!」

「? そこにゲームがあるから、やる。意味なんてない」

「悟ってやがる! 聖人か! くそっ……だがその聖人を味方にできれば最強じゃないか! お願いします真中さん、協力してください!!」

「やだ」

 そんな二人を、瑠奈と伴乃は建物入口の上に座って見ていた。

「なんか、にぎやかになったよね」

 と伴乃が言った。

「そうですね。少し前は二人きりで。それもよかったですけど」

 と瑠奈。

「それより前はひとりぼっちだったんだぁ〜」

 伴乃はふざけて思いだし泣きのような仕草をした。

 そしてふと思いついたように、目をこすっていた手を止めて、

「ねぇ、はじめて会った日のこと覚えてる?」

「あ、はい」

 そう言う瑠奈に、伴乃は頷いて言った。

「あのとき私、けっこうなれなれしく話しかけたけど、ほんとうはなんか、緊張してたっていうか、だめだろうって思ってたっていうか。……私なんてすぐ嫌われちゃうだろうって思ってたんだよ」

「……」

「でも、瑠奈ちゃんは友達でいてくれた」

「あ、はい……」

 瑠奈は照れた。

 伴乃はまっすぐに瑠奈を見た。

「……え、えーと?」

 とうろたえる瑠奈に、

「瑠奈ちゃんはすごいよ。めぎみも真中も、るなちゃんがいなければきっと仲間になってなかった。あの二人をここに繋ぎとめたのは瑠奈ちゃん」

 それは素直な憧憬の眼差しだった。

 瑠奈は言った。

「そんなに、すごくないですよ……」

 視線が徐々に落ちていった。



「そろそろ来そうだな、白魔」

 と芽宜未が言った。

 夜の図書館、全員で何気なく本を読んだりしていたときだった。

「えっ、そうなの? いつも出る日って決まってなくない?」

 伴乃が言った。

「規則性はない。連日出たり、何日も空いたり。だがこれまで二週間以上空いたことは一度もない。明日がちょうど二週間目だ。出るだろう」

 と芽宜未。

「へ〜」

 と言う伴乃に、

「おまえ、ここに一番長くいるのに、そのあたり何も考えてなかったっぽいな……」

 と芽宜未は呆れた。

「出れば倒すだけだったしな〜。あ、でも観たいテレビにかぶるのは嫌だったなぁ」

 と伴乃。

「そういうのって考えようとしなくても勝手に頭が考えるもんだと思うが……、まあ個人差か。……ん、ところで瑠奈はどこいった」

 芽宜未は辺りを見回した。

 子供コーナーの瑠奈の定位置には誰もいなかった。

「さっきまではいた」

 と真中。

「トイレじゃない?」

 と伴乃。

「トイレ? いや、トイレとかいかないだろ、私達は」

 芽宜未は笑ったが、

「ううん、しようと思えばできるよ」

 と伴乃は言った。

「えっ……」

 芽宜未は不可解極まりないという顔をした。

「なんだ、しようと思えばって……。出そうと思えば出るってことか。なんか……なにがしたいんだこの世界は。ますますわからなくなってきた……」



 図書館内のトイレ個室内。

 瑠奈は立ったまま俯いていた。

 右手を出して、小指から順に曲げていく。薬指、中指……人差し指……親指。

 そうして作った拳が、ブルブルと震えだした。

 力が抜けていく。拳がほどけていく。

「だめだ……なんか……ううっ……」

 顔を歪ませて、瑠奈は弱々しい息をした。

「……負けるな……私……」

 また拳を握ろうとしたが、ついに力は入らなかった。



 白魔が出た。

 図書館から、四体の白魔が確認できた二字高等学校屋上へと、四人は向かった。

 空を羽ばたく芽宜未を、可動肢で器用に建物上を跳躍する真中が追い越した。

「芽宜未、遅い」

 芽宜未はそれを流し見して、

「あんななんでもありのやつがいれば楽勝なはずなんだがな……。実際はそうでもない。白魔の複数出現が当たり前になったからだ……。こちらの戦力が増えれば、白魔も増える……。しかし、白魔が事故の象徴だとすれば、それは自然的なものだから、私達の人数に合わせて増減するのはなにか変だ」

 さらにぶつぶつとつぶやく。

「逆に、白魔……つまり事故が増えたから私達も増えた? それもなにか……違う気がする。私達はある程度、特殊な死者だからだ。若くして、戦闘適性があり、罪があり……。伴乃が来て以降はかなり期間が開いているらしいが、それは……メディアの論調みたいで嫌だが、時代の闇ってやつか……? 事実として、私と真中は、現代文化の発達がなければここにはいなかっただろうし……」

 そこで芽宜未は眉をぴくりと上げた。

「白魔が事故を司り、私達がそれを防ぐ、そう考えるからおかしいのか。別の視点から考えれば……つまり、白魔も私達もひっくるめた、この世界全てが」

 顔を上げて、灰色の街を見た。

「事故という事象を司る世界」

 芽宜未は続けた。

「事故が起きない可能性……それが私達、黒い少女。事故が起きる可能性……それが白魔。それらが戦うことで、確率や運命のような人の力の及ばない要素が決定される。ここはただ、それだけの世界。……事故という概念が、可視化されただけの世界……」

 そう呆然とつぶやいたが、

「なんてな」

 芽宜未はふっと笑った。

「私は神じゃない。世界の真実なんてわからない。だが神以下でもない。そんな偉そうなやつがいるなら、迷わずぶっ殺してやる。誰にも邪魔はさせないんだよ、この尾画芽宜未の、完全無欠のストーリーはな」

 ライフルを出現させ、構えてから後方に視線をやった。

 建物の上を跳躍する二人が見えた。

「瑠奈……あいつは……」

 芽宜未はじっと睨むようにして言った。


「めっちゃ速っ、真中! 一番乗りじゃん!」

 ビル屋上を駆けながら伴乃が言った。

 そして跳んだ。

 瑠奈はその後ろから走り込んで跳躍。

「負けないぞ〜〜!」

 伴乃が加速して、ビル一つ飛ばしで校舎に向かった。

 瑠奈は着地をして、

「……」

 そのまま動き出せなかった。

「だ、だめだ。迷惑かけちゃ……。行かなきゃ……」

 顔を上げて走り出して、跳ぶ。

 着地して、また走る。次、少し高位置にある二字高校舎に、跳んだ。

「――っ!」

 わずかに助走が足りなかった。届かない、落ちるかと思われたが、ぎりぎりで縁に足がかかり、無理やりバランスを取ることで屋上に立つことができた。

 眼前に白魔がいた。

「うっ」

 前に転げるようにして瑠奈は攻撃をかわした。

「瑠奈ちゃん、敵、増えてるよ〜! 今十体!」

 伴乃が目の前の二体をチェーンで縛り上げて破壊した。

「次から次に出てくるぞ」

 芽宜未が空中で狙撃をしながら言った。

「……」

 真中は無言で五体を一度に相手にし、一瞬で全てを吹き飛ばして倒した。

「…………ぐっ……」

 瑠奈は自身の手に目を落とした。

 どんなに力を入れても抜けていく。握り込むことができない。

 顔を上げて、近づいてくる正面の敵を睨んだ。踏み込んで頭部へのハイキックを仕掛けた。

 しかし、それはたやすく受け止められた。

 白魔が仕返しに放った平手打ちを、瑠奈は顔面にモロにくらった。

 よろめいたところに、後ろから新たな敵が来る。

 ――白魔が出現する瞬間を見た者はいない。

 ――誰からも死角になった場所から現れる。それが、これまで戦った中で四人が出した結論だった。

 瑠奈は一体目の白魔に肘打ちを食らわせた。それは背骨を打ち砕き、敵を戦闘不能にしたが、また死角から別の白魔が現れた。

「うっ……」

 骨だけの、一見貧弱そうな蹴りがずしりと入った。そこからもう一体の敵の、殴るとも叩くとも言えないような攻撃。瑠奈は頭を守るように縮こまった。

「私は、だめだ……」

 頭の中で、直後に引退をすることになるプロボクサーの酷い負け試合と今が重なった。

「価値がない……。こんなやつが、生きてたって……」

 目を閉じた瞬間、正面にもう一体の白魔があらわれた。

 動けずにいる瑠奈に、三体が同時に躍りかかった。

 それを上空からの狙撃が止めた。敵の一体が頭を撃ち抜かれて倒れた。

「全員、瑠奈を援護しろ!」

 芽宜未が叫んだ。

 その呼びかけで伴乃がすっ飛んできて、残り二体を蹴散らした。

「ごめん瑠奈ちゃん! だいじょうぶ?」

「だ……だめです……。今はみんなバラけていないと……効率が……。事故が起きてしまいます……」

 瑠奈は息を切らしながら言った。

 そのとき二人の背後にまた新たな三体の白魔が現れたが、真中が上空から降ってきて、黒い可動肢が瞬時に斬り刻んだ。

「事故なんて起きろ。私は瑠奈の方が大切」

 そう言って、バアンと敵の残骸を吹き飛ばした。

「伴乃、今、給水塔のところに五体現れた。三秒で倒してこい。真中は屋上縁にぶらさがってるやつらだ。十体ほどいる」

「へ〜い」

「了解」

 上空の芽宜未の指示で二人が動いた。

 ばさばさと彼女は瑠奈のもとに降りてきて言った。

「だいぶやられたな。まあ任せろ」

 ライフルを放った。

「この尾画芽宜未……接近戦用の武器が全くないわけではない」

 ネックレスの鳥卵を一つちぎって割った。どろどろした液体が手を包んで形を変え、禍々しい形状の巨大な黒い剣となった。

 正面に現れた四体の敵に、芽宜未は剣を「ふん」とひと振り。あきらかに当たっていない敵までも一度に吹き飛ばした。

「『魔剣』と名付けた……。こいつも百発百中なのさ。ただし」

 勢いよく吹き飛んでいった白魔達が空中で旋回、受け身をとって、また向かってくる。どれも殆ど無傷だった。

「威力はない! 一体ぐらいなら倒せるが、四体に威力が分散されればこの通りだ! ははははは!」

 芽宜未は床からライフルを拾って、素早く四連射。

 敵を全て瞬殺した。

「無敵すぎる私には丁度いいな」

 校舎屋上の、白色と黒色が一斉にはじけた。それらは空に昇っていき、変身のとけた四人が残った。

「す、すみません……」

 瑠奈は言った。

「すみません……でした……」



 二字町商店街アーケードを、一組の学生カップルが歩いていく。

 どこにでもいそうな、体格のいい男子と活発そうな女子だ。仲良さげに会話をしながら、時折目を合わせて歩いている。

 瑠奈達四人は、それをアーケード屋根の上から見ていた。

「別に、勿体ぶるようなことでもないです」

 瑠奈が言った。

「よくある失恋です。失恋を苦に自殺……。嘘……ついててすみませんでした……」

「そ、そっか……」

 と言いながら伴乃はカップルの男の方をちらりと見た。

「……まあ、瑠奈とは合いそうな男ではあるな……。あの体格なら殴られても一二発なら……」

 芽宜未は小声で言った。

「ただ、私は、同性が好きだったんです」

 と瑠奈は言った。

「ん」

「え」

「?」

 他三人が一斉に瑠奈を見た。

 それからカップルの女の方を見直した。

 笑顔が明るく、ハキハキとした話し声がここまで聞こえる。しっかり者で、リーダー気質……見ただけでそれがわかるような人物。おとなしい瑠奈とは正反対のイメージだ。

「あ、ああ〜……」

 と伴乃。

 依然首をかしげている真中。

 芽宜未はその首を強引にまっすぐにした。

「もともとは友達だったんですけど……勇気を出して告白しました。でも断られて。同性を好きなんて、そんなのおかしいと言われて。…………」

 瑠奈はうつむいた。

「だからこれまで言いにくくて……。どう思われるか不安で……」

 伴乃は顔に表れた若干の動揺を振り払って言った。

「ううん、変じゃないよ。ね、めぎみ」

「ああ。私はよく女子に惚れられるんだ。小説のファンにも女が多くてね。……いや、それはどうでもいいか」

 芽宜未は空咳をした。

「誰かが好きという感情。それが同性に対するものであっても、仮に親兄弟に対するものであっても、存在する以上、認めないのはナンセンスだ。その相手は、告白を断るまではいい。でも好意自体を評価するのはおこがましかったな。まあ、だから、言ったやつが間違っていたんだ。気にすることじゃないさ。な、真中」

 真中はこくりと頷いた。

「『好き』。私はそれが羨ましい。それはすごく尊い。大切にしていい」

「……あ、ありがとうございます……」

 瑠奈は少しだけ笑顔になった。

 そしてカップルの後ろ姿から、顔を振って、視線を外した。

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