六 温泉女子会
六 温泉女子会
夜の図書館で真中が本を読んでいるのを見て、瑠奈と伴乃は仰天した。
テーブルの向かいで同じように読書をする芽宜未に、瑠奈は小声で話しかけた。
「なん、なんなんなんなん何が起きたんです? あの外の世界の一切に興味のない真中さんが、本を……!?」
「ああ」
芽宜未は読んでいた本をテーブルに置いた。表紙が見えた。
『矮小なるヒト達 尾画芽宜未』
自分の著書だった。
ついでに言えば、真中が読んでいるのも芽宜未の著作だった。
「クローズスリーさんは人の心について知りたいようだったので、それについての描写に定評のある拙作をお薦めさせてもらった。ときどき字の読みを聞いてくるが、すごくハマっておられるよ」
と、さわやかに笑って芽宜未が言う。
「なんか、ちょっとだけ謙虚になってる……」
と伴乃。
「確かに、真中さんに興味もってもらえるって嬉しいですよね……」
と瑠奈。
「読んだ。少し、わかった」
パタンと本を閉じて、真中が言った。
「読むのはやっ!」
瑠奈がとびあがった。
「あ、でもほら、芽宜未の本って改行多いから。ラノベだから」
と伴乃。
「ラノベちゃうわ。おまえの存在のほうがラノベだわ」
と罵倒をしてから、芽宜未は真中に擦り寄るように言った。
「……で、どうでしたか」
真中はこくんと首肯して、
「この著者は自意識過剰の気がある」
さらりとそう言った。
伴乃が吹き出した。
瑠奈は吹き出しそうなのを誤魔化そうとしたが失敗して激しくむせ返った。
「一見無駄な個性……。でも、これを大切に思う者達もいる。やはり、私が理解し得ない領域に、『大切』の正体はある……」
真中は静かに視線を落とした。その表情は変わらなかったが、角度のせいかすこし嬉しそうにも見えた。
「真中さん」
瑠奈は言った。後ろで芽宜未が、「超大切に思われてるわ! 固定ファン山ほどついてるっつーの!」と、わめいて、伴乃がそれを宥めていた。
「真中さんが知りたいこと、きっと、そのうちわかります。ここは、そういうことが沢山ある場所ですから」
「……」
真中は顔を上げて瑠奈を見つめた。
「あなたが言うならそうかもしれない。瑠奈。あなたは一度それを証明したから」
それだけ言って、用は終わったというように視線を外した。
「えー、なんか照れますね」
と瑠奈は言った。
「真中、おまえ次の巻も読めよな。さっきの本は初期だから、少しまあ、色々出ちゃったんだ。次から完成度は上がってる」
芽宜未が言うと、真中は頷いた。
「この尾画芽宜未という作者に、少し興味が湧いた。直情的な文章……。素直というのか……。人の心を知るサンプルとして最適だ」
「作品を見ろよ! 作者を見るな!」
顔を赤くして芽宜未が叫んだ。後ろで伴乃がげらげら笑った。
「――あ、そうだ、ラノベ書いてるならさ〜」
と伴乃は笑いすぎて浮かんだ涙を指で拭いて、「ラノベじゃないっつってるだろファンタジーなんだよ」と睨む芽宜未を軽く流しながら、
「この世界ってどうなの?」
と言った。
瑠奈が首をかしげた。
「……? どう?」
だが芽宜未は一瞬で質問の意図を理解したのか、
「ふむ」
そう頷いてから、
「つまり、フィクションの架空世界で考慮されるような合理性をもって見たときに、この世界の正体は一体なんなのかということだな」
「そんな感じ」
芽宜未は視線を、静謐な空気の流れる夜の図書館内にやった。
そして言った。
「私も考え中だ」
しかし、しばらく目を閉じて考えるようにして、
「贖罪……。一言でいうなら」
と言った。
瑠奈と伴乃はそれを聞いて数秒黙ったが、思い当たったように二人とも顔を上げた。
「伴乃、どうせおまえは馬鹿だから、何にも考えてなくてうっかり何人か殺したんだろ」
そう言われた伴乃の表情が一瞬消えたが、
「いいだろ。私はおまえを、そういう話ができる関係だと思ってる」
芽宜未は言った。
「学校の調理実習でガス爆発とかな。あ、これすごく『らしい』な。ふははは」
伴乃は少し戸惑っていたが、やがて、
「むぎぎぎぎ……」
と言った。
「違わない。違わないけど、馬鹿じゃないのに……。馬鹿ってことにされた〜……。もうめぎみには本当のこと話してやらない」
「まぁ興味ないけどな。ともかく、私が生前したことは知っての通りだし、この世界は贖罪だという推定はそこからくるわけだ。白魔を倒して人を救うことでその罪を償えよ、と。うるせえ、死ね、というのが私の正直なところだがな」
伴乃はふくれていたが、しかし、ふと気づいたように、
「あれっ、でも瑠奈ちゃんと真中は? 瑠奈ちゃんはだって、普通の学生だったし。真中も誰も殺してなんかないよね」
芽宜未は瑠奈に一瞬視線をやった。
瑠奈は普通のトーンで、「はい」と言った。
芽宜未は軽く咳払いをしてから、
「まあデリケートな話だけどな。生前人を殺したかどうかなんて。伴乃のようなアホには気なんて遣わなかったが、普通なら多少礼を欠く話題になる。それを承知であえて言うことになるんだが、――ある宗教では、自殺は他者を百人殺したのと同等の大罪とされている」
瑠奈の目元が微かに動いた。
「何故? 自分の命は自分のものだろう? と思うだろうが、実はそうでもない。向上を是とする世の中では、『努力義務』や『機会損失』という考え方が存在する。あらゆる努力を試して成功しないのなら仕方ないが、努力すらしないことは罪……。そして仮にその努力を行っていた場合に生まれたかもしれない善を奪ったという、仮想の損失も発生する。自殺を悪とする考え方の根底にあるのはこれだ。そして、この灰色の世界は、事故をなくすことによって向こうの世界の幸福に一役買っている、まさに向上を是とする世界観だ」
「ん……、自殺……。あっ」
伴乃が声を上げた。芽宜未がそれに頷いて、真中の方を向いて言った。
「こいつにもまあ、そこまで遠慮することはないだろう。私は、自ら餓死した真中は自殺に該当すると考えている」
真中はわかっているのかいないのか、こくりと軽く相槌をうった。
「ん〜、でも瑠奈ちゃんはやっぱり、自殺とかじゃないよね」
「えっ」
伴乃の何気ない視線に、瑠奈はあきらかな動揺をみせた。
「ああ……えっと……」
「いや、瑠奈はこう言っちゃ悪いが、少しトロいところがあるから、ちょっと信じられないようなおっちょこちょいの事故死をして、それが自殺と認識されてしまったんじゃないかと思ってるんだが」
芽宜未が残念そうに言った。
「えっ、そうなの」
と伴乃。
「そ、そうかもしれません……」
瑠奈は苦笑いで言った。
「お、お風呂で……滑って、頭打ったりとか、したかも……」
場がしんと静まり返った。
全員が――真中までも――、瑠奈を憐れむような顔で見た。
「うん、ごめん、嫌なこときいちゃって。平凡な死に方だけど、それが一番つらいよね……」
伴乃が涙ぐんだ。
「事故死は誰も望まない死だからな。突然に親しい人と別れる苦しみは計り知れない。そうだな、それと比べると私なんか自業自得で死んでるから、まあアホだな」
「私もダサい死に方だったな〜! 任務失敗して処刑とか、よく考えたらめっちゃかっこわるいよね」
「食べないで死んだ私……頭が悪い」
全員が必死で、自分の死に方を自虐しはじめた。それでも、風呂で滑って転んで死亡というコントのような香りは微妙に残った。
それから。
この世界で数ヶ月の時がたったのだが、時間に縛られない瑠奈達はそれを感じることも少なく、おもしろそうなものを見つけては遊び、敵が出ては倒し、非日常的な日常と、日常的な非日常を繰り返した。
ある日、
伴乃が選んだストリート系の服を着て、屋上ソファーに寝転んで携帯ゲーム機をしていた真中に、芽宜未が言った。
「おまえ、だいぶ人間っぽくなったな。もうアンドロイドの設定忘れたろ」
「クローズスリー、ゲームは得意」
真中は目も上げずに言った。
「なにがクローズスリーだ。昨日ネットの動画観てクスクス笑ってたやつが」
芽宜未はパジャマを脱ぎ散らかし、ロングのスカートを穿いて、忙しく身支度をしていた。
「芽宜未、どこにいくの」
真中はきいた。
「いいとこだよ、いいとこ」
と芽宜未は返した。
「聞いたぞっ! 楽しみを独り占めする気だな、めぎみ!」
図書館内階段から伴乃があらわれた。
その後ろから瑠奈が歩いてきて、
「芽宜未さん、また図書館の自分の本にサインしたでしょう。職員さん達が大騒ぎしてますよ。……あれ、どこかお出かけですか」
芽宜未はにやりとした。
「ちょっと、温泉にな」
ふふふっと笑って、また支度を再開した。
「温泉……? もしかして、二字山温泉ですか。あそこ人気ですよね。私、地元なのに一度も行ったことないです」
「そうそう。三ヶ月前からネットで予約して、ようやく今日だ。作家してた頃は出版社の接待で頻繁にいってたんだがな。いいぞーあそこは。二字港と夜景を一望する絶景。きらびやかな」
「あ、灰色だと思います」
と瑠奈。芽宜未は苦い顔をして、
「……だったな。でも温泉はいい。色々と効能があって……まあ持病もないし疲れちゃいないが……とにかく私は行ってくる!」
「私も〜!」
「クローズスリー、出撃準備」
伴乃と真中が言った。
「はっ!? なんでおまえらと一緒にいかなきゃいけないんだ。温泉というのは一人で贅沢に入るもんだろうが! 行きたきゃ自分で予約しろ!」
「そういえば、夏の間、プールも海も行かなかったよね〜」
と伴乃はどこからか浮き輪を出してきた。
「聞けよ! しかもなに温泉で泳ごうとしてるんだ!」
真中もポシェットにゲームを入れるという身支度をはじめて、
「私が心を理解するために、色々な経験が必要。つまり温泉は必要」
「おまえ……あざとくなってきたな……。不幸な境遇に隠れた、おまえという人間の本質が見えてきた気がするよ……」
「じゃ、楽しんできてくださーい」
と瑠奈が言った。
「どいつもこいつも、連れて行く流れに無理矢理しやがる。…………ん?」
芽宜未は呆れるのをやめて瑠奈を見た。
「あれ、瑠奈ちゃんはいかないの?」
と伴乃が言った。
「べつに連れて行きたくはないが……、いいんだぞ。こうなったら二人も三人も同じだ」
と芽宜未。
「いえ、あのー、私は留守番で」
瑠奈は笑顔で言った。
「んん?」
伴乃は一瞬首をひねったが、
「あっ……」
と言って、
「そっか……。瑠奈ちゃんはお風呂で滑って転んだトラウマが……」
「ああー」と納得の空気になりかけたところを、瑠奈は「ちがうちがう、違います」と言って、
「いやその……普通に恥ずかしいっていうか……。流石に……っていうか。まぁその、この状況で気にするのも変かもしれませんけど……」
「ああ、まあ、それは誰も全くないとは言わないけどな」
と芽宜未が言うと、
「え、裸が恥ずかしいとかあるの?」
「理解不能」
と伴乃と真中が言った。
「全くないやつが二人もいたな……。まあいいや。私としてはおまえらにも来ないでほしいんだがな。そこまで人でなしにはなれないし、仕方ない。じゃあ瑠奈、留守を頼む」
と芽宜未。
瑠奈が「はい」と言うと、伴乃が飛び上がって、
「やった〜! めっちゃ遊んじゃうぞ〜〜! あっ、どこかに水鉄砲もあったはず! 持ってっちゃお〜!」
「すでに風情もクソもないな」
芽宜未は嘆息した。
二字山温泉、今この時間帯の予約客は受付に現れなかった。
電話連絡をするも、通じない。従業員は訝しんだが、すでに料金はネットで入金されているため、それ以上気にとめなかった。
その予約客のために用意された、数ヶ月待ち、人気の温泉に今、不可視の三人の少女が入っていく。
「ふう……」
芽宜未は湯に浸かって目を細めた。
「不思議だな。温度を感じないはずなのに、寒い日に温泉に入ったあの感覚が体を満たす。この世界は実に私達に都合よくできている。戦いが命がけなぶん、これは戦士の特権か。いやしかし快適だな。極楽だ……」
「おっぱいチェーック!!」
伴乃が温泉に飛び込んで芽宜未の背後にまわった。
「漫画とかで女の子達がお風呂に入るときに必ずあるアレ! わあー、おっぱい大きいね〜! ってやつ! やりたい! やるしかない! 蔦伴乃、いくよぉ〜〜!!………………あ、ごめん、胸大きい人いなかった」
「本気で、おまえを連れてくるんじゃなかった」
芽宜未は言った。
「伴乃、静かに」
真中は湯に浸かりながら、防水カバーをしたゲーム機をプレイしていた。
「景色を見ろよおまえら。灰色だけれども。それはそれで味があるぞ」
芽宜未が言うと、伴乃と真中は山頂から見える二字港、そこに落ちていく夕日らしい光を眺めた。
「ん〜……」
伴乃は言った。
「なんで灰色なんだろうね」
子供っぽく言う彼女の顔を見て、芽宜未は「ふん」と言った。
「知らん。この世界のことは本当にわからん」
「あれっ、やっぱりめぎみでも全部はわからないんだ」
「わかるわけないだろ。そりゃ前に話したみたいに理屈に当てはめることはできる。だが、それでも不可解なことだらけだ。小説にはできないな。設定矛盾が大きすぎる」
「ほえ〜」
二人の会話はそこで終わったが、
「矛盾……。どこが」
真中が言った。
伴乃と芽宜未は、若干の驚きをもって彼女を見た。
真中は続けた。
「芽宜未が以前に言ったように、この世界の目的は贖罪……。そのイメージで私も違和感がない。私は貴重な命を無駄にした。だからそのぶん、この世界で戦って、誰かを助けて、命の意味を取り戻す。そのことに、なんの疑問も持っていない。矛盾とは、何」
「おいおい、いつの間にやら……」
と芽宜未。
「なんか、やさしい!」
と伴乃。
「真中、すごくいい子になってる!」
「いい子じゃない……」
と真中はやりづらそうに言った。
「いや、よく喋るようになったし、なんだ、自分の考えみたいなものが……。やはり私達の育て方がよかったか……って、何もしてないけどな。ははは、面白いな、人間って」
芽宜未は感慨深げに言ったが、真中の視線に「む……」と気づいて、
「そうだな、矛盾だったな……。色々あるにはあるんだが、よく考えてみろおまえら。――なぜ私達なんだ?」
伴乃は首をかしげた。
「んん? この前言った贖罪じゃなくて? 殺人とか自殺とかの」
「殺人はともかく、世界の自殺者は事故死者より多いんだぞ。二字区に限定したって一人や二人で済むわけがない。この世界の目的が贖罪だとするなら、該当者は山ほどいるんだ」
と芽宜未。
真中がつぶやいた。
「全員が、十五歳の女」
三人は互いを見合った。
「そして貧乳」
深刻な顔で伴乃が言った。
芽宜未は、「ああ」と真中に頷いてから、
「だが十五歳という年齢は理由が考えられないこともない。人間の身体能力のピークは二十歳ぐらいだが、感覚的な要素も含めれば実際は十五歳とされている。スポーツ競技で神がかった活躍をする選手もその年齢が圧倒的に多い。ここは体力もそうだが、黒い服に武器……感性で戦う部分の大きい場所だからな。年齢の意味はそこだろう。実際はそれに加えて、個人の戦闘適性も考慮されているんだろうがな。格闘技経験のある瑠奈に、なんだかよくわからないが伴乃、特殊な経歴のある私や真中……」
そこで一度切って、他二人を見回して言った。
「だが全員が女子である理由がわからない」
真中が静かにうなずいた。
伴乃は、
「そのほうがかわいいから?」
と言った。
「漫画やアニメならそれでいいけどな。いや、漫画やアニメだとしても説得力のある理由が必要になる部分だ。今のところこの世界のこの法則には、合理的な意味が見当たらない」
芽宜未は続ける。
「例えば、女と男の脳は違う。女のほうがカンが鋭いと言われているし、そういう部分が活かされる戦闘ならば女子限定の理由になる。フィクションなら、思春期の少女のみ超能力や魔法が使える……とかな。だが、この世界の黒い服や武器にそんな要素は見当たらない。まあ見当たらないだけで私達の変身は思春期の少女の魔法なのだと言われればそれまでだがな。だがフィクションとしてはゴミだ」
伴乃は「う〜ん」と考え込んだ。
真中は風景に目をやって、
「灰色」
とつぶやいた。
「……案外本当に」
芽宜未は言った。
「この世界は誰かの作った漫画や小説だったりしてな。それもとてつもなく出来の悪い」
「その真相なら矛盾はなくなる」
真中が言った。
「って考えたら怖いな……」
と芽宜未。
「まあ単に偶然女が四人続いているだけかもしれない。……いやそんな気がしてきた。次来るのは男だ。きっとそうだ」
両の二の腕をさすりながら無理に明るい声をあげた。
「男……」
伴乃がぼそりと言って、突然きょろきょろとしだした。
「男の子って……私、苦手かも……」
そう言った。
「おっ、ピュアか? ピュアなのか? まさか伴乃さんともあろう人が」
芽宜未が食いついた。
「うーん……、なんていうか……どう接したらいいかわかんないっていうか…………うん……免疫ない」
伴乃はぼそぼそと言った。
「話したりしたことがないわけじゃないよ。でもあの頃は何も知らなかったし……。異性として……っていうかそれ以前に、人を人として意識してなかったから……。今考えたら、男と女、一緒にいるって、なんかはずかしいな……って」
「おいおいおいおい! なんかかわいいぞ! どうしたピュア乃!」
芽宜未は俄然盛り上がった。
「何が起きてるの」
と真中がきいたが、芽宜未は「ははは! おまえにはまだ早い。ただ聞いておけ」と言って、何もないのに顔を赤くしてむず痒そうにしている伴乃の頭を撫でながら、
「恋愛未経験者! 多分こいつ、好みの男が現れたら速攻で落ちるぞ! うはははは、そのときが見ものだな。楽しみーー!」
「なんか馬鹿にされてる……」
伴乃はうつむいてぶつぶつ言った。
「恋愛、芽宜未はしたことあるの」
と真中。
芽宜未はまだ少し笑いながら、「あーあー、おまえらよりはあるさ」と言った。
「恋愛ってのは、そうだな、……恋愛とはつまり海だ。純粋に美しく、楽しくもあり、波のように追えば逃げられ逃げれば追われ、ときに飲まれることもあり、汚れることも、果ては殺されることも……」
「わ、わあ、めぎみすごい! 大人!」
伴乃は感嘆した。
「実質なにも言ってない気がする」
と真中が言った。
そんな三人の後ろで、二字港に夕日が沈みはじめた。
二字町商店街、午後六時。
織野瑠奈の右手から、パックのミルクティーがするりと地面に落ちた。
飲み口から中身の液体がとくとくと流れて広がっていく。
眼前を、一組の学生カップルが歩いていった。
瑠奈は視線を落としてつぶやいた。
「……そうだよね……仕方ないよ」
色のついた自分と、色のない景色を見た。
「私はもう、いないんだから……」
途端、電流のように思考が流れた。
――瑠奈。
――君は。
「うっ…………」
――君はおかしいよ。
「うう……! うああああ……」
頭を抱え、くずおれた瑠奈を、通行人が追い越していく。
誰にも聞こえない叫びが、灰色の世界にこだました。




