一 灰黒白
一 灰黒白
二字区立、二字高等学校一年生、織野瑠奈の葬儀会場、その祭壇に、葬儀業者の手により遺影が設置された。
アイドル並に整った顔立ちで、正面を向いて、微笑する瑠奈。
色のないモノクロ写真。
同時刻、死んだはずの織野瑠奈は、その遺影のような灰色の世界で目覚める。
(二字町商店街……)
瑠奈は思った。目の前の景色に見覚えがあった。色はついていないが、駅付近の古い商店街だ。
行きつけの書店。以前よくテーピングを買いにいったスポーツ用品店。
そして、まばらな通行人。
彼らも灰色だ。
ふと瑠奈は自分の手に目をやった。それは記憶の通りの肌色。そのままスポーツ用品店のウインドウに駆け寄る。映った自分は、死んだときと同じ、水色ブラウスとストライプのスカート姿だった。
(フルカラーだ……。なぜか私だけ色がついている)
瑠奈は商店街を歩いてみた。
(死んだから? これは死後の世界?)
何気なく、前を歩く女性の背中に触れてみた。
それが水のように透過しても驚かないつもりだったが、まったく違和感のない服と体の感触があり、さらに女性がびくっとして振り向いたので、逆に驚かされることになった。
「うそっ、ごめんなさ……」
その言葉の途中で、瑠奈は女性がまるでこちらに気づいておらず、不意に触れた人物を未だ探していることに気づいた。
(……見えてない。さわれるけど、向こうからは見えない)
法則がひとつわかった。説明書なしでゲームをするような面白みが若干あったが、不可解さのほうがまだ勝る。
瑠奈はとりあえず顔を上げて、アーケード窓の向こうの空が灰色なのを確認した。商店街各所の照明も光っているようには見えない。そして、時計屋の時計はすべて十五時過ぎを示している。動く秒針。今はまだ明るい時刻らしい。色はないが、この世界、明暗はある。おそらく夜になれば空は黒くなる。
この状態が、アーケードの先も、街の向こうまで、ずっと続いているのだろうか。
「もしこれが死後の世界だとして」
どうせ誰にも聞こえていないのだと、瑠奈はもう考えを声に出して言った。
「目的……というか、ここの存在する意味は……? いや……」
色のついた自分の手を見つめる。
「目的や意味なんてないのかもしれない。もとの世界がそうだったように……」
「わっ、なんか難しいこと言ってる子発見」
瑠奈の目の前に、制服の女子がいた。
彼女は続けて言った。
「人生に悩んでるのだろうか……。あれ、なんか目が合ってる。んん? てゆーか、この子、色ついてる。私みたいに。あれっ? じゃあ私の声きこえてる?」
「はい……」
瑠奈は目を見開いたまま首肯した。
「わー、仲間だ。なかよくしてね。私、蔦伴乃。トモちゃんって呼んで」
伴乃は手をさしだした。
「織野瑠奈です……」
瑠奈はそれを控えめに握った。
「ふふふ〜……」
伴乃は突然そんな声を出し、締まりのない笑顔で言った。
「私、結構ここ長いけど、私以外の人がきたのはじめてだよ。あ、とりあえず、そこのゲーセンでプリクラ撮ろう。そして携帯に貼ろうよ。わー、一人じゃないプリクラもはじめてだ。やったあ〜」
――この世界に意味はあるのか。
ない。
瑠奈はそんな気がしてきた。
パシャ。
二人はプリクラを撮った。
「これ、他の人からはプリクラが勝手に動いてるように見えるんですよね」
「うん。この機種は私のお気に入りだから、店員の間では誤作動の多いプリクラということになってる」
伴乃は出てきたシールを慣れた感じでハサミで切る。
「今のこれも、ハサミが浮いてるように見えるんでしょうか……」
瑠奈が周囲を見回しながら言った。
「うむ。実はそうではないのだ」
と伴乃。
「私達が今使ってる道具は、私達と同じようにあっちからは見えなくなってる。この撮ったプリクラも、私の持ち物ということになって、見えなくなる。それをどう判別するかというと……色!」
「あっ」
瑠奈は気づいた。
プリクラは色がついている。そしてハサミも。
伴乃がハサミをテーブルに置いた。するとそれは周囲と同じ灰の色調に変化した。
「なるほど……」
「このルールはあまり細かく決められてなくて、なんていうかな。融通がきくんだよ。たとえば今度はプリクラをテーブルに置くけどね」
と言って伴乃が置いたプリクラは、カラーのまま変化しなかった。
「だって、私のプリクラ、誰かに捨てられちゃったら困るしねぇ。じゃあ次はこれをテーブルに貼ってみちゃう」
ペロッと剥がして、一枚を貼った。
すると、すぐに灰色に変化した。これは向こうの世界から見える状態だ。
「だって、瑠奈ちゃんとの記念プリをみんなに見てほしいじゃん。だから灰色になった」
「……私達の意思で決まるってことですか」
「そうそう。すっごくアバウトにね。なるべく違和感がないようにうまーく、なんていうのかな、処理される。プリクラ機は、消えたら変だから消えなかった。自転車は消えたほうが自然だから乗れば消えるよ」
「……」
瑠奈は少し考えてから言った。
「だとしても、消えたり現れたりする瞬間を見られたりとか……つまり完全に向こうにバレないようにはできていないですよね。私さっき、歩いてる人に触って驚かれましたし」
「うん。だからイタズラし放題」
あっけらかんと言う伴乃に、瑠奈は焦った。
「もし私達の存在がバレたら、何かペナルティがあったりしませんか。だって、この世界はどちらかというと、違和感を消す方向に動いてるから。それに反発するような行動はまずいんじゃ……」
「あー、でもどうだろう。私はかなり自由にやってるけど、今のところそういうのはないなぁ。多分そのへんは、てきとうに考えてていいと思うよ。別にわざわざ向こうにバレたいとも思わないしねぇ」
「自由……、適当……」
その単語はまさにこの伴乃自身をあらわしているように思えた。
二人はゲームセンターを出て通りを歩いた。
スポーツ用品店のウインドウに映る、私服姿の瑠奈と、制服の伴乃。二人だけ、鮮やかに色がついている。
「そういえば、その制服……。伴乃さんも二字高生なんですよね。学年は……。一年生じゃないですよね。私と同じ学年なら見覚えあると思うから……」
「ううん、私、二字高じゃないよ。この制服は、街の学生服屋さんから勝手にもらっちゃった。二字高の制服が一番かわいいよねぇ」
伴乃は紺のブレザーをつまんで続けた。
「あ、私、二字高じゃないけど、十五歳。だから瑠奈ちゃんと同学年だよ〜」
「……」
瑠奈は考えた。
年齢がここに呼ばれる条件なのか?
条件があるのなら、それに関連した目的が存在するのが自然だが……。
「あー……えーと、瑠奈ちゃん……」
気づくと、伴乃が不安げな視線を向けていた。
「もしかして、軽蔑したかな……。いちおう、制服の代金は置いてきたんだけど。でもそのお金も神社の賽銭箱からとったやつだし……。ぜんぶ返そうかな。かわいいし、好きだけど、誰かに嫌われてまで着ていたいとは思わないから……」
「い、いえ。全然。問題ないと思います」
泣きそうな顔をされて、むしろこちらが罪悪感に駆られながら瑠奈は言った。
「え、問題なし?」
伴乃の顔が急に明るくなった。
「瑠奈ちゃん的にも問題なし? そうだよね! よかった、よかったぁ。そんじゃジュースでも飲もうぜい。金は山ほどあるからのう!」
自販機前で伴乃が千円を出したとき、財布からちらりと見えた十枚以上の万札に、それまでの脈絡も忘れて瑠奈の目玉が飛び出した。いや、限度があるだろ、と思った。
水分を補給する必要はなし。(飲んでも別によい)
食事をとる必要もなし。(食べてもよいし、食べれば普通においしい)
トイレにいく必要もなし。(行ってもいい。行けば出る、とのこと)
それらが伴乃から聞いたこの世界、いや、この体のルールだ。
どちらでもいいことが多すぎる。と瑠奈は思った。行けば出る、ってなんだ……。
食事もトイレも要らない。その調子でいけば、睡眠をとる必要もないはず。
だが伴乃は眠った。瑠奈も眠った。
空の明度が落ちた頃、「ここが私の家。へへへ〜」と裏口に鍵をさして入った街の家具店のベッドコーナーで、伴乃はキングサイズのベッドに入り、瑠奈には隣のキングサイズを勧めて、話をするうちに寝てしまった。「寝なくてもいいけど、気持ちがいいから寝るのさ」と伴乃は言っていた。なんて気楽なんだと思いながらも、その気楽さに惹かれて目を閉じ、瑠奈も寝た。
翌朝、二人はコンビニで菓子と、ペット飲料と雑誌を『勝手に』購入して、そのコンビニが入ったビルの屋上に上った。
「風が気持ちいいねぇ」
と欄干に寄りかかった伴乃が言った。
あらかた菓子を食べ終わって、瑠奈は体操座りで雑誌を読んでいた。
「あ、格闘技の雑誌だ。瑠奈ちゃんこういうの好きなの?」
「まぁ……はい。今はもう惰性で読んでるんですけど」
「私はこれだっ」
伴乃はファッション誌を出した。ギャル系のものとカワイイ系のもの。
「私はこの夏は、ギャルとカワイイの中間を攻めてみようと思う!」
「あ、きっと似合います」
「深夜のデパートでの私のファッションショー、やっと他の人に見せられる……」
伴乃はにやにやしだした。
瑠奈も笑った。
そして思った。
夏休みのようだ。
それも、永遠に終わらない夏休み。
自分はまだ慣れないから罪悪感がある。世界から切り離されていることや、自由に生きること。ゆっくりと時間が流れること。
でもその感覚も次第に薄れて、おそらく伴乃のようになる。
これが本当の死なのかもしれない。無限の長期休暇が今はじまったのだ。
「あ、空気変わった」
と伴乃が言った。
「空気?」
瑠奈はきいた。
「うん。瑠奈ちゃんもそのうちわかるようになるよ。なんかね、変わるのさ。ここからマジっすよ〜みたいな感じ」
「マジ……」
永遠の夏休みにはそぐわない言葉だ。
「ほらきた」
と周囲を軽く見回していた伴乃は言った。
それは通りを挟んだビルの屋上で、そこに白い骸骨が立っていた。
人骨とは少し違った。
曲がっていないはずの箇所が曲がっていて、太くないはずの骨が太い。余計な骨もいくつか。ちょうど悪魔の体を暴けばこういったものが残るのではないかと思えるような形状。
状況だけを見れば、誰かが置いた模型だ、と言うこともできた。だが、それを否定するなにかも同時に存在していた。
なにか――それこそ伴乃の言った『空気』だった。殺気めいた異質なそれは、今度は瑠奈にも感じられた。
「ほら、白いやつが出たでしょ」
「ちょ、ちょっと待ってください、伴乃さん。すごく、すごく説明が要ります今……」
「え、ああ、まだ言ってなかったよね。ああいうのがたまに出るんだよ、ここは」
「それ最重要かと……。プリクラとかジュースよりずっと……」
「そうかな?」
そのとき骸骨が、いびつな動きで首を傾けて瑠奈達の方を向いた。
「ぜ、絶対やばいやつでしょう、あれ!」
死――灰色の世界――骸骨――、瑠奈の中でこれまでの色々な要素がきれいに繋がり、その線の先で一つのイメージが完成した。
――地獄。
「ににに逃げましょう!」
「ちょい待って。あいつが出てきたってことは……、ほらきた」
伴乃は自分の服を指さして言った。
ブラウスに、コーヒー染みのような点ができていた。
「ほれほれ、ここにも」
袖にも染みが。
「えええ? 後で洗濯しましょうよ。今はとにかく……」
「はい、瑠奈ちゃんの方にも」
と指さした先、瑠奈のスカートに大きな黒い染みが。
「え……」
そして瑠奈は、服の何もないところから染みが浮き出して広がっていくのを目にした。
数秒も待たずに、二人の服は真っ黒になった。
それどころか、瑠奈のスカートは脚に吸い付いて、スパッツのような形状に。伴乃のスカートは極端に短くなり、何もないところから色々な付属物が発生。灰と黒の横縞帽子、リストバンド、各所にチェーン……など、全体的に変質、変形が起きた。
瑠奈はあ然とした。
伴乃は言った。
「ここは灰色の世界。あいつは白いやつ」
骸骨を指さした。
「で、私達は黒。さあ、戦いにいこう」
「はっ?」
伴乃は瑠奈の手を掴んで引っ張った。物凄い勢いで駆け出した。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくださ……」
「一、二、三のステップでめっちゃ跳べる。いくよ、数えて、一、二、三!」
実際、大股で助走したのは伴乃だけ、瑠奈はそれに引きずられる形で、二人はビルをまたぐ大ジャンプをした。
「うそだっ……こんなこわいの、もう悪夢……!」
支離滅裂な叫びが風に流される。瑠奈は若干、高所恐怖症だった。
ズダア、と二人は両手足で着地した。
恐る恐る顔を上げた瑠奈は、骸骨が変わりなくこちらを向いていて、明らかに存在を認識されていることに、また短い悲鳴を上げた。
「逃げちゃだめなんですか、これ!」
「ん〜、別にそれでもいいと思うけど」
伴乃は緊張感のない声で言った。
そのとき、激しいブレーキ音とクラクションの音が遥か下方から聞こえた。
「大丈夫、まだ事故は起きてない。十分ぐらいは大丈夫……」
伴乃が屈んだ姿勢から体を起こすと、ジャラジャラとチェーンが音を立てた。
骸骨が動いた。二人の方へ足を踏み出した。二メートル近い巨体。その一歩は大きかった。
「あの白いやつは死神みたいなところがあって、ほっとくと周りで事故が起きるんだよね。主に交通事故。もしそこが工事現場なら、鉄骨が落ちたり……」
「え……」
クラクションがまた鳴った。ブレーキ音直後に、誰かの怒声が聞こえた。なにか、とんでもない惨事が起こる前触れのような気配が、見えもしない下の道路から伝わってきた。
「逃げてもいいとは思うけど、私はそれはなんか嫌だ」
骸骨の次の二歩は速かった。踊るような動きで、勢いをつけて振り下ろされる長い腕は、瑠奈に伝説の巨体レスラーを思い出させた。が、伴乃はそれを受け止めた。
難なく。
骸骨の放つ殺気がすべて、彼女のゆるいテンションに転化したように。
攻撃は、両手首を繫ぐ太いチェーンによって、完全に止められていた。
伴乃はチェーンを一瞬弛ませ、またピンと張ることで敵の腕を弾いた。
「かっこいいっしょ。これは私のお気に入り」
瑠奈には彼女が何をどう操作したのかわからなかったが、両手首のリストバンドからバチンと音がして、途端チェーンが延長、滝のように床を叩いた。
伴乃はそれの端を持って振り回した。
バヂイと痛ましい音がして、骸骨が吹き飛んだ。
骸骨はすぐに体勢を立て直し、再度襲いかかったが、チェーンによってまた吹き飛んだ。
「すごい……」
瑠奈は溜息を漏らした。伴乃の動作はやる気を疑うほどに緩慢だが、それは骸骨の攻撃タイミングにぴたりと合っており、敵の行動を完全に封じていた。
「ほい」
バヂイ。
チェーンの当たった骨が欠け、白い粉塵が舞う。
「よっ」
ズパアン。
骸骨の頭部に鎖型の跡が残った。
よろめいた骸骨だったが、突然その全身の骨が縦に展開し、中から蒸気が噴出されると、急激に動作が機敏になった。
伴乃のチェーンなどお構いなしに、骸骨は接近して蹴りを放った。伴乃のリストバンドがまた音を立て、伸びたチェーンを格納、攻撃を受け止める。――が、今度は伴乃の方が弾かれて体勢を崩した。
「うわわわ、本気モードだ……」
と伴乃。
「お、押されてますよ!」
と瑠奈。
骸骨のスピードは伴乃を遥かに上回っていた。次々と繰り出される攻撃についていけず、伴乃は後ずさることでどうにか状況を凌ぐ。だがそれにも限界が訪れる。伴乃の踵はビル屋上の縁にかかった。
「助けなきゃ……」
瑠奈はそう思いながらも、同時に奇妙な感覚によって動けずにいた。
目の前で起きているのは何もかも異常なことなのに、どこか見覚えがある。
それは、格闘技観戦が趣味の瑠奈だからこそ気づいたことだ。
『フェイクマスター』
瑠奈が独自にこう呼ぶ選手は、格闘界に四人いる。一人は空手、二人はボクシング、あとの一人はムエタイ。
彼らは動作の緩急で相手を翻弄する。
ラウンド終盤で急転する試合展開。
今目の前で起きている状況は、その場面と似ているのだ。
「フェイクだ」
瑠奈は理解した。すなわち伴乃の当初からの緩慢な動きは、
「見せかけ……」
それが及ぼした今の劣勢も、
「見せかけ……」
この状況すべてが、
「フェイク――」
伴乃が消えた。
と思えば敵の上背部に出現していた。
逆さまの彼女の、足首の間を繋ぐチェーンが、絡め取っていた骸骨の首を、それが自明だというように。
切断した。
「相手が気づかないくらい、一瞬で」
伴乃は音もなく着地、
「仕留めるのが優しさなのさ。任務完了!」
ヒーローのような謎のポーズを決めた。
「……目で追えなかった……」
瑠奈は呆然として言った。彼女がフェイクマスターであることは間違いない。だがこれまでに見た誰よりも速かった。圧倒的に。
ビルの下から、歩行者信号の電子音が聞こえてきた。肌に感じるほどの事故の気配は消えていた。




