ラーテル
「弱いやつのことをさ、雑魚って言うじゃない? でもアレって魚に失礼よね。だってほら、魚って美味しいし、食べれば身になる。今の幸くんよりずっと意味があるし。食べられる分だけずっといいと思わない? 私魚好きだし。何してんのさっさと立ちなさい」
「無視するつもりなのは構わないですが、あなたが私の気分を悪くした数だけあなたの骨を折ります。ここのケモノを一掃した後、必ずそうします。どうして? あなたが私を助けたからじゃないですか。あなたが悪いんです。それにほら、むくれないでくださいよ。約束は守ります。ほら、鉈は使ってないじゃないですか。ね?」
「あれ? どしたの幸くん。倒れたままってことは踏まれてもいいってことかな?」
「相変わらずヘッタクソですね魚釣り。どうしてなんでしょう。ケモノの手を斬り落とすより簡単ですよこんなの。狩人としては全然素人の私にだってできるんですから。……ああ、そうですね。魚に嫌われちゃってるんですね。かわいそうです。こんなところに一人きり。あなたの傍にいるのは小虫とケモノだけ。なんですかその目は。何が言いたいんですか」
「うーん。見習い卒業させたのは早かったかなあ。とりあえず幸くん。謝りなさい」
「ケモノと見間違えて斬っちゃってごめんなさいって謝ったら許してくれますか?」
幸は古海にボコられて、大空洞では塔子に付きまとわれていた。
そんな生活にも慣れ始めたころ、彼はがらがら通りの斧磨鍛冶店に鉈を研ぎに出していた。その帰り道、警察の人間に呼び止められた。
「よーう、強小ちゃいにいちゃん。お久しぶりだなオレのこと覚えてる? 覚えてるかっ? あ、でも、オレのこと覚えてるってことはオレにムカついてるってことかもしんねーし……だったら覚えてねー方がいいよな」
「屏風ちゃん?」
「わーっどうしようオレのこと覚えてた!」
狼森は頭をがりがりと掻きつつ、困惑している幸に同情するような視線を送った。
「どうも、お久しぶり。俺たちみてえのに会いたくはなかっただろうが、狭い街なもんでな」
「ええと」
幸は不思議に思った。彼らは《花屋》と呼ばれる警察の人間だ。花粉症に関わる事件を追うものだとは知っているが、今は話しかけられることをした覚えなどなかった。
察したのか、狼森はそうじゃねえんだがと言葉を濁す。
「俺らも狩人の知り合いってのが少なくてな」
「何か、聞きたいことでもあるんでしょうか」
「おう!」
屏風が悲しそうな声で元気いっぱいに手を上げた。
「にいちゃんってソシャゲやる? オレさー、ほら、ちょっとオレのこれ見てみ? SSRやばくね? でさ、SSRってどう読んでる? オレぁ『エスエスアール』なんだけど『スーパースペシャルレア』とか『スーパースーパーレア』とか言うやつもいてさ、いてさ! オレのじいちゃんはソシャゲとか知らねえから何も教えてくれねーんだけど、にいちゃんならどう読んでんのかなって」
「ちょっとあっち行ってろ」
狼森に遠ざけられた屏風がぎゃははと笑った。
「……話が進まねえ。単刀直入に聞くが《斜交い行脚》って猟団、知ってるか?」
幸は何か思い出そうとする。その所作で狼森はある程度を把握した。
「ええと。確か、神社の人たちが言ってたような……」
「《十帖機関》か。だめだなそりゃ。俺たちじゃあ相手にされねえか」
《斜交い行脚》。以前、神社のものたちに脅しめいたものをかけていた連中だ。かつて山で問題を起こし、山の中に消えた篝火という女が所属していた猟団でもある。
「その人たちを捜してるんですか」
「さて、そりゃあ分からねえが」
狼森は煙草に火を点けた。
「最近よう、狩人どもへの依頼に人探しがよく混じってる」
「警察の人ってそういうのも見てるんですね」
「まあな。その依頼だが、どいつもこいつも大空洞で人がいなくなったってもんばっかりだ。俺たちは狩人じゃない。なあ。東山ン本じゃそんな簡単に人が消えちまうもんなのか?」
幸はそんなことはないと首を振った。そも、今は大空洞に行く狩人の数自体多くない。負傷した狩人も復帰しつつあるが、まだ皆が完全な状態ではないのだ。主要な猟団なら活動しているだろうが、彼らは見習いではないのだから、まさか足を滑らせるような無様な真似はすまい。
「危ない場所には間違いないですけど」
「最近、狩人以外の誰かは見たか?」
「ぼく、平日は行かないですから何とも言えないですけど……ぼくは見てないです」
鳥の巣のような狼森の髪が揺れた。
「《斜交い行脚》の人たちがいなくなったんですか?」
「まあ、そうとも言える」
「……どういう意味です」
「消えたのは見習いの狩人だとか、外部の見学者だとか、大空洞に不慣れなやつらなんだよ」
幸は想起する。《斜交い行脚》の二名という女を。神社に詰め寄った彼女には余裕がなく、酷く疲れているようだった。
『狩人にも色々あるんですよ。見たところ、《斜交い行脚》の人たちは……いわゆるアタッカーを失っている状況にあります』
『自分たちだけで何もできないんなら、猟団やめちゃえばいいのにね。まるでヤドカリみたい』
「もしかして」
「察しがいいな」と狼森は歯を覗かせた。
「《斜交い行脚》の人たちが、何かしたんですか」
「そういう可能性もあるって話だ。連中、前までしつけえくらい神社に顔を出してたのによ、とんと見なくなったって話だからな。が、俺たちは大空洞にも神社にも近づけねえ。事情があってな」
幸は露骨に嫌な顔をする。以前、似たようなことを頼まれたのを思い出したのだ。
「たぶんですけど、ぼくにお願いしてもろくなことになりません」
「いや、んな大層なことをお願いしたいんじゃねえんだ。大空洞に潜るんだろ? そん時、変わったことがあれば教えて欲しいってくらいでな」
「まあ、それくらいならいいですけど」
「助かるぜ。おお、そういや屏風の連絡先は知ってんだったか。何かあればそこに」
幸を見送った狼森は声を低くした。
「どうしてあいつに話したんだよ」
屏風はポケットの中に手を突っ込み、彼を睨むようにして見上げた。
「狩人たあいえ、まだガキじゃねえか。そりゃあ、何度かこういうヤマに首突っ込んじゃいるが。勘か?」
「いいや。あのにいちゃんならほっとかないからな」
「お前……《花屋》にでもスカウトするつもりかよ」
「それもいいな。じいちゃんに言ってみるか」
「冗談じゃねえ」
狼森は立ち去りかけるが、屏風がいつになく真面目くさった調子で口を開いた。
「蜂蜜は好きかよ、相棒」
「あぁ?」
「オレは甘いもの超好き。虫歯になるまで食べるし、なっても食べる。でもさ、甘いもん食べたいからって蜂の巣突きまくるような物好きなんかそうはいねえよ。人探しの依頼を受ける狩人なんかほとんどいない。見つからねえからだ。依頼が果たされなきゃ金をもらえねえ。無駄足踏むだけで終わっちまう」
「俺らは物好きってわけか」
屏風は怒ったように相棒をねめつける。
「そういうこと。狩人だってわざわざオレたちに力貸さねえ。余計なことして市役所と舞谷さんちに怒られたら狩人として暮らせねえもん。貸してくれるとしたら、そういうのとカンケーねえやつだ。市役所にも舞谷にも尻尾振らねえ物好きだけだ」
「……それが、さっきの学生だってのか」
「でもさでもさ、そんでも蜂蜜食いたいならどうする? どうしても蜂の巣突かなきゃいけねえんだよ。でも痛いのヤダよな。……じいちゃんが言ってた。『お前が突くの嫌なら他のやつにやらせれば?』 って。ミツオシエって鳥がいんだよ。名前の通り、蜜のありかを教えてくれんだ。超優しい。そいつはバカみてえにうるさく鳴いて、蜂の巣まで誰かを連れてく」
「そんで?」
「突かせて、そいつのおこぼれをもらうのさ」
どこが優しいんだ。狼森は心中で突っ込んだ。
「誰が蜂の巣を突っつくってんだ」
「あのにいちゃんはほっといてもそうすると思う。相棒はさ、人を見る目がねえよな」
「……お前。いきなりそういうこと言いやがって」
「あのにいちゃんは物好きどころじゃないぜ。あんな、ちゅーしたくなるくらいオレ好みの可愛い顔してるけど、ありゃあラーテルだ」
「なんだそりゃ」
「ミツオシエとコンボ組んでる生き物だよ。蜂の巣どころか自分よりでっけー生き物だって襲いまくるやべーやつだ。世界で一等怖いもん知らずの動物なんだってよ」
きしし。屏風は悲しそうに笑った。
「《斜交い行脚》って猟団、聞いたことありますか」
無駄だろうなと思いつつ、帰宅した幸はむつみに話を振ってみた。彼女はすげなく言った。
「知らない」
「だと思いました」
「なーんかカチンと来る言い方」
むつみはリビングの椅子に座ってぐでーっとしていた。ほっぺたをテーブルにくっつけたまま、彼女は幸を見る。
「メフにいくつ猟団があると思ってるの。市役所が把握しているものだけじゃないんだよ。好き勝手に名乗ってやってる人たちだっているんだし」
「いくつくらいあるんですか」
「…………知らない。それに《百鬼夜行》みたいに名前だけでもう活動してないところだってあるし、大きいところは派閥が分かれて合併したり、離れたり、また合併したりで訳が分からないことになってる。市役所も手に負えないからある程度は放置してるよ」
意地悪い笑みを浮かべた後、むつみは幸を手招きする。
「あのさ少年。そのなんとかって猟団がどうしたの。また何か首を突っ込もうとしてない?」
「ぼくはそんなつもりありません」
「ぼく『は』? 誰かに頼まれたりしたの?」
どうしてこう、妙なところで鋭いのだろう。幸は叔母の勘働きに戦慄する。
「都合の悪いことはだんまりだ。知ってるよ。どうせ明日は学校も休みだし、色々と調べてみようかな、なんて思ってる顔だ」
「どんな顔ですか」
「で、どうなの」
幸は《花屋》からその話を聞いたのだと答えた。むつみは訳知り顔になる。
「厄介なのに目をつけられたな、甥っ子。ま、害はないよ。君が花粉症で悪いことをしない限りはだけど」
「しません」
「そう? 学生の本分は?」
「学校で勉強することです」
「私に隠し事と嘘は?」
「ご法度です」
「よろしい」
幸は山道を登っていた。週末の朝は人が少なくて歩きやすい。空気が澄んでいるようにも感じられて、彼はここを歩くのが好きだった。目的地の九頭竜神社まで、時間をかけてゆっくりと。白い息を吐きながらゆっくりと。
鳥居が見えてきた。階段を下りてくるものと目が合って、幸は会釈して小さく手を振った。向こうはとうに彼に気がついていたらしく、きりりとした顔つきで、おはようございますと頭を下げた。浜路である。彼女は頭陀袋を担いでいた。
「潜るんですか」
浜路の耳はぴんと立っていた。
「割のいい依頼を見つけたものですから」
「そうなんですね」
「遭難者を見つけて欲しいとのことです。闇雲堂の店主への土産を探すついでにちょうどいいと思いまして」
「人探し、ですか」
嫌な予感がして、幸は浜路の様子を窺った。
「あの。それって、もしかして」
「耳が早いですね。八街殿がここへ来たのを見つけた時、やはりと思いました。雪螢やベルナップ古川なる狩人が言っていたことにも頷けます。八街殿からはお金の匂いがする、と。私はワーウルフで鼻は常人より利くはずですが、お金の匂いなど嗅いだことがありません。ですが、あなたのことは分かりますよ」
「《斜交い行脚》の人たちを追うんですね」
浜路は大きく頷いた。
「《十帖機関》の皆様からもお話を聞きました。何でも神社を脅していたとか。彼らの行い、不届き千万です。この依頼がなくとも、いずれ成敗するつもりでした」
「どうして、です」
そもそも《斜交い行脚》が誰かをかどわかしたという証拠はない。彼らは確かにいなくなったが、悪だくみをして実行に移したとは言い切れないはずだ。
「弱さとは悪です。人様の足を引っ張って迷惑をかけるのは悪いことです。私は……」
浜路を幸を一瞥する。
「弱さを許せないのです」
強いものが正しい。
浜路と初めて会った時、彼女が涙目で言っていた言葉だ。すっかり慣れてしまっていたが、浜路の正義感は凝り固まって歪んでいる。少なくとも幸はそう思っている。狼人の彼女には分からない。種族の差か、鍛え上げた力量のせいか。弱いものがなぜそうなのかを分からない。その上で弱さを断じ見下している節があった。
「分かっているとは思いますが、八街殿とは一緒に行けません。それでは」
浜路はさっそうと歩き去る。その足取りは軽く、力強いものだった。
境内を掃き掃除していた《十帖機関》の巫女と目が合った。幸は浜路にしたのと同じように会釈するが、巫女は慌てた様子で首から下げていたホイッスルを吹き鳴らす。けたたましい音が朝の静寂を打ち破り、社務所の方から弓を持ったものが駆け寄ってきた。幸は立ち尽くすほかない。
笛を吹いた巫女は箒を持ったまま、得物を持った巫女の後ろに隠れる。
「……あの」
「あなたはお下がりなさい」
隠れていた巫女が走り去るのをどういう気持ちで見送ればいいのか分からず、幸は笑顔を作った。
「さて」と弓を下したのは神社の巫女兼《十帖機関》の狩人である月輪織星である。彼女はじっと、試すような目で幸を見下ろし続けていた。
「言い訳をするならどうぞ」
「何についてですか」
「笛が鳴ったでしょう。あの笛は《対八街くん警笛》で、鳴った瞬間、巫女たちは臨戦態勢に移ります」
「ぼくは何もしてませんっ。どうしてそんな風なことをするんですか」
「何も?」
織星は眉をつり上げた。彼女は自分の真っ平らな胸を指で示す。思い当たる節がたくさんあったので幸はぐぬぬと唸った。
「それにしても酷いのでは?」
ノーノーと織星は首を振る。
「これくらいは当然です。天満ちゃんからも勝手に八街くんとは話さないようにと、全巫女に言伝がありましたし」
「どうして……」
「嫉妬では?」
幸は不思議そうに織星を見返した。
「なんですか、その顔は」
「や、誰が誰に嫉妬してるのかなって」
「天満ちゃんは八街くんを他の子に取られたくないんですよ。ここ最近、神社に来てくれないって拗ねてましたから」
「はあ」
「『はあ』て」
幸はすげなかった。
「でもアレですよね。そういうところは可愛らしいですよね。小学生ってそんな感じだったよなあって」
「九頭竜を支配する天満ちゃんをコケにしているとここに来られなくなりますよ」
以前、幸は天満からの『ご神託』を受けた時のことを思い出した。
瓜生との戦いで《花盗人》が他者から異能を奪うだけでなく、他者に奪ったものを渡せるようになったこと。それを天満に話したのだ。少しは成長したのかもしれない。そう言うと彼女は笑った。
『少しはね。でもやちまたくんの本当のところは変わらないんだよ』
『異能がどう変わってもやちまたくんは一人じゃ何にもできないまま。やちまたくんの花粉症は他の人がいないと意味がないんだよ』
『その意味を忘れちゃだめだと思う。はい。そっちの爪も出して。……出して。どうして嫌がるの? 言ってるよね。痛みは成長するために大切なんだって。それでね、すごい怖い人がいたの。その人は色々な痛みを気持ちよさに変えちゃう人なんだけど、その人でも耐えられない痛みがあったの。分かる? それはね。爪の間に』
余計な苦痛まで思い出しそうだったので幸は思考を止めた。
「豊玉さんはご機嫌斜めですか」
「そうでもありません。犬伏さんが遊び相手になってくれていますから」
子供をあやす浜路の絵面が想像しづらかった。
「八街くんにいろいろと試せると喜んでいましたよ」
「……そうですか。コーチはここで寝泊まりしてるんですよね」
「はい。なんでもお家がなくなってしまったとかで。常夏さんは犬伏さんのことを苦手だと言っていますが、私は好ましいと思いますよ。ああいうまっすぐな方は」
幸は納得した。基本的に浜路はまじめな性格である。織星とは似ている部分もあり、馴染むのだろう。
「強い人ですよね、コーチは」
「でも、それだけです」
渋面を作る織星。幸は、彼女が浜路のことだけを言っているのではないと分かった。
「犬伏さんはどこかうちの子たちと似ています。迷って悩んで、ここに来て、それでも何も解決できないでいる」
「そんな人には……」
「見えませんか?」
幸が答えられなかったので織星は息をつく。
「《斜交い行脚》のことを聞きに来たのではないですか」
「分かるんですか」
「犬伏さんも聞きに来ましたので。……大空洞で人がいなくなったという話は聞いています。それにあの人たちが関わっているんじゃないかって話も。確かに《斜交い行脚》の方々はある日を境にここを訪れなくなりました。彼らをまとめていた二名さんは追い詰められていたのかもしれません。でも、私にはそんなこと分かりません。私はあの人たちとは違いますから」
自分の目で確かめるしかない。大切なものはいつだってそうだ。幸は小さく頷いた。
「君はまたかき回すんですね。人にはいろんな事情があって、放っておけば済む話かもしれないのに」
咎めるような口調ではない。織星は微笑んでいた。
「犬伏さんのことも見てあげてください。無理は……どうせ誰が言っても無理するでしょうけど、まあ、無事を祈ってます」
「月輪さんはいいんですか。ぼくと話してても」
「天満ちゃんから『話すな』とは言われてませんし、君がいなくなったらゲームの遊び相手がいなくなりますから」
「そういえば、新作がそろそろ出ますよね」
「そうなんですよ!」
織星は新しいゲームの魅力について滔々と語り始める。さらに興が乗って止まらなくなり、やってきた天満にジト目で見られていることに気づくまで彼女はしゃべり続けていたのだった。