SSSSRの女
売布警察署扶桑熱患者事件特別対策係。通称《花屋》。彼らは出動要請がかからない間は地味な作業をしている。それは仕事を見つけることだ。各種SNSをチェックしているのもその一環だった。
扶桑熱患者全てが問題を起こすわけではないが、メフで起きるたいがいのいざこざには扶桑熱患者が関わっている。それらにもっとも敏感なのは市役所だ。彼らが出した依頼を外野から勝手に吟味するのも《花屋》の仕事である。
「おお、マジか」
携帯電話の画面とにらめっこしていた鍵玉屏風が声を発した。誰もいない署内のオフィスだったので、その声は殊更によく響いた。彼女とコンビを組む狼森は、鳥の巣のような髪の毛をかき回して立ち上がった。
「どうした」
「見ろよ相棒。今、ガチャですげーいいの引いた」
狼森は煙草に火を点けて席に戻った。
「でもさー。同じような連中の同じような依頼ばっか見てたっておもしろくも悲しくもなんともねーよ」
「その中で何かクサそうなのを見つけんだよ」
「へー。じゃあこれにしようぜ」
「適当に決めんじゃねえよ」
屏風はパーカーのポケットに手を突っ込んで笑った。
「適当じゃねえよ、ぶっ放すぞ」
面倒くさそうにしながらも狼森は立ち上がる。屏風は妙に勘が鋭い。彼女が目を付けたのだから何かしら意味はあるのだろう。
「どれだよ、もう」
「これこれ。ほら、SSRだってよ。レアなもんは強いんだよな。レアなものほど強いってんならSSRよりもレアなもんの方が強くね? だってさ、SSSRとかSSSSRとかも作っちゃえばいいわけじゃね? もっと強いものを作ろうぜ。でも珍しいもんはそう簡単には出ねえってじいちゃんも言ってた。誰も見たことも聞いたこともないものだってあるんだぜって。でもそれってこの世に存在してるか? 誰にも認められないものってどんだけレアで強くても意味なんかなくね?」
「お前の見つけた依頼を見せろってんだ」
「あー、そうだった」
屏風が示したのはメフ市役所公式のアカウントである。その中から、彼女はとある書き込みを見つけていた。
「これも、これも、これも」
「あぁ?」
「依頼主は違うけど、全部同じだ。大空洞でいなくなったって人を捜してる」
紫煙を見ながら、狼森はちょっとした思惟に耽る。大空洞での捜索願は警察にも届けられることがある。しかし相手にすることはない。地の底がどこにあるかも分からない未知の領域である。そこでの人探しは容易ではない。しかし、メフの警察が動かないのにはもっと大きな理由がある。
「そいつはご法度だろ」
大空洞内で勝手に動けば、市役所や舞谷家に睨まれてしまうからだ。特に、両者は扶桑に一番近い場所、東山ン本大空洞への立ち入りを警戒している。《花屋》は署内でも特別な――――腫れ物扱いともいう――――係だが、その暗黙の了解を蹴飛ばすほどの自由は許されていない。狼森自身もそこまでの面倒ごとはごめんだった。犯罪も犯罪者も許し難いが、一線を引くべきところは引くべきである。そう考えている。
「前の瓜生とかいうやつの時は、ありゃあただの裂け目だったからな。あれだって後で上からどやされたじゃねえか。もう忘れたのかよ」
「忘れねえよオレぁムカつくこともムカつくやつのことも覚えてんだ。なんでか分かるか? ムカつくからだよ」
「……で、どうしてその依頼が気になるんだよ」
屏風にペースを握らせてはならない。彼女は支離滅裂を地で行く女だからだ。
「なんで気にならねえんだよオレたちは公僕だぜ。市民の頼みにゃ『わん』としか言えねえイヌじゃねえかよ。あのな相棒。こんな短期間でポンポン人はいなくならねえよ。アホの狩人が足滑らせて勝手にいなくなることはあってもだな……ほら、捜してくれってのは狩人じゃない。一般人だ。それもメフの人間じゃない。外部から来たやつらだぜ」
「見学者か」
メフを訪れるのは裂け目や扶桑を調査するような研究者ばかりではない。移住を検討するものや特別な面会者や、どこどこの議員であったり、お偉方が視察にも来る。
「だが、外部の人間は大空洞にゃあ勝手に入れねえだろ。市役所に届けて、狩人を案内につけなきゃならねえ」
「それだけじゃねえよ。見習いの狩人もあの中で消えてる」
「そりゃ見習いだからじゃねえのか?」
「そんでもいなくなった人がいるんだぜ。ほっとけるのかよ」
「お前って妙に正義感が強いんだよな……」
大空洞で人がいなくなることは珍しくない。そも、狼森たちにはどのような光景が広がっているのかすら分からない。潜ったことはないが、あそこは地上とは別世界に近しい。誰の目も届かない、法を超えた場所に位置しているようなものなのだ。が、放っておくのも後味の悪い話である。狼森はやってみるかと独り言ちた。
幸は一人きりで大空洞を進んでいた。昨日は浜路に気おされて何もできなかったが、それが悔しくて、悲しくて、寂しかった。
しかし膨れ上がる感情のまま動いては話にならない。まずは入り口から旧市街までの道のりを確認するため、ここの雰囲気に慣れるためだ。無理をするつもりはなかった。
だが、旧市街まではすんなりと来られた。道があるのだ。明りも煌々としている箇所が多く、迷うこともない。ここまで行って戻るくらいなら半日どころか一時間もかからない。八鳥のように特殊なルートを通るならともかく、慣れた狩人なら散歩にもならないだろう。
幸は上層を見上げた。あそこから落ちたことを思い出す。そうして下層を見下ろした。吹き抜けの闇がどこまでも広がっていた。
旧市街に視線を戻す。全容は測れないが、廃墟が多く見える。名前の通り、ここは昔のメフだ。天地も左右もさかしまで無茶苦茶になっているが、今よりもずっと前、木の根の間に転がっている建物に人が暮らしていたのだ。
ふっと、幸は短い息を吐き出す。隠れるところの多いこの階層には確かな気配がある。ケモノのそれだ。彼らは息を潜めている。隙を見せれば襲いかかってくるのかもしれなかった。慎重に行動する必要がある。まずは頭の中で簡単な地図を作りたかった。どうせ大空洞は扶桑の揺れに応じてその姿を変える。一々丁寧にマッピングしても無駄になる可能性が高い。が、大雑把な部分は変わらないだろうと踏んでいた。
その時、崩れた人家の間を、足音を立ててずんずんと歩く人影が見えた。その物音に釣られたか、小型のケモノが飛び出してくる。幸は声を出しかけたが、
「出ましたね」
鉈が一閃、ケモノの体を粉砕せしめた。それをやってのけたのは女だ。佩いた鉈と格好からして狩人であることは間違いない。しかし、その立ち振る舞いはどうにも危なっかしい。
狩人の女はせっかく殺したケモノに目もくれなかった。幸はじっと彼女を見る。長い黒髪だ。その中に白髪が混じっていた。
「一雨さん?」
女が振り返る。幸は困惑した。間違いない。血走った目は忘れようがない。塔子だ。彼女は幸を認めると、納めかけていた鉈を持ち直す。
「あの。ちょっと」
塔子はずんずんと歩いてきて、鉈を振った。幸は後ずさりする。
「ちょっと。どうして、鉈をしまわないんですか」
鉈を持ったまま、塔子は幸の目の前に立った。彼は後ろが壁になっていたのでこれ以上下がれなかった。
「あの……推薦状、ありがとうございました」
どうしていいか分からず、幸はひとまずお礼を口にした。
「はあ?」
塔子は人を小ばかにするような声を発した。そうして、白けたとでも言わんばかりに鉈を鞘に納めた。
「だから、推薦状の」
「そんなものは知りません」と塔子は言い切る。
「でも」
「それよりも」
塔子は幸に顔を寄せた。
「あなたのせいです」
意味が分からなかったので、幸は何も言えずにいた。塔子はすっと離れて、自分がたった今殺したケモノの死骸を指差した。
「あのケモノが死んだのも、あなたのせいです」
「殺したのは一雨さんじゃ……」
「私がケモノを殺したのはあなたのせいだと言っているんです」
「そんな、風が吹けば桶屋が儲かるみたいなこと言われても困ります」
「困っているのは私です」
塔子はぷんすかとしていたが、ふっと微笑んで髪の毛をさらりとかき上げた。
「あの日、私は死にたかったのです。弟と、団の仲間と。みんなと。同じ場所で。同じ方法で」
幸は思い出す。
自分も滑落し、八鳥に救われた時のことを。
「ですがあなたに助けられてしまいました。みんな死んで私だけ生き残って、《騎士団》まで抜けてしまいました」
「猟団を抜けたのは一雨さんの判断じゃないですか」
「違います。あなたのせいです」
ねめつけられて指を突きつけられる。こうも自分のせいだと繰り返されると本当にそうなのかもしれないと幸は思い悩んだ。
「何もかもなくなって……かと言ってどうすることもできず、今の私はケモノを殺すしかありません」
「ええ……?」
「いいですか。私がこうしているのはある意味、あなたのせいです。責任を取って欲しいところですね」
「責任」
何だかとてつもなく重々しい響きだった。
「私の花粉症は何かを恨むことで発動し、強くなります。そして私が今一番腹を立てているのはあなたに対してです」
「八つ当たりじゃないですか」
「そうであっても、私の気持ちがそうなのですから仕方ありません。あ。ほら、現にあなたを見た途端、力が湧きました」
「知りませんよそんなの」
幸は塔子から距離を取るが、彼女はまた距離を縮めてくる。
「どうしてケモノを殺すんですか。食べもしないし、素材を売ろうってわけでもないのに」
「憎いからです」
あっさりと言って、塔子は鉈を撫でた。
「あなたも憎らしいですが、その次に憎いのはケモノです。この世全てのケモノどもです。私は私の邪魔をしてめちゃくちゃにしたものに鉄槌を下します」
「まさか、ぼくもそうするつもりなんですか」
「ええ、ええ、そうしたかったのですが、あなたを先に殺してしまうと私の力が最大限発揮されません。ですからあなたは最後にします」
なんてことを言い放つのだ、この女は。幸は塔子を避けてすたすたと歩きだす。その後を追ってくる彼女は尚も話を続けた。
「ついてこないでくださいよ。ケモノを狩りたいならもっと下へ行けばいいじゃないですか」
「ルールがあるので仕方ありません。《騎士団》を抜けてしまったので、今の私はぺーぺーの狩人も同然なのです」
幸はむつみが言っていたことを想起する。猟団に入るメリットは、翻せば出た時のデメリットにもなるのだ。
「もう、嫌ですってば。そんな恨み言聞きながら潜りたくないですよ」
「私だってこんなこと言いたくありませんがしようがないじゃないですか」
沢を見つけた。幸は荷物を降ろして魚釣りの準備を始める。買ったばかりの竿はまだ手に馴染んでいなかったが、どこか誇らしかった。
「もうお昼ですからねえ。でも八街くんは下手くそだから釣れないんじゃないですか」
「……うるさいです」
塔子はまだ幸に付きまとっていた。彼はもう半ば以上彼女のことを諦めていた。
「せっかくの日曜日に大空洞で一人きり。何だか寂しいですよねえ」
「ぼくのことを言ってるんですか」
「他に誰が?」
幸は塔子をじっと見た。彼女はふんと鼻を鳴らす。
「私はいいんです」
「友達とかいないんですか」
「はあ? 何がです? というか友達とかなんです? そんなのいります?」
「いるというか、自然とそうなってるものだと思いますけど」
「マウント取る気ですか。八街くんのくせに。……いいでしょう」
塔子も自分の荷物を地面に置き、釣り竿を手にした。
「生意気な子の目の前で、一人だけ釣った魚を美味しそうに食べてやりますから」
「子供みたいなことを」
二人は競うようにして竿を垂らした。勝ち負けはすぐにはっきりした。幸の周囲にはほとんど魚が寄りつかなかった。挙句、もう邪魔ですから火でも起こしてくださいと塔子に言われ、彼はすごすごと言われるがままにした。
火を起こして茶を飲んでいると、上機嫌の塔子が戻ってくる。釣果は見れば分かった。
「おや、こんなところに火が。せっかくだから使わせてもらいましょう」
「ぼくが起こしたんですけど」
鼻歌を奏でながら食事の準備を始める塔子。
「あなたはほら、虫でも食べなさいな」
「いいです。お米とか持ってきてますから」
新品の焚き火缶は火中で少しずつ焦げていて、その汚れがいいのだと幸は頷いた。
「あの人の真似ですか。靴まで、あらあら、新しいの買ったんですか?」
「……いけませんか。というか一雨さんだってその焚き火缶、新しいやつじゃないですか」
「私はいいんです。魚、欲しいですか」
魅力的な誘惑だったが、どうせ頷いたところでくれるはずもない。幸は無視した。塔子は鉈を抜いた。
「あれ。聞こえませんでした?」
「そんなもの抜いてまでどうしたいんですかっ」
「聞こえない耳なら要らないかなって」
「ちゃんと聞こえてますよ。返事したくないだけです」
「じゃあ口を切っちゃうか縫っちゃいます?」
これが地上でのキャンプなら二度と行きたくなくなるだろうなと幸は思った。
塔子は鬱陶しいほど口やかましいが、そうさせているのは本当に自分なのかもしれない。あのまま、あのガレ場で誰にも見つけられなかったら、彼女は本当に死んでいたのだ。
「ぼくに、どうして欲しいんですか」
「何も。思いつきません」
「じゃあそんな風に絡むのはやめてください」
「どんな風にしろと」
「普通に。普通にしてください」
「普通……」
木が爆ぜた。火花が散り、魚は少しずつ、いい具合に焼けて、塔子は鼻水を啜った。幸は思わず彼女を見た。
「なんで泣いてるんですか」
「普通ってなんでしょう。だって。私の普通はもう、ないんです。どこか遠くへ行っちゃったから……」
すんすんと泣き始める塔子。絆されそうになる幸だが、彼は知らない。そもそも一雨塔子というのはコミュニケーションに難のある人間だった。メフをほとんど手中に収める舞谷家。その血に連なる生まれの塔子は大切に育てられた。周囲の人間も積極的に近づこうとしなかった。やがて当然のように《騎士団》に入り、そこでは一国の姫のような扱いだったが、一皮剥けばまともな友人もできず、しかも私生活では弟に頼ってわがまま放題だった塔子にとっての普通とは幸の想像のはるか下をいくものだった。
「分かりました。じゃあ、あの、せめて鉈を使ってのやり取りはやめてください。あ、おいしいですねこれ」
幸は焼けた魚に少し塩を振ってみた。米が進んだ。
「善処します。それよりも。勝手に魚、食べましたね」
「焦げちゃうよりずっといいと思ったので」
「泥棒って言うんですよ、そういうの」
それは言われ慣れている。幸は動じなかった。
「その代わりにお塩を分けますから」
「あんまり塩分を取り過ぎると……」
「おばあちゃんみたいなこと言いますね」
「人を年寄り扱いして……!」
ぶつぶつ言いつつも交換に乗る塔子だった。