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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
抜け、伝家宝刀
97/121

春雨丸



「頭使えって言ってんの!」

「それだけじゃ足りないから全部使いなさい!」

「頭も体も何もかも!」

「そんなんで大空洞に潜るわけ? 死ぬよ。ね。どうせ死ぬなら今死んでも変わらないと思うけどさ、どうする?」

「何それ。花粉症使えなきゃそんなものなの?」

 幸は今日も古海にしごかれていた。いつもは、いつもと変わらず優しい彼女だが、こと戦闘になると人が変わったように激しやすくなる。

 本日の指導が終わると、古海が冷たい飲み物を差し入れてくれた。喉が渇いてしようがなかった幸は有り難くそれを受け取った。

「美味しいです」

「お、やっと笑った」

「……え、っと?」

「んーん、何でもない」

 二人して冷たい風を浴びていると、先までの熱が冷めてくる。古海もまた、自然な笑顔を浮かべていた。

「もうじき週末か。幸くんはどうするの?」

「まだ、何も考えてないです」

 疲れ切った脳みそは僅かな思考さえも拒否していた。

「ふうん。何か依頼でも受けてみたら?」

「受けられるんですか」

「猟会のは……見られないか。うん。市役所うちのホームページやSNSでそういうの発信してるよ。簡単な依頼のやり取りもだいたいそこで」

 幸は知らなかったが、狩人たちの寄合である《猟会》も市役所とは別の依頼をやり取りしている。

「帰ったら色々と覗いてみな」

「そうします。あの……」

「幸くん」

 幸を見下ろす古海のまなざしは真剣だった。

「次の週末、君はもう大空洞に一人で潜れる。まだ細かい条件はあるけどね。で。一人で行くかどうか。それは君自身が決めて、行動しなさい。君が一人で生きて帰ってこられるって、そう思うならだけど」

 見習いは卒業したのだ。だが、遠い。古海にもむつみにも近づいたはずなのに、彼女らの背中には、まだ。



 金曜日の放課後、幸は古海のもとに行かなかった。昨夜は一人で悶々としてろくに寝つけず、大空洞のことばかり考えていた。まんじりともせず過ごしたベッドの上で、自分一人では何もできないのではないか、という結論に達した。次に団員を集めようと決意した。むつみから貰い受けた《百鬼夜行》はかつてメフで雷名を轟かせたという。一人一人が一騎当千の狩人だったかはともかく、自分よりも優秀な狩人が集まっていたのだ。ならば彼らより数段劣る自分が独力でどうにかしようなどと驕りである。

 だが、思い当たる節はほとんどなかった。知己の狩人は猟団に属している。フリーであっても、わざわざ自分のような素人に毛が生えた程度の狩人と組もうとはしないだろう。数少ない心当たりの中で思いついたのは犬伏浜路であった。

 強い人間というのを幸はこの目で見てきた。その人間の末路をも。幸が思うに強いものの条件の一つにまだ生存している、ということが挙げられる。メフには黒判定された扶桑熱患者とケモノが蔓延っている。その中を己の力一つで生き抜いているというのは尊敬に値するべき点だ。その中で最も有力なのは浜路だ。彼女なら話を聞いてくれそうだという確信があった。問題なのは部活動という縁を失った浜路と連絡が取れないことだ。

「確か……」

 幸は思案する。浜路は伍区で父親から受け継いだ道場をやっていると言っていた。が、区の数字が小さくなるほど扶桑に近づく――――その分だけ危険度が増すというメフの地理的な問題から、彼はそこへ行くのをためらった。が、ためらっているのはそれだけではなかった。



 無駄な時間とはこのことを指すのだろう。浜路が見つからないと分かっていて、幸はあてどなくメフをさ迷い歩いた。何なら見つからない方がいいとさえ思っていた。

 先へ進むのが嫌だったからだ。前へ進むと自分の中で何か、決定的なものが明らかになると分かっていたからだ。それを知るのが、知らされるのが恐ろしかった。

スィン……?」

 声をかけられた幸は恐る恐る振り向いた。自分をそう呼ぶものはこの世に一人しかいない。幸は雪螢との再会を喜んだ。彼女も彼を認めて、小さく微笑んだ。

「アー……会っちゃったか」

「雪螢さん?」

「歩かない?」

 誘われ、幸と雪螢は夕暮れの中を歩いた。道すがら、立ち寄ったコンビニの前で飲み物を買って、店の前で話した。自分が見習いの狩人を卒業したことや、猟団を貰い受けたことなども。幸は雪螢が無事だったことを喜んでいたが、彼女はどこかぎこちなかった。もとより多弁な女ではなかったが、今日の雪螢はやけに口数が少なかった。

「会いたかったけど、会いたくなかった」

 雪螢はそう口にした。

「どうしてですか」

 ペットボトルのお茶を口にしつつ、雪螢はぽつぽつと語った。

 まず、自分が他の猟団で狩人として活動しているのだと告げた。怪我が癒えた後、雪螢は金を稼ぐために手っ取り早いのはケモノを狩ることだと判断した。自分の力やできることを勘定に入れて、猟団で他の狩人と行動することが何よりの近道だ、と。

 それを聞いた幸はもっともだと思った。それでよかったのだとも感じた。もし自分が猟団に誘っていれば雪螢は断らなかっただろう。だが、彼女のためにはならなかったはずだ。人には人それぞれの生活がある。雪螢を助けられるほど自分は狩人として活動できないだろうし、上手くやれる自信もない。

「ごめん」

 謝られて、幸は惨めな気持ちになった。それを隠して彼は笑みを作った。

「ぼくは雪螢さんが元気でいてくれればそれでいいって思います」

「……幸の猟団って、幸以外に誰かいるの?」

 幸は返答に困った。その様子を見て雪螢は何事かを察したらしかった。

「よかったら、私が」

「あ。コーチのこと、どこかで見ませんでしたか」

「……あの犬っころのこと?」

 雪螢は眉根を寄せて、訝しげに幸を見た。

「最近は見てない。でも、大空洞に潜ってればどこかで会うかも」

「それって」

「あいつも狩人やってるから。……ん」

 半分こになった中華まんを手渡され、幸はそれを頬張った。

「コンビニの割にはまあまあか。あいつ、フリーなの。色んな猟団を渡り歩いたりしてる。性格がアレだし、普通のとこじゃなじめないから当然だけど」

「おいしいです。……でも、ちょっと意外です。コーチってあんまり狩人のことをよく思ってなかったから」

「家もなくなったから、しようがないんじゃない?」

 幸は固まった。雪螢は目を丸くさせた。

「知らなかったの?」

「はい」

「ああ、そう。……そう。金がないから土地を手放したのね、あいつ。でも、そんないい場所じゃないし、安く買いたたかれたんだと思う。生きるのに必死なの。誰だってそうだけど」

 自分に欠けているのはそういったものなのかもしれない。むつみに養われて衣食住に不足するような事態には陥っていない。大空洞に潜るのは生活のためではない。そも、理由などない。幸が狩人を志したのはむつみに近づきたかったからだ。他に何もなかったから、この道を進もうと決めた。

「幸」

 別れ際、雪螢が幸を引き留めた。

「何を考えているか、まあ、幸のことだから分かるけど……何かあったらいつでも言って」

「でも」

「私たちは連絡先だって知ってる。私がしなかったのは、少し、会いづらかったってのもあるけど、そっちがしてくれなかったのは寂しかった」

「分かりました。何かあったら」

「アー……何もなくても、してくれていいから。じゃあね」

 言うだけ言って、雪螢は去っていった。ただ、やはり彼女を誘うのはよした方がいい。幸はそう決めた。



 必死じゃないから猟団を作っても何も変わらず上手くいかず、古海にも勝てないのだろうか。大空洞に潜れば必死になるような事態に追い込まれるだろうか。

 幸は思考を巡らせる。足りない頭で考える。これは自暴自棄か。違う。これは成長の糧だ。豊玉天満も言っていた。人間とは成長する生き物なのだと。

 土日を使って大空洞へ潜る。荷物は八鳥から教わったものを改めて揃えたが、深く潜るつもりはないので最小限に留めておいた。

「というわけで行ってきます」

 準備を済ませて荷物を背負い、テラリウムに話しかけると声が返ってきた。

「叔母上に報告しなくていいのかい」

 鬼無里はげろげろと笑う。

「君がこの間から感情を持て余しているのは見ていたし、知っていたよ。あんまりうるさいから仕方なくね。忠告をしておこう。君は頭がいいし、覚えがいい。まあ、まだ小さいが、この先、大きくなる可能性だってある。いいかい。可能性だよ、ご主人さま。一年後でも二年後でもその先でもいい。想像してみるんだ。自分が何をしているのか、考えてみるといい。君の目の前には様々な道が広がっている。狩人もそのうちの一つだろうが、それ以外にも選べる道はあるんだ」

「……ええと」

「急ぎ過ぎやしないかい。君はまだ十六……いや、十七になったんだね。とにかく若いよ。すぐに答えを出す必要はないと思う」

「鬼無里さんは学者先生になりたくてなったんですか」

 幸が投げた問いかけに、鬼無里はすぐに答えられなかった。小さな葉が水面に落ちたのを潮に彼女は口を開く。

「いや、どうだったかな」

「なりたくてなれるんなら苦労しないです。やりたいことをやれてる人だって、ぼくはそんなの、ほとんどいないと思います。だから何かやりたいこと、そういうのがあるってだけで、それだけでぼくは充分だと思うから」

「だがね」

 幸は鬼無里を取り上げた。彼女は特に抵抗せず、彼の掌の上に収まる。

「焦らなくていい。前みたいに君がいなくなるのは困るし、寂しくなる。というか私死んじゃうのでは?」

「心配してもらえるのは嬉しいです」

「君の無事は私の無事だからね。君を心配するということは私自身を心配するってことにもなる。あまり気にしなくてもいい」

 可能性という荒野に広がる無数の道。幸はそれを夢想できない。扶桑熱に罹った時点で、彼は多くの道を失ったからだ。



 扶桑の傍にぽっかりと口を開けた東山ン本大空洞。その出入り口近くに幸はいた。荷物も揃えて鉈も佩いた。足りないものはなんだ。それが分かっているから、幸はどうしても足を踏み出せなかった。

 いつまでも舞い落ちる桜の花びら。風に揺られてはらはらとする花弁、幸はしばらくの間、それを見つめていた。

「絵になりますね」

 銀髪のワーウルフが幸を見ていた。

「お久しぶりです、コーチ」

「ご無沙汰しております、八街殿」

 犬伏浜路は最後に会ったときと同じく、和装の出で立ちをしている。傷も癒えたらしく、立ち姿は凛として、見た目だけなら刀のようで――――。



「家も土地も売りました。今は神社の庇を借りています」

 浜路の話は簡潔だった。余計なことを言わなかったのは彼女の性格もそうだろうが、話したい事柄でもなかったからだろう。

 返答に困る幸に気づくと、浜路は気にしていないという風に胸を張った。

「犬伏家の宝のためです。致し方ありません」

「そういえば、借金のかたにされたとか、なんとか」

「それなんですが……」



 □◆



 安酒が体に回っている。憂さを晴らすのに最も手っ取り早い手段、その代償がこれだ。ケモノを狩り、大空洞に潜って得た金を場末に溶かした。飲むし打つが買う金はない二拍子揃った女こと犬伏浜路は足元がおぼつかない。吐き気を堪えながらも一歩ずつ進む。しかし九頭竜神社までは遠い。曲がりくねった山道を登り、階段を上らねばならぬ。想像した途端、限界が訪れた。

 ううと呻いて倒れかける。何かに捕まろうとして失敗した。がらがら通りのど真ん中で、浜路は不様に転んだ。その際、店先に並んだ商品を派手にまき散らかして。視界にはがらくたが散乱している。彼女は立ち上がろうとするが冷えた地面が力を奪う。

「困りますね、これは。お客さん……ってわけでもなさそうだが、こいつは」

「申し訳、ありません」

 ふらついた頭で謝意を述べれば、店主らしき着流しの亜人が目の前に立っていた。固い鱗と長い尻尾。特徴的なそれは鱗人リザードマンのものだ。

 眼鏡をかけた鱗人は散らかった商品の一つを手に取った。

「割れちまってるじゃないですか。こいつぁあたしのお気に入りだったんですがね」

 浜路の四肢に力が漲る。このままでは弁償させられてしまうだろう。そんな金は持ち合わせていない。即座に立ち上がり、もう一度謝ってからこの場を逃れようとした。

 その時、既視感が浜路を襲った。自分が引っかけてばら撒いたがらくたの中、趣味の悪い着物が吊られていた物干し竿。彼女はそれを大事そうに抱えあげる。

「……店主。これを、どこで」

 リザードマンの男は眼鏡の位置を指で押し上げながら、ああ、と呻くように言った。

「買い取ったものですよ。練鴨とかいうやくざからだったか……大したものじゃないんで値こそ張りませんがね」

 店主は低く笑った。

 浜路は目を見開いた。これこそが、犬伏家に代々伝わる宝だった。



 □◆



「宝刀、春雨丸。遂に見つけたのです」

 がらがら通りの古物商。名は闇雲やみくも堂というらしいが、幸もその店は知っている。軒先に妙なものばかり並べているところだ。以前、そこには全身鎧があって、蝶子が強い興味を示していたのを覚えている。

「それで買い戻したんですか」

「いいえ」と浜路の耳が力なく垂れた。

「でも、そんなに値段は高くないんじゃ……」

「足元を見られたのです」

 浜路の目に強い光が宿る。

「お金の代わりに別のものを要求されました。何でも、珍しいものが欲しいとかで、それとの交換なら譲っても構わないと」

「珍しいって、たとえば」

「大空洞にしかないものが欲しい、と」

 鬼無里と同じようなことを言う人もいるものだ。幸は感慨にふけった。

「じゃあ、闇雲さんの依頼を受けたってことですね」

「ええ。それで大空洞に潜っていたんですが……珍しいものは特に見つからず。もうこの際ですから適当な木の枝でも突きつけてやろうかと思っています」

「まあ、それを欲しがるかどうかはその人次第ですから」

 ふと、幸は犬伏家の宝というものが気になった。

「春雨丸って刀なんですか」

「ええ。恐らくは」

 幸は小首を傾げた。

「実は抜いたことがないのです。どのような刃紋なのか、切れ味がどうなのか、何も知りません。父もそうでした。一般的なものより鞘が長く……ああ、それで物干し竿に使われていたんでしょうね……!」

「あの、よかったらぼくの猟団に来ませんか」

 幸は勇気を振り絞った。

「八街殿の?」

「はい。見習いじゃなくなって、叔母さんのをもらったんです」

「……そうですか」

 浜路は幸を見据えた。彼の全てを透かして見るような強い視線だった。返事はなかったが、幸は彼女が自分と行動を共にするつもりがないことを悟った。

 自分が弱いからだ。何もできないからだ。

 理由は明白なのに幸は浜路に嫌な感情を持ちかけていた。まるで子供だ。《百鬼夜行》という空っぽのおもちゃ箱をもらってはしゃいでいるだけなのだ。自分のことが心底から嫌になる。

「八街殿。大空洞の中で見えれば共に行動をすることもあるでしょう。ですが、今の私には……」

「あ、いえ、いいんです。その、気が向いたら、とかで……」

「なぜ、大空洞なのですか」

 浜路は不思議そうにしていた。

「狩人の真似事がしたいのなら、三野山の方が安全では?」

「まね、ごと?」

「はい」

 浜路は真剣だった。

「私にはそう見えます」

 それだけ言って、彼女は大空洞に歩を進める。結局、幸はこの日、何もできないまま終わった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大まかな目標が叔母なので狩人ごっこと言われたら嫌でも自分は狩人に成りたいのかが頭によぎってしまうだろう。 でも、それは普通の事だと思う。例えば野球選手やサッカー選手に成りたいと頑張る子にじ…
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