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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
抜け、伝家宝刀
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暗がりの正義



 正義とは何か。

 それは強さだ。

 何者にも負けず、何事にも動じない心だ。折れず曲がらず、刀のような心こそが強さであり、その心を持つものこそが正しい。

 そう信じて生きてきた。正義にもとる弱者は悪だ。折れて曲がった軟弱者を打ちのめしてきた。正義わたしが悪を叩く。切っ先に乗せた想いは変わらない。自分を磨いて戦い続けた。

 その結果、職を失った。正義じぶんを信じて悪童を叩き、お払い箱となったのだ。

 金を失った。いや、金は元からなかった。

 家を失った。金がなく、先祖伝来の土地を売るほかなかった。道場もこれでお取り潰しだ。情けない。自分の代で終わってしまうとは。そもそも次代へ託せたかはさておき。

 竹刀を握った手からは家族も友も零れ落ちた。唯一の親族であった父が病でこの世を去ってから、心を許せるものはいなくなった。何もかもがなくなった。しかしこの生き方を変えるつもりは毛頭ない。亜人と謗られようが正義を疑われようが、それこそが自らを立たせる原動力である。


「だって、しようがないじゃない!」


 よく通る声に意識を引き戻される。

 みすぼらしい風体の女がねめつけている。その周りには――――。

 思わず、目を瞑った。

 ここは坩堝だ。人もケモノも。正義も悪も。生も死も。ここには地上にないものが渦巻いている。

 貫いてきたはずの正義が、信じ続けてきた自分自身が、他者と交わって溶け合って消えてしまいそうになる。


「こんな暗がり、誰が見てるって言うの」

「誰も手なんか差し伸べない。落ちたものはそれっきり」

「だったらここで何をしようが、生きるためなら仕方ないじゃない」


 正義とは何か。

 それは強さだ。そのはずだ。

 誰か、そう言ってくれ。



 ひっくり返って見る空は馬鹿みたいに広がっていて、夕焼けが何だか目に痛かった。

 ここ最近、毎日のように寝転がって空を見ている。半ば強制的に、である。

「ほら、動かなきゃ死ぬよ。死にたいなら別にいいけど、こっちの手を煩わせるのはやめてくんない?」

 降ってくる声は冷たく、刺々しい。こちらを見下ろす視線は、まるで虫けらに対するがごとく、である。幸は立ち上がった。息を整えようとして、声の主が視界から消えたことに気づく。

 後ろか。

 振り向きざま、幸は裏拳を放とうとした。腕を掴まれ、足をかけられ小さな体が宙に浮く。くるりと回り、背中から叩きつけられて窒息しかけた。立とうとするが吐き気を催してその場に座り込む。

「あーあーあーあーあー、また? いつまでやってんの、何回も同じことをさ」

 顎を指で持ち上げられた幸は小さく呻いた。視線の先には覚めた目が。空洞のようだ。自分を見ているようで何も見ていない。

「もうやめる? やめない? やめれば? 時間の無駄じゃない?」

 幸は答えられなかった。息が苦しかったからだ。だが、問いかけの相手はそう思わなかったらしく明らかな苛立ちを見せた。額と額がくっつくくらいに顔を寄せ、低い声を放つ。

「やめろって言ってんだけど?」

「……やめ、ません」

 互いの吐息がかかる距離で、幸は声を振り絞った。

「そ」

 額を指で押されると、幸はだるまのように後ろにすっころんだ。

「それじゃあ続けよっか」

「はい……お願いします」

 幸は頭を下げた。彼は自分の足元を見ながら、次はどうするべきか考えた。考えても何も浮かばなかったので前を向くと、よそ行きの笑みを浮かべた古海が拳を握り締めているのが見えた。



 放課後、市役所の扶桑熱係ことオンボロプレハブ小屋の裏で古海にボコボコにされるのが幸のルーティンとなっていた。何も好き好んでボコられているわけではない。狩人として、一段上の指導を望んだのは他ならぬ幸である。

「ちょっと頭ん中に何がつまってんの? おんなじことばっかやられてないでさ……学習しなって昨日も言ったよね」

 だが、ここまでとは幸も想像していなかった。自分がここまで子ども扱いされてしまうことと古海の豹変ぶりにはまだ頭が追いついていない。

 古海は幸の理解の外にいるほど強かった。果たして強いのかどうかすらも分からない。何をされているのか分からず、全くもってその動きを捉えられない。まるで獰猛で俊敏な肉食獣だ。どうにもならないので一度《花盗人》を使おうとしたことがあったが、見えないのだから異能の奪いようもなく、あげく異能を使ったことがバレて鬼のように怒られた。

「今の幸くんって生きてるだけで私に迷惑をかけてるんだけど。その自覚ある?」

 蔑むような口調と目だ。否。実際蔑んでいるのだろう。あの優しかったお姉さんはどこへ。……いや、と、幸は思い直す。そも、これが古海の本性で、本当に違いない。他者を徹底的に叩く苛烈な一面もまた、彼女の性質なのだ。その面を見せてくれたことが悲しくもあるが、嬉しくもあった。

 本気になって向かい合ってくれている。幸はそう考えていた。

「返事は?」

「……はい」

「『はい』じゃないっつーの。自覚あんのかよ」

 舌打ちする古海の顔はまともに見られなかった。



 髪の毛をさっとかき上げて手櫛で整えた古海は、よし、と満足げに言った。プレハブ小屋の裏で寝転がる幸は、まだ起き上がってこない。邪魔になりそうな石や雑草は見つけるたびに除けてある。倒す場所もどつく部位も細心の注意を払っているので大けがをさせることはないはずだ。……多少はさせそうだが、仕方ない。

 長い息をついた後、古海は幸の様子を盗み見た。彼はかなり疲弊しているようだが、自分も精神的に参っていた。手加減をするということは酷く難しく、疲れるのだ。肩が凝って余計な神経をすり減らしてしまう。こんなことなら殺しても問題ないケモノの相手の方が百倍もマシだ。おまけに幸は通常業務のあとにやってくる。彼の面倒を看ると決めたとはいえ、飲みにも行けず、やたら疲れるだけで一銭の得にもならないのだ。

 が、どうだ。

 青臭い十代の少年が自分だけを見て(幸が動きについてこられないので明後日の方角を見ている時がほとんどだが)、荒い息をして向かってくるというのは。これはいい。古海は素直にそう思った。今の今までこちらから追いかけて追い詰めるだけの身であったが、自分を追いかけてくる男がいるというのは初めてだった。やばいくらい気分がよかった。

 幸の中で自分に対する好感度が爆上がりしているのを感じながら、古海は彼に声をかけた。

「送ってってあげるから、ほら、立てる?」

 手を差し伸べると、幸はそれをじっと見つめるだけで身じろぎ一つしなかった。遠慮しているのだろう。彼はわがままで頑固だが全くの考えなしというわけではない。

「ほらほら、はやくはやく」

 こういう時は年上である自分がリードしてやればいい。古海は幸の手を引き起き上がらせて、自分の車へと誘導する。

「さ、乗った乗った」

「……はい」

「……?」

 幸は目を合わせようとしなかった。暗い顔をして、どんよりとしている。車が走り出しても彼は居心地が悪そうにして口を開こうとしなかった。

 なぜだ。古海は不思議に思ったが、彼女は知らない。あからさまに手加減されて子ども扱いされ、ボコボコにされた相手に優しくされて家まで送られることを拒めない情けなさを。幸とて男である。なけなしのプライドがこうしてまたずたずたに引き裂かれたのだ。

「あれ?」

 明日も明後日も幸を鍛えるだろうが、そのたびに溝が深まるような気がしてならない古海であった。



 帰ってきた幸は今日も分かりやすく落ち込んでいた。着ているものにも汚れが目立ち、歩き方が少しぎこちない。右膝を擦りむいたかな。なんてことを考えながら、むつみはおかえりと声をかけた。

「今日もずいぶんとやられちゃったみたいだね」

「……そう見えますか」

「優しくしてーって目が訴えてる」

 訴えてませんとむくれる幸だが、目にも声にも常より張りがない。

「ごはんの前にお風呂でも入ってきなよ」

「……そうします」

 着替えを持って洗面所に行く幸を見ながら、むつみは古海のことを考えた。やり過ぎだバカ、と。

 古海はケモノを殺すだけなら有能そのものだが、人にものを教えるのに向いていない。感情と感覚に飽かせているからだ。良く言えば天才肌なのだろう。自分が当たり前にできることは他人にもできると思っている。彼女にとって戦うこととは息を吸って吐くのと似ていて、そのような当たり前のことを教えるのは難しいものだ。

 幸は弱い。小さくてか弱い。自分たちから見れば草を食む生物だ。それが肉食動物の前に放り出されていたぶられればああもなるか。鍛えるという名目だが、力量の差があり過ぎては、果たして古海とのじゃれ合いが幸の血肉となっているかは怪しかった。

 しかしとむつみは思い直す。自分が教えるよりはずっといい。古海はまだ手加減を知っている。自分がやれば、たぶん、収まらないだろう。



 風呂に入ると幾分か気持ちもさっぱりした。髪の毛を乾かして下着を履き、傷の増えてきた体を鏡で何となく見ていると、洗面所にむつみが入ってきた。

「わあ、なんですか、どうしたんですか」

 むつみは無言で幸を見下ろす。

「大丈夫そうだね」

「……だから、何が」

「ああ、そういえば。前に猟団ができたらどうしたいか聞いてたっけ。教えてあげようか」

「今ですか」

「そう」とむつみは幸の困惑をよそに話を始めた。

「狩人はケモノを狩ってお金にするの、知ってるよね。でも一人じゃあ怪我をすればおしまいだし、狩れるケモノも限られてくる。そこで皆で協力しましょうってできたのが猟団。……やることは変わらないよ。一人でも何人でもケモノを狩るしかないからね」

 幸は頷くしかできない。さっさと服を着ようとするが、そのたびにむつみが邪魔をする。

「ただ、猟団に入ってれば、少しだけメリット、というか、融通が利くんだよね。大空洞に入るには許可が要ります。特に扶桑に一番近い東山ン本大空洞は君が知らないだけで面倒くさいことが多々あります。例えば。君みたいなド新人が立ち入りを許されるのは旧市街と蔦森まで。もちろん時期にもよるから何とも言えないけど」

「ええ、そうなんですか……じゃあ、ぼくは死ぬまで守り人さんに会えないわけですか」

 むつみはゆるゆるとした動作で首を振る。

「下の……より危険だと思われる階層に行くには決められた時間や日数を大空洞内で過ごしたという証明が必要になるの。実務経験ってやつだね」

「それは誰が決めて、誰が証明するんですか」

 ん、と、むつみは自分を指差して、それから幸の右膝に触った。

「痛いんですけど」

「あはは、擦りむけてやんの。大空洞を管理してるのは市役所だからね」

「でも、誰がぼくを見てくれるんです?」

「市役所の職員が付きっ切りってわけにはいかないから、市役所が既に『大丈夫ですよ』って認めてる狩人なら誰でもいいよ」

 先輩の狩人と一緒なら問題ないわけだと幸は認識する。

「そこで便利なのが猟団ってわけ。属していれば見習いでも新人でも先輩の狩人に下まで連れて行ってもらえるし、実務の証明もしてもらえる」

「猟団に入ってれば、見習いでも蔦森より下に行けるんですか」

「そう。市役所の決めたルールを守るんならね」

「それがメリットですか」

「ルールの抜け穴みたいなもんだけどね」

「ふうん」

 幸はあることに気づいた。

「ぼくの場合はどうすればいいんでしょう。先輩の狩人……ついてきてくれる人、思いつかないんです」

「別に、扶桑熱係に届けを出せば一人でもいいよ。いついつからいついつまでこれくらいの間潜りますって。で、戻ってきた時にちゃんと報告してくれればいいし」

「でも。ぼくが潜れるのは週末です。土日は市役所って……」

「ガッツリ閉めてます。平日に出しな」

「でも、放課後だとぎりぎり間に合わないんですけど。市役所って……」

「基本的には午後五時まで」

「延びないですか?」

 むつみは微笑をたたえた。



 寒くなっても蘇幌学園二年一組教室は騒がしかった。男子高校生の脳の大半を占めているのは女子である。話題はもっぱらそれだ。

「飽きないものですか」

 人馬の少女、リリアンヌは物憂げに窓の外へ視線を逃がした。彼女はまだこのクラスに深く馴染めていなかった。

「男ゆうんはそういうもんやからな」と言うのは蝶子である。彼女は虎と竜が刺繍されたジャケットを羽織りつつ、どこか羨ましそうに男子どもを眺めていた。

「楽しそう」

「ですがお話の中身は実がありません。妄想の類でああまで盛り上がることができるのは」

「なんや、しっかり聞き耳立ててんねや」

「……声が大きいものですから」

 おはようと幸が教室に入って来るや、田中小が声を荒らげた。

「八街もそう思うよな!? 年下と年上だったらぜってー年下だって!」

「何の話?」

「付き合うならどっちがいいかって話だよ。ようヤチマタ」

 机の上にケツを落ち着かせている翔一があくび混じりで言った。

「つーかヤチマタはもう断然年上派だろ? 周りみんな年上の人多いじゃん」

「多いかなあ? それにしたって付き合うとかは考えたことないよ」

「嘘つけオルァ」

 デスボイスじみた怨嗟を放つのは田中大である。彼はこの世の恨み嫉み妬み辛みを一身に引き受けたような顔をしていた。

「より取り見取りで羨ましいよなァ! 俺たちの周りには女っ気がないっていうのによォ!」

「しっ! 蝶子ちゃんとリリアンヌさんが聞いてるかもしれねえぞ」

「だって聞いてたってそうでなくたって付き合ってくれねえじゃん……」

 幸は机の上に自分のリュックを置いた。

「学校には生徒会の二人や鉄先生だっているじゃない」

「アホか。先生はまだしも例の二人に近づくやつなんかいるかよ」

「でも葛ちゃんは可愛いと思うけどな」

「ツラだけはな」と男子の声が揃う。

「中身はハエトリグサかウツボカズラじゃねえか」

「しかも自走式」

「もうこの際だからあの超ド級のビッチでも何でもいい」

「そんな風に言ったら葛ちゃんもよく思わないよ」

「なんだよ委員長。やけにあいつの肩を持つじゃねえか」

「友達だもん」

「てめーっもうそんなスナック感覚でヤりまくる友達になってんのかあぁん!?」

「なってないよ……」

「青春してーなー」

 部活にでも入ればいいのにと言った後、幸はとあることに気がついた。

「……そういえば、剣道部ってどうなったんだっけ」

「は? 剣道部? そんなもんあったっけ?」

「あったじゃないか。ほら、コーチ……ええと、犬伏さんって人が外部顧問を……」

「ああ! あの和装美人!」

「キツめの……いや、実際キツかったけど、とにかく美人いたな!」

「ワーウルフだけどな」

「いいんだよそんなことは! 耳が生えてても尻尾が生えてても美人ならな!」

「で、その剣道部ってどうなったんだっけ」

 全員が首を傾げた。

「なに? 剣道部どうなったか知りたいん?」

「おう。……うっ」

 一組を窓から顔を出して覗いていたものを見て、男子は絶句する。そこにいたのは軽薄が服を着て歩いているような女、衣奈葛であった。

「どーもー、例の二人のうちの一人でーす。せんぱい方、元気ー?」

「今まさに元気じゃなくなったから、さっさとどっか行けよ」

 翔一があっちへ行けと手を振るが、葛は教室に入ってきて壇上に立った。

「生徒会に逆らってメフで暮らせるとか思ってるわけ? 死ぬまで女が寄りつかない人生にしてやってもいいんだけど」

「すんませんした!」

「ほらっ八街も頭下げろって!」

「ええ、なんでぼくが……」

 頭が低くなった男子どもを睥睨すると、葛は満足げに頷いた。

「で、なんだっけ? 剣道部? あれねー、廃部になったから」

「……そうなの?」

 だが、それでは浜路が困るのではないか。幸は心配そうに葛を見上げたが、彼女は緩んでいた口元をさらに緩めた。

「や、なんか顧問の亜人に確認とったらさ、構わないってさ」

 初耳だった。そも、浜路とは夏から会っていない。彼女がどこで何をしているのか、幸は知らなかった。

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