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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
草行露宿めふSufferersズ
93/121

黒衣の花嫁



 幸がいなくなってからの数日で、むつみはあることを知った。それは彼を心配するものの存在である。学友や酒臭い女やケンタウロスの少女やメイド服を着て偉そうに振る舞う少年やら、《十帖機関》やら、堅気ではなさそうな、狩人らしきものもちらほら。

 案外、幸はこの街でうまくやっていた。きっと自分よりも。むつみはそれをどう捉えていいものか持て余していた。羨ましいのか妬ましいのか。それとも喜ばしいのか。難しくてむず痒い。妙な感情だった。

「はり切っちゃって」とむつみは、古海を見て独り言ちた。

 数少ない知己だ。むつみは古海のことをある程度なら理解しているつもりだった。彼女はただでさえ考えていることが顔に出やすい。手に取るように手玉に取れる。今、古海が必死になって幸を捜していることも分かっていた。だからそうさせてやろうと思った。だから、彼女を通して市役所の真意でも見極めてやろうと思った。

 幸のことは特に心配していなかった。どうせ無事だろうと踏んでいた。むつみがそう判断するに足る理由はある。それは幸の母であり、むつみの姉である岬の存在だ。最近は行方をくらましているようだが、狼少年さちが嘘をついていないのなら、あの過保護がこの街で姿を見せたのは三度である。

 最初は《骨抜き》と呼ばれた殺人鬼が現れた時。

 二度目はその《骨抜き》が学校のグラウンドに現れた時。

 三度目は大空洞で。幸が異能に巻き込まれて地の底に落ちかけた時。

 岬が現れるのは、いずれも幸が生命の危機に瀕した時だ。逆に考えれば、幸が危険でなければ彼女は現れない。岬が出てこなかったということは、少なくとも今は生き死にに関わる事態ではないのだろう。アレは幸の危機を必ず見落とさない。息を潜めてじっと見ているに違いない。今も。これからも。

 ただ、それとこれとは話が別だった。岬が看過しても何の関係もない。

「バレてないとか思ってる?」

 自分の傍を通り抜けようとする与謝に、むつみは言った。与謝は何も聞こえなかった振りを通して去ろうとした。

 むつみは憶えている。

 幸の見習い試験で大空洞を訪れた際、先頭にいたのは古海で、その後ろに幸がいた。最後尾には自分むつみが。彼と自分の間にいたのは与謝だ。そしてむつみは全て見ていた。

「私が騒がないから安心してるの? まさか後ろから見てたのに、自分の甥っ子を見殺しにするはずがないって」

 ため息をついた与謝は仕方なさそうに立ち止まった。

「何言ってるんですかー」

「別に」

 言ってから、むつみは与謝の動向に注目していた。彼女は軽薄そうに見えて、今も無知を装っているが佩いた鉈へと手が伸びていた。恐らく無意識のうちになのだろう。

「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。何もしないよ。私は(・・)

「周世さんってたまによく分かんないこと言いますよねー。幸くんのこと、心配じゃないんですかー」

 むつみは笑いそうになった。最初こそそうしていたが、幸が落ちた。あるいは落とされたのは彼自身の注意散漫さや油断に因るものだ。大空洞は地上とは別世界である。そこで何が起こっても不思議ではない。どんな武器を持っていようが誰と共にいようが、自らの生死は自らによって決められるものだ。自分自身と向き合う場所なのだ、あそこは。あの時、幸はそうしなかった。だからこうなった。これがいい薬になれば彼を扱い易くなるのだろうが、そうならないことを、むつみは何となく分かっていた。

「次があるならさ。もっとうまくやりなよ」

「……は?」

 与謝が何をしたのか。古海も、幸でさえも、もう分かっているはずだ。自分と幸は与謝を断じないだろう。興味がないからだ。ただ古海は違う。知らぬ存ぜぬを通せるような相手ではない。十中八九、与謝に次はない。……むつみも古海も互いのことをよく知っている。互いが今まで何をしてメフで過ごしてきたのかを知っている。古海は分かりやすい性格だが本当のところは決して大っぴらにしない。明るく振る舞うのは真実を隠しているからだ。彼女の中にはもっと、自分よりもどす黒いものが渦巻いている。むつみはそう認識していた。



 塔子がいなくなったことで、当初、幸と八鳥の意見は割れた。彼女を捜すか、捜さないかでだ。幸は塔子の捜索を訴えたが、八鳥はそれを拒否した。彼は今の蔦森の危険性と大空洞での人探しは酷く難しいのだということを知っていた。第一、塔子は自らの意志で自分たちのもとを離れたのだ。八鳥はこのように主張した。幸は納得した。その代わり、みちすがらで塔子を発見した場合はできる限りを尽くすという条件付きで。

「自分だって死にかけてたくせに偉そうに言いやがって」

「ごめんなさい」

「知らねえぞ俺ぁ。あの嬢ちゃんを見つけたって何もしねえからな。見つけるつもりだってねえんだ」

「はい」

 言いつつも、八鳥は昨日よりもペースを落とし、視線をところどころに配っていた。何より今日の彼は普通の人間が歩きそうな道を選んでいた。それが幸には嬉しかった。

 鉈で邪魔な草を払いながら、八鳥は言った。

「嬢ちゃんは夜のうちにいなくなった。俺たちとはそこまで離れてないはずだ。夜通し歩いたとして、あの嬢ちゃんが思ってたより大空洞に慣れていたとはいえ、それでも普通にしてりゃあどっかで追いつく可能性はある」

「はい」

「で、だ。見つけて追いついてどうすんだ?」

「一緒に帰りましょうって言います」

「……そうする気がねえからいなくなったんじゃねえのか。ここから出るつもりがねえから俺たちと離れたんだろ」

 幸は眉根を寄せた。

「じゃあ、どうする気なんでしょうか」

「守り人にならねえんなら、答えは一つきりだ」

 死ぬつもりか。幸は思わず目を瞑った。

「そもそも、ハナっからそうだったのかもな。俺たちが見つけなきゃ嬢ちゃんはあのガレ場でくたばってた。それをなんつーか、余計な世話を焼かれたって、そう思ってるのかもしれねえ」

「本当にそう思ってるんなら、ご飯だって食べなかったはずです」

「迷ってるのさ。俺たちはいつも天秤を眺めながらそうしてる。生きるか死ぬか、何がきっかけでどっちに天秤が傾くかなんて誰にもわかりゃしねえよ」

 そうかもしれない。塔子は今、死にたがっているのかもしれない。だが、その天秤がまた違う方へ傾く可能性が残っていて、自分にできることがあるのなら、やらないのは嘘だ。



 物音がした。人影が見えた。幸と八鳥は警戒しつつもそれを追う。木々をすり抜けるように、草をかき分けるようにし、蔦森を進む。

「はええ」と八鳥が零した。

 幸は頷きかけた。自分たちの前を、駆けるようにしているのが塔子だとするのなら、ずいぶんと印象が違う。幸の知る彼女にしては俊敏だ。

 進むにつれ、道が開けていった。まるで木々や蔦が自分たちを導くかのように。やがて、幸たちは更に開けた場所へ出た。

「……なんだ、こりゃ」

 そこは植物に覆われていた。伸びた蔦は絡まり合い、足場となり、天井付近でももつれ合ってドームを形成している。それよりも幸の目を引いたのは家具だ。机や椅子、棚。植物でできたものが並んでいる。一見してよく分からないものもあるが、それはテレビや冷蔵庫を模していた。ものはあるが、人はいない。空寒い空間であった。

 その中に一人、塔子が立ち尽くしていた。



 ここは家だ。

 温かで、懐かしい。

 塔子は、追ってきた幸たちに気づいていたが、気にかける余裕はなかった。ここがどのような場所であるのかを分かり、動けないでいた。

しん……?」

 家具の配置や物の数こそ少し異なっているが、ここが自分たちの家を模していることはすぐに分かった。ならば、この空間を作ったのは――――弟である、一雨心を除いて他にいないはずだ。彼はまだ生きている。心だけではない。たつみも、他の《騎士団》の仲間も、きっと。

 奥から蠢く影が見えた。その姿は、緑色の巨大な蜘蛛に近しかった。上半身は人間の女で、下半身には触手で作られたであろう太い足が何本も生えている。

「……あな、たは」

 その顔は知っていた。《騎士団》の狩人、木屋瀬こやのせという女だ。彼女こそ自分たちが探していた、《宿借》に寄生された人物である。

 目的の人物を前にして塔子の足元は揺らいでいた。立ちくらみを起こしかけていた。光が視界を覆う。明滅する世界の中で、塔子は見た。仲間たちの姿をだ。皆、生きていたのだ。ここで自分を待ち望んでいた。きっと、そうだ。そうに違いない。そうでなくては困る。

「姉ちゃん」

 声がする。一雨心の声だ。

「姉ちゃん」

 すぐそこに心の顔がある。彼は手を伸ばしていた。

 巽もいる。他の仲間も。皆。みんなが。温かで懐かしい、幸福を具現化させたような空間が目の前に広がっていた。

「心……お姉ちゃんが……」

 塔子も手を伸ばした。心もさらに手を伸ばす。その、彼の手が、斬り落とされた。



 塔子が悲鳴を発した。幸は返す刀で化け物の触手を切り払った。

「落ち着いてくださいっ」

 悲鳴は止まなかった。幸は彼女を庇うようにして前に立つ。目の前にはケモノがいた。上半身裸の女。下半身からは太い植物が蜘蛛の足のように生えている。それはゆっくりと塔子に近づき、足を伸ばした。そのそれぞれの先端には醜悪なものがぶら下がっていた。いずれも人間の死体である。だらりと垂れ下がった四肢は時折、出来損ないの機械のように動く。それだけではなく、これは音を発した。姉さん、姉さんと塔子えものを誘っている。まるで疑似餌のようだと幸は思った。

 ここは植物のドームだが、その用途はケモノの狩り場であり、闘技場のようでもある。自分たちはそこに飛び込んでしまったのだ。ケモノを見過ごすことも塔子を見殺しにもできない。であれば鉈を抜くほかなかった。

 ケモノの疑似餌・・・は武器を携えていた。鉈だ。生前、彼らが使っていたものだろう。格好こそ不様だが、同時に攻撃されてはなすすべもない。幸はそれらを防ぎながら、塔子を逃がそうとしていた。

「八鳥さんっ」

 自分たちを打ち据えようとするケモノの足を払いながら、八鳥は舌打ちした。



 そういうことかよ。

 八鳥は察した。ガレ場に倒れていた塔子は下の階層から上がってきたのではなく、下りてきたのだ。彼女はここを知っている。彼女も彼女の仲間も蔦森で、ここで、この醜悪なケモノと出遭ったのだ。

 見つかり、誘われ、捕捉されたのなら戦うほかない。塔子を助ける気も、ケモノを討伐するつもりも八鳥にはない。チャンスさえあれば今すぐにでも背を向けるつもりだ。しかしすぐに逃げ出せる状況でもない。そんなことは分かっている。それにしても、幸の動きは早過ぎた。鉈を抜き、ケモノを敵だと認識し、それを振るうのにほとんど時間をかけなかった。彼は大空洞での立ち回りこそ不慣れで不得手にしているが、こと戦闘にかけては自分よりも優れている。八鳥はそう認識していた。

「やるしかねえか」

 逃げるならこの場に来てすぐしかなかった。八鳥は諦めて鉈を振るう。積極的には打って出ず、向かってくるものを往なした。戦いながら、彼はケモノの正体を見極めようとしていた。

 さて全く見たことも覚えもないケモノだが、これは大空洞独自の生物でもなければ、地上の生物が扶桑熱で変異したものでもない。これは異能によるものだろう。正体不明の女が使う異能は植物を操るもので間違いないだろうが、それに付随する死体どもがまた厄介だった。ただの死体ではなく、時折動いて鉈を使えば、声帯を震わせて身も凍るような悍ましい声を発した。

 ケモノの足にぶら下げられているのは植物を変化させたものではなく、間違いなく《騎士団》の狩人だ。あのケモノは人の死体を弄んでいるように見える。


 ――――いや。違う。


 八鳥は、この空間と《騎士団》の死体から、ある推測に行きついた。もっとも、答えは既に出ていた。

「坊主、こいつら《宿借》だ」

「え? なんです?」

「だからヤドカリだよ、こいつら全部だ!」

《宿借》というケモノはとても小さく、人の目では確認できない。菌のようなものだ。このケモノは人が飼っている生物に寄生する性質を持ち、安全な空間に居住するものから栄養を奪って生きている。寄生の進行に伴い、取りつかれたものは色や形が変わり、より化け物らしくなっていく。それだけではなく、《宿借》の知性は高い。寄生した生物を真似るのだ。その口癖や習慣ですらを。何よりこのケモノが重視するのは生活する場所である。寄生した生物がもっとも安心するであろう場所を探し、作ることにも長けていた。それがよく知られている《宿借》の習性だが、どうやら今回は寄生先をペットではなく飼い主にしたらしかった。

 一応は狩人である八鳥も話には聞いていた。大量に発生し、そのほとんどが駆除された《宿借》には生き残りがいて、大空洞に逃げ込んだということを。まさか寄生されたのが人間だとは思っていなかったが。

 思い込みとは厄介なものだ。昔ながらの狩人は《宿借》を重要視しない。それどころか、敵視しないものだっている。何故なら、人間に害を及ばすことが稀だったからだ。今はどうだ。これはどういうことだ。今の今まで知りもしないで、知った気になっていただけだ。どんなに小さくともケモノはケモノなのだ。舐めてかかってはいけなかった。

 つまり、ケモノの足にくっついている《騎士団》の連中も、蜘蛛のような姿をした女も、どいつもこいつも《宿借》に寄生されているということだ。

「どうすればいいんですか!」

 幸が声を荒らげた。

 どうするもこうするもない。八鳥も叫んで返した。

「やるしかねえよ!」

 最も厄介なのは植物を操る女だ。あれが《騎士団》の死骸を操って戦っているのなら、あれから潰してしまえばいい。

「でけえのを狙え。先っちょ相手にしててもキリがねえ!」

「はい!」

 頷いた幸は切り込んでいく。

 八鳥には一抹の不安があった。異能を行使するものが死亡した際、その異能は効力を失う。また、異能を使うものの意識がない場合もそうなる。であるなら、蜘蛛女はまだ生きているということだ。ただ、《宿借》に寄生されて彼女自身の意志や意識は残っていないはずである。では、誰が異能を行使しているのか。答えは一つだ。あの《宿借》が女の体を使い、その異能をも使っている。そんなことがありえるのか。彼には分らなかった。少なくとも、彼も、彼の知る先達の狩人たちも知らなかった。

 新種か突然変異か。どちらにせよ八鳥には些末なことだ。

「匂坂は喜ぶだろうが……」

 独り言ちて、八鳥は幸に続いた。ケモノの懐に潜り込み、藪を払うかのようにして威勢のいい攻撃を繰り出す。彼とて戦闘は不得手ではない。やりたくないだけだ。こんなもの、煮ても焼いても食えやしない。いくら狩っても全く無駄だ。何の腹の足しにもならない。それが八鳥には我慢ならなかった。

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