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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
プロローグ
9/121

心臓抜き<2>



 骨抜きと戦っていた乱鴉の狩人たちは、今しがた階上から姿を見せた、援軍であるはずの焼野を訝しげに見た。彼と一緒にいたはずの狩人がいなかったからだ。しかし問う暇はない。目の前の骨抜きがその隙を見逃さないだろう。

 焼野が走った。狩人たちは彼を一瞥する。骨抜きが口角をつり上げた。焼野の掲げた掌の行き先は骨抜きではなかった。

「やられてんぞそいつ!」

 三人は、骨抜きからも焼野からも距離を取る。焼野は骨抜きの傍に佇んで、三人に目を向けた。彼の顔は血で汚れていた。

 ここまでだった。三人は廊下の窓を開けてそこから身を躍らせるや否や外へ逃げ出した。凄まじい逃げっぷりだったので骨抜きも追うのを諦めたほどだった。

 外へ出た三人は、後ろ向きになって走りながら、持っていた得物で校舎を指した。

「逃げてよかったよな?」

「いや、いいっしょ。おれらじゃあ相手が悪いわ、アレ」

「いったん退いて……別の猟団と一緒に行くしかねえわな」

 命あっての物種である。後ろ向きに走る三人は、途中で骨抜きが操る骸とぶつかって悲鳴を上げた。



 水原深咲にとって学校とは特別な場所であった。

 学校にさえいれば何者にも脅かされず、穏やかな心を保てた。深咲がそれを自覚したのは中学に上がってすぐのことだ。父親の振るう家庭内暴力も、見て見ぬふりをする母親の横顔も学校には存在しなかった。ここでなら、ではない。ここでしか自分を守ることができなかった。

 深咲が自らの異能に気づいたのは、メフに来る数か月前のことである。父親の暴力がぴたりと止んだのがきっかけだった。不思議に思っていたが、父親は暴力を振るうどころか媚びた笑みさえ浮かべて深咲に優しくなった。心が入れ替わったかのように。人が変わったかのように。ご機嫌伺いをする父親を見ているうちに、深咲はふと『どうして優しくするのか』と聞いた。父は答えた。『お前のことが好きだから』だと。その瞬間、彼女は己の内から響く声を聞いた。

 心臓抜き《ベイバロン》。それが水原深咲の異能であった。三日後、母は家からいなくなり、その数日後に父は自殺した。

 メフに送られる前から、送られてからも異能を使い続けた。少しずつ、こっそりと。その結果、深咲は、《心臓抜き》が『自分の匂いを嗅いだものが自分に好意を持つこと』だと確信した。その力を使い、彼女は自分にとって都合のいい場所――――つまり、何者にも脅かされることのない、穏やかな心を保てる学校作りに腐心した。

 深咲は当たり前の日常を望んでいた。蘇幌学園での生活は上手くいった。最初に教師を篭絡したのがよかった。安楽土という教師は女にだらしなく、メフの外で問題を起こしていたから、少し揺さぶるだけであっけなく引っかかった。異能を使うのにも苦労しなかった。教師の肩書を持つ彼を軸にして自分の思い描く普通をほしいままにした。少しずつ。ゆっくりと。誰にも気づかれないように。

 校内の日常を形成するのに不可欠なものも揃えた。いじめられる羊役と羊をいじめる狼役だ。両者には特に気を遣った。状況が変わったのは最近のことだった。狼役だった猿喰たちの背後にある赤萩組が邪魔になったので、その排除を企んでいる時のことだった。

『見られてしまったようだね』

 深咲は骨抜きと出会った。彼の犯行現場に居合わせてしまった。深咲は学校の外ではあまりにも無力だった。彼女が自分の中から噴き上がる血を見て、《心臓抜き》の正しい使い方を知ったのは今より一か月前のことであった。

《心臓抜き》の真の能力とは『体臭を嗅がせること』がトリッガーではなかった。『自らの血の臭いを嗅がせること』こそが本当だったのである。その効力は今までの比ではなかった。

「また来るかな」

「まだ来るとも」

 乱鴉を退けた後も、夜の校舎に深咲はいた。傍らには骨抜きが控えている。彼女は後悔していなかった。異能によって連続殺人鬼すら自らの意のままになった。それを使ってよりよい学校作りに勤しんだ。それだけのことである。



 電話が鳴っている。さっきからずっと、何度も。

 正門は警察や野次馬でごった返している。幸は正門を通り過ぎ、なおも走る。蘇幌学園の裏門が見えたところで、彼は息を整えながら電話を手にした。

「難しいことは言わないよ」

 相手はむつみだった。

「危ないから帰ってきなさい。それだけ」

「あの」

「今どこにいるの」

 幸は学園の校舎を見上げた。

「……危なくないなら、いい。私は今から仕事に行くから、家に誰もいなくても心配しないで」

「狩人のですか」

「そう。呼ばれたから」

 むつみもじき、ここに来る。幸の手に力が入った。

「いい? 分かったの?」

「ぼく。死にたくはないんです」

 声は震えていた。構うものかと幸は思った。

「友達の前じゃあ格好つけたけど、本当は今も分かってないんです」

「何の話?」

「でも、『ふざけるな』とか『どうして』とか、自分で自分が抑えられなくなるんです。目が熱くて、頭が痛くて」

 そして今、幸はその苦痛を解放する術を知っていた。

「人のことなんかどうだっていい。強くなりたいとか、頑張るとか、言ってたけど今は忘れてるんです。ぼくはぼくと向き合いたい。ぼくだけを見ていたいんだって。そう思ってました。でも、ぼくと同じように思って、同じように感じているんじゃないかって人がすぐそこにいるんです」

 ため息が聞こえた。

「全然意味が分からないよ。いいから、帰ってきなさい」

「いけませんか」

「いけない」

「自分のことをもっと知りたい。そう思うのはいけないことですか」

 返事はなかった。幸は電話を切った。

 もう余計なことは見えなくなっていた。裏門にも警官や野次馬がいたが、幸は彼らを振り切った。途中、知った顔を見たような気がするが、思考は彼方に飛び、些末事は脳の片隅に封じられた。



 校舎の中には誰もいなかった。動くものはあったが、生きているものはいなかった。幸は、導かれるようにして駆ける。ひた駆ける。やがて彼は昇降口から抜け出て、グラウンドを見渡せる場所に立った。暗がりのグラウンドには生ける骸が数多いた。きっとこの町の死人が集まっているんだろうと幸は思った。視線を感じ、目を向ける。屍どもの中心に深咲がいた。

 幸は段を飛び越え、グラウンドに降り立った。ゆっくりと歩き始めると、彼の正面にいた屍どもが道を空けた。そうして二人は再会した。

「こんにちは、八街くん」

 深咲の傍には骨抜きや狩人の焼野、安楽土がいた。もっとも、幸の意識からは外れていたが。

「こんにちは、水原さん」

 学校で挨拶を交わす。当たり前のことが酷く空々しかった。しかし二人にとっては大切な事柄であった。

「優しいね。八街くん。分かってるって顔してるのに来てくれたんだ」

「そうしなきゃいけなかったからね」

「ふふ、ねえ、どうして?」

「ぼくが言うんだ。ぼくの中にいるぼくが。『そうしろ』って」

 深咲の顔つきが変わった。不思議そうに。ともすれば、信じがたいと言った風に。

「『ぼくが』? ……何しに来たの?」

「聞きたいことがあるんだ」

「そう。私にはないかな」

 深咲の傍にいた焼野が動いた。彼はぎこちない動作で走り、幸に対して手を伸ばす。幸の眼に光輝が宿った。

 姿勢を低くした幸は焼野の手をかわし、彼の顎先に掌をぶつける。くるりと回転し、焼野の胴体に中空で蹴りを放った。地面を滑るようにして、焼野の姿が骸の群れの中に消えた。深咲が小さく拍手をした。

「強いんだね」

「ぼくじゃないけどね、強いのは」

「男爵から聞いてるよ。八街くんは人の力を奪うんだってね。いひひ、悪辣だってさ」

 幸は頷く。深咲は骨抜きを一瞥した。彼はそれだけで心得たらしかった。さっきまで大人しかった生ける屍たちがうぞうぞと蠢き始める。

「待って水原さん。聞かせてよ、どうして」

「ばいばい八街くん。君も私の学校に欲しかったんだけどな」

 深咲の姿は骸が立ちふさがって壁となり、見えなくなった。彼女の代わりに幸と対峙するのは骨抜きである。

「もういいだろう。私の深咲と馴れ馴れしくしないでくれ。いいかね、前とは違う。あの時とは違う。君は既に、私の敵だ。全力をもってして殺すとも」

「……その腕でですか」

「君のご母堂にしてやられたと言ったところか」

「そうですか」

「ああ、そうとも。では、私の十字架男爵ゲーデを楽しんでくれたまえ。そら、まずは波に巻かれるといい」

 グラウンドにいた死体が幸へ殺到する。先の焼野のような緩慢な動きではない。肉体の限界を超えているかのようなスピードだった。

 幸の視界が狭まる。沸き立つ熱情を抑え込む必要はどこにもなかった。すべて解放してしまえ。囁く声は心地いい。前後左右十二方位から押し寄せるリビングデッドを認め、彼はもう一人の自分の名を叫んだ。眼から溢れる光輝が一筋の軌跡となった。

 骨抜きは舌打ちする。配下たる生ける屍どもの首が次々と飛んだのだ。波濤の中にいる幸は、その両手に狩人が使っていたであろう得物を握っていた。大振りの鉈と小ぶりのナイフである。幸は押し寄せる屍の首を鉈で落とし、逆手に構えたナイフでもって切り刻んだ。武器を取り落せば《花盗人》で別のものを手繰り寄せて戦い続ける。その暇さえないのなら空手で敵を押し退けた。

 首を落としても刎ねても飛ばしてもきりがない。伸びる手、上がる足、大きく開かれた咢。視界を埋め尽くさんとする骸ども。全身に付着した返り血から得も言われぬ臭気が立ち上る。鼻の奥がつんと痛んだ。髪の毛を引っ掴まれる。前蹴りを放ち反動でとんぼを切った。動く度に身体が軋む。それでも体は嘘のように軽かった。中空から降下し、真下にいた骸を踏みつけにして胴を断つ。

 正面/殴打。

 右/鉈で割いた。

 斜め後ろ/頭を下げて蹴りで返した。

 幸は屍どもを切り裂き、深咲を目指していた。彼の前に骨抜きが立つ。屍の動きが鈍ったのを幸は見逃さなかった。

「まるで嵐だ。幼気な面影などどこにもない。あの時の君は本気ではなかったということかね」

「一対一なら都合がいいです。大勢の死体を動かすには、集中してなきゃいけないみたいですからね」

「悪辣だね!」

 幸は骨抜きの異能《十字架男爵》の能力を掴みつつある。骨抜きが出張って戦えば、その分だけ屍どもの支配が緩慢になるらしかった。

 骨抜きの体が幸の視界から外れる。幸はその速度に対応した。死角から現れた骨抜きに対して鉈を振る。彼もまた幸の攻撃をかわして笑んだ。しかしその笑みはすぐに掻き消える。生ける屍が彼の足首を掴んでいた。骨抜きはそれを振り解くが、別の屍どもが襲い掛かろうとしていた。

「これも奪ったか、八街幸とやら!」

 幸は骨抜きの異能を使っていた。自分がやられたのと同じように屍をけしかけて隙を作った。彼が屍にたかられている様を見るや、深咲のもとに向かう。追いすがってきたものも、立ちはだかったものも切り伏せた。

 深咲は屍の山の上にいた。幸を一段高いところから見下ろし、眼鏡の位置を直す。

「何でもできちゃうんだね。何がしたいの?」

 冷然とした視線を受け、幸は意気を削がれそうになった。

「聞きたいんだ」

「ん?」

「あのさ、水原さんって本当に誰かと付き合ってるの?」

「え……?」

「ほら、君が香水つけだしたとか、そんなことも言ってて」

 幸の顔は真剣そのものだった。深咲は彼の言ったことをやっと理解して、吹き出した。血風吹きすさぶグラウンドに、彼女の笑い声がよく通った。

「あははっ、何それー? 聞きたかったのってそれ?」

「だって翔一くんがそう言ってたからさ」

「やだなあ、もう。誰とも付き合ってなんかないよ。香水はね、力が効き過ぎると困るからつけてたの。付き合うとか、好きな人いないもん。私を好きな人はたくさんいるけどね」

 幸はホッとしていた。自分の気持ちが偽物ではなかったのだと確信した。

「じゃあ、もうよそうよ。こういうことしたってさ、水原さんの日常は戻ってこないんだよ」

「次はお説教? 君に私の何が分かるっていうのかな」

「見れば分かるんだ。嫌でも。ねえ、ぼくらの当たり前はここにあるんだよ。外とか中とか関係ないんだ。だってぼくたちはずっと続いてたんだから。ここもぼくらの続きなんだ。何も終わってなんかいないんだから、誰かを巻き込んでまで作り変える必要なんかどこにもない。ぼくは最近、そう思ったんだ」

「そうかもね」

 深咲は表情を消した。

「でも私には《心臓抜き》があった。自分の中から深く咲いた力が。君にもそれがあるじゃない。だったら使わなきゃ。使ってでも元の生活を取り戻さなきゃ。私の普通を、日常を過ごすにはそうするしかないんだよ」

 それは違う。幸は泣きそうになって深咲を見上げた。

「今、水原さんがやってるのは普通じゃないよ。メフの外にいた時はそんなことしなかっただろ? 人の気持ちを使って、死体が動いて、人が死んでる。それが君の普通なの? 普通とか日常とか、そんなこと言ってやってるのは全然……」

 深咲は歯を食いしばった。痛いところを突かれて苦しんでいるらしかった。

「もう、いいよ。八街くんに会えてよかったとか浸っちゃったよ」

「何が? よくないよ」

「君が来なければ、私はもうちょっとだけ学校ここにいられたんだっ。男爵!」

 深咲の呼びかけに応じて、男爵が吼え声を上げた。

「来なければって……どこまで人のせいにすれば気が済むんだよ! それじゃあだめだろ!」

「君みたいに強かったらそんなことも言えるよ!」

「強くないっ。ぼくも水原さんも同じじゃないか! 同じだと思ってたのに!」

 深咲の下にあった屍の山が蠢いた。それらは徐々に絡み合い、蟲のように群れを成し、何かの姿を象るかのようにして形を変えていく。幸は彼女に呼びかけた。声は暗がりに溶けるばかりでどこにも届かなかった。

「出て行ってよここからぁぁァァアアアアアアア!」

 巨大な影が幸の姿を覆う。屍の山は泥でこねたかのような、出来の悪い人の姿に変化していた。巨人の肩に乗る深咲が腕を振る。彼女の動作に応じて、巨人もまた腕を振るった。緩慢な動きだったが、幸は逃げられなかった。

 巨人の手の甲が幸の体を叩いた。痛みは、すぐには感じられなかった。呻き声は風を切る音の中に消える。全身に痺れが伝わり、感覚がなくなる。自分が今どこにいてどうなっているのか分からないまま、幸は中空を何メートルも滑り、グラウンドに落ちた。目は開いているのに何も見えなかった。耳鳴りと吐き気で均衡を失った体は言うことを聞かない。そも骨が折れているのかもしれなかった。臓腑は痛めつけられて口から血を吐き出す。腕と足はくっついているらしかったが手足と脳みそがリンクしていない。動けと命じてもぴくりともしなかった。巨人の骸も骨抜きも健在だ。周囲には生ける屍がまだ残っている。

 立たなきゃ。

 それでもまだ自分は生きている。幸は落ち着いて呼吸をする。か細く、儚いものだったが、四肢には少しずつ力が戻ってきた。

「さぁーちぃー?」

 上から声が降る。甘やかな声だった。幸はそれを無視した。

「さちー? さち君? さっちゃん? もう情けないなあ。そろそろお母さんの出番じゃないの? ああ、ほら、幸に悪いことしようとしてるよ? 近づいてくるよ? 早く認めなさいな。自分が弱くて情けない子供だって。お母さん助けてって泣きついたらどうにかしてあげるから。早く。またお仕置きされたいの?」

 幸は口を開いた。狐の面を被った少女が彼の傍に立っている。少女は屈み、耳をそばだてた。

「何? はっきり言いなさい」

「すっこんでて」

 少女の表情が歪む。驚愕と怒気で彩られたその顔は、見るものを底冷えさせるであろう。しかし幸は彼女を見て小さく笑った。

「ぼくの……ぼくとあの子の話だったんだ。だから母さんは邪魔だよ」

「幸……っ!」

 幸は少女の――――母の手を払った。八街岬はその手をじっと見つめている。

「お母さんは幸が心配で……なのに、そんな目ぇするの?」

 独りでに立ち上がると、幸は膝に手をついた。

「幸っ」

「大丈夫だから」

 幸の前には骨抜きや骸の巨人、屍の群れがいた。彼が強がりじみた笑みを浮かべると、岬は目を見開く。彼女はもう怒ってはいなかった。ただ、慈しむような、穏やかな顔つきになっていた。

「見てるからね。それくらいはいいでしょう?」

「うん。そうしてて」

 幸は深咲を見た。彼女は視線を寄こした。

 息を一つ。幸は自らに問うた。どうしてこんなことをして、痛い思いをしているのだろうか。強くなりたい。確かにそう願った。この町で生きていこうと決めた。逃げるのはやめて自分と向き合おうと誓った。


『自分の中から深く咲いた力が。君にもそれがあるじゃない。だったら使わなきゃ』


《心臓抜き》のことはもう知っている。見えている。深咲が自分のことをどのように見て、どんな風に捉えていたのかも。しかし、幸はどうしたって彼女を嫌えなかった。水原深咲は道を違えたもう一人の自分だ。現状から逃げ出して、自分自身と向き合えなかった八街幸だ。嘘ではなかった。偽物でもない。深咲から感じた温かさは今も幸の胸に残っている。

「もうやめようよ。このままじゃあ、本当のバケモノになっちゃうんだよ」

 深咲は応じなかった。返答の代わりに、彼女は骨抜きを差し向けた。

 疾駆する殺人鬼が幸に迫る。

「やめないんだね」

 幸の眼に光輝が宿り、迸った光は立ち上って揺らめいた。



 骨抜きは死人だ。彼は赤萩組の事務所前で、確かに岬に殺された。だが、彼は最期に力を使った。死人を操る異能を自身にかけたのだ。骨抜きは死後も深咲の操り人形であることを望んだ。

 今でも彼の網膜には、夜に咲いた紅色の花が焼きついている。深咲の奥から噴き出た鮮血は骨抜きにとっての甘露アムリタそのものだった。生きた人間に対して好意を抱き、愛情が育つのを実感するのは殺人に勝る快楽だった。殺そうとしてよかった。殺人鬼でよかった。骨抜きは彼女との出会いに感謝した。

「動きが鈍いようだね。いや、鈍くなったと言うべきかな」

 幸の舌打ちが耳に心地よい。骨抜きは《花盗人》を使えないが、これまでの経験で幸の異能を把握しつつある。気になったのは三点だ。

 まず、他人から奪ったものを無限には使えない。幸はこの日、猿喰の異能を使っていなかった。死人の能力は奪って使えるが、時間の制限があるのだろう。

 次に、同時に奪える能力には限りがある。骨抜きは、精々二つか三つまでだと踏んでいた。

 最後に、能力を奪えるが元の持ち主と同じようには使えない。鉈やステッキといった類の得物ならともかく、《十字架男爵》をフルに活用しているわけではない。幸は能力を奪えるだけで、その持ち主と同じような肉体を得られるわけではない。肉体はそのままだ。骨も内臓も脳みそも変わらない。能力や武器の使い方を知っているだけに過ぎないのだ。脅威的で非常に気に食わない異能だが、決して万能ではない。

 事実、幸は疲弊しきっていた。むしろよく持った方だと、骨抜きは彼に称賛の念を送る。

「ここまでのようだね」

 幸は地面に倒れ伏した。骨抜きは山高帽の中から分厚いナイフを取り出してそれを握り込む。余計な問答は要らなかった。彼は幸の胸に刃先を突き立てようとする。しかし、何百と繰り返して手に馴染んだその行為が、今に限っては妙にぎこちなく感じられた。骨抜きは混乱していた。幸を殺すことを頭が拒んでいるようだった。

「深咲のを盗ったのかね」

《心臓抜き》だ。幸がまた異能を使った。察してももう遅い。ナイフはもう手の中になかった。斬られたという感覚だけがあった。先までと違い、今度は骨抜きが倒れ伏して、幸が彼を見下ろしていた。

 骨抜きは右手を伸ばそうとする。喉を切られて声が上手く出せなかった。すまない。そう謝りたかった。深咲は骨抜きを見つめている。しかし、彼はその目に何の感情も宿っていないことを知った。

「ありがとうね、男爵。ゆっくりお休みなさい」

 終ぞ深咲の気持ちに気づくことはなかった。自分がどう思われていたのかも曖昧で、妄想でしかない。それでも骨抜きは満足そうに目を瞑った。



 幸はナイフを捨てた。深咲は骸の巨人の肩から降りていた。彼らを取り囲むようにしていた生ける屍の動きが鈍くなっている。骨抜きは今度こそ本当に死んだのだ。彼の魂と共に、彼の異能もこの世から消えつつあった。

「いよいよかな。私じゃ死人は動かせないもの」

 深咲はすっかり暗くなった空を見上げて他人事のように呟いた。

「ねえ。何がしたいのかって聞いたよね。ぼくは君を止めたかったよ。だったら水原さんは?」

「知ってるんじゃないの? その目で。その力で見たんでしょう?」

「そんな便利なものじゃないし、ぼくは、ただ人を盗み見るためだけに使いたくない」

「そう。……そう? ふ、ふふ、そっか。そうなんだ」

 くつくつと喉の奥で笑みを噛み殺すと、深咲は幸に向き直った。

「私たち、ここじゃなくっても友達になれたのかなあ。花粉症とか、力も何もない場所でも」

「そうなったと思うよ、たぶん」

「信じられないんだ、もう。人の好意とかそういうの。自分のせいなんだけど、私の力でそうなってるだけなんじゃないかって。誰かが私のことを好きになってくれる力だったのに、私はいつまで経っても一人だった」

 深咲が力を使ったのは確かだった。しかし彼女の行い全てが力によるものではないはずだった。

「信じてくれないかもしれないけど、ぼくは水原さんのこと、初めて喋った時から好きだったよ」

「うそ」

「嘘じゃない」

 嘘であってたまるか。幸は深咲を強く見据えつける。彼女は照れたように視線を逸らし、はにかんだ。

「嘘つき」

 幸の脇腹に衝撃が伝わった。恐ろしい形相をした安楽土が、ナイフの柄を砕かんばかりに握り締めている。ぎちぎちと鳴る歯ぎしり。幸は倒れかけたが、自分を刺した安楽土を突き飛ばした。

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