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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
富貴浮雲चक्कर काटता रहा
87/121

喪失の響き<2>



「腐ってはだめよ」

 その声色はいつだって穏やかで、優しいものだった。

 彼女の――――ダミニ・チャウドゥリーの横顔を盗み見ることが好きだった。姉さん。そう呼べば、なあに、と、返してくれるのが好きだった。

 家督の継承を骨肉の争いで獲得する。悪夢のような習わしだ。だが、チャウドゥリーの家においてはそれが普通であり、正常な事柄だった。そう思っていた。そう信じていた。それでも年を経るごとに思いは変わる。辛く、苦しい。元より家督になど興味はなかった。チャウドゥリー家は財を成して王となったが、所詮は油田の番人だ。いつまでも続かない。涸れてしまえばそこまでだ。他にはもう何も残らない。この家に執着する必要はない。ただ一つを除いて。

 それが姉であるダミニの存在だった。彼女がいるからこそ、この家に留まれる。悪夢のような場所から逃げ出さずに戦える。

 ダミニは全てだった。

 折れそうな時、砕けそうな時、彼女の声は力を与えてくれた。

「腐ってはだめ。生きていればいいことだってあるわ。それに――――」

 戦った。その言葉を胸に抱き、糧として。

 戦った。辛くとも。勝ち続けた。苦しくとも。戦って、戦って、戦って、そうして、ある日、ダミニは首を吊った。優しかった横顔は見る影もなく、自分の全てだったあの声も二度と。二度とは。



 晴れた日の朝のことだった。

 門田製作所の従業員たちは作業場に集められて両手を縛られていた。出勤したものから順に捕まってここに連れてこられたのだ。不幸中の幸いというべきか、休日ということもあって従業員の数は少なかった。その中には泊まり込みで作業をしていた門田民雄の姿もあった。

 門田は、自分たちをこんな目に遭わせたものたちを見上げて、ねめつけていた。燕尾服を着た男たちだ。イシャンの執事連中である。彼らは門田の敵意に満ちた視線を受けてもなお意に介さない。ただ一人だけ、この状況を理解していないものがいた。それはイシャンである。彼はルドラたちに連れてこられる形でここに来たようだった。

「……ルドラ。答えよ」

 ルドラはイシャンの問いを無視したまま、他の執事に異国の言葉で何か話しかけていた。

「答えよっ。これはいったい……!」

 イシャンはルドラに掴みかからんとする勢いだった。実際、彼はそうするつもりだったのだろう。ルドラに腕を伸ばしたところで、腹を蹴られて蹲った。ルドラはイシャンを無理やり立ち上がらせて頬を軽く叩く。

「なにを……?」

 ルドラは無言のまま、イシャンを打った。なおも殴りつけようとしたところでイシャンの目が光輝を帯びる。異能を使ったのだ。ルドラの体が不自然につんのめり、彼はイシャンに跪くような姿勢になった。

「貴様ァ! 余にこのような、このような無礼をっ」

 怒りで頬が真っ赤になったイシャンはルドラを殴りつけようとするが、それを他の執事によって強引に阻まれる。

「触れるな!」

 イシャンの傍にいた男たちがみな跪くような格好になった。

「く」とルドラが口を動かす。彼は笑っていた。

 イシャンは肩で息をしながらルドラを見下ろす。

「貴様。気でも触れたか。さすがに埒外だぞ、これは。無意味だ。意味が分からん」

「く、は。そうか。ではどうする」

「しつけなおしてやろう」

「いや、その必要はない」

 ルドラは人差し指を動かした。その先にあるものを認めて、イシャンの目が大きく見開かれた。

 そこにいたのは、車いすに乗った女だった。ルドラの同僚である男は車いすを止めて、小さく頷いた。

「……姉上」

 事態の推移を見守っていた門田は息を呑む。車いすに乗っていたのは人間ではない。人形だ。自分たちがイシャンに頼まれて作っていたものだった。

 イシャンの使っていた異能が解かれた。動揺によって力を使い続けるのが困難になったのだ。自由になったルドラは立ち上がるやいなや彼を殴った。一発では気が済まないのか、倒れそうになるイシャンの首根っこを掴んでからもう一発ぶち込んだ。

 今度はルドラがイシャンを見下ろす番だった。彼は唾を吐き捨てて、大きく息を吸った。そうして車いすに乗った人形を親指で差した。

「姉さんがどうなってもいいんだな」

 イシャンは尻もちをついていた。彼はルドラと人形を見比べて、目を伏せた。

「それでいい。大人しくしていれば『姉さん』には何もしない。だが、余計な真似をしてみろ。あれを壊すぞ。叩き壊して、殴り壊す。分かったか、ご主人さま?」

 イシャンは答えなかったが、口答えもできなかった。ルドラはそれを肯定の意と受け取った。

「では、少ししつけなおしてやろう。イシャン。お前はどうもわがままが過ぎる」

 ルドラはイシャンの腹をけっ飛ばした。呻き声が漏れた。イシャンはその場に倒れるが、彼は手加減をしなかった。

「お前は姉恋しさにここの技術を私的に利用していた」

 言いながら、ルドラは何度もイシャンを蹴った。そのたびにイシャンは痛苦に呻く。

「チャウドゥリーの家は、貴様のような軟弱者を生むためにあのような習わしを行っていたのではない」

 次第に、イシャンは声を上げなくなった。ルドラもまた無言のまま、彼を蹴り続ける。

「よせ」

「……?」

 ルドラはゆっくりと振り向く。制止の声を発したのは門田だった。門田は、同じように縛られている社員が止めるのも聞かずにしゃべり出した。

「もういいだろう。子供を痛めつけるのはよせ」

「まあ、そうだな。少し疲れた」

 ルドラは門田に向き直る。

「君たちの狙いは分かっている。欲しがっているのは、あのロボットに使っている部品だな」

「それだけじゃあない。あの部品も、お前たちの技術も、子供のお遊びにつき合わせては忍びないものだ。もっと役に立つ場所がある」

 ルドラは門田の言葉を否定しなかった。

「お遊びか」

「そうだ。死んだ姉が恋しくて、その代わりに人形を欲しがった。遊びどころか……所詮は夢だ。子供だけが見る甘い幻だ。そんな非現実的なものに縋るとは、チャウドゥリーを継げる器とは思えん。呆れを通り越す」

「そうか」

 ルドラは訝しげに門田を見た。門田は大きな体を揺さぶるようにして笑っていた。



「本当、マジで、ごめん」

 門田民子は死にそうな顔になっていた。幸は小さく首を振った。

「大事な用事あったのに、ごめん」

「ううん。いいんだ。何が大事かって、ぼくにも分かるから」

 二人は小声だった。門田製作所のすぐ傍で、敷地の中の様子を窺っていた。

 民子がルドラたちに捕まらなかったのは朝まで遊び歩いていたからだ。あくびを噛み殺しながら家を目指していると、ただならぬ事態を察知して隠れていたというわけだった。

「電話しても誰も出ないし、でも、あのスポンサーがバタバタしてたっぽくて、こんな朝からうちに来ることってある? と思って……ちょっと外から覗いたら」

「社長さんたちが捕まってたんだね」

「ケーサツ呼んだ方がいいかな、やっぱ……」

「たぶん。それから」

 幸は一度迷ったようだったが、口を開いた。

「市役所にも連絡してみてくれる?」

「え、なんで」

「そういうことになるかもしれないから」

 民子の顔から少しずつ血の気が引いていった。

「どうしたらいい?」

「隠れて待ってて。それから、どっか、裏口というか、作業場に入れそうなところってある?」

「なんで」

「あるの? ないの?」

 幸は民子を至近距離で見据えた。彼女は目を泳がせていたが、心当たりに行き当たったのかハッとしたような表情になる。

「物置があって……で、そっから工場の屋根に行けるかも……えっと、ボロくってさ、うち、天井に穴が開いてんの。そっからなら……え? あのさ、どうするの?」

 民子は、工場の屋根に視線を向けた幸を不安そうに見つめる。

「隠れて待ってるって言ったじゃん」

「ぼくは行ってくるよ」

「危ないって……!」

 民子は幸の服を引っ張るが、彼はその手をゆっくりと解いた。



「最初、私たちはもっと、違うものを作っていた」

 門田民雄は言った。ルドラを見上げてこそいるが、彼に話しているというよりかは一人語りのようだった。

「もっと無骨で、シンプルなデザインの作業用ロボットだ。そのロボットで大空洞に潜る狩人を少しでも助けることができればって、先代が……親父がやり始めた。親父は誰かの役に立ちたいと思っていたんだ。親戚に狩人がいた。親父が小さいころ、その狩人はケモノに食われて死んだそうだ。それまでは随分と良くしてくれていた人で、どうしてと、何度も泣いたと聞かされたよ。そうして狩人が人の身で大空洞に潜ることを憂いた。暗い道を進み、木々を切り開き、ケモノを打ち倒す。人の代わりを機械がすればいいんじゃないかって。でもそれだけじゃない。親父は、その機械に自分を託したんだ」

 どういうことか分かるか。門田の口調に熱がこもった。

「自分がそこにいなくても、この世からいなくなったとしても、暗がりに孤独でいる誰かの傍にいたいと、そう思ったんだ。……そうだ。私たちは子供だった。だが、その時に見た思いが、夢が、今も私たちを動かしている。いいかルドラくん。部品はただの金属の集まりじゃない。そこには確かに人の熱が、思いが加わっているんだ。技術云々はそれからなんだ」

「夢では何も掴めん」

「夢の何が悪い。人間が何かを創り出そうとするのはいつも夢からだ。荒唐無稽かもしれない。誰かに笑われるかもしれない。でも、夢を見て、形にしたいという熱意が人を動かし、ものを生み出してきた」

 ルドラは首を傾げた。

「よく分からんな。その思いに見合った金を積めということか?」

「君が札束で空を飛び、海を渡れるならそうするといい。しかし私たちは動かんぞ」

「ふ。動いたろう。金で。イシャンにぺこぺこして、跪いていた」

「金だけじゃない。私たちは金に跪いていたわけじゃない。……イシャンくんは確かにわがままだ。横暴とも言える。しかし彼には大いなる熱意があった。夢だよ、ルドラ君。私たちは彼の夢に惹かれた。誰だってそうだ。夢を見て、形にしたいと熱望する。私たちは彼の熱意に浮かされたんだ。いいものを作ろうと、そう思えたからこそ彼の話を引き受けた」

「しかし作っているのはおもちゃだ。……いや、もっと酷いものだ。あれはあまりにも醜悪だ」

「違う。いつか役に立つものだ。私が死んでも、君が死んでも、後世の狩人たちの助けになるものだ。私たちはそう信じた。親父だってそうしただろう。子供の夢だと笑えばいい。だがな。子供の夢を叶えられんで何が技術者だ。彼は言ったんだ。我々にしか頼めないと。それに応えられないで何が、何がっ……! いいか。私たちは金には屈さんぞ」

 門田の言葉を受け、他の従業員らも頷き、ルドラをじっと見据えた。

「好きにすればいい」

 言って、ルドラは作業場の出入り口に目を向けた。つられた皆がそちらを見ると、燕尾服の男に連れてこられたであろう、門田民子の姿があった。彼女は手を振り回して暴れようとするが、男に腕を掴まれて顔をしかめた。

「民子ォ!」

「ごめん、お父さん……」

 うなだれた民子を見て、門田は歯を食いしばった。

「門田社長、会社を畳め。そうして全てを俺たちに明け渡せ」

「民子に何かしてみろ! ただではすまさんぞ!」

 門田に続き、縛られたままの従業員たちが無理やりに立ち上がり、威勢のいい声を発した。彼らにとっても民子は娘のような存在であったのだ。門田たちはルドラらに詰め寄ろうとするが、

「聞き分けがないな」

 空気が震えた。ルドラの瞳に光輝が宿ったが、その意味が分かったのはイシャンだけだった。彼は、門田たちに大人しくするように言ったが、少しばかり遅かった。

「うおあああ!?」

 門田製作所に雷が落ちた。落雷はその場にいたものたちに立っていられないほどの音と光を見舞う。ばちばちと火花が散り、機器がショートする。その音と、従業員らの低い呻き声が混ざって聞こえた。

 殴られて倒れていたイシャンは見た。雷は、作業場の隅にあった機械に落ちた。音と光が失せた後、そこに立っていられたのはルドラただ一人だけだった。彼は周囲を見回し、口を開く。

「次は生きたものに落とす。だが、その前に」

 ルドラはイシャンに目線を向けた。

「この国の連中は暴力に疎い。血を見れば少しは話が分かるようになるか」

「待て! 待てっ」

 門田が叫ぶもルドラは止まらなかった。彼はイシャンの頭を小突き、それから腹を蹴った。

「うあ……っ」

 イシャンは腹を両手で押さえた。ルドラは彼を立ち上がらせて壁に押しつけた。後頭部をぶつけたイシャンは声を上げかけたが、ルドラがそうはさせなかった。

「喚くな」

 ルドラがイシャンの喉を腕で圧迫するようにすると、イシャンは息苦しいのか涙目になる。

 ルドラは続ける。絞め続ける。イシャンは酸素を求めて口を動かすが、呼吸は自由にならない。空っぽになった腹にパンチが入る。軽いジャブだが彼を喘がせるには十分だった。そのうち、イシャンの意識が朦朧としてきたらしく、手足から力が抜けていく。そこを見計らい、ルドラは彼を解放した。自由になった途端、イシャンは必死になって呼吸を試みる。新鮮な空気を幾ばくか手に入れたところで、ルドラはまたも彼を絞めつけた。そうしてまた、彼に手を上げた。

「なんでっ」

 嬲られるイシャンを見て、民子が金切り声を発した。

「分かったって言ったじゃん!? もういいって! 殴るのやめたげてよ!」

 なぜ。

 どうして。

 民子は問う。ルドラは答えるどころか彼女に視線の一つもやらなかったが、答えは決まり切っていた。私怨である。

 六年前。イシャンが八つの頃、ルドラは彼に打ちのめされて平伏した。絶望し、怒りのあまり自死すらも考えたが、姉であるダミニの言葉がルドラを現世につなぎとめた。


『腐らないで』


 生きてさえいればいいことだってある。その言葉を信じた。そうすることでダミニの想いを信じたかったのだ。そうして、成った。

 ルドラは六年もの間イシャンに仕えた。いつだって腸は煮えくり返っていた。いつか彼を跪かせて、姉を死に追いやったチャウドゥリーの家に痛恨の一撃を与える。それだけが希望だった。イシャンが友好都市であるメフへ行くことを聞き、その夢は叶うと確信した。故郷を出てもなおその態度を改めず、イシャンは横暴だった。そのままであってくれ。ルドラはそう念じた。そうであれば、この思いが、復讐の熱が冷めることはない。

 復讐の対象はイシャンだけではない。彼を手にかけた後はチャウドゥリー家を亡ぼす。自分の生まれ育った国にはない技術を用い、この国で目覚めた異能を操れば不可能ではない。

 この、《喪失の響き(インドラ)》さえあれば。

「……うっ、うあ、ああ……っ」

 ルドラはふと、イシャンを見下ろす。彼はいつしか蹲っていて、ロケットペンダントを抱えるようにして泣いていた。涙と鼻水と血を流し、許しを請うようにして。

「助けて、姉上、あねうえぇ……」

 復讐心が少し、萎えかけた。

 自分を苦しめていたのは、こんなにもちっぽけな存在だったのかと。ルドラはしかし迷わなかった。彼を黒焦げにすることが希望の始まりなのだ。

 代わりに芽生えたのは妙な感覚だった。泣いているイシャンをじっと見ていると、やはり、彼がダミニと瓜二つなのだと思い知る。文武に秀でた姉はついぞ他人に涙を見せなかった。少なくともルドラに対しては。彼女が鼻水を流して許しを請うことも想像できなかった。到底、手の届かない存在だったのだ。

 イシャンはダミニではない。だが、どうしても重ねて見えてしまう。ルドラの背筋にぞわりとした快感が蠢いた。

「甘えん坊だな、イシャン」

 ずっと、ダミニの幻影に縋りついていればいい。ルドラの目に光輝が宿った。それと同時、作業場が静まり返って、どよめいた。彼も何気なく、皆の視線につられて振り向いた。


『腐らないで』


 いつまでも耳に残る声が、また、蘇った。

 ダミニが笑っていた。ルドラの視線の先で、この世から消えてなくなったはずの、唯一無二の女が。

 ルドラの喉から声が迸りかけた。

「ねえ、さん……?」

 無論、ルドラが見ているのはダミニではない。彼がおもちゃだと断じ、醜悪だと吐き捨てたものだ。イシャンが門田製作所に依頼した人形である。その、動くはずがない人形が独りでに立ち上がっていたのだ。

 作り物。紛い物。本当の姉ではない。そんなことは分かっている。しかしルドラは膝をついた。堪えていた熱をぶちまけた。

「なぜだっ。どうして(・・・・)っ!? どうしてそんな風に俺を見る!?」

 ルドラは叫んだ。

「姉さんの言うとおりにしたんだ、俺は! 生きてさえいればって……! なのに、どうしてだ!?」

 ルドラの周囲で火花が散った。彼はまだ、己に巣食った異能のことをよく分かっていなかった。半狂乱のまま《喪失の響き》を使おうとした。何もかも。全て、吹き飛ばすつもりだった。しかし、歪み、曲がり、動揺した心には誰も応えない。雷は落ちなかった。落ちてきたのは幸だった。

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