猟団を作ろう
人は夢を見る。
夢を見ながらにして生きていく。
それは儚い幻か、希望か。そのどちらかを判断できるものはいない。あるいは熱に浮かされ続けられたものだけが掴めるものなのかもしれない。
メフの捌区にある門田製作所は金属部品の町工場だ。古く、小さな会社だが大崩落後の荒波を乗り越えて、細々と稼働を続けていた。しかし、開発中だった部品製作は遅々として進まず、銀行から融資を打ち切られ、会社は倒産間近、工場は閉鎖寸前という状況に追い込まれていた。
「もうおしまいだ」
誰もが諦めかけた。
だが人生はいつだって七転八倒。捨てる神あれば拾う神あり。門田製作所を救ったのはとある産油国からやってきた、やんごとなき身分の御方だった。彼らは門田製作所の技術力に目をつけるやスポンサーとなり、傾きかけた会社はぎりぎりで立ち直った。こうして製作所は二度目の荒波に呑まれることなく、再びモノづくりの大海へと漕ぎ出すこととなった。
「やったぜ」
誰もがもろ手を上げて喜んだ。
だが人生はいつだって七転八倒だ。神は神でも貧乏神や死神だっている。門田製作所を救ったスポンサーは、別のものを作れと方向転換を迫り、工場では横柄に振る舞うようになったのである。地獄の沙汰も金次第。スポンサーの意向に逆らうこともできず、製作所の面々は金の威光に跪かざるを得なかった。
そんな状況を誰よりも憂えていたのは、製作所の社長、門田民雄の一人娘である民子であった。
民子は今年で十六歳。女子高生である。幼い頃ならともかく、今は鉄と油の臭いが充満する工場に好んで足を踏み入れようとは思わない。それでも曾祖父の代から続き、自分を育ててくれている父親が、よく分からない相手に頭を下げてまで必死になって切り盛りする工場が消えてなくなることを承服できなかった。
果たして何が悪いのか。誰が悪いのか。金か。いや、違う。悪いのはあのスポンサーだ。どうにかしてやりたい。民子は十代特有の軽率さとフットワークの軽さをいかんなく発揮し、現状を打破してくれるであろう人物とのコンタクトを取った。
幸は身を乗り出すようにしていた。窓口の古海は彼の熱気に押されていた。
「……本当に作りたいの?」
「そうした方がいいんじゃないかって。あ、ちゃんと叔母さんにも許可をもらってます」
「あいつめ……」
「何か言いました?」
「ううん」
古海は笑顔を取り繕うも、すぐに渋い顔になる。幸は少し不安になった。彼は市役所の環境整備課扶桑熱係で猟団立ち上げの手続きを行いたい旨を伝えたのだ。だが古海は賛同しなかった。
「学校で部活を作るのとは訳が違うんだけどな」
「分かってます。でも」
「そもそもー、幸くんはまだ見習いなんですけどー、自分の足元も定かじゃない子が猟団を作るって言うのはー、どうかと思うんだけどなー」
「作っちゃダメってルールがあるんですか」
古海は口ごもった。猟団を作るにあたってそのようなルールは特にない。幸の保護者であるむつみの許しは必要だが、今回に限ってはその保護者が焚きつけたような話なのだ。更に付け加えるならば、幸は何も一から猟団を立ち上げるわけではない。むつみの猟団を譲り受けるだけだ。問題はない。
「あります」
「……あるんですか」
「そう、あるの」
幸はうなだれた。古海は、可哀想だとも思ったが《百鬼夜行》の名が再びメフで流れるよりはましだと自分を納得させた。何より彼女は幸が自分の手の中から離れていってしまうようで妙に物寂しかったのだ。彼に狩人としてのいろはを教えたのはほかならぬ古海である。先日も廃棄された団地で勝手に暴れ回っていたという話も聞いている。
諦めろ。古海は祈るようにして幸を見つめた。
「それじゃあ……」
「うん」
「どうすれば猟団を立ち上げられますか」
「うっ」
古海は頭を抱えそうになった。幸の意固地ぶりは知っていたので、やはりという感もあった。
「どうすればって……」
椅子から立ち上がった幸は、熱を帯びた視線を古海に向ける。
「ぼくが、ぼくが見習いじゃなくなればいいんですか」
「ま、まあ、それだけじゃないけど」
「他は。あとは何をすればいいんですか」
「そ、それは……」
古海は時計に目を遣った。じき、十七時になろうとしていた。彼女は息を呑む。
「あ、時間ね」
「えっ」
「窓口は午後の五時まででーす。それじゃあ幸くん、また来てね。はーい今日はここまで」
「ずるい!」
「ずるくないです」
書類やらを片付けつつ、古海は胸をなでおろすような思いだった。幸は憤慨する。
「ずるいっ。もういいです」
「おっ、諦める?」
「古海さんなんか嫌いだから、別の人にお願いします」
古海は愕然とした。幸が自分を嫌いだと言い放ったこともそうだが、そのことについて想定外のショックを受けていたという事実に気づいたのも痛手だった。たかが十六か十七の子供に嫌われるだけだというのに、彼女は平静を装うのにいっぱいいっぱいだった。
「へえ、そう。じゃあそうすればー」
「そうします。今までお世話になりました」
背を向けた幸の一言が古海の心を傷つけた。
「随分な言い草じゃない!? そんなすぐ人のことを嫌いだとか言っちゃうのってよくないと思うんだけど! あっちょっと待ってウソごめん! ちゃんと考えとくからちょっと待ってて!」
「で、どうだったの」
夕食の際、幸は市役所でのことをむつみに話して聞かせた。彼女は何もかもを見通していたとでも言わんばかりの様子で頷く。
「そうなると思った」
「それで、古海さんはどんなことを言ってくると思いますか」
「んー? そうだなあ」
むつみは楽しげだった。同僚が慌てふためいていた様を想像していたのかもしれなかった。
「見習いどうこうっていうのはさ、結局古海の主観でしかないからね。あいつが『もういいよ』って言ったら君は見習いじゃなくなるけど、そうはならないだろうし」
「はい」
「ま、無難なところで旧市街かな。そこを二人で抜けていく。古海はそう考えていると思うよ」
「旧市街って、大空洞の?」
そう。むつみは頷いた。
「あとは……推薦状かな。他の猟団から『どうぞ猟団を立ち上げてください』っていう許可をもらってこい、とかね」
「難しそう……」
「知り合いがいないと始まらないからね。でも、たいていのことはそうじゃない? ほら、ラーメン屋さんの暖簾分けとか」
幸は知り合いに猟団に属するものがいないか考えていたが、むつみがくすくすと笑っているのでそちらに気を取られた。
なんですかと目だけで訴えてみると、むつみはパスタをフォークでくるくると巻いた。
「行動に移すのが早いなあって。そんなにお山のてっぺんに立ちたいの?」
「そうしたら少しは叔母さんに近づけるじゃないですか」
「私に?」
「だって叔母さんったらとんでもなく高いところから見下ろしてくるし」
「君は小さいからね。ほら、おかわりもあるからいっぱい食べて大きくなりなよ」
「ほら、また」
言いつつ、幸は空になった皿を差し出した。
「でも、本当にいいんですか」
「んー?」
「猟団ですよ。ぼくにあげるって」
むつみは目を細める。
「いいよって言ったじゃない。そんなたいそうなものじゃなし、今だってあってないようなものだしね」
「古海さんはそういう感じじゃなかったですけど」
「ま、あいつからすればそうかもね」
空になった皿を持つと、むつみは立ち上がってキッチンの方へ向かった。
「とにかく、私がいいって言ってるんだから頑張りな。それよりも、何かない? 最近退屈でさ」
「本や漫画は読んじゃったんですか?」
「うん。ボードゲームも一人でやると切ないし。……少年。ここしばらく、私がいない間にテレビゲームやってなかった? あれ、私もやってみたい」
「どうぞ」
「すげないなあ。教えてよ」
ええ、と、幸は露骨にめんどくさがった。面倒だがむつみに対して何かアドバンテージが取れるのではないかとも考えなおした。
「どんなのがやりたいんですか?」
「どんなのがあるの? よく分かんなくってさ」
「色々ありますよ。うちには、モンスターを倒すやつがありますけど」
げー、と、むつみは嫌そうな声を発する。
「現実でもケモノ狩って、ゲームの中でもそういうことやるのは世知辛いよ」
「じゃあ今度新しいの買ってきます」
「そう? それじゃあ、その時は言いなよ。お小遣いをあげるから」
珍しいこともあるものだ。幸はそう思い、少し警戒もした。むつみから学校や生活に必要なもの以外で何かもらった覚えがなかったからだ。
「……何。その顔は」
「ぼく、どんな顔してました?」
「家の中にケモノが出たような顔をしてた」
おおむね当たっている。しかし幸は知らぬふりを通した。
「叔母さんにぴったりな、可愛らしいゲームを買ってきますね」
「クソガキ」
翌朝、幸は携帯電話がぶるぶると震える音で目を覚ました。見ると、葛からのメッセージが届いている。至急連絡をよこせとのことだったが、今までの経験上『暇だから面白い話をしろ』だの夜中だというのに『近くにいるから出てこい』だの猥褻な画像が送られてきたりだのろくなことがないので無視しておいた。どうせ登校すれば彼女に捕まるのだ。
身支度を済ませた幸の気は少しばかり重たくなり、足を引きずるようにして通学路を歩く。後ろから声を投げかけられた時、彼は弾かれるようにして振り向いた。
「……なんですか、その反応は」
声をかけた方――――幸のクラスメートであるリリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラは人馬特有の位置にある耳をぴくぴくとさせていた。葛ではなかった。幸は安堵の表情を浮かべる。
「ううん、何でもない。おはよう、リリちゃん」
「おはようございます。……その子供っぽい呼び方はどうにかなりませんこと?」
「子供っぽくない呼び方って?」
「『さん』づけでよろしいのではなくって」
幸とリリアンヌは並んで歩きだした。彼女の方は幸の歩幅に合わせるのに難儀していたが。
「だってリリちゃんはリリちゃんって感じだし……」
「私が子供っぽいということでしょうか」
「えー? リリちゃんって呼ばれるのイヤ?」
「いや、というわけでは」
「リリちゃんは何を言ってるの?」
リリアンヌはため息をついた。
「あ。今日も靴とリボンを変えたの?」
「ええ」
「似合ってるね」
「ええ、でしょうね」とリリアンヌは髪の毛をかき上げる。セットに時間をかけた自慢のヘアスタイルだった。そのために早起きしなければならないのはかなりの苦痛だが、淑女はそんなことをおくびにも見せない。
「ポニーテール好きなの? やっぱりケンタウロスだから」
「……馬鹿にしてますわね。私はポニーではありません。ええ、気に入っているのは気に入っておりますが」
「似合ってるもんね」
「ええ、ええ、でしょうね」
ふと、幸はあることを思いついた。
「リリちゃんは狩人だよね。もしかして猟団に入ってない?」
ふ、と、リリアンヌは不敵な笑みを浮かべた。
「群れに答えなどありませんわ。強者はいつだって孤高であり、ド・ッゴーラに並び立つものなどおりませんもの」
「そっかあ。残念だなあ」
「何がですの」
「ううん。いいの」
「よくありません」
「いいの」
「よくありませんっ」
リリアンヌが白い手袋を投げつけようとしたので、幸はそれを押しとどめた。
「どうどう」
「決闘! 決闘ですわ!」
リリアンヌは朝から元気だなあと思う幸だった。
朝のHRでも、授業を受けている間も、昼ご飯を食べている時も、幸は古海を納得させる術を考えていた。しかし考えても考えても大したことは思いつかず、むつみのアドバイスに倣うほかないという結論に達した。すなわち他の猟団から推薦状をもらう、である。問題はコネがないことだ。困った挙句に幸は山を登った。目的は《十帖機関》である。鳥居の近くで掃き掃除をしていた織星を見つけると、彼は推薦状めいたものが欲しいと訴えた。
織星は掃除の手を止め、目をくりくりと動かした。
「八街くん。自分で猟団をやるんですか」
「はい、そのつもり、なんですけど……」
「はあ。だったら、初音さんにお話した方がよさそうですね」
「もらえますかね、推薦状」
「大丈夫だと思いますよ」
幸は拍子抜けした。《十帖機関》は他の猟団とは立場が違うと聞かされていたからだ。
「ついてきてください。あ、他の巫女には話しかけないでくださいね」
織星のあとを歩きながら、幸は小首を傾げた。
「だって八街くん嫌われてますからね」
「まだだめですか」
「だめですねえ。それこそ蛇蝎の如く」
幸は気落ちしながら社務所に向かう。客間に通され、ここで待つように言われて所在なげにしていると、襖が勢いよく開かれた。みょうちきりんなポーズを決めた天満がいた。彼女は背負っていたランドセルを畳の上に放ると、幸の傍に座って平手をかました。
「推薦状が欲しいの?」
「うん」
「いいよー、書いたげる」
天満は放り投げたランドセルを引き寄せると、その中から筆記用具と学習ノートを取り出した。彼女は卓上に蛍光色のペンやステッカーを広げ始める。幸はその様子を黙って見守っていた。
「すいせん、すいせん、推薦状ーってどう書くんだっけ? あのねー、読めるんだけど書けないの。ひらがな混じっててもいいよねー……『やちまたくんが、りょう団を作ることを許可します』……あとはー、やちまたくんをいっぱい褒めておくね」
やたらカラフルに彩られた天満お手製の推薦状を受け取った幸は、ぎこちない笑顔でお礼を言った。
「あれ? なーんだ、さっちーもう推薦状書いてもらってるじゃん」
「え? あ、こんにちはです」
「んー」と、織星に連れてこられた初音は天満の書いた推薦状を眺めた。
「おおー、天満ちゃんよーく書けてるねー」
でしょう、と、天満は得意げだった。
「話は聞いてるよー、さっちー。けどなんでまたややこしいことをやりたがるかなー。しかも」
「しかも?」
「……《百鬼夜行》の名前は変えたら? 他の猟団からよく思われてなかったしさ」
「そうなんですか。でも、どうしてまた」
初音は幸の近くに座り、苦笑した。
「そりゃもう強くて大きなとこだったからね。大空洞の攻略を進めたのはいいとして、出てきたもんまるっと根こそぎにしてくんじゃ他の人たちからすると面白くないでしょ」
「そのせいで、対抗勢力として《騎士団》が作られたと聞いてますし」
織星が小さく頷いた。
「ま、さっちーは変なことしないだろうけどね。ただ、変なのに絡まれないように気をつけた方がいいよ。特に《騎士団》には自分から近づかないこと」
「そうします」
幸は少し不思議に思っていた。そも、彼は《百鬼夜行》のことをほとんど何も知らない。唯一彼らについて知っているであろうむつみも多くは話したがらない。幸はむつみの真意をはかりかねていたが、彼女の心情を見通せたことなど一度だってなかった。