メンズーア<4>
蘇幌学園の二年一組で行われていた、八街幸とリリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラの決闘がマンネリ化するのも無理からぬ話だった。そもそも飽きられつつあった。
そのことを半分喜び、半分残念に思うものが二人いた。生徒会選挙活動中の葛と藤である。二人は、幸とリリアンヌの決闘を見物している生徒たちからコツコツ票を集めていた。何せ決闘には学年を問わず、男女を問わず、人間も亜人も問わず、教師ですら集まっていたのだ。これは二人にとって楽だった。しかし、同時に決闘はライバルでもあった。決闘の方が盛り上がって誰も選挙に興味を持たなかったのである。イベントの日程が丸被りしているようなものだった。
「なー、次の決闘さー、あーしから提案があるんだけど」
ある日、葛は決闘を取り仕切っている一組の男子に話しかけた。彼女は下品な笑みを浮かべていた。
「あの二人も生徒会選挙に出させたらよくね?」
「は? なんで?」
「全校生徒からどっちが上か決めてもらえばいいじゃん。もう決闘とか下火っしょ? ちょっとずつ見物客減ってんじゃん。だったらさー、最後にでけーことやって終わらせた方がよくない?」
「……確かに」
一組の男子は葛の甘言に乗った。彼女はほくそ笑んだ。その様子を物陰から窺っていた藤もほくそ笑んだ。
葛たちの狙いは、盛り上がらない選挙活動にちょっとした刺激を、といったところだったのだ。これで決闘に注目していたものも自分たちの選挙活動のことが目に入ってくるだろう。そう考えていた。
「あなた方に興味などありません。私がこの学園の生徒会長になっても意味がない。しかし、それでも私はリリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラ。生徒会長になった暁には、できる限りの力を尽くすことをお約束しましょう」
立候補の日、リリアンヌは壇上でこう告げた。彼女は、葛たちの意に反して同性や亜人からの人気を獲得した。元より、リリアンヌは注目を集めていた人物だ。立ち居振る舞いは凛として、学園の亜人たちからも特別視されていたのである。
これが決闘などとは、馬鹿らしい。
ただし、リリアンヌは決闘の完全決着を生徒会選挙で決めるのは理解しがたいと考えていた。
リリアンヌの人気に焦ったのは葛と藤だけではない。一組の男子もそうだった。
「くそァ! どうやったら委員長を生徒会長にできるんだよ!」
「八街てめえ緊張してカミカミだったから、何言ってるか分からなかったじゃねえか!」
「ええ? でも、しようがないよ。それにぼくは生徒会長になりたいなんて一言も……」
「うるせえよ!」
田中大が叫んだ。
「ねえ、もう決闘はぼくの負けでいいからさ」
「ヤチマタ! お前何言ってんだよ!? 負けてもいいのか!?」
翔一が八街の肩を揺さぶる。
「いいよ」
だめだと周囲から声が上がる。翔一は大きく頷いた。
「ここでお前が諦めちまったら、リリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラだって肩透かし食っちまう。あいつは真剣なんだ。だったらお前だって真剣に相手してやんなきゃ嘘だろ! それによう、いつまでも決闘なんてしたくないだろ」
「うん。もういいよ。こりごりだよ」
「だよな! だったらここで頑張って決めようぜ! そんでみんなで親睦会だ! 俺たちは同じクラスで、仲間なんだ!」
「……本当?」
「おう」
一組の男子らは声を揃えて言った。幸は、彼らの熱意に応えようと決めた。
「分かった。頑張ってみる」
「よっしゃ、ようゆうたな委員長! うちも応援するからてっぺん取ろうや!」
幸を援護しているのは主に一組の男子である。彼らは、幸を生徒会長にして自分たちの欲望を満たすルールやイベントを作ってもらおうとしていた。手八丁口八丁、想像できること、様々な手を尽くして着々と票を集めるが、女子三人には及ばない。生徒会選挙レースは、八街陣営が大きく突き放されてのスタートとなった。
ここにもう一人、頭を悩ませる人物がいた。
現生徒会長、長田長巻である。彼は相変わらず葛と藤の板挟みにあっていた。ぎりぎりまで返事を引き延ばしていたが、もう選挙は始まってしまった。これ以上は二人だけでなく、その周囲にまで迷惑をかけてしまう恐れがあった。
「くそ……」
長田は眼鏡を外し、瞼を擦る。座り慣れたはずの生徒会室の椅子も、今ばかりは居心地が悪い。気分転換をはかって廊下に出て、窓を開けた。涼しい風が吹き込んできて彼は生き返るような思いだった。しばらく窓際に佇んでいると、昇降口の方から大きな声が聞こえてきた。
「……あれは」
はちまきとたすきをかけた幸が、小さな体をめいっぱい折り畳むようにして頭を下げていた。その後ろには彼のクラスメートたちが、喉が嗄れてしまいそうなほどの大声を放っている。下校する生徒たちは彼らを半ば無視していたが、それでも幸たちは演説を続けていた。離れた場所にいてもその熱意は伝わった。
「今日から生徒会選挙のアドバイザーがつきました。ええと、現生徒会長の長田先輩です」
「ご紹介に与りました、三年の長田長巻です。知らないものもいるかもしれないが、よろしく頼む」
「お、おお……?」
二年一組の教室は妙な空気に包まれつつあった。長田はそれを知ってか知らずか、教壇の前に立って皆を見回す。
「君たちの、学校をよくしたいという思いは伝わった。微力ながら、俺はその熱意に応えたいと思う」
「い、いいんすか? その、本当に?」
翔一は恐る恐る尋ねた。長田は自らの胸に手を当てた。
「もちろんだ」
罪悪感でいっぱいになった一組の男子たちは沈痛な面持ちになっていた。長田は気にせず話を始める。
「俺の目から見て、八街くんは他の候補者三人と水を開けられている。しかし取り戻せない差ではない。経験から言えば、選挙というのは当日まで何が起こるか分からない。その日までに生徒たちの心だってがらりと変わってしまうからな」
「でも、心変わりするなんてあるんかな?」
「親がタダイチに勤めてるやつは葛に票を入れるだろ。いかるが堂だったら鵤に入れるだろうし」
「亜人の生徒はリリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラで決まりだろうし」
「その可能性は大いにある。だが、ここは学校だ。タダイチもいかるが堂も関係ない。それに、悲しいことだが大多数の生徒は生徒会長だのに興味はないんだ。誰が会長の席に座っても自分とは関りがないと思っている。だから誰に票を投じてもいい。どうでもいい。そう思っている生徒がほとんどなんだ」
幸は長田の話を大真面目に聞いていた。
「付け入る隙はある。ここは方針を定めておこう」
「方針ですか?」
「ああ」と長田は眼鏡の位置を指で押し上げた。妙に生き生きとした表情であった。
生徒会選挙に大わらわなのは生徒たちだけではない。頭を抱えていたのは教師陣もである。
生徒会長には相応しい人物がなるべきだ。教師たちの考えとしては、生徒会の経験があり、真面目で大人しい生徒に会長職を任せたいのだが、蘇幌の校風は自由で適当だ。生徒にもそういったものが多い。自由で、適当。その筆頭たる藤と葛に好き勝手にやられてはたまらなかった。ただでさえタダイチやいかるが堂から突き上げを喰らい、プレッシャーをかけられ続けているようなものなのだ。
「どうしたものかね」
「い、いや、鵤くんは真面目ですよ」
とある男性教師が藤を擁護した。彼は藤の担任である。
「衣奈は一年ですし、ああいう、その、今風の子です。転校生はそりゃあ向こうでは名家の子でしょうが、ここは売布ですよ」
藤の担任は職員室を見回した。
確かに。そのように頷く教師も多かった。
「鵤くんで決まりですよ、ここは」
「あー、八街って生徒はどうですか?」
「……やち? ああ、あの生徒ですか。いや、あの子はちょっとほら、頼りないというか」
藤の担任がそう言った瞬間、先まで一言も発していなかった鉄が立ち上がった。
「く、鉄先生? あの、何か?」
「鵤さんは真面目な方かもしれませんが、衣奈さんに引っ張られて好き放題する可能性が高いかと。あの二人が揃うととんでもないことになりかねませんよ」
鉄が、藤の担任をねめつけるようにして見据えつけた。
「事実、鵤さんと衣奈さんの対立があって、理事会が変わったのでは」
「まあ、それもそうですね。確か、学年は違うけど、あの二人は幼馴染でしたか」
「衣奈が留年しましたからね」
「鵤さんが衣奈さんに突っかかってるところはよく見かけますよねー」
「うっ、ぐ……」
藤の担任は押し黙った。そこを鉄が衝いた。
「その点、八街さんなら問題ありません」
「しかし、彼は何か、狩人志望とか」
「うーん、そういう子はちょっと……」
だん、という音がした。職員室がしんと静まり返る。鉄は、握り拳を机から離しつつ、素知らぬ顔で言った。
「失礼。蚊が飛んでおりましたもので」
「あ、ああ、そうですか」
「それじゃあ、その、八街くんで決まりということで?」
「ですかな。それじゃ、いつものように手助けしましょうか」
長田が話し終えた後、翔一は小さく手を上げた。
「ってことはなんすか? 教師が工作するってことなんすか?」
「まあ、そういうことになるだろう。生徒会長が好き勝手にすることは許されないからな。だから教師側でこれはと見繕った会長候補を出馬させたり、あるいは、票の操作もやっているのかもしれん」
「酷くないすか?」
「俺の憶測でしかないが、これまで問題児が生徒会長になったという話は聞いたことがない。学園側が上手く手綱を取っていたんだろう。ともあれ、教師受けのいい八街くんの取る戦略はこれしかない」
「……具体的にはどうするんすか?」
長田は握り拳を作った。
「真面目にコツコツ、だ! 声を張り上げ、熱意を伝える。学校をより良いものにすると言い続けるんだ。心配はいらない。俺に伝わったんだ。君たちの言葉はみんなにも伝わるに違いない」
「そうですね!」
幸はすっかりやる気になっていた。しかし彼は知らない。この後、学校が何となくギスギスしていくことを。亜人寄りのリリアンヌ。比較的教師受けする幸。生徒たちの人気を二分する葛と藤。四人の争いは、既に彼らだけの争いではなくなっていたのだ。
幸は選挙活動をしながらも狩人として廃棄された団地に赴いていた。
この場所には主に二種類のケモノがいた。以前オリガが仕留めた犬のようなものと、猫の姿に近しいケモノである。どちらも異形化していたが共通点があった。それは、やはりこの団地の一室を住処としているという点だった。それも個体によって決まった場所を塒としている。団地の周辺にはケモノが多くいるだろうが、その縄張りが被ることもめったになかった。
「ここのケモノどもは、きっちり、自分の寝床はここだと認識している」
オリガが腕を組みながら言った。幸は鉈の血振りをしてから彼女に向き直る。最初にここに来た時から数えて三匹のケモノを狩った。まだ一棟目の探索が終わったばかりである。ここら一帯に生息しているであろう異形化した犬猫を全滅させるまで、いったいどれほどの時を要するのだろうかと少し不安になっていた。
「一度下りましょうか」
二人は建物の外に出たが、幸は妙な気配を感じた。向かいの棟から大きな物音が聞こえてきたのである。彼らは足音を殺しながらそちらに近づく。階段を上り、二階にある、扉が開け放たれた部屋に鮮血が舞った。鉈で切り裂かれたケモノが舌を出し、四肢を投げ出すようにして伸びていた。それを見下ろすのは人馬の少女であった。彼女はジャージに身を包み、得物を提げている。家具や家電で散乱した室内、佇む少女の横顔が、窓に差す夕陽に照らされていた。
「……あなた方も狩人ですか」
少女が玄関の方へ顔を向ける。幸が小さく頷き、遠慮がちに口を開いた。
「リリアンヌさん?」
相対するものがクラスメートだと気づき、リリアンヌは眩しそうに目を細めて幸の姿を認めた。そうして、薄い笑みを浮かべる。
「委員長。そうでしたか。あなたも、狩人だったのですね」
「サチーシャ。知り合いか」
オリガの問いに頷いて返し、幸は瞬きを繰り返した。
「リリアンヌさんも」
「ええ」とリリアンヌは得物を鞘に納めた。彼女は腰から四つの袋を提げている。背には鞄を背負っていて、腕にも妙な装置がくっついていた。
幸は、どう声をかけていいものか考えあぐねていた。
「あの、リリアンヌさん」
リリアンヌは白い手袋を取り出した。
「私は最初からどうかと思っていましたの。知らなかったとはいえ、今までは狩人二人の決闘には相応しくないものばかりでした。ですが」
白い手袋が、部屋の中に投げ捨てられる。
「拾いなさいな、委員長」
「なんで……」
リリアンヌは笑っていた。子供のように無邪気な笑みだった。
「勝敗を決しましょう。私とあなた。どちらがより優れているのかを……そうですわね」
「話を進めないでよ」
「どちらがケモノを多く狩れるかを競いましょう。狩人には相応しい方法ではなくて?」
「ケモノを……?」
オリガはリリアンヌの言葉を鼻で笑った。
「面白い。よく分からんが因縁があるんだろう? 受けて立て、サチーシャ」
幸は首を横に振った。
「嫌だ」
「今、何とおっしゃいましたか」
「嫌だって言ったの」
幸の脳裏に、売布に来てから今までのことがよぎっていた。色々な人と出会い、ケモノと出くわした。時間が経ち、季節が変わった。それでも変わらないものはある。
「決闘するのが怖いと?」
リリアンヌは挑むような目つきである。
「駆けっこも早食いも生徒会の選挙も、ぼくはそういうのでもいいと思ってる。でも、嫌だ。狩人を遊びに使うなよ」
「……遊び?」
「遊びだろ」
幸は断言する。リリアンヌの頬は怒りか、あるいは羞恥か、朱に染まっていた。
「そう。そうですか」
リリアンヌは部屋を出て行こうとする。彼女は去り際、幸の顔をねめつけた。
「後悔なさらないことね」
しばらくの間、幸は何もしないで、ただ廊下の壁にもたれかかっていた。
「……学校の友達か?」
「友達……そうなれればって思ってます」
「そうか。すごい目で見られていたな」
「ちょっとびっくりしました」
「そうか」とオリガは幸の頭に手を置いた。
「なんですか」
「勝負とか言ってたが、お前は受けると思っていた」
「ぼくは、そういうのは嫌な感じがして」
オリガは小さく頷く。
「焚きつけて悪かったな。今日はもうやめにするか」
「いいんですか?」
「喫茶店に戻ろう。温かい紅茶でも淹れてやる」
幸はじっと目を瞑った。
「お菓子を買って帰りましょう」
「よし。ついでに酒も足しておくかな」
「また飲むんですか。あのきついお酒」
「ウォッカは祖国の誇りと恥だ。いい時も悪い時も傍にいてくれる、友人のような存在だ」
「ええー? そんなに飲んでたらだめになっちゃいますよ。友達ならぼくがいるじゃないですか」
「お前が酒の代わり……?」
そうですと幸は胸を張った。
「まだ早い。そうだな、三年経ったら同じことを言うんだな」
そう言ってオリガはスキットルの蓋を開けた。