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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
単槍匹馬Au pas caramades
76/121

メンズーア<3>



 土曜日の朝は晴れがましい気分で迎えることができた。幸はいつもより早く起きると、鬼無里の世話をしてから外出の準備を始める。リビングには誰もいなかった。彼はむつみの部屋の前に立ち、ノックしようとするがその手を止めた。疲れて眠っているであろう彼女を起こさず、こっそり出て行こうと思いなおしたのである。それから打算が働いた。恐らくだが、今のむつみの機嫌は悪い。やることなすことにケチをつけてくる可能性が高かった。



 家を出た幸は最初にがらがら通りに向かった。狩人として活動するために斧磨鍛冶店で得物を受け取るつもりだった。

「たかちゃん、久しぶり。あのね」

 店に入った幸が声をかけるも、カウンターには誰もいなかった。作業をしている物音も聞こえてこない。事前に連絡の一つでもしておけばよかったが、後悔しても遅い。店は開いているのだからいずれ誰か戻ってくるだろう。彼はここで待つことにした。

 店内の鉈や斧を眺めていると、嫌でも目に留まるものがある。鷹羽の兄が打ったという鉈だ。幸も一度使ったことがある。彼女には言えないが、レベルが違っていた。それをじっと見ていると足音が聞こえてきた。

「……あれ? お客さんか?」

 鷹羽だった。彼女は髪の毛をタオルで拭きながら、突っかけを履いて店の中まで下りてくる。そうして幸を認めるや嫌そうな顔になった。

「黙って入ってくんじゃねーっての。驚いちまっただろ」

「ごめんね。ここで待ってたら誰か戻ってくるかなって」

「だったら声くらい……つーかアタシに電話でもなんでもすりゃよかったじゃねえか」

 鷹羽は椅子に座り、髪の毛をくしゃくしゃにかき回す。周囲に水滴が飛んでいた。

「お風呂入ってたの?」

「おお、汗かいちまったからな」

「ドライヤーした方がいいんじゃないの? 髪の毛痛んじゃうよ」

「うるっせえなあ女子かよお前は。がたがた言うない」

 幸はカウンターに近づく。鷹羽の肌は上気していて湯気が立っていた。彼女はハーフパンツにタンクトップ一枚で相変わらず目に毒な格好である。幸は、上に一枚くらい何か羽織るべきではないかと口を開きかけたが、反論されるのは目に見えていたのでやめておいた。

「なんだよその顔は」

「ううん。何も。あのね、たかちゃん」

「たかちゃんって言うな。何の用だよ」

 幸が、預けておいた鉈を取りに来たのだと言うと、鷹羽はにんまりと笑った。

「おーおー、きっちり直しといたぜ。ひでえことしやがるよなあ、鉈がざっくりぼろぼろになっちまっててよう。もっと丁寧に扱えってんだ」

「ごめんね。それじゃあ、鉈を」

「おう」と言いつつ、鷹羽は椅子から動こうとしない。幸が不思議に思っていると、彼女は困ったように笑った。

「前に頼まれてたやつなんだけどよ、一応、やっといたぜ」

「……前に?」

 鷹羽は柳眉を逆立てた。

「ケモノの素材を使って二本目を打てって! お前がアタシに頭下げてたやつだよ! 忘れちまったのか!」

「そうなんだ。すごくタイミングがよかったね」

「へん。ちょっと待ってろよ」

 カウンターから出ると、鷹羽は自分が座っていた椅子を引きずるようにして幸の近くに置いた。

「座っとけ」

 言われたとおりに座ると湿り気を帯びていて何とも言えなかった。しばらく待っていると、鷹羽が鉈袋を二つ抱えて戻ってくる。彼女はそれをカウンターの上に置く。一つは幸が元から使っていたものだ。中身を検めると新品同様の鉈が現れて、彼は思わず顔を綻ばせた。ひび割れていた刀身も傷一つない。

「ありがとう、たかちゃん。すごいんだね」

「仕事だからな。それより見てもらいてえのはこっちなんだ」

 鷹羽が袋から出した二本目の鉈は、幸が最初に打ってもらった鉈と似ていたがそれよりも少し細かった。

「グリップはゴムにしといた。衝撃がマシになるってのと……お前から受け取ってたケモノの素材のせいでな」

「狒々色の素材がどうかしたの?」

「混ぜもんは好きじゃねえけどお前の頼みだったからな。できる限りやった。そんで知り合いの狩人に見てもらったんだけどよ。これ、妙な感触っつーか、手応えがあるらしい」

 幸は二本目の鉈を手に取った。軽く振るだけでも自分の手に馴染むだろうという感覚を覚えた。

「妙って、どんな風なの?」

「痺れるような感覚が手に伝わるんだとよ。狒々色ってなあサルのケモノで、雷かなんかをバチバチ使ってたんだろ? そいつの影響なんじゃねえかって」

「あ。感電対策で持ち手がゴムなんだ」

「気休めだ。アタシはケモノがどうだのあんまし信じてねえし、鉈から火だの水だの出たって意味なんかねえだろ。こいつの本分は叩っ斬ることなんだからな」

 幸は鷹羽に同意した。

「えっへへへ、ありがと。あ、お代は市役所の方に……」

「かーっ、ちゃっかりしてやがんな。ま、代金もらえりゃなんだっていいけどよ。鉈袋はサービスしとくぜ」

 鷹羽は鉈袋をひっくり返す。『やちまた さち』とひらがなで刺繍されているのが目に入って、幸は苦笑する。

「これ、たかちゃんがやってくれたの?」

「いいだろー? なくすなよ。あと、ちゃんと新しいやつ試し切りしてこいよ。感想教えろよな」

「うん、帰りに寄るからその時にね」

「おう。ちゃんと帰ってこいよ」

「うん、いってきます!」

 幸が手を振ると鷹羽も小さく手を振り返しそうになったが、彼女はその手を引っ込めた。



「遅い」

 拾区の端っこの団地が幸らの目的地だ。オリガは待ち合わせ場所のコンビニ前でスキットル片手に立ち尽くしていた。

「ごめんなさい、鉈を取りに行ってて」

 オリガは、幸が提げている鉈袋を認めて鼻を鳴らした。

「得物を使わねばならんとは、ちいこいのは面倒くさいことをやっている」

「狩人の人はみんなそうですよ」

「私は要らない。異能があるからな」

 オリガは自分の異能に絶対的な自信を持っているようだった。

「そういえば、オリガさんって色んな異能を使うんですよね。どうやったら二つも三つも異能が使えるようになるんですか」

「サチーシャも色々な異能を使えるだろう」

「それは、人のものを使ってるだけですから」

 幸は目を伏せた。

「行くぞ」とオリガは先んじて歩き出す。幸は彼女と並んで歩く。

「車いすはもういいんですね」

「自分の足で歩けるからな」

 なるほどと、幸は納得してしまった。

「とはいえ足が悪いことに変わりはない。しかし、いつまでも甘えていられんからな。使わねばもっと悪くなる」

「おばあちゃんですもんね」

「年寄り扱いするな。さすがにおばあちゃんと呼ばれるような歳ではない」

 オリガは憤慨していたが、幸が悪口を言って煽っているのではなく、単に真実を述べているだけということも知っていた。

 しばらく会話のないままの時間が過ぎたが、オリガが幸の様子を盗み見るようにしてから口を開いた。

「私からすればな、お前の持っているものの方が羨ましい」

「ぼくの花粉症がいいんですか?」

「それがどのような力であれ、お前の異能はお前によるものだ。お前ありきのものだ」

「……ええと、どういうことですか」

「分からないならいい。私とお前は違う。それだけ分かっていればいい」

 幸は頷いた。よく分からなかったが、いずれ分かる。そう思ったのだ。

「それより」

 幸はオリガの胸元を指差そうとしたが、彼女がそれを咎めた。

「はしたないぞサチーシャ」

「や、そうじゃなくって、お酒のことです」

「ん。ああ、酒がなんだ」

 オリガは胸元にスキットルを入れている。そっちの方がよっぽどはしたなかったが、彼女は気にしていなかった。

「花粉症を使う時、オリガさんっていつもお酒を飲んでるような気がして」

《花盗人》でオリガの異能を使った時、幸には見えたのだ。未成年の彼には理解しがたがったが、酒精が体を駆け巡る感覚は異能を行使する感覚と似ているらしい。そのことを告げると、彼女はなるほどなと独り言ちた。

「熱に浮かされる。それが花粉症に罹ったものの症状だ。そして異能を使う際にもその症状は現れる。……異能を使うには熱がかかわっているのではないか。酒を飲めば体が熱る。熱くなれば異能が使える。私はそう考えた」

「わあ、説得力ありますね」

「本当にそう思っているのか?」

「お酒を飲んだら花粉症をたくさん使えるってことですよね?」

「なんて楽天的なやつだ。全くの的外れというわけでもないが」

 立ち止まったオリガは腕を組み、幸を見下ろした。

「私が祖国で花粉症の研究をしていたのは知っているな? 花粉症については分からないことだらけだが、なんとなく思い至ったことはある。それは、最終的には気の持ちようだということだ。おい、なんて顔をするんだ」

 幸は自分の頬を触りながら、しかし不満そうな表情は隠せていなかった。

「できると思えばできる。事実、私は酒を飲んで異能を使えている」

「そういう異能なだけじゃ……」

「知らん」

 幸は小首を傾げる。ただ、自分に何かしらの条件や誓約を課すのは悪くないような気がしていた。病院で曽我も言っていたように扶桑熱には謎が多い。精神が病に影響を及ぼすことも不思議ではなかった。

「あ、そういえば、異能の……」

 曽我が言っていたことを思い出した幸は、件の薬についてオリガに話そうとした。


『逮捕されるかもね』


「なんだ」

 オリガは、言いかけて口ごもった幸を睨んだ。

「なんだ。気になるから言え」

「あー、ええと、その、例えばの話なんですけど、異能を強化する薬とかってあるのかなって」

「どうだかな。研究者時代は投薬実験もやったが、さて、それが決め手となったかは分からん。一つ言えるのは万能薬など存在しないということだ」

 提げていたコンビニのビニール袋から、オリガはカップ酒を取り出して蓋を開けた。

「酒は百薬の長とも言えるが」

 彼女はそれを一息に飲み干した。吐息にはアルコール臭が混じっている。

「まだお昼にもなってないのに」

「酒はいつ飲んでも美味い。それで、都合のいい薬などないという話だったが……」

 オリガは目を瞑る。

「あの時、瓜生とかいういけ好かない男と戦った時だが、やつは薬を飲んでいたな。確か、錠剤に、粉薬に……」

「目薬も」

「ああ。妙だとは思ったが気にしていられる余裕はなかった。今にして思うと、アレは、何の薬だったんだろうな」

 異能を強化するという薬を瓜生は使ったのか。確かめるすべはなかった。



 拾区と拾壱区の狭間に、幸らの目的地はあった。荒涼とした空間に何棟かの団地が建ち並んでいる。住人はいない。オリガは、駐車場に放置された乗用車を一瞥した後、眉根を寄せた。

「ここか」

「自衛隊の人たちが使ってた団地だったみたいです。大崩落の後から誰も住んでなかったらしくて」

「今はケモノが住み着いているというわけか」

 オリガはスキットルの酒を飲みながら周囲に目を配った。見える範囲にはケモノどころか、他の狩人の姿もなかった。

「私とサチーシャだけか。この場所を市役所も把握しているはずだろうに」

「手が回らないって言ってましたから」

「そうか。ケモノの気配はあるな。姿を見せんとは。少しは知恵が回るのか、警戒しているようだ」

「数は多そうですか」

 幸は袋から鞘を取り出しつつ訊いた。

「分からん。私は狩人としては素人だからな。勘働きに期待するなよ」

「じゃ、建物いっこいっこ虱潰しに探しましょうか」

 幸がそう言うと、オリガは『えー』と不満そうな顔つきになる。

「足腰立たんくなる……」

「そんないきなりお年寄りみたいなこと言わないでくださいよう」

「歩き回らなくても建物を全部吹っ飛ばせば問題ないだろう」

「だめです、そんなことしちゃ。というかできるんですか」

 あっと幸は思い直した。地下で見たあの光。オリガの異能《外套》の発するエネルギーの奔流。できる。アレを使えば周囲一帯をむちゃくちゃにしてしまうだろう。

「どれ、サチーシャが信じていないようだから試してみるとするか」

「だめですってば!」

「こら」とオリガは幸の口元に自分の指を一本当てた。女の匂いに酒精が混じっていて彼は顔をしかめた。

「あまり大きな声を出すな。ケモノどもが騒ぎ出す」

 すっかり年寄り扱いしていたが、オリガは黙っていれば淑女である。幸は目を伏せかけた。彼女は幸のことを子供どころか孫のようなものとしか見ていないだろうが、彼にとっては違う。

「……ん?」

 オリガは、そんな幸の様子を認めて口元を歪めた。

「一ついいことを教えてやろう。狩人にとって大事なことだ。いいか。いい狩人になるにはな、動じてはいけないんだ。くく、たとえ絶世の美女が目の前にいたとしてもな」

 自画自賛するオリガだが幸はその言い分に違和感を覚えなかった。

「そうですね。美人さんですもんね」

 幸はオリガの目をまっすぐに捉えている。そうして照れ臭そうに顔を伏せた。

「あ、照れるなばか。冗談だ」

「こういうの友達に言ったら羨ましがられるんです。ぼくの周りには女性が多いって。そんなことないと思うんですけど」

「ほう」

「市役所の古海さんって人も美人さんなんです」

「ほう。まあ、私の方が上をいくだろうがな」

「そうかもしれません」

 黙っていればという但し書きはつく。

「仕方ない。サチーシャの流儀に付き合ってやるとしよう」

 幸とオリガは手近な建物を一階から探索し始めた。五階建ての団地は、扉のほとんどに鍵がかかっていて開かなかったが、いくつかの扉は開け放たれていた。もしくはドアノブが壊されていた。二人はそういった部屋にケモノがいないか注意深く探したが、虫の一匹だって見つからなかった。しかし、何者かにじっと観察されているような、落ち着かなくさせる気配はあった。

 何も見つからず、最上階の部屋から出ようとした時だった。玄関の方から音がしてオリガがそちらに目を向けると、犬のような姿をしたケモノが立ち尽くしていた。

「サチーシャっ」

 オリガの動きは早かった。彼女は光の槍を放ち、その場から逃れようとしていたケモノを貫く。槍は壁に突き刺さり、釘づけにされたケモノは四肢をばたつかせた。幸は慌ててそちらに向かう。

 ケモノは異形化した犬のように思われた。目玉は肥大化し、黄色く濁っている。体毛は尖り、あちこちの肉が盛り上がっていた。幸は、このままケモノを苦しめるのもどうかと思い、鉈を使った。鷹羽に打ってもらった新しい鉈の試し切りだった。手ごたえはある。しかし得物を通して伝わる、ものを殺したという感触は前よりも薄く感じられた。

「一匹か」

 骸となったケモノを見下ろすと、オリガは息をつく。

「ぼくたちを追ってきてたんでしょうか」

「いや、その割には私たちの存在に驚いていたような……そんな風にも見えた」

「じゃあ、出くわしただけってことですか」

「そうかもしれん。まるで自分の家にでも戻ってきたかのような、そんな警戒心のなさだった」

 自分の家。そう言われて、幸はさっきまで自分たちが土足で踏み入っていた部屋を見返す。

「こいつ、この部屋に住んでたのかも」

「ケモノがか?」

「はい。もしかして、強盗みたいなことしちゃったのかな」

「ケモノ相手に法を説く必要はない。それより次だ」

 だが、この日は他のケモノを見つけることができなかった。

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