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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
単槍匹馬Au pas caramades
75/121

メンズーア<2>



《長鳴》というケモノが出たのは夏のことだ。凶悪な性質を有したケモノだったが狩人たちが討伐した。しかし彼らも無傷では済まなかった。有力な狩人や猟団が徒党を組んだが、途中、リーダーが抜けた《救偉人》が瓦解し、《大氷結》の氷見愛子が暴走したこともあって皆が痛手を負った。

 九月になっても、夏に起こった地震の穴埋めや地下の探索で地上には手が回っていない状況で、市役所は地獄のように忙しい。むつみが家を空けているのもそういった事情が大きく関係していた。

 幸は、彼女と一緒に食事すらしていないことに気づき、自分で何かできないか模索していた。



 幸はとある病院の中庭にいた。治療のためではない。見舞いに来たのだ。彼は大きな樹の下のベンチにちょこんと座っている。その隣には深山の姿があった。

「ギプスは取れた」と深山は言った。幸はほっとしたが、彼以外に入院している知り合いがいないことが気にかかっていた。そのことを尋ねると深山は苦笑した。

「あの中国人の女と、古川とか言ったか。二人が入院したのはここじゃない。特に女の方がな、ここでの治療を拒んでいた」

「どうしてでしょう」

「お前の方が心当たりがあるんじゃないか?」

 後ろ暗い過去がある雪蛍のことだ。この町に来る際にも色々と偽ったのだろうと容易に推測できる。それでも今の幸にとっては友人とも呼べる存在だ。

「ちょっと前に連絡があったんです。会えないけど元気だって」

「その言葉を信じてやるべきだな」

「あの、コーチ……浜路さんは?」

「ああ、やつか」

 深山は浮かない顔になった。

「まだ治療が必要だったんだがな、本人は後は気合で治すと言って自分で退院していったよ。それよりも金の心配をしていた」

「コーチらしいや」

「花粉症を使った治療にはとかく金が要るからな」

 幸は思案し、そうなんですかと深山を見据えた。

「ああ。花粉症には想像もつかないようなものがあるだろう。人を壊すものや、脅かすものが。しかし癒すものもある。その数は稀らしく、この病院にも一人か二人しかいないそうだ。そいつに頼めばそれこそ魔法のように回復するらしいが……」

 そこで深山は口元を緩めた。

「俺たちには金がない。だから普通の治療を受けるしかなかった」

 幸は深山の言う魔法を何度も体験していた。そのたびにむつみが高額の治療費を支払っていたのだと、彼は察したのだ。

「どうした?」

「あ、ううん、何でもないです。とにかく、皆さんが元気でよかった」

「うん」

 深山の表情はまた曇っていた。

「八街。お前が見舞いに来た理由には察しがついているが、すまないな、まだ力にはなれそうにない」

 そんなつもりではない。そう言おうとした幸だが、打算が含まれていたのも確かだった。

「いえ、いいんです。ぼくの方が、その、気持ちが急いちゃって」

「何かあったのか?」

「ぼくがケモノを一匹でも狩れれば、誰かが楽になるんじゃないかって」

「ふ、そうか。だが、まずは自分のことだけを考えるべきだな」

 幸は小さくなった。

「だが……瓜生との戦いは見事だった。お前は何か思うところがあったろうが、はたから見ていた俺も、他の連中も同じように思っていたはずだ」

「そうなんですかね」

「自信を持っていい。お前はいっぱしの狩人だ。俺はそう思う。ただ、無茶はするな。一人でやれることには限界がある」

「深山さんも猟団に入ってましたもんね」

 ああ。深山は頷く。

「俺は辞めてしまったが、まあ、そうだな。今にして思えば悪くはなかった。……八街、お前はどこかの猟団に入るのもいいかもしれんな」

「ぼくがですか」

「まだちゃんとした狩人でなくとも、多くの猟団は見習いを受け入れるものだ」

「うーん……」

「一人の方が気楽ではあるが」

「あ、そうじゃなくって。自分で作るのもいいなって」

 深山は目を見開いた。

「猟団を、自分で立ち上げるのか? いや…………そっちの方が向いているのかもしれないな」

 答えるまでに妙な間があった。幸は訝しげに深山を見る。すると、彼はばつが悪そうにして言った。

「お前は人の言うことを聞かないようだからな」

「そんなことないと思いますよ」

「さて、どうだかな」

 ベンチから立ち上がろうとした深山だが、幸に服の裾を引っ張られて座り直した。

「なんだ、どうした」

「深山さんはどうして猟団を……《騎士団》でしたっけ。そこを抜けたんですか」

「そのことか」と深山は髪の毛をかき上げる。様になった仕草だった。中庭にいた看護師が卒倒しかかっていた。

「いつの世も人がそこを離れるのには理由がある。その最たるものが人間関係というやつだな」

「嫌いな人がいたんですか」

「そうではない。そもそも私は他人に興味を持てなかったからな。ただ、どういうわけか私には女が寄ってくる」

「冗談ですよね」

 何がだ。深山は不思議そうにしていた。

「こう見えて《騎士団》の一部隊を率いていた時期もあったが、女どもがあんまり鬱陶しかったのと、《水の檻》と出会ったからな。全て投げ捨てた」

「何というか、ぼくのクラスメートが聞いたら怒りそうな理由ですね」

「ふ、確かに。逃げるのは褒められないことではある」

 そういう意味ではないのだが、幸は訂正しなかった。



《杭刃》のコシチェイこと、瓜生晩との戦いは幸らにとって不幸な出来事だった。雪蛍、浜路、深山、古川もまた手傷を負い、狩人に復帰できないでいる。

 幸は、誰かの手を借りたかった。自分一人では狩人として不安であったし、一応の教育係である古海からも一人で勝手に動かないでよと釘を刺されているのだった。つまり誰かと一緒なら好きに動いていいんだなと幸は解釈している。

「……どうしようかな」

「やあ、どうしたの」

 幸が深山と別れ、病院を出ようとした時、大勢の医者や看護師を引き連れた子供が声をかけてきた。白衣を着た、少年か少女かも分からないような子供だった。

「ああ、先に行ってていいよ」

 子供がそう言うと、周りにいたものたちは頭を下げて粛々とした様子でその場から歩き去っていった。

「こんにちは、先生」

「はい、こんにちは」

 幸はその子を先生と呼んだ。彼、あるいは彼女の名は曽我光海そが こうみ。二人で並んでいると兄弟にしか見えないだろうが、曽我はれっきとしたこの病院の医師であり、幸に魔法をかけ続けてきた異能者でもある。

「また怪我したのかい?」

 曽我は訊きつつ、立ち話もなんだからと待合室のソファに幸を座らせた。自分は立ったまま、彼の体をあちこち観察していた。

「いえ、お見舞いです」

「そうか。足の方はどう? 問題はないかな?」

 幸は椅子から立ち上がって足踏みをしてみせたり、くるりと回ったりして見せた。

「うん、大丈夫らしい。もっとも、この僕が診たのだから当たり前なんだけれど」

「ありがとうございます」

「いやいや、それが僕たちの仕事だからね。……君が見舞ったという方は?」

「元気そうでしたよ。深山さんって言うんですけど」

 深山の名を聞くと、曽我は相好を崩した。

「ああ、彼か。すっかりうちの人気者だよ。若い子なんかは用もないのに深山くんの病室に行ったりね。何度も検温したって意味がないだろうに」

 はっはっはと笑う曽我だが、幸は小首を傾げた。

「先生、今日は少し疲れているみたいですね」

「おや、分かるかね。いけないな、隠していたんだけど。まあ、実はそうなんだ。さっきまで警察が来ててね」

「何かしたんですか、先生」

 曽我はむっとした顔で幸を見た。

「失礼だなー、君は。もう診てあげないよ」

「あ、そういう意味じゃなくってですね」

「冗談だよ。しかし、そもそも医者にかからなくて済むように心がけなくてはね」

 幸が頷いたところで、曽我は話を始めた。

「警察の連中は僕にある薬の成分を調べて欲しかったみたいだ。僕はそういうの詳しくないし、面倒だから別の医者を紹介したところだよ」

「どんな薬だったんですか」

「パッと見だが、アレは人の脳みそなり、神経に訴えかけるシロモノだ。前にも似たようなものを見たことはある」

「ええと、つまり、どんな薬なんでしょうか」

「そう結論を急ぐことはないよ。ただ、そうだね。一言で言うなら異能にかかわる薬だよ。いいかい。人間は脳みそを10パーセントくらいしか使っていない。他の90パーセントは使っていないって聞いたことある? ありゃ嘘だよ。使ってるよ。でも、ブラックボックスというか、人間の体は解明されていないことだらけで不思議が多い。異能が使えるようになるのもそのうちの一つだ。異能はそのブラックボックスが解放されて使えるようになったんじゃないかって、そういう説を唱えてる人もいる。……警察が調べてくれって持ってきた薬はね、そういった部分に作用するんじゃないかな。まあ、脳みそ弄ったところで異能が強化されるとか、そういうことがあるとは思えないけど。僕はね、結局のところ異能が強くなるのは本人の強い意志。気持ちによるところが大きいんじゃないかと思うよ」

 話を聞き終えた後、幸は曽我に協力を求めた警察が可哀想になった。

「詳しいじゃないですか」

「これくらいは誰だって分かるよ。それに言ったじゃないか、面倒くさいって」

 曽我は笑っていた。無邪気な笑みだった。

「でも、それって危ない薬なのでは」

「使い方次第だね。だいたい薬ってのは毒と同じだからね。使う人が悪いやつなら薬も毒になる。用法、用量を守っている限りは人の健康を守ってくれるよ」

「はあ」

「まあ、あの薬はぱっと見ヤバそうだったけどね」

「やっぱり危ないんじゃないですか!」

「しーっ、声が大きいよ八街くん。ああ、それと、この話を外部に漏らしてはいけないよ。逮捕されてしまうからね」

「だったらぼくに話さないでくださいよ」

「いやー、誰かに言わなきゃ気が済まない気分だったんだよね。ああ、それじゃあ次のオペがあるから」

「ちょっと先生」

「それじゃあね。もう担ぎ込まれちゃだめだよー」

 言いたいことを言うと曽我はどこかへ行ってしまった。残された幸は、今聞いた話を黙っていられるか不安だった。



 物事には順序がある。

 定められた手順を追って初めて得られるものもある。

 幸は、喫茶タミィに立ち寄る前は玖区にある花屋に寄る。それが彼女と会う時の決まりだからだ。

「こんにちは」

 喫茶店のドアをくぐるとチャイムが鳴る。カウンターにいる女主人が不機嫌そうに顔だけを向けた。幸は、包装された一輪の花を彼女に向けて見せた。

「……いらっしゃい」と喫茶店に巣食う魔女ことオリガ・イリイーニチナ・シュシュノワが言った。

「繁盛してますか?」

「そう見えるか」

 オリガは腕を組み、カウンター越しから幸を見据えた。彼はカウンター席に座り、彼女に花を差し出す。

「お前にもらった花がしおれてきたからな、そろそろ来る頃だと思っていた」

「よく分かりますね」

「まあな。注文は?」

「おすすめをください」

 オリガは面倒くさそうに眉根を寄せたが、コーヒーを淹れる準備を始めた。幸は手近にあった小さなボードゲームの箱を手に取り、説明書を出してそれを読み始める。

「サチーシャ」

「なんですか」

「何かいいことはあったか」

「いいことも、あんまりよくないこともありました」

「そうか」

 オリガは目だけを幸に向ける。話を聞かせろという合図だった。彼は色々と喋ったが、オリガはあまり相槌を打たない。暖簾に腕押しというか、手ごたえがない感覚を受けるのだが、彼女は幸が話し疲れた頃にふいと視線を向けるのだ。聞いているから続けろという合図だった。

「オリガさんは何かありましたか」

「いいや。ここにいるだけだ。あとは、たまに買い出しに行くくらいのものだからな」

 ふと、オリガは何か得心したような顔になる。

「例の、メリステムのことを聞きに来たのか? そのことなら分かっていないぞ」

「ぼくはオリガさんのコーヒーを飲みに来ただけですよ」

「ふん。そうか。紛らわしいやつめ」

 メリステム。瓜生が最期に残した言葉だ。果たしてそれが何なのか、幸はまだ何も掴めていなかった。そも、時が経ってしまえば意味がないような気さえしていた。

「分からないことが分かる時はいつか来ますし」

「そうか」

 オリガは幸に珈琲を入れてやると、彼が一口飲むまで待って、口を開いた。

「お前。何か頼みがあってここに来たんだろう」

「えーと……」

「言いたいことは言っておくものだ。言えなくなってからでは遅い」

 睨まれて、幸は観念して話を切り出した。

「何か、狩人としてできることはないかなって」

「狩人ならケモノを狩ればいいだろう」

「ぼく一人で好き勝手にやると叱られるんです」

 オリガは無言で話の続きを促した。

「それで、一緒に狩人をやってくれる人を捜してました」

「そうか」

「そうなんです」

 幸はカップに口をつけた。

「あの」

「なんだ」

「何か甘いやつもください」

「……おい」

「なんですか」

 何ですかではない。オリガはそう言って腕を組んだ。

「だから、頼みがあるんだろう?」

 幸は小さく頷く。そうしてカップに口をつけて、甘いのが欲しいですと告げた。

「だってオリガさんに頼んでも無駄だって分かってますもん。手伝ってくれなさそう」

「頼んでみなければ分からんだろう」

「ええー?」

「ええー、じゃない。言ってみろ」

「いいです。大丈夫です」

 オリガはカウンターをグーで叩こうとしたが、思い直して不敵な笑みを浮かべた。

「そうか。サチーシャは私を試しているんだな。いいぞ、受けて立つ」

「甘いのくれないならもう帰りますね。おいくらですか?」

 幸が財布を取り出したのを見て、オリガは頭を抱えそうになった。

「言えっ。頼みを言ってみろ」

「言ったら笑って断るつもりでしょう」

「そんなことはしないから、もういいから言え。言ってくれ」

「嫌です」

「分かった、分かったから、もう分かったから」

 幸は小首を傾げた。

「手伝ってくれるんですか?」

「……ああ、手伝ってやる。私にも色々とあってな」

 オリガは店内を見回して、カウンターを撫でた。

「日限が戻ってくるまでこの店を潰すわけにはいかん。笑われてしまうからな」

「そんなに危ない状況なんですか」

「…………いいや、問題ない」

 オリガは意地っ張りだった。

「副業として狩人をやるのも悪くはない。少しはケモノを殺さんと勘が鈍ってしまうからな」

「そういうことなら……すごく助かります。ありがとうございます」

「最初から素直にそう言っておけばよかったものを」

「じゃあ二人で頑張りましょうね」

「だが、どこでケモノを狩るつもりだ? 玖区の森や、裂け目があった場所にはもう入れんだろう」

 幸には考えがあった。むつみが市役所の誰かと電話している時に、ケモノが多く現れていそうな場所を口にしていたのだ。彼は耳ざとくもそのことを覚えていた。

「拾区の端っこの方に使われなくなった団地があるみたいなんですけど、そこにケモノがいっぱいいるみたいで」

「他の狩人たちは動いていないのか?」

「ほら、おっきなニワトリのケモノがいたじゃないですか。そいつをどうにかするのに狩人の人たちが怪我しちゃったみたいで。今は市役所の人たちが大忙しなんです」

 ほほうと、オリガは興味深そうに息を吐く。

「美味い狩り場というわけか。……よし。明日は土曜日で、サチーシャの学校は休みだな?」

「明日からやりますか」

「急ぐものは笑いものになるとも言うが、ここは日本だからな。善は急げという言葉もある」

「やった、決まりですね」

 あのオリガが狩人をやってくれるのだから、幸は心強いことこの上なかった。

「今日はもう少しゆっくりしていくといい。ちいこいサチーシャ、甘いのを作ってやるからな」

 オリガは鼻歌を歌いながら何かしらの準備を始めた。

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