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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
蛙鳴蝉噪エッグヘッドボーンヘッド
55/121

霜の朝



 ぷち。

 ぷちっ。

 ぶち。

 ぶちっ。

 一つ。また一つ。

 名もなき小さな命が潰されて、奪われる。

 眠れない。

 声がする。

 目の奥が痛くて、熱い。

 ずっとだ。ずっと声がする。

 ずっとだ。ずっと潰れている。

 彼らが死に続ける限り、眠ることはできない。



 げこげこ。



 カエルが産み落としていった卵は、狩人たちをかなり手こずらせていた。

 見つけてしまえば踏むなり砕くなり燃すなりしてどうとでもなる。孵化すれば面倒くさいが、卵の状態ならケモノとはいえその辺の子供であっても仕留められる。しかし卵の数が多過ぎた。裂け目から地上に出たカエルの数ははっきりとしていないが、裂け目周辺の森全体で卵が見つかっている。玖区にいる狩人だけでカバーするにはその範囲が広すぎたのだ。

「卵は見つかるけど、見落としてる卵もあるだろうね」

「ここの森ってどんだけ広いんすかね」

「東京のでかいドームのさ、十個分くらいは広いんじゃないかな」

「げーっ、マジすか」

「えっ、それって広いの? 広くないの? どっちか分かんねえ」

 森を焼き払うわけにもいかず、卵をくまなく探して一つ一つ潰していくしかなかった。だが、時間がない。カエルの卵がいつ孵化するともしれないのだ。

「とりあえず時間を稼ぐしかねえわな」

 狩人たちは話し合いの末、とある異能者を呼ぶことに決めた。



 土曜日の朝、玖区の裂け目近くに軽トラックが停まった。その周辺には狩人が大勢いて、運転席から降りてきたものに対して頭を下げた。

「おはようございます!」

「ざっす!」

「おう」と片手を上げて応えるのは白髪を短く刈り込んだ老人である。少しよれたシャツと茶色いVネックのベストと、どこにでもいるような風体の男だ。しかしその視線は鋭く、顔つきは険しい。彼の名は氷見浪ひみ ろう。メフの狩人たちの組合、通称《猟会》の幹部である。

 氷見老人は背筋をしゃんとすると、杖で自分の肩を叩き、ぐるりと腕を回した。

「でぇ、おれに何させようってんだ」

 近くにいた狩人は、氷見にぎろりと睨まれて委縮した。

「いつもどおり、異能使ってもらいたいんす」

「がっは、いつもどおりねえ。ケモノの卵か?」

「はい、数が多くって」

「どんくらいだ」

「それが、ちょっと」

「あぁ? まあいいけどよ。で、どこにあんだ、卵は」

 問われて、狩人たちはみな、森を指差した。氷見は眉根を寄せた。

「おい、それじゃあ分かんねえだろ」

「いや、その、俺たちも全部は把握できてなくって……ケモノは森中に卵産んだみたいなんすよ」

「それで、氷見さんにはとりあえず森ごとやってもらおうと思って」

「おれを殺す気か!」

 氷見は叫んだ。

「連れてきといてよかったぜ。おい、さっさと降りてこいってんだ」

「うるせえなあ」

 お、と、狩人が声を発した。先から事情を知らないものがちらちらと視線を送っていたのだが、軽トラックの助手席から降りてきた女は鬱陶しそうにドアを開けた。

 女は、美人と呼んでも差し支えないルックスであった。モデル体型で背が高い。ただし目に毒な恰好をしていた。真っ赤に染まった長い髪の毛。くそ馬鹿でかいサングラス。森では歩きづらそうなハイヒール。ローライズパンツのウエスト側からは黒い下着が見えている。そもそもが下着の上に丈の長いジャケットを羽織っているだけなので露出の度合いが高かった。女のよく焼けた肌も、へそよりも下の位置に入ったタトゥーもケモノと戦ってきた狩人には刺激が強かった。しかし妙な既視感があった。決して声に出すことはないが、ディスカウントストアで見かけるヤンキーにしか見えなかった。

「氷見さんの彼女さんすか」

 若い狩人が言った。その瞬間、女にねめつけられた。

「ばあか。こいつぁおれの孫だよ、孫。知ってるやつもいんだろ」

「い? もしかしてヒミちゃん? うわあ」

「今『うわあ』っつったのどいつだ。三野山までぶっ飛ばしてやっから前に出ろ」

 庄出愛子しょうで あいこ。旧姓は氷見。幼い頃から祖父である浪の手伝いをしていたので顔見知りの狩人も多い。しかし本人は狩人の仕事をするのが好きではなかった。しようがないので家庭に入ろうとするも、祖父譲りの、はたまた幼い頃から粗暴な狩人といたせいか、口の悪さが邪魔をした。

「ぶっ殺してやろうって言ってんよこっちは!」

 バツイチの出戻り。現在は離婚調停中である。そして実家に戻っている間は仕事の手伝いをしなくてはならなかった。

「……八つ当たりすんじゃねえよ愛子ちゃん」

 愛子は盛大な舌打ちをかました。



 狩人たちが氷見老人と愛子を連れて行った後、幸は溜め息を吐き出した。傍にいた古川が不思議そうな顔をする。

「ぼく、あの女の人、苦手なタイプです」

「ああ、そうなんすか。ちょっと珍しいっすね。八街さんにも苦手なもんがあるとは」

「なんか知り合いに似てて……」

「はあ、そりゃ難儀ですね」

 幸は気を取り直した。

「さっきのおじいさん、すごい人なんですか。なんかみんなぺこぺこしてましたけど」

「《猟会》ってのがあるんでさ。狩人……特にフリーの連中の組合みたいなもんで。氷見さんはそこの、まあ、えらいさんってやつです。八街さんが苦手だってアマは氷見さんの孫娘ですね」

「異能を使うんですよね」

「ええ、お二人とも。忙しい方でね。特に地震が起こったもんでしょ。メフ中から呼び出されてるはずでさ」

「何をする人なんですか?」

 古川は低く唸った。

 氷見老人(+愛子)に助力を請うたのは玖区に集まっていた狩人の総意である。満場一致のそれである。というのもケモノの卵と二人の異能の相性が抜群に良かったからだ。

 氷見浪は霜のジェドマロース、庄出愛子は大氷結スネグラチカという異能を使う。古川は仔細を知らなかったが、二人ともが冷気を操る能力を有しているらしかった。

「学者先生がおっしゃるには、卵つったら何だってそうですが、あの気味悪い卵が孵るにゃ温かくねえといけねえんですと。だったら冷やせば孵るのも遅らせられんじゃねえかってことです」

「異能で冷やすんですか? うまくいくんですか、そんなの」

「いくみたいですよ。現に同じようなことを何度もやってるみたいなんで」

 幸にはそのやり方が短絡的に聞こえたが、それをするだけの力が扶桑熱には備わっているということだと思い直した。すると森の方から三野山の猿のような叫び声が聞こえてきて、しばらくするとハイヒールで猛ダッシュする愛子の姿が見えた。彼女は髪を振り乱して半泣きで駆けていた。

「器用なもんだ」

 愛子はそのまま幸たちを通り過ぎ、軽トラックで来た道を走り去っていった。

「何かあったんでしょうか?」

「さて、とりあえず見に行くとしますか」

 幸は、森の異変にすぐに気づいた。陽が当たらないこの場所は真昼であっても涼しいが、それにしても涼し過ぎる。というより寒かった。森の中を進もうとすると、ぱきんぱきんと骨を踏むような感触が伝わる。地面を見下ろすと霜が降りていた。

「始まってるみてえっすね」と古川は気楽そうに言った。

「手筈はこうです。氷見さんが冷やす。その間、おれらは冷やしてないところを徹底的に探して回る。……何のこたあねえ。走り回るしかねえんです。ま、時間稼ぎにしかならねえが、値千金ですよ」

 幸は無意識のうちに《花盗人》を使っていた。

「これを、あのおじいさんが一人で?」

 森そのものを冷やすという無茶な方策で、ケモノの卵駆除もどうにかなりそうだった。



 だった。

 どうにかなりそう、だった、である。

 過日、瓜生たち狩人と鬼無里たちが揉めたが、その一件はどうやら尾を引いていたようで、また揉め事が起こっていた。

『調査の対象を異能で抑えられては困る。ケモノの卵だけならいざ知らず、氷見という老人の使う異能は草木やカエル以外の生物、周囲の環境に影響を及ぼす。このままでは調査の続行が難しくなる』と研究者たちは口を揃えて言い出した。

 孵化したケモノを殺すのは誰だと思っているんだ。そう考えている狩人たちとの間に軋轢が生まれるのは当然のことであった。彼らは雇われだ。雇い主の要望にはできる限り答えようとは思っている。とはいえここは自分たちの住む町でもある。調査のためと免罪符じみたことを言われて無茶苦茶にされてはかなわなかった。

 両者の言い分は平行線を辿り、このままではカエルの卵が孵化してしまう。彼らは一等大きなテントに集まり、話し合いという名の口喧嘩を繰り広げる羽目になった。



 ぷち。

 ぷちっ。

 頭の中で音がする。

 ぶち。

 ぶちっ。

 頭の中で声がする。

 目の奥が痛くて、熱い。

 眠れない。眠れるはずがない。

 ここはうるさい。酷くうるさい。

「ちょっと、聞いてんすか!?」

「何とか言ったらどうなんですか、鬼無里さん」

 自分の名前を呼ばれると、そこでようやく鬼無里は我に返った。だが、視界が霞みかかっていて判然としない。誰がどこにいて、自分がどうしているのかもすぐには分からなかった。

「ああ、そうだね」と口を開けるが、鈍い痛みで顔をしかめる。すると、その様子を狩人たちは目ざとく見つけるや叱責を始めた。前から、後ろから。テントの中のどこからも、そこにいる人間が好き勝手なことを大声で、叫ぶようにして言った。



「それで君は?」

「ぼくは蚊帳の外です」

 オリガやアレクセイなど、幸以外のメンバーは議論の場に赴いていた。

「そうかね」と日限は頷いた。

 幸は喫茶店でコーヒーを飲んでいた。もう本当にそれしかすることがなくなっていた。

「しかし、異能とはどうにも想像できん力だ。森全体を冷やすとは。正直、馬鹿げている」

 日限は息を漏らし、ふと、自分と幸以外に誰もいないということに気がついたらしかった。

「そういえば日限さん、最近いませんでしたけど、どうしてたんですか」

「ちょうどいい機会だ。君には話しておこうか」

 額の汗をハンカチで拭うと、日限は声の調子を整えた。

「私は、あのオリガとかいう女のことを調べていた」

「扶桑を調べないでですか」

「優先順位というものがある。話の腰を折るんじゃない。……どうにも信用できない連中だ」

「でも、れっきとした研究者の人じゃないですか」

「そこだ」

 日限は膝を打った。

「ここ数日、私は外の知り合いと連絡を取っていてな。やつら、ロシアの研究所のものだと言ったが、それを確かめてもらっていた」

 幸は、アレクセイが置いていったサンドイッチを手に取ったまま、日限が何を言うのかを待っていた。

「クロだ」

「……黒?」

「私の中ではな。オリガ・イリイーニチナ・シュシュノワだとか、アレクセイ・イリイチ・シュシュノーフだとか言う研究者は見つからなかった。ロシアもそうだが、心当たりはほとんど当たった。名前を偽っている可能性もあったが、それはそれで問題だ。なぜ嘘をつく? 後ろめたいことがあるからだろう?」

 以前、この喫茶店で起こったことを幸は思い出した。

「日限さんはそれで、どうするつもりですか」

「やつら、私の名前を、私のことを知っているようなそぶりだ。しかもそのことを話さない。にやにやとしてこちらの反応を面白がっている。私はそういう、人を上から見下ろすようなやつが好きではない」

「え」

「何だね」

「いえ、別に」

 幸は、これが同族嫌悪というやつなのかもしれないと思った。

「というわけで、次に連中が調子に乗ったら、この事実を突きつけてやろうと思う。そうやって慌てふためく様を見るつもりだ」

「何だか楽しんでませんか」

「何を言う。楽しいことなどあるものか」

 日限は美味そうにコーヒーを啜った。



 しばらくすると喫茶店にオリガたちが戻ってきて、さっきまでの静けさはどこかへ打ち捨てられてしまった。日限はちらちらとオリガの様子をうかがっていて、幸はそれがおかしくて少し笑っていた。

「話し合いはどうなったんですか」

「アレを話し合いと呼ぶのなら、酔っ払い同士の取っ組み合いも話し合いと呼んでもいいくらいだ」

 オリガは吐き捨てるようにして言った。

「お師匠、よくぞ我慢なさいました。えらいですよ」

「ああ、そうかい」

 アレクセイの軽口を受け流すと、オリガはカウンターの傍に車椅子を移動させた。彼はその様子を見届けてからカウンターに回る。

「酒をくれ。うんと強いのがいい」

「強いのはいけませんね」

「だって飲まなきゃやってられないぜ」

 オリガはぶうぶうと文句を言っていたが、アレクセイに宥められて事なきを得た。人心地ついたのか、彼女は幸の方に向き直った。

「随分と長い時間を無駄にしたが、実験用に一部の卵を残して、後は駆除することで決定した。ほとんどの狩人は調査から降りることになったがな」

「そうなんですか?」

「ああ。これ以上は付き合っていられないとのことだ。他の学者どももどうして意地っ張りでな。あのままじゃ人死にが出そうな勢いだった」

 何とも頼りなく、情けない話だった。

「鬼無里とかいう女は最後まで駆除に反対していたな」

「ああ、あの不健康そうな方ですね。矢面に立たされて、見ていて少々可哀想でしたな。後でハーブティーでも差し入れに行こうかと」

「よせよせ、あれはそういうんじゃない。もっと根深いぞ」

 幸は鬼無里を思い返した。あの細い体で狩人とやり合ったというのだから驚きである。心配にもなったが、自分のような子供が行ってもどうにもならない問題だった。

「でも狩人がいなくなるんじゃ困りますよね。そういえば、古川さんは?」

「ああ、白髪君は降りないそうだ。人がいなくなった分、取り分が増えるんじゃないかって顔をしてたな」

「いなくなった分はどうするんだろ」

 オリガは鼻で笑った。人形のような整った造作でやられると、中々ギャップがある仕草であった。

「その分どっかから持ってくればいいだろう。人間なんざ売れるほどいるだろうに」

「乱暴なんだから」

「誰が乱暴だ。……ん?」

 オリガは、喫茶店の隅にいた日限に視線を遣った。先ほどから彼がこちらを盗み見していることに気づいていたのだ。

「どうした日限。私に何か用か」

「いや、何もないが」と言いつつ、日限の声色には期待感が滲んでいた。

「そうか。日限。お前、今までどこかへ行っていただろう。次からは一言くらい言い残してからにしろ」

「ふん。なぜそんなことを」

「心配だったからな」

 日限や幸は目を瞬かせた。オリガは何でもない風に続ける。

「我々はチームだ。その一員に何かあったら私の責任だし、寝覚めが悪くなる」

「冗談みたいなことを言うじゃないか」

「それに、また逃げたんじゃないかと思ってな」

「……何?」

「ふ」とオリガは笑んだ。

「強がる元気はあるようだ。大変よろしい」

「ぐ」

 日限は何か言いかけたが、オリガの言うことにも理があると認めてしまったのか、そのまま耐えた。歯を食いしばって言い返すのを耐えたのだった。

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