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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
蛙鳴蝉噪エッグヘッドボーンヘッド
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ちちんぷいぷい



 命は大切である。それは誰にとっても平等であり、脅かされることがあってはならない。

 我々は皆生きている。いずれ死ぬ定めだとしても、精いっぱい生きることもまた定めである。

 そういったことを親から教えられた。学校の教師から聞かされた。テレビでもラジオでも、誰もがそのようなことを言っている。その通りだ。何も間違っていない。誰も間違ったことを言っていない。

 麻酔が効き、仰向けになり、四肢を投げ出しているカエルを見下ろしながら、鬼無里笹鳴きなさ ささなきはぼんやりとしていた。

 鬼無里はメスでカエルの腹を割いた。もう何度と繰り返した工程だ。ぼうっとしていても手は勝手に動いている。テレビを見ながらでも、片手で食事をしながらでも半ば自動的に行える。

 頭だけがカエルを意識せず、別のことを考え続けている。腹からあふれ出た内臓物ですら思惟の妨げにはならなかった。

 鬼無里はふっと微笑んだ。小さいものが好きだ。自分よりも小さくて、弱いものが。カエルは小さい。だから鬼無里はカエルも好きだった。げこげこと鳴いて、ぴょこぴょこと跳ねる姿は滑稽でどこか愛らしい。カエルだけではなく、虫や、小さい子供も好きだった。それは彼らが自分を脅かさない存在だからだ。見ていると安心するからだ。

 鬼無里は安心するのが好きだった。恐ろしい目に遭うのはたまらなく嫌だった。そんな時、小さいものの腹の中を覗くと安心できた。ピンで固定し、ハサミやメスで彼らの体を切り開いていくのが好きだった。そうしているとみんなが言う大切な命とやらが実感できるからだ。

 命の大切さを知るためにどうすればいいか、鬼無里は幼い頃から理解していた。いつだってそうで、何だってそうなのだ。大切なものはありふれていて当たり前で、普通に過ごしていたのでは気づけない。大切なものだったと知るには、それが壊れてぐちゃぐちゃになるか、消えてなくなるかでもしない限り分からないものなのだ。失って初めて気づく。人間とはそういう風にできているのだ。

「…………ふ、く、く」

 くぐもった声が鬼無里から漏れ出た。笑っているのだ。楽しくて笑っているのではない。鬼無里はどうしようもなくなった時に笑う。この、汚らしい白衣を纏い、カエルの解剖を片手間でやってのける鬼無里笹鳴という女は、数日後にとある場所へ向かうように言われていた。それが彼女にとってはたまらなく嫌だった。嫌だから笑っていて、どうしようもないから小さいものの腹を開いている。また、眠れなくなる。鬼無里はそのことをよく分かっていたが、この後に待ち受ける定めとやらは、まだ分からないままでいた。



 周世家にちょっとした事件が起きた。テレビがやってきたのである。最新型で、薄型で、殺風景なリビングには似つかわしくないクッソでかいやつである。

 幸はリビングでそのテレビを見る度、クソでかいなあと思うのであった。しかもむつみはテレビに背を向けて座っていた。

「見ないんですか」

「何をー?」

「テレビですよ」

 ああ、そういえばそんなものあったね。むつみはそう言いたげに首を傾けて、電源の点いていないテレビを見た。彼女はそれよりも一人用のボードゲームに夢中らしく、朝食の支度すら忘れかけていた。

「中々クリアできないんだよ」

「ああ……ちょっと、難しいですもんね」

 幸はあくびをする振りをして口元を隠した。ニヤリとしてしまいそうになったからだ。

「何笑ってるの」

「笑ってないですよ」

「また馬鹿にして。自分は何度もクリアしてるからって……」

 むつみは幸をじろりとひと睨みしてゲームを片づける。幸はテレビを点けて、天気予報や占いをぼけっとした顔で眺めていた。

「昨夜は揺れましたね」

「そうだね。憂鬱だよ」

「ニュースではやってないんですね。メフのこと」

「そりゃそうでしょ」

「そういうものですか?」

 幸は昨夜のことを思い出す。地震が起きたのだ。それも強い揺れで、幸は、自分がベッドから転がり落ちるのではないかと不安になったほどだ。

「メフじゃあ地震はよくあるからね。外で聞かなかった?」

「聞いてたような、聞かなかったような……」

 むつみは小さく手招きする。幸はそちらまで近づくと、彼女から朝食の乗った皿を受け取り、それをテーブルに並べた。

「メフの地震は普通とはちょっと違うんだよ。昨日のもそうだけど、扶桑が大きくなって動いたから、それで地面も揺れたの」

「扶桑が動いたから地震が起こったんですか?」

「まあ、そうだね」

 扶桑は雨風に晒されながらも相変わらず満開で咲き狂っている。窓から見えるメフの大樹は人間の都合など知ったことではないのだろう。

「これで私も忙しくなっちゃうかもね」

「どうしてです?」

「扶桑が成長するとね、大空洞の中も変わったりするんだよ。中にいるケモノがびっくりして地上に出てこようとするし、大空洞に造った道とか、ちょっとした施設が壊れたりもする。そこいらに裂け目ができて大空洞に繋がったりもするからね。そういうのを見回らなくっちゃあいけないんだよ」

「あれ以上まだ大きくなるつもりなんですね」

「たまには小さくなってくれればいいのに」

 むつみは心底からうんざりしているようで、深く長い息を吐いた。幸は、地震が起こると扶桑や大空洞の様子が様変わりすることがあるかもしれないというのと、むつみたち市役所の人間が大変な目に遭うのだということを何となく理解した。

「ゲームができなくなっちゃいますね」

「最近は平和だったのになあ。ああ、そうだ」

 むつみはまた幸をねめつけた。

「妙な裂け目とか見ても近づかないようにね。危ないから」

「分かりました」

「よろしい。返事はいいんだよなあ、君は」

 苦笑すると、むつみはトーストを齧った。



「大空洞の中って、地震でそんなに変わっちゃうんですか?」

 幸は九頭竜神社に来ていた。最近顔を見ていない、いじめていないから寂しいと天満にねだられたからだ。そうして彼は今、神社の社務所で天満や織星たちとボードゲームに興じていた。昨夜の地震が話頭にのぼるのはごく自然な成り行きであった。

「大きくは変わりませんよ」と言うのは織星である。彼女はゲームの説明書を読まないタイプらしく、自分の手番になって長考していた。天満はそんな彼女を退屈そうにして見ていた。

「おそーい。早くしてよー」

「考えているんです。ちょっと待っていてください」

 織星は真剣な目つきだった。仕方がないので幸は常夏に話を振った。彼女は面倒くさそうに息を吐き、しかめっ面を作った。

「わたしー、怪我してるんですけどー」

 常夏は自らの足を指差した。神社の境内で起きた一件のせいで彼女は負傷していた。退院し、神社に戻ってきたのはつい先日のことである。そして常夏は足の怪我が完治していないのを理由に仕事を休み、日がなごろごろしているのだった。他の巫女たちからは白い目で見られているが、本人はさほど気にしていないらしかった。

「もう治ったから退院したんじゃないんですか?」

 幸はまっすぐな目で常夏を見る。彼女はぷいとそっぽを向いた。

「まだ本調子じゃないんだってば」

 とは言ったものの居たたまれなくなったのか、常夏は話を始めた。

「地震はまあ、確かによく起こるよ。けどそんな大きいものは多くないの。だから大空洞の中が一変することなんか、そうそうないかな」

「へええ、やっぱりそうな……あいたっ!?」

 常夏の話を聞いていた幸が畳の上でのたうち回った。彼は咄嗟に顔を上げる。にこにことした天満が、ペンチらしきものを後ろ手に隠すのが見えた。

「ぼくのふとももに何するの……?」

「大丈夫やちまたくん? バッタみたいに跳ねてたよ? ほら、ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでけ―」

 自分で傷つけた箇所を摩ると、天満はきゃっきゃと弾けるような笑みを浮かべた。

「あのねやちまたくん。痛いのはどこに飛んでくんだろうね。痛いのをどっか別に押しつけるなんて呪いみたいなものだよね。だから私はね、痛いの痛いのって言う時は、痛がってる人の別のところへ飛んでけばいいなって思ってるんだよ。足が痛いなら腕に。頭が痛いならお腹にって」

「じゃあ、ずっと痛いままじゃないか」

「そうだよ? でもそういう痛いのが人を強くするんだと思うんだけどな」

 幸は笑みを作った。困った時の癖だった。その癖を見抜いているのか、天満の目がすっと細められた。

「そうやって誤魔化そうとするのはやちまたくんの悪いところだよ。悪いところは直さなきゃ。直すにはどうすればいいか分かる?」

「ええと」

「遅いよ」

 天満は幸の爪先を何か固いもので叩いた。そしてそこを優しく撫でた。

「直すには叩かなきゃ。壊れた機械と同じだよ」

「壊れてるなら叩いても直らなくない?」

「ものの例えだもん。人と機械は違うよ。やちまたくん知らないの?」

「はあああああ。いいなー、君。天満ちゃんに構われて」

「ええ?」

 常夏は羨ましそうに幸を見ていた。ともすれば恍惚とした表情になっており、彼は引いた。

「最近、天満ちゃんたら君に夢中だからね。つまらないなー、ねー、天満ちゃーん」

「仕事しないお姉ちゃんはあっち行っててね」

「なんでそんなこと言うのおおおおお? だって足が痛い痛いなんだよおおお?」

「わざと子供みたいな言い方しないで。馬鹿にしてるみたいで嫌」

「……すみませんでした」

 常夏はうなだれた。織星はまだ悩んでいた。

 幸は、あの地震で何か起こるのかもしれないという妙な予感があった。



 扶桑の成長による地震の数日後、市役所や有志の狩人たちの見回りにより、とある異変が確認された。

「ほらほら早くっ、ちんたらしない!」

 ぱんぱんと手を叩き、皆を急かすのはいかるが堂の一人娘、鵤藤である。彼女は自分も作業しながら、店内にいるアルバイトたちをねめつけるようにして見ていた。

 今、いかるが堂は上を下への大騒ぎである。その理由は玖区に起こった異変によるものだ。魔区とも呼ばれる玖区の一画に大きな裂け目が発見されたのである。そこは大空洞と繋がっており、放置すれば一帯にケモノが住み着く可能性があった。そのため、ケモノを駆除する狩人や、大空洞を調査する研究者たちが集まってくる。人が大勢寄ってくる。

 つまり――――。

「書き入れ時よ! あのクソ生意気なタダイチに先を越されちゃだめだからね!」

「はいっ!」

 藤の檄が飛ぶ。

 地震は珍しいものではない。そして、その影響で大空洞へと繋がる裂け目が見つかるのも珍しいことではない。その度にいかるが堂やタダイチは、集まった狩人や研究者を対象カモにした臨時商店を出す。素材の買取、ポイントカードの発行、まとめ買いによる割り引きなどを駆使して新規の客を開拓する。重要なのはスピードだ。もたもたしていると出店する場所がなくなってしまう。その点、いかるが堂はタダイチより規模が小さいので小回りが利きやすいとも言える。

「八街君、ありがとうね」

「ううん、ぼくだっていかるが堂のアルバイトだからね」

 緊急招集という名の藤からの鬼電を受けた幸も、臨時商店のためにいかるが堂へはせ参じていた。久しぶりに品出しなどの作業をしたがブランクを感じさせない動きである。雪蛍にしごかれていたので体に染みついていたのだろう。

「それより、在庫こんなに持っていっていいの?」

「いいのよ」と藤は言い切った。

「そろそろだと思って多めに抱えといたんだもの」

「そろそろ?」

「あ、手ぇ止めない」

 幸は慌てて作業を再開する。彼の様子を見ながら藤は口を開いた。

「去年も一昨年も今くらいの時期に来たからね」

「地震が?」

「っていうより、扶桑の成長が。たぶん一定の周期で成長してるのよ、アレ」

 幸はしきりに感心していた。藤は自分が調べたわけでもないのに何となく嬉しくなった。

「天気とか行事と同じね。そういうデータも商売に役立つかもしれないから調べてるのよ。さて、向こうに着いたらまた忙しくなるわ。タダイチがいたら力ずくで退かすのよ。いいわね」

 威勢のいい返事が店のあちこちから聞こえてきて藤は笑った。腰に手を当てて高笑いした。まるで悪役みたいだった。

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