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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
維摩一黙болтовня
48/121

夜鳴鶫<3>



 シベリアで大爆発が起こったと報じられた。しかし、実際は違う。起こったのは爆発ではなく、崩落だ。とある木が生えてきたことによって大崩落が起こったのだが、その木は本来、天を衝かんばかりに巨大化するはずだった。シベリアでは、木は成長できず小さくなった。政府は崩落を隕石の衝突と発表し、一帯を立ち入り禁止区域とした。その一帯をゾーンと呼ぶ者もいたという。

 扶桑熱が広まったのち、ゾーンには無許可で立ち入る異能者などが増加し、そこで暮らすようになっていた。扶桑熱患者はその国ではよそよりも強く迫害され、手酷く扱われるからだ。

 集団が生まれると同時に指導者も生まれた。群れであったはずの集団に頭と手足ができたのだ。国は彼らを危険視したが、指導者が捕まるようなことはなかった。

 その指導者こそが《バーバ・ヤガー》と呼ばれる扶桑熱患者である。鍵玉屏風はそのように語った。

「で、そいつがメフに逃げ出してきたらしいからよ。オレたち《花屋》にお声がかかった次第でございってわけだ」

「そのヤガー婆さんって人は悪いことをしたの?」

「……知らね。少なくともてめえの住んでる国に逆らったのは本当だろ。それに、そいつらがメフで人殺しやって今ものうのうとコーヒー啜ってんじゃねえのかって思うといてもたってもいられねえよ」

 屏風は皆を見回した。その目には確かな怒りが宿っていた。

「ヤガー婆さんっつったら、そこのばあさんよ、あんた……」

「なあ、もうそろそろいいんじゃねえかな」

「あ?」

 屏風の言を遮るようにして言ったのは、キツネ目の男である。しかし、彼は屏風ではなく店員の女に話しかけていた。

「そうね。いいんじゃない?」

 店員の女は気楽そうにして自分の爪を見ていた。

「じゃ、やるか。もうそろそろ回った頃だろ」

「てめえオレの許可なく喋っていいって言ったか? オレぁ言ってねえぞそんなことはよ」

 キツネ目の男は依然として屏風を無視していた。それを見ているものは事情を呑み込めていなかったが、彼の目に光輝が宿るのを見るや、幸は察した。

「耳を塞いで!」

 誰かが声を荒らげて言った。キツネ目の男は怒りに打ち震えながらも、自らに備わった能力を解放する。

夜鳴鶫ソロヴェイ

 男が異能を使った。その瞬間、雪蛍と浜路の顔色が見る見るうちに青くなり、やがて二人はまともに座っていられないで、机に体を預けるようにして突っ伏した。全身の力が抜けたようで、息をすることすら難しい様子だった。

「ちっ、二人か」

「てめえやりやがったな! よりにもよって! このオレの目の前で!」

 屏風がキツネ目の男に対して銃を構える。彼女と幸、それから日限は無事だった。『耳を塞げ』という指示に咄嗟に従ったからだ。無事なものは他にもいた。まずは店員の女だ。彼女は屏風をねめつけると声を荒らげた。何事かを叫んだかと思えば、次の瞬間には矢のような形をした、赤々とした炎をその手に掴んでいた。

「くらあっ」

 店員の投げた炎の矢は屏風の肩口を貫通して壁に突き刺さり、やがて消えた。彼女は銃を取り落して傷口に手を当てる。苦痛に顔が歪んでいた。近くにいたキツネ目の男は屏風を蹴りつける。

「うっ、おおおおああああああ畜生っ、ああああいってえええええええええ!」

 屏風はごろごろと転がりながら喚き散らす。その様子を横目で見ながら、キツネ目の男は床に転がった屏風の銃を拾い上げた。かちりと撃鉄が上がった。

「散々好き勝手やってくれてたじゃねえかよクソガキが! あ!? てめえ虚仮にしてたおれによう、こんなことされてどんな気分だってんだよ!」

「撃て! さっさと撃っちまえよ!」

 男は店員の女に煽られて引き金を引いた。銃弾は屏風の胸元間近で止まり、軌道を変えた。弾は反転し、男の膝を貫いた。彼は目を丸くさせたまま片膝をつく。屏風はげらげらと笑った。

「はっ、き、きはははは……! ざまあみろ! くたばれ!」

「このガキ……!」

 店員の女が屏風の脇腹を蹴り上げる。そうして悶絶している男の手から銃をもぎ取った。だが、次の瞬間には握っていたはずの銃が消えている。

「動かないでください」

 消えた銃は幸が握っていた。彼が《花盗人》を使ったのだ。屏風はでかしたと泣き喚いた。

「オレにっ、オレに握らせろ!」

「駄目だよ! もう撃たないで!」

「あぁぁああああん!? 寝ぼけたこと抜かしてんじゃねえぞにいちゃん! こいつらグルだ! そんなの見りゃあ分かるだろ!?」

 椅子に座りっぱなしだった、老婆の連れ合いの男が動いた。彼はおよそ老人とは思えない動きで椅子から立ち上がると、テーブルに身を滑らせるようにして乗っかり、立ち上がるや近くにいた幸の背中を思い切り蹴りつけた。幸は銃を握ったままではあったが、カウンターまで吹っ飛ぶと、胸を強く打ちつけて息ができなくなっていた。

「そのままじっとしてなァ!」

 次に動いたのは老婆である。彼女は幸を狙うべく俊敏な動作で床を蹴っていた。もはや上品さの欠片もなかった。和やかそうな夫人の皮を一枚剥がせば、そこには獣の顔があった。

 締め切られた店内に一陣の風が吹き込んだ。

 老婆の顔に雪蛍の膝が突き刺さっていた。横合いから襲撃された老婆は自らの頬骨が砕ける音を聞いた。そのまま錐もみになって中空を滑り、椅子を巻き込みながら床に転がった。

 着地した雪蛍の顔面は蒼白である。息は荒く、額には玉のような汗が吹き出していた。

「まだ動けたか……」

 老人が舌打ちし、後背から雪蛍に襲い掛かろうとしていた。しかし、彼もまた後ろから狙われていた。濃密な殺意を感じ取るも気づいた時にはもう遅かった。青ざめた顔で幽鬼のように立つ犬伏浜路は、その手に黒々とした剣を握り締めていた。それは彼女の異能《多魔散らす》によって作られた即席の得物である。床にぶちまけられたコーヒーを冷気で固めてできた剣は、老人の目には途轍もなく恐ろしいものに映った。

「うっ、おお……!?」

 浜路の腕が動く。老人は彼女の斬撃を両腕を犠牲にすることでどうにか難を逃れたが、もはや戦えない状態であった。

 そうしているうち、車椅子の少女の連れ合いである大柄の老人が日限と幸を両脇に抱えてカウンターの向こうへ逃げた。凄まじい膂力を発揮しているのか、抱えられた二人は身じろぎ一つできなかった。

「おいっ、離せ人殺しめ」

 日限はそのように罵ったが、老人は首を振った。

「違います」

「何をっ」

「動くな! 動くなってんでしょ!」

 亜人の少女が呻くようにして叫んだ。彼女は車椅子の少女に刃物を突きつけている。ナイフや包丁ではない。爪だ。少女の爪は長く伸びて、研ぎ澄まされた刃のようにして鈍い輝きを放っていた。

「……いったい何人の花粉症がいると言うんだ」

「そこの中国人も亜人もォ! そっちに隠れてる連中も動くんじゃあないわよっ。動いたらこの女を突っ殺す!」

「好きに、すれば?」

 雪蛍は言ってのけるが、店員の女が炎の矢を自分に向けているのに気づいた。

 皆が固まっていた。負傷しているものもいれば、動けばやられるという状況に追い込まれていた。

「動いたら殺すっ。動いたやつから殺すっ。それが嫌なら私らをここで見逃すことね。じゃないと全員殺す。殺す殺す殺す」

 亜人の少女はぶつぶつと呟いている。

「殺す、殺す、殺す」

 幸はカウンター越しにその光景を見ていた。そしてゾッとした。体中の血が凍ったように錯覚した。車椅子の少女と目が合っただけでそうなった。

 先まで外界に一切の反応を示さなかった、人形じみた少女が動いたのだ。彼女は亜人の少女にバレないようにして懐からスキットルを取り出した。おもむろにキャップを開けて中身を呷ると、蒸留酒のきつい香りが漂う。亜人の少女は人質にしたはずのものが酒を飲んでいるのだと気づいた。

「……舐めてんの? 死にたいの? 殺されたいの?」

 アルコールを摂取した少女は僅かに顔を上げて不気味な笑みを浮かべた。大柄な老人が声を張り上げた。

全員・・逃げるかっ、伏せなさい!」

 亜人の少女の体がばね仕掛けのおもちゃみたいにして跳び上がった。天井に体をぶつけると、彼女はテーブルの上に落下していく。その様子を、気を失った少女以外の全員が認めた。

 車椅子の少女の掌には淡い光が灯っていた。店員の女や、キツネ目の男が彼女を指差して、喉に手を当てる。幸や日限も同じようにした。声が出せないのだ。

「ようやっと黙ったか、ガキども」

 侮り、嘲るように声を発したのは車椅子の少女である。この空間では今、彼女以外に声を出せなかった。そのことを分かっているのか、少女はくつくつと笑う。

「難しいことは言わない。私の気が済んだ時、誰が生きているかどうかは日頃の行い次第だ。神さまにしか分からん。ではな。そら、助かりたくば祈れ」

 少女が酒を呷った。

 天井から真白の光が降ってきた。今も店を叩く強い雨のように。

 光に触れたものには穴が開き、貫かれて砕かれる。まるで槍だった。机や椅子、床や壁が破片をぶちまけ撒き散らす。光の槍は『喫茶タミィ』を完膚なきまでに粉々にせんと降り続ける。店内にいるものは悲鳴を上げることすらできず、ただ地べたを這いつくばるだけだった。

 屏風はその中を芋虫のように這い、幸が落とした銃を拾っていた。彼女は車椅子の少女に向けて無茶苦茶に銃を撃った。弾は狙いを逸れていったが、少女の後頭部目がけて舞い戻ってくる。それら全ては光の槍で叩き落された。屏風と少女が睨み合った。

 魔法じみたエネルギーと弾丸が飛翔し、交錯する。幸は車椅子の少女を見た。《花盗人》を発動させた。彼女は自分の身に何が起こったのかを察するも、銃弾の対処に手いっぱいだった。

 少女はロシア語で幸を罵った。彼は異能を奪って対抗しようとしたが、そうはならなかった。



 幸は見た。

 喫茶店に押し入り、店主を襲ったものたちの姿を。それは全部で五人いた。店員の女とキツネ目の男、亜人の少女と老夫婦だ。彼らは店主を脅していた。


 ――――これは、誰が見ているんだ?


 幸は察した。

 今、自分が見ているのは誰かの記憶だ。

 この中にいない車椅子の少女の異能を通して、彼女の記憶をのぞき見しているのだ。



 雨は止んでいた。

 どこもかしこも穴だらけで、ぼろぼろになった店の中、車椅子の少女はスキットルを片手に、倒れ伏すものたちを興味なさげに見下ろしていた。

「そこの小さいの。お前、私のを盗ったろう」

 少女はカウンターに向けて声を放った。返答がなかったので異能を使った。撃ち出された光の槍がカウンターを貫いて向こう側の壁に突き刺さる。ややあって幸が顔を覗かせた。傍らには大柄な老人と日限がいる。

「お前らは無傷か」

 幸は小さく頷いた。

「だろうな。うまいことやったもんだ」

「……なんで、力を使ったんですか」

 雪螢と浜路は倒れたままだった。屏風は辛そうにして、壊れた椅子の足に背中を預けていた。キツネ目の男や亜人の少女もみな、傷ついていた。彼らを見て、車椅子の少女は事も無げに口を開いた。

「くしゃみやあくびみたいなものだ。気づいた時には出てしまっている。それより幸運に思えよ。お前ら全員息がある。ついてたな」

「なんで、あの時は使わなかったんですか」

「どの時だ」

「この店に来た時です。あなたが来た時、まだお店の人は生きてたじゃないですか」

「人のものを盗むだけじゃなく、覗きまでしたのか」

「見えただけです」

「そうか。一つ言っておくと、私たちはただ居合わせただけだ。そら、そこで転がっているやつらとは縁もゆかりもあんまりない。だから誰かを助ける義理もないし、誰かを害する理由もなかった。さっきまではな。さっきは違う。こいつらは嘘をついただけじゃあなく、私との約束を破ろうとした」

 大柄な老人がすっくと立ち上がった。彼は車椅子の少女の傍までゆっくりと歩いていく。

「お師匠の言っていることは本当です。私たちは本当に、ただ、間が悪い時にここへ来ただけなんです。……この人たちは杭刃ナインステイクという猟団で、ここを乗っ取るつもりだったみたいです」

「じゃあ、あなたたち二人は」

「この方たちはここを片づけて証拠を隠したかったみたいですが、私たちをどうするのか揉めているところに、あなた方が近づいてくるのが見えたのです。そこで、私たちには自分たちの猟団に入ったことにして口裏を合わせるか、余計なことを言わないようにと釘を刺してきました」

「それで、あなたたちは喋らない方を選んだんですね」

 大柄な老人は頷いた。

「そうすれば命だけは助けてやると」

「ありがたいことだ」車椅子の少女は嘯いた。

「それでどうする小さいの。私たちを非難するか。捕まえるか。それとも戦ってみせるか」

「どうもしません。どこかへ行くなら、どこへなりと行ったらどうですか」

 少女は眉根を寄せた。幸の態度が面白くなかったのかもしれなかった。

「なんだ。つまらない。お前のは使えそうな花粉症なのにな」

「お師匠、どうかその辺で。口が悪いのも考え物ですよ」

「何だと。私の口が悪いだと。馬鹿を言うな。私に悪いところなんてない」

「何のためにここへ来たのかお忘れですか」

「いいや、忘れていない」

「よろしい」

 少女と老人は店を立ち去ろうとしていた。幸は少しの間、彼らを呼び止めるかどうか迷っていたが、見送ることにした。あれはただ居合わせただけで、互いに間が悪かったのだ。そう思うことにした。

「おい」

 去り際、車椅子の少女が振り返った。

「私は婆さんじゃないからな」

「はあ」

「《バーバ・ヤガー》はあの国から、あの土地からは出ないよ。それだけだ。いいな。私は断じて婆さんではない」

「分かりました」

「分かったならいい。じゃあな」

 少女は今度こそ去っていった。

「……じゃあなって」

 別にもう一度会いたくはなかった。車椅子の少女とも、ここで伸びている《杭刃》とかいう連中とも。しかし幸はメフでの短いようで長い暮らしの中で察していた。えてして、そういったものたちとはまた出会ってしまうのだろうと。そもそも皆がメフの中にいるのだ。二度と出会わない方が珍しいのかもしれない。それこそ、生き死にが関わらない限り。

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