夜鳴鶫<2>
「ちょっと待ちなさいよ」
「あ?」
縦横無尽に振舞う屏風に我慢できなくなったのか、帽子の少女が彼女を強くねめつけた。
「さっきから私たちを疑ってるけど、そもそもその人が……店長が殺されたのかどうかだって分かってないんじゃないの? なのにこっちを人殺しだって決めつけて、話をさせてる時もニヤニヤしながら聞いて、正直ムカついてしようがないのよね」
「そういやそうだよな。あんた自分で言ってたろ。死体にゃあ外傷も何もなかったって」
「うん、言った」
「だったらおかしいじゃねえか。おかしいことやってんじゃねえか、てめえは」
キツネ目の男は息巻いた。
「けどさー、だったら毒でも盛られたのかもしれねーじゃん。なー、にいちゃんだってそう思うだろー」
「え、う、うん」
幸は帽子の少女に睨まれて目を伏せた。屏風は悲しそうな顔になった。
「まー、確かにそうだよなー。じゃあさじゃあさ、持ち物検査しようぜ。そいで誰も毒を持ってなかったら帰っていいぜ。な、そうしよう!」
「私はそれで構わんが」
日限はそう言ったが、帽子の少女や老婆は拒否した。
「嫌よ。どうしてそこまでしなきゃいけないのよ」
「でも疑われてますし、職務質問みたいなものだと思います」
「君はその警察かどうかも分かんないやつの肩を持つけどね、私は嫌だと言ったら嫌なのよ」
「えー、なんでー? 毒持ってるからー?」
屏風はけたけたと笑った。
「私はあんたが嫌い。嫌いなやつの言うことなんか聞きたくないわ」
「ちょっと帽子脱いでみ」
「はあ? あんたね」
「脱げってんだ」
銃口が帽子の少女に向けられる。
「……どうして脱がなきゃいけないの」
「そこに妙なものでも隠されてちゃあ困るからだよ。ん? 何かあるんだろ。銃とか、薬とか、やましいものがそこにあるんだろ。だから帽子を被ってんだよな? ほら、いいから脱げって」
「誰だって帽子くらい普通に被るじゃない!」
「誰だって? そうだな。普通に被るよな。じゃあ普通に脱げよ。何もないならそれを取れば済むだけじゃねえか。……返事しろよな。なぁ、なあって、おい、脱げっつってんだよう!」
少女は肩を震わせた。そうしてゆっくりと帽子に手をかける。
「そうそう、それでいいんだよ。ほら、どけてみなぁーあ」
少女は何事かを呟いた。彼女が帽子を脱ぐと、幸らはあっと声を上げそうになった。恥辱によって唇を噛んだ少女の額には、上向きになった小さな突起物があった。それは牛の角によく似ていた。
「折ったのですね」
浜路の口調は厳しく、彼女は少女をねめつけている。よく見ると角は左右に二本生えていた。しかし右側の角は根元の部位を残すのみで、折られた形跡があった。
「悪い?」
「角は亜人の誇りではなかったのですか」
「誇りで人生を楽に生きられるなら帽子なんかで隠さなかったわ」
「角を折って楽になりましたか」
少女は浜路を睨んだ。だが、何も言い返さなかった。
「そんで? 毒は? 隠してないの?」
「ないわよっ」
「ふーん。じゃ、姉ちゃんは亜人だってバレないために角を隠してただけ?」
「それ以外に何があるって言うの!?」
「さあ?」
少女は屏風に掴みかかろうとしたが、隣に座っていた老婆がそれを宥めた。
げらげら笑っていた屏風だが、すっと表情を消すと次は車椅子の少女に狙いを定めた。彼女を庇うようにして、大柄な老人が先んじて口を開いた。
「この子は口が利けないのです」
「へえ」屏風は車椅子の少女に近づいた。彼女は、近づいてくるものに一切の反応を示さなかった。
「ホントに? ホントに喋れねえの?」
屏風は少女の横顔に顔を近づけて、舐めるようにしてじっと観察している。その様子を老人は固唾を飲んで見守っていた。
「こっちを見ようともしねえや。何だよ、お高くとまってんなア。そもそもさ、口利けるかどうかじゃなくってよ、ホントに生きてんのかなこいつ。人形みたいでさ、なあ」
「え?」
あまりにも容易かった。屏風は銃口を少女のこめかみに突きつけた。そうして彼女の腕を取る。
「その子に乱暴な真似はやめた方がいいと思いますが」
「つめてえ」
屏風は少女の腕や手指に触れた。
「おいお人形ちゃん、答えろよ。どうしてここに来たんだ」
「私たちは」
「じいさんに聞いてねえんだよ。オレぁこっちの可愛いやつと話がしてえんだ」
「そんなものを突きつけて話はできません」
老人は言った。屏風はにこやかに笑った。
「生きてるかどうか確かめるんならぶっ放してみるか。血が出りゃあオレだって納得するよ。この人形みてえな女がそうなのかそうじゃねえのかってな」
「確かめてどうすると言うのですか」
「人が死んでんだぜ。怪しいもん片っ端から調べようと思うのはおかしいかよ」
「乱暴過ぎます」
「オレが? オレが乱暴だってのか?」
「ええ」
「人殺しがここにいるかもしれねえんだぜ。そいつよりもオレのが乱暴だって言いてえのかよ」
「誰かと比べている訳ではありません。ただ、あなたは乱暴だと」
「そうなのか」
屏風は幸を見た。彼は困ったように笑った。
「銃は怖いよ」
「怖いか」
持っていた得物をポケットの中に戻すと、屏風は頭を掻いた。
「まあいいや。一等怪しいやつは決まってっからよ」
屏風は店員の女を見た。彼女は視線を泳がせた。
「てめえここの店のやつだろ。最後におっさんを見たのはいつだ」
「あ、朝です」
「朝ぁ? 何時くらいだ?」
「九時とか、十時くらいだったと思いますけど」
「で、おっさんは何してたんだ」
「仕込みみたいなものとか……」
「ふうん」
屏風はポケットに手を突っ込み、しばらくの間、黙ったままで店員を見ていた。
「オレの脳みそがおかしいのは知ってるけどよ。それでもオレが間違ってなきゃあ、確か死んでたおっさんってのは用事があったとかで店にいないってさ、店員のあんたが言ったんだよな? じゃあさ、何でこの店にいなかったおっさんが、この店のトイレで野良犬みてえになってくたばってたんだ? おかしくねえ? だって外に行ってたおっさんが店に帰ってきたところを誰か見たのか? あんたさ、朝からずっと店にいたんだろ?」
「よく覚えてないと言うか、その……」
「あ? どうなんだ?」
店員は言いよどんでいた。その様子を見かねたか、日限が口を開いた。しかし口を出しても助け舟を出したわけではないらしく、彼もまた店員を不審そうな目つきでじっとりと睨んでいた。
「君、鍵玉とか言ったかね」
「あ? そうだよ屏風ちゃんだよ」
「君は嘘をついたことはあるかね」
「ないね」
「では、なぜ人は嘘をつくと思う?」
「やましいことがあるからだ。何かを隠そうとしているからだ」
「そうだな。嘘をつくのは何かを隠したいからだ。では、たとえばだな、今現在、この店で嘘をついて得をする者がいるかどうか分かるかね。この店において隠したいことを、秘密を持っているものはいるかね。私はいると思う。そしてその隠したい秘密とは、やはり人死にをおいて他にないと思う」
「長ったらしい。何が言いてえんだよ、おっさん」
「私は嘘つきを知っている。そうだろう、そこの」
日限は店員を見据えた。
「私は君に聞いたな。あいつは煙草を吸っているかどうかを」
「聞きましたっけ」
「聞いた。そして君はこう答えた。『吸ってたような気がする』と」
「覚えてないです」
「そうか。私は覚えている。しかしあいつは煙草を吸わない男だった」
「……それが何なんですか」
「いや、あの時、私の問いに『吸わない』だとか『分からない』と答えていたなら、まあ、そういうことを言うのも分かるんだが、『吸ってたような気がする』というのは妙だと何か引っかかっていた。気がするというのはどうしてだ? あいつが煙草の箱でも持っていたか? この店には灰皿の類が一つも置かれていない。煙草を連想させるものなんかこの店にはないだろうに。どうして『そんな気がする』と言った? ……だったらやっぱり君はあの時『気がする』と言うべきではなかった。もしかしたらやつが店の外で吸っているところを見たというのかもしれないが、そうなってくると話がますますややこしくなる。そもそもやつは煙草を吸わないからだ」
「そもそも……そもそも、どうして私に煙草のことを聞いたんですか」
「君を怪しんでいたからだ」
「あっ、怪しいのはおじさんの方じゃないですか!」
「何故だ?」
日限は首を傾げた。店員の女はいきり立つが、彼は柳のようにのらりくらりとした態度である。それに痺れを切らしたのは老婆であった。
「あら、嘘つきは怪しいんではなくって?」
「そう言っている」
「太っちょのあなただっておかしいことをおっしゃっているわよ。だってあなた、店長さんとはさほど親しい間柄ではなかったし、もう長く顔を合わせていなかったとかおっしゃってたじゃない? だったら、あなたと会っていない間に店長さんが煙草を吸うようになってたって何もおかしい話じゃあないでしょう」
「道理だな」
「あなた、自分に都合のいいように話しているだけのように思えるのだけど」
「別に、そいつに乗っかるわけじゃないけど」
雪蛍がそう言って、細い目で日限を見た。
「私たちにここまで護衛としてついてくるように言ったけど、あんたは先頭に立って、入り組んだ玖区の道を迷いなく歩いてた」
「そういえば、そうでしたね」幸が同意する。
「まあ、そうだな」
日限は何も気にしていない風に言った。それを聞き、店員は椅子から立ち上がり、彼を指差した。
「き、聞いたことあります! 犯人は現場に戻ってくるって! やっぱりおじさんがやったんじゃないんですか!」
「いいや、やっていない。何故なら、私がこの店に来たのは初めてではないからだ。だから道に迷わなかった。そしてあいつとも一週間ばかり前に会って、話していた」
「……え?」
「どうして言わなかったんですか! どうして黙ってたんですか! おじさんだってそんなのいんちきだし、嘘つきじゃないですか!」
「怪しんでいたからだと言ったろう。しかしだ、私が怪しんでいるのはそこの店員の振りをしたやつだけではない。護衛として来てもらった連中を除けば、この店にいたあんたら全員を最初から怪しんで疑っていた。最初からだ。私は今日この店に入った時、不思議に思った。『どうして客がいるんだろう』とな」
「ええ?」
幸は日限に問うた。
「だってお店ですから、お客さんがいるのはちっともおかしくないですよ」
「『日本人』の客ならな」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。おい、君ら、表の看板を見なかったのかね。あるいは張り紙がしてあっただろう。死んだあいつには我慢ならないものが三つあってな。一つはまずいコーヒーだ。まずいものを飲むと侮辱されているような気がしてならないそうだ。二つ目は亜人で、最後の一つは外国人だ。どうしてだか分かるか? あいつはな、メフに来る前にも店をやっていた。喫茶店ではなかったがな、しかし酔っ払って暴れ出した亜人に店を潰されたんだ。文字通りな。そして外人に奥さんを寝取られた。『おい、だからって世の中全部の亜人と外人を嫌うことはないだろう』と私もよく言ったものだ。聞き入れてはもらえなかったがね。あいつは頑なだからな。だから、表にはこう書いてあったはずだ。『亜人、外人、お断り』とな。玖区でだぞ? メフの中でも亜人と外人どもがひしめいているここに店を構えていながら、そんなバカげたことを言っているんだ。だからこの店に来る物好きは少ない。客なんてほとんどいるはずがないんだ。あげく、外国人を自分の店で働かせるなんて真似、あいつがするはずがない」
さて、亜人と外人は黙り込んだ。
しかし空気の読めない亜人がここにはいた。浜路である。
「なるほど、よく分かりました。つまり嘘つきは怪しいのですね。では、そちらのサンドイッチを作った人も怪しいということになるのでしょうか」
「は?」
帽子を被り直していた亜人の少女が目を見開いた。
「私はもう嘘なんかついてないわよ。角だって見せたじゃない」
「でも日替わりランチのことをよく知らないようでした」
「日替わり……?」
「覚えていないのですか? あなたはランチにハンバーグや魚のフライが出ると言いましたが、メニューにはそのようなことは書かれていませんでした。それに珍しいものは出ないと言っておりましたが、冷や汁なるものがメニューにはありました」
「ああ、やつは九州の出だからな。冷や汁は宮崎の郷土料理でもあったか」
「喫茶店でこのようなものはあまり見ないので」
「だから、何?」
亜人の少女は鼻を鳴らした。
「冷や汁がメニューにあることを言わなかっただけで嘘つき扱い?」
「そのように感じました」
「……あっそう」
日限は息を吐く。そうして老婆に目線をよこした。
「君らはここの常連のようにふるまっていたが」
「それが何かしら」
「誰か、あいつの名前を知っているものはいるかね」
「……ああ?」
大学生風の男が冷笑を浮かべた。
「タミさんだろ。ちゃんとした本名までは知らねえけど、おれら、だいたいそういう風に呼んでたよ」
「そうかね。……なぜ、タミさんなんだね」
「店の名前だからだよ。『喫茶タミィ』だって書いてたろうが。『亜人、外人、お断り』なんてもんは知らねえがな」
「そうかね。タミィというのは、あいつが外国人に寝取られたという元嫁の名前だ」
「あ?」
「だから、外人に寝取られたという女の名前を、未練がましくも自分の店の名前につけたと言っているんだ。喫茶タミィというのは店長の名前ではない。あいつの名は鈴白だ。タミさんなどと呼ばれるはずがない。なるほど、君らは嘘つきばかりだな。この店にいるのは嘘つきだけなのかね」
さて、皆、黙り込んだ。
日限の言っていることが真実かどうか確かめる術はない。誰も真実を知らないからだ。しかしここに来て場を支配しつつあるのは彼である。本当かどうかなど今のところ大した意味はない。それは誰の目にも明らかで、余計なことを言って疑われるのは誰だって嫌だと感じていた。
やがて、いつの間にか置物と化していた屏風が喋った。
「亜人と外人ばっかだな、ここ」
屏風は席に座った面々を見渡す。
「お前ら、不法入国してきた連中だろ」
「……は?」
「は、じゃねえよ。てめえキツネ目がよ。もう一回その舐め腐ったツラで同じこと聞き返してみろ。ぶっ放すぞ」
「不法って、どういうこと?」
聞き捨てならないといった具合に、幸が言った。
「だから、こいつらルールを守らないで日本に来たんだろって言ってんだ。にいちゃんは知らねえだろうけどな、数日前、メフの外回りにあたる弐拾区のマンションで同じような事件があったんだ。とある一室の住人が皆殺しにされてたってひでえ事件だよ。で、犯人は逃げた。しかも一人じゃねえ。メシ食ってただとかテレビ見てただとかそこいらで盛ってただとか、手がかりをしこたま残していきやがったから馬鹿でも分かる。そいつらはな、元いた住人をぶっ殺してそこに住んでたんだ。ねぐらとして使ってたんだよ。で、オレらはそのクソッタレどもを追っかけてた。なあ。にいちゃんだって分かるだろ。人は見た目によるんだよ。悪いことしたやつってのは悪いことしてきましたって顔をしてるんだ。泥棒は泥棒の顔をしてるし、人殺しってのは人殺しの顔をしてんだよ。んなことすんのは、こいつらみてえな亜人だの外人だのって連中だって相場が決まってら。……あれ? 喋ってもよかったんだっけこれ? まあいっか」
キツネ目の男が何か言いかけたが、屏風がそれを制した。
「知ってるか。人間ってのは物事のほとんどを目から得たもので判断してるんだってよ。だから人は見かけによらないとか言うのは目が見えねえやつの言うことだ。もしくはすげえ心が広くって優しいやつの言うことだ。でもオレは違う。オレは優しくない。特に犯罪者にはな。法治国家たるこの国でルールを破ったやつは何をされてもしようがねえのさ。で。そいつを踏まえて聞く。なあ、この中に《バーバ・ヤガー》がいるだろ?」
屏風は皆の反応を見て、満足げに頷いた。
「いるんだろ。この中にヤガー婆さんがよ」