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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
磑風舂雨しぃたぉちぇんつぷぅ
18/121

黒焦げ美人<3>



 事務所でくつろいでいた大小野会若頭、茄籐のもとに『蝶子が藍鶴会にさらわれそうになった』という報せが届いたのは、日が暮れてすぐのことであった。

 茄籐は弟分のタニヤマからその報告を聞くと、火のついた煙草を馬鹿でかい灰皿に押しつけてから足を組み直した。

「タニヤマァ。ってことは、うちの若いのはそれをボケっと突っ立って見てたってことになるよなァ? オヤジの大事な娘さんがよう、傷ものにされるかもしれねえってのに黙って見てたってか、あァ!?」

 茄籐はテーブルを蹴っ飛ばす。そうしてから新しい煙草を咥えて口角をつり上げた。

「それでいいんだよそれで」

「……いいんスか」

 歯の二、三本失うのを覚悟していたタニヤマは拍子抜けした。

「藍鶴会は邪魔だがよ、手ぇ出すのにも理由ってのがあんだよ。こっちでその理由ってのをでっちあげてもよかったんだが……」

 タニヤマが茄籐の煙草に火をつける。彼の手指が震えているのを見ると、茄籐はまた獰猛な笑みを浮かべた。

「叔父貴がおぜん立てしてくれたんなら、そいつに与からねえ手はねえってもんだ」

「どういう意味か聞いていいっスか、兄貴」

「連中……藍鶴会が狙ってんのはあのルートで間違いねえだろ。メフっつってもそこまで広かねえ。やくざなんてのは今日凌ぐのに精いっぱいってなもんだ。分かるか?」

「分かんねえっス」

 茄籐はタニヤマを怒鳴りつけた。特に意味はない。彼は楽しくなってげはげはと笑った。

「しかしあの時代錯誤どもが、どっから嗅ぎつけやがったかな……」

 不思議そうに眉根を寄せて、独り言ちる茄籐だった。



 一方その頃。

 現在進行形で版図を広げている赤萩組に、ボッコボコに圧されまくっているやくざたちがいた。メフを縄張りにする、指定暴力団藍鶴会二代目練鴨組の面々である。

 練鴨組は大崩落以前から存在する由緒正しいやくざだった。しかし時代遅れというか錯誤気味でもある。時流に乗り切れず、暴対法後は表立って動きづらくなったので、中華系のとある組織と繋がりを持つようにしたのは最近のことだ。

「クソバカヤロウが!」

「すんませっ……!」

 練鴨組の事務所は荒れていた。荒らしたのは若頭の玉吉たまよしという、神経質そうな顔立ちをした男である。彼は今も勝手な真似をした手下を足蹴にしているが、ついさっきまで調度品を蹴りつけたり灰皿を投げ飛ばしたりしていた。

「動くなっつったろうが! 中国人がやるってんだからやらせりゃいいっつったろ!」

「で、でも、あいつら全然訳わかんねーことしやがるもんで」

「てめーが馬鹿だからだろうが! 口答えしてんじゃねえよ!」

 玉吉は部下の顔面を何度も何度も蹴りつけると、寄る年波のせいで疲れたのか、どっかりとソファに座り込む。直立不動の子分たちを睥睨すると、彼は煙草を口に咥えた。しかし誰も火を点けようとしない。皆、玉吉が禁煙中であるのを知っているからだ。

「ポチまで連れていきやがってよ」

 室内にはひときわでかい男がいた。幸を投げ飛ばした男である。彼の名はギガント・ポチ太。元レスラーだ。ポチはヒール枠の外人レスラーとしてとある団体にいたが、扶桑熱に罹ったことでメフに送られた。そのガタイを見初めた練鴨組の組長が彼を気に入り、組に置いているというわけだった。

 ポチは純朴な男である。日本語はほとんど分かっていないが、彼は練鴨組のものとは目と目で通じ合えていた。

「すんませんしたっ」

「謝ってもおせえだろうがよ」

 玉吉はブチ切れながらも腹の中ではどうしたものかと考えている。

 元々、赤萩組と藍鶴会は仲が悪い。実は彼らは大小野会の茄籐が考えるような思惑で動いていない。ただメンツだけで動く。しかし表立ってやり合いたくない。そこで登場するのが件の中国系組織、蛇尾スネークテイルである。練鴨組が大っぴらに暴力を振るえない分、彼らに実働部隊として働いてもらっていた。

 少し事情が変わったのは、その蛇尾からもたらされた情報がきっかけである。『赤萩組の娘がメフに来る』といったものだ。そこで描いた玉吉の筋書きとしてはこうだ。蛇尾を実行部隊に使って赤萩組の力をけちょんけちょんに削り、邪魔になったら蛇尾を排除する。赤萩組の娘である猪口蝶子をさらった後は、大小野会に彼女の存在をちらつかせて平伏させる。完璧やんけ。

 しかしその作戦は失敗に終わりそうだった。

「しゃあねえな。明日もっぺんさらってこい。今度はミスるなよ」

 蝶子が蘇幌学園に通っていることは知っている。学校の外では赤萩組が睨みを利かせているだろうが、校内ならば問題ない。蛇尾の働き次第では小娘一人さらうなど容易いことだろう。玉吉はそう踏んでいた。



 朝になり、幸は背中をさすりながらリビングにやってきた。彼の姿を認めたむつみは口の端を歪めてみせた。

「階段で転んだんだっけ? まだ痛むの?」

「転んで、上から本とかが降ってきたんです」

 幸は悄然とした口調である。

「背中見せてみなよ。ちょっと服まくってみ」

 彼とは違い、むつみの口調は弾んでいた。彼女は幸が酷い目に遭うのが何となく楽しいようだった。

「ヤですよ。突っつくでしょ」

「突っつかないよう」

 むつみは幸の後ろに回り、もう一度服をめくるように指示した。彼は仕方なくその通りにする。

 幸の背中には大きな青痣ができていた。むつみは痣の中心を指で押す。

「うわあ、痛そう」

「突っつかないって言ったじゃないですか!」

「突っついてないよ。押してるだけ」

「もう!」

 幸はむつみから離れて椅子に座った。勢いよく座ったものだから、椅子と背中がぶつかって悲鳴を上げそうになる。彼女はその様子を見て笑うのを堪えるのだった。

「安静にしといたらすぐに治るよ」

「……そうします」

 昨日のようなことが起こらないのを祈るしかなかった。



 幸はいつもより遅い時間に登校した。掲示板の連絡事項を確認したのち、教室に着く。蝶子の姿はなかった。もしかしたら今日は来ないかもしれないな、なんてことをぼんやりと考えた。

「おせーっつーの!」

 人懐こい声と共に背中を叩かれた。幸はゆっくりと振り向く。

「何よその顔」

「……酷い。痛い」

「はあ?」

 葛は鬱陶しそうに幸を見ると、彼の様子などどうでもいいとでも言いたげにクリアファイルを掲げた。

「署名、ケッコー集まってきたんだよねー」

「葛ちゃんが集めたの?」

「そ。色々駆けずり回ってさー。あ、今の『ずり』はエロい意味じゃねーから」

「分かってるよ、もう」

 いつも気だるげな葛だが、今朝はやけに機嫌がよさそうである。

「これ鵤に叩きつけてやろうぜ。てめー、そう簡単にいくかよってな」

「うん、頑張って」

「オメーもくんだよ」

「ヤだよ」

 葛は幸の首に腕を回して耳元で何事かを囁いた。彼はげんなりとした。

「分かったよ。ついてくからもう放してよ」

「んじゃー今からな」

 リュックサックを机の上に置くと、幸は葛に付き従って生徒会室の前まで来た。中からは話し声が聞こえてくる。彼女はノックもせず、声もかけないで戸を開いた。そこには長田と藤がいて、二人はにこりともせず彼女を見据えた。幸は居たたまれなくなる。

「何をしに来たのよ」

 藤の目も声も冷たいものだった。幸は自分まですっかり敵視されていることに気づく。

「これー。そっちがこそこそやってるから、あーしもこそこそやってみたんだよね。したら結構集まっちった。学校の半数以上が現状維持に署名してくれたんだけど?」

「は? 見せてみなさいよ」

 葛からクリアファイルを受け取ると、藤はそれを長田と共に検めていく。二人の顔色がたちまちにして暗いものに変わり始めた。

「……学校に来てない生徒の署名もあるじゃない」

「直接行ったんだけどー? 不正じゃないですー、せんぱぁい、怖い顔しないでもらえますー?」

 長田は葛にファイルを返すと、ずり下がっていた眼鏡の位置を指で押し上げる。

「なるほど、生徒のほとんどが君の味方というわけだな」

「ちょっと会長、萎えてんじゃないわよ。もうこの際だから生徒は無視して進めちゃえばいいじゃない」

「何……?」

 雲行きが怪しくなってきたのを肌で感じる幸だった。悪い顔つきになった藤は長田を丸め込もうとしている。

「しかし、俺たちは学校のためを思ってやっている。これは全ての蘇幌生のためにやっていることなんだ。その生徒から反発を喰らっていては意味がない」

「世の中を変えるのはいつだって一握りのエリートなのよ。ぐみ……他の人は遅れて有難みを感じるの。改革の崇高さにはすぐに気づけないものよ」

「今絶対『愚民』って言おうとしてたよね」

「黙りなさい八街くん。衣奈葛なんかの手先に成り下がるなんて落ちたものね。惜しい男をなくしてしまったわ」

 藤は何故だか葛に迫る。

「こんな女のどこがいいのかしら」

 メンチを切られた葛は、いつかのピロティの時と同じように一歩も退かなかった。

「てめーぜってー邪魔しまくってやる。お前みたいなんが好き勝手にやるのが一番ムカつくんだよね」

「息巻いてなさいよ。どうせその署名だって体使って集めてきたんでしょ?」

 酷い言い草である。

「鵤さん、訂正しなよ。葛ちゃんだってそこまでは」

「ああ、そーだよ」

「そうなの……?」

「まあ、場合によっては」

 酷い女である。幸はもう何も言うまいと誓った。

 葛と藤の醜い言い争いは時を経るとともにヒートアップしていく。幸と長田は生徒会室の隅で縮こまり、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

「一つ信じて欲しいことがある」

 長田は声を潜めて言った。

「こんなつもりではなかった」

 幸は小さく頷く。長田は以前分かっていると言ったが、彼は藤という女を見誤っていたのだ。

「まさか、鵤くんがあそこまで衣奈葛に執着しているとは」

「それを言うなら葛ちゃんの方もですけど」

 いつもへらへら笑っていて、他人のことを馬鹿にして嘲って玩具にしているのが衣奈葛という女である。幸はそう認識している。しかし今の彼女はどうだ。藤に突っかかって血相変えて美しくない日本語を怒鳴っている。まるで別人のようで、ただの女子にしか見えなかった。

「上等じゃんかさあ!」

「受けて立とうじゃない!」

 葛と藤は互いの髪の毛を掴みながらその場をぐるぐると回っていた。

「だったら勝負よ。こうなったら私とあんたで決着をつけようじゃないの!」

「いいよー別に―? 他のやつなんかどうだって知らねーからな!」

「な……い、鵤くん、何を言い出すんだ。理事会と君たちとはまた別の問題でだな」

 長田は毅然とした態度である。

「すっこんでなさいよ!」

「ウゼーからしゃしゃってくんなや!」

「もう好きにしてくれ」

「会長、まずいですよ! 諦めちゃ駄目です!」

 もはや誰にも止められそうになかった。これではただの喧嘩である。蘇幌学園は二人に巻き込まれているだけだ。だが、取っ組み合いに発展し始めた彼女らを見ると、幸はどこか微笑ましい気持ちにもなるのだった。むしろ二人は最初からこうなるのを望んでいたのかもしれないとすら思った。しかし止めねばならなかった。

「もうやめなよ二人とも。見苦しいよ」

 藤を組み敷いて制服のボタンを引き千切ろうとしていた葛が、ゆらりと立ち上がった。

「葛ちゃんらしくないよ」

「う、うむ。鵤くんもだ」

 幸に便乗する長田だった。

「いったいどうしちゃったのさ。ぼくは」

「うるせー!」

「ええ……?」

「そうよ! 八街くんは黙ってなさい!」

 怒りの矛先が自分に向いたのを悟ると、幸は長田を伴って生徒会室を出た。戸が閉まるのを合図に第二ラウンドが始まった。

「ぶっころす!」

「泣かす!」

 泣きたいのはこっちの方だった。



 それから、休み時間になる度に校内のどこからか罵り合う女の声が響いてくるのだった。それは昼休みになっても変わらなかった。実質的にメフの経済を支配するタダイチといかるが堂の娘が相手では教師も強く出られないようである。その二人の声を聞きながらの食事は酷く不味かった。

「まだやってる」

「……どうにかならねえのか、あいつらは」

 翔一は頭を振った。そして目を見開いた。更に口をあんぐりと開けた。彼の視線の先には、今まさに一組の教室に足を踏み入れんとする猪口蝶子の姿があった。その存在に気づいた男子どもが彼女に駆け寄っていく。おい馬鹿やめろ。翔一は叫びそうになったが出かかった言葉を必死になって飲み込んだ。

 質問攻めに遭いながらも蝶子は気丈である。昨日のキレっぷりは鳴りを潜めて、たおやかな女子高生を演じ切っていた。幸と翔一はその光景から目を逸らす。

「知らねえってことはいいことだよな」

「うん。でも、約束を守ってくれるらしいね」

 蝶子は他の男子から見えないようにして幸たちをねめつけると、署名のプリントを指でつまんで振った。

 案外うまくいくじゃないか。幸は人生ってのも少しは優しいし、甘いものなんだなと実感する。しかし彼は知らない。学校の外では多数の警官が出動するような事態が起こっていて、蘇幌学園が狙われているということなど。



 この国の警官は優秀だ。よく動き、よく働く。しかし、この町においてはその限りではない。メフにはびこる犯罪を取り締まるにはその数が少な過ぎるのだ。穴を自衛隊が埋めることはない。狩人が狩れるのもケモノと判定された一部のものだけだから、ただの犯罪者が相手ではほとんど無力だ。

 だから、今だ。

「連絡が入った。藍鶴会は予定通りやってる」

「アー、では、始めよう」

 蘇幌学園を監視するものがいた。彼らは《蛇尾》。主に密輸や密入国の斡旋をしている中国マフィアだ。今メフにいる実行部隊メンバーにはとある目的があった。

 本来、蛇尾は日本で仕事をしていなかった。アメリカやヨーロッパ方面での密入国が主な活動だったが、強固な取り締まりによってそれも難しくなった。そこで新たに日本でのネットワークを構築すべく動き出したのだが、邪魔者がいた。赤萩組である。彼らは近畿圏を縄張りとしており絶対的な力を持っていた。蛇尾にとって目の上のたんこぶ的存在である。近畿圏外での活動も考えたが、喉から手が出るほど欲しいものがあった。それは扶桑熱患者を手引きするルートだ。

 メフの出入りは基本的に禁止されている。好き勝手には出入りできない。しかし、それはあくまで基本的には、だ。裏道や抜け道もいくつかある。メフの外で問題を起こしたものを匿うこともできれば、メフの中ならできることも山ほどある。実際、大小野会はそれをシノギの一つとしていた。

 蛇尾はその抜け道や裏道を自分たちのものにしたい。そこで自分たちと同じように赤萩組と敵対している藍鶴会と結託した。……というより後ろ盾にしているわけだった。彼らはメフ内の赤萩組を排除した後は藍鶴会の排除をも企んでいた。

バオ

「何か」

 蛇尾の実行部隊は皆、変面と呼ばれる特殊なマスクで顔を隠している。彼らを率いているのは老虎ラオフゥという男だ。蛇尾の幹部だったが扶桑熱に罹り、現場に立つことになったという経歴の持ち主である。

 バオと呼ばれたものが振り向いた。

「分かっているな」

「是、もちろんです」

 バオは小さく頷いた。

「それなら、いい」

 標的は猪口蝶子。赤萩組組長の娘であった。



 扶桑熱患者事件特別対策係、通称花屋に属する狼森には嫌いなものがあった。一つは犯罪者だ。特に異能を使う犯罪者は憎むべき相手だ。もう一つは健康増進法だ。嫌いだが犯罪者にはなりたくないので仕方なくルールを守ろうとはしている。しかし扶桑の真下の街で今更健康だのどうのと言うのはいかがなものか。決して口には出すまいが。そのようなことを紫煙を吐き出す度に考えている。

 メフ警察署の庁舎内には喫煙所が設置されていない。喫煙所は職員用駐車場の片隅にある。とはいえスタンド式灰皿が申し訳程度に置いてあるだけで屋根も囲いも椅子もない。吹きさらしのそこは夏は暑く冬は寒い。吸えるものなら吸ってみろと言われているようだ。そして狼森は吸う。その挑戦を受けて立つ。

 狼森は二本目の煙草に火を点けようとしたところで、スキップでやってくる相棒の姿を認めた。真っ黄色のパーカーのフードを目深に被り、変てこな鼻歌を歌っている彼女の名は鍵玉屏風かぎたま びょうぶ。子供のように見えてもれっきとした花屋の人間である。

 屏風は狼森を見つけると、くるくると回りながら片手を上げた。

「呼び出しだぜー。やくざとやくざが喧嘩だってよ」

「どことどこだ」

「赤いのと青いの」

 どうやら藍鶴会が赤萩組にカチコミをかけたらしい。しかし妙な時期に仕掛けたものであると狼森は不思議に感じた。どうせなら骨抜き事件に乗じた方が上手くいきそうなものだが。屏風が袖を引っ張ってくるが、彼は未練がましく短くなった煙草から口を離さない。

「早く行こうぜー、ぶっ放してえんだよー」

「まあ待てよ。しかし、なんでまた今なんだろうな」

「あー? そんなもんやくざが仲悪いのなんか年がら年中じゃねえかよー」

 藍鶴会は旧態依然とした組織だがそこまでアホではない。伊達に今まで永らえていないのである。彼らは赤萩組の恐ろしさを嫌というほど知っているはずだった。真っ向から挑むとは思えない。これは何かあると狼森は睨んでいた。

「どうせアレだろー? 赤いとこのお嬢ちゃんが来たからさー、そいつ狙ってんだろ」

 屏風は満面の笑みだった。

「……赤いのの? なんだそりゃ」

「聞いてねえのかよ。こないだ言われたろ。あれ? 言ったっけオレ?」

「何も聞いてねえぞ。お前また俺に喋るの忘れてただろ」

「ごめんな!」

 屏風は満面の笑みだった。

「娘っつったら、ああ、そうか」

 狼森は思案する。メフの外でも赤萩組と藍鶴会の抗争は続いている。他の組織が絡んでいることもあり、メフの中よりも激しいものだと聞いていた。赤萩組がその巻き添えを避けるために組長の娘を『比較的』安全な場所へ送るのは筋が通っているとも思えた。

「俺らが知ってるってことは、他のとこにもその話は流れてやがんな」

「はー? 何が? それよりさっき蝶々飛んでたんだよな。オレさー、アレと蛾の区別がつかねーでやんの。何か見分ける方法はねえのかってじいちゃんに聞いたことがあるんだ。したら『蝶は昼に飛ぶもんで、蛾は夜に飛ぶもんだ』ってよ! でもさ、じいちゃんは『お前の親父は夜に飛んだり舞ったりする蝶の方が好きなんだ』って!」

「そうか」

 藍鶴会が赤萩組の組長の娘を狙っている可能性は高い。だが、藍鶴会だけでは強引な手段を選ばないはずだ。

「なーなー、青いのはチャイナと手ぇ組んでるんだよな? そいつらがやってんじゃねえの?」

「蛇尾のことか」

 それ! と、屏風は悲しそうな顔で言う。

 福建省マフィアの蛇尾は巨大で強大な組織だ。メフにも少数のメンバーが潜伏しているらしいが、藍鶴会などの現地の組織と結託して動いているのは間違いないだろう。赤萩組対藍鶴会+蛇尾という構図が、狼森の頭の中でできあがった。

「なーなー、赤いののお嬢ちゃんは花粉症なのかな?」

「あァ? 知らねえよそんなん。それに、赤萩組の関係者だったら花粉症だろうと何だろうと潜り抜けてくるだろ」

 狼森は煙草を噛んだ。腹立たしい思いだった。メフへ行き来するための検問所を管理しているのは警察ではない。自衛隊だ。その中にも金に目が眩むものはいる。どれだけ取り締まろうがやくざに顎で使われて門を開くものは後を絶たない。

「だんだん読めてきたぜ。藍鶴会の狙いは赤萩組の使ってるルートだな」

 人を行き来させるにも金が要る。大枚を叩いてメフから出たがるものもいれば、メフに来たがるものもいるのだ。

 だが、狼森はまだ納得していなかった。恐らくだがまだ何かある。裏で糸を引いているものがいる。そう踏んでいた。

「どいつかシメ上げりゃあ済むことか」

 狼森は頭をくしゃくしゃに掻き毟り、屏風を見下ろす。彼女は頬を膨らませていた。

「おっ、行くのか? だったらさっさとしろよな。だらだらしてんなよ」

「考えたいことがあったんだよ。俺はお前と違ってだな」

「うるせーよ! 今日はお前が運転だからな!」

「今日『は』って、お前免許持ってねーだろ。運転したことねえだろうが」

「そうだっけ!?」

 屏風は狼森の周囲をぐるぐると回る。大人しくできないやつだった。

「そういや、赤萩組んとこの娘はまだ若いんだったか」

「ソボロ通ってるって聞いたぜ!」

「……蘇幌に?」

 狼森は何か、途轍もなく嫌な予感がした。その名前を聞くとどうしても骨抜きや衣奈葛のことを連想してしまう。それと、百鬼夜行の狩人の甥っ子が通っているのも気になっていた。

「また何かやらかすんじゃあねえだろうな」

 それはまだ誰にも分からないことであった。

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