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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
猿【鉈と】猴【刀と】取【貴女と】月
112/121

子袋<2>



 街にケモノが現れたのは朝早くのことだった。実際、夜半には動いていたケモノもいただろうが、地上のものが彼らを捕捉できたのは少なくとも午前六時を回ってからだ。

 市役所に勤めるむつみは同僚からの連絡を受け、眠たい目をこすりながら出かける準備を始めた。耳ざとくその音を聞きつけたのは幸である。彼は既に着替えを終えていた。

「構ってる暇はないからね。早く避難しなよ。ちょっと……なんというか、異常事態みたいだから」

 洗面所に向かうむつみを見送るようにしてから、幸は冷たい麦茶で喉を潤すと、適当な食べ物を胃に詰め始めた。洗面所からは水音が聞こえてくる。音が止まって、簡単な身支度を済ませたむつみがあきれ顔で幸を見た。

「私の言うこと、聞く気はあるかい、少年」

「ぼくも狩人です。鉈もあります」

「……あのね」

「一人じゃないですから。皆とやります。それに避難したってケモノはこの街ならどこにでも湧いてきます」

 むつみはしばらくの間、腕を組んで幸をねめつけていた。彼は一度も視線をそらさなかった。

「分かった。鉈持ってきな。準備終わったら出るからね」

「やった」

「君のお仲間が来るまでは一緒にいたげる。それから、私は蘇幌の方に行くから」

 幸は部屋に戻り、鉈を取って、それから少しだけ迷いながらもテラリウムから鬼無里カエルを掴んで肩の上に乗せた。鬼無里は困惑していたが、むつみが近くにいることを察したのか石のように固まって黙り込む。

「何? カエル持ってくの?」

「どうして学校に行くんです?」

「そこが私の担当だからね。途中までやれそうなケモノは狩っていくけど」

 むつみが避難場所にいるなら、そこにいるものは恐らく無事でいられるだろう。幸はそう認識した。

 六時ちょうどになった時、そこいらがうるさくなった。サイレンが鳴り、携帯電話がメッセージを受信して震えだす。

「私のあとについてきて、勝手に前に出ないこと。いい?」

「はい」

「よし。いいって言うまで出ちゃ嫌だよ」

「はい」

「返事だけは……」

 支度を済ませた二人は三和土に向かい、まず、むつみがドアを開けた。幸はそれが閉まるのを見送り、彼女の合図を待つ。

「ご主人」と、肩から恨めしそうな声がした。

 鬼無里は不機嫌そうに幸を見上げている。

「どうして私を連れていくんだい。大人しく寝かせてくれればいいものを」

「何となくです。それにケモノが冬眠から覚めるなんて珍しいみたいですから」

「それは……気にならないといえば嘘になる」

「ちゃんと掴まっててくださいね」

「振り落とさないでくれよ。やれやれ、どうしてこうなるんだか」

 ややあってドアがノックされた。幸は息を呑み、外へ出た。



 むつみは幸を伴ってマンションの下に降り、ここの住人の避難が終わるのを待っていた。幸は周囲をきょろきょろと見回す。その様子を彼女は見咎めた。

「一緒に学校まで行く?」

 幸はむすっとした顔で答えた。

「行きません」

「頑固者」

 粗方の避難が終わり、管理人らしき男と二、三話した後、むつみは動いた。彼女は幸の頭をわしっと掴み、髪の毛をぐりぐりとかき回す。困っている彼をよそに、むつみは続けた。やがて満足したのか、彼の頭をぽんぽんと撫でるようにして手を放す。

「別に、何でもないよ」

「……はあ」

 幸はそれ以上何も言わなかった。何だかまんざらではなかったからだ。

 二人はケモノを警戒しながら学校へ向かった。幸は、むつみが鉈を佩いているのをぼうっと見ていた。ケモノが出た。サイレンも鳴っている。なのに妙に静かに感じられた。台風が近づいてきて、警報が出るかどうか待っているような緊張感。お祭りが始まる寸前の期待感。ない交ぜになって風船みたいに膨れてくる感情を持て余す。そうしているうち、浜路と雪螢から連絡があった。近くまで来ているのでじきに合流できそうだった。

「そう。じゃ、私は行こうかな」

「行っちゃうんですか」

「ん?」

「えっと、や、大丈夫です」

「んー?」

 むつみは幸に顔を近づけて、意地悪い笑みを浮かべた。

「寂しいなら学校に来なよ」

「そうします」

「あら、素直になっちゃって」

 むつみの後ろ姿を見送った幸は、塀に背中を預けて鉈の柄に手をやっていた。浜路たちが来るまで、ずっとそうしていた。



 幸たちはケモノを狩りながら、《驢鳴犬吠》全員での合流を目的とした。自分たち以外にも多数の狩人がおり、散発的に現れるケモノの対処は彼らが思っていたよりも楽に進んだ。一時間も経つ頃にはメフの一般市民のほとんどが避難を終えていた。

「返事、来ませんね」

「それどころじゃないのかもね」

《驢鳴犬吠》は集まりが悪かった。イシャンが合流してからは、オリガや深山たちからは音沙汰がない。古川に至っては連絡先を誰も知らなかった。そも、彼は団に入ったつもりはないとまで嘯いていたのである。

 ああだこうだと団員たちが喋っているのを、幸は少し離れたところで聞いていた。すると、肩にいた鬼無里が声を潜めて言った。

「近くにケモノがいそうだ」

「……本当ですか?」

「私の《生体解剖者》の力かもしれない」

「どこにいますか」

 そうだな、と、鬼無里は考え込む。

「そこの塀か。体色を変え、周囲の景色に溶け込むケモノもいる」

 幸は鉈を抜く。それを認めた浜路が不思議そうにしていたが、彼は構わず、鬼無里が指示した塀を横薙ぎにした。すると妙な手応えがあった。固いものではなく、肉を叩いたような感触が伝わる。ややあって、ケモノがずるずると落ちてきた。リスのような姿をした小型のケモノだ。

「ホントだ」

「なんですかそれ。幸殿、よく分かりましたね」

「ええ、まあ」

「さすがは余のご主人だ。ふん。ちと小さいがな」

 雪螢はケモノを踏みつけながら、自分の鉈でそれを検分する。

「牙がある」

「噛まれると痛そうですね」

 幸は無言で鬼無里の頭を撫でていた。指でそうされている彼女はどこか不服そうである。

「どうせ」

 ぽつりとつぶやいたのは幸だ。

「目立つケモノはよその猟団が狩ってくれます」

「ま、そうね。奪い合いになっちゃってるところはあるし」

「では、我々はどうするのです」

「小さくてもケモノはケモノです。他の人がやらないことをしましょう」

 幸はそう決めたが、イシャンは大変に憤慨した。

「見習いを連れてるしね」

「あ、当てつけか、ご主人」

 イシャンは鉈すら持っていない。彼が狩人の見習いを卒業するための講義も受けていないと古海はぼやいていた。弁慶の泣き所だったか、イシャンは仕方なく頷いた。何にせよ彼が指示に逆らうことはほとんどない。



 活動の範囲を少しずつ広げていくと、幸たちは知った顔と出会った。《猟会》ですっかり馴染みとなった、甲功刀と入之波吉乃である。二人は自分の団員たちに断りを入れて駆け寄ってくる。

「大丈夫だったか?」

「怪我とかない、平気?」

 幸は苦笑した。二人と比べれば自分はまだまだ新米である。心配されるのも無理からぬ話だった。

「何とか」

「そか。しっかしよう」

 功刀は鉈を鞘に納めながら顔をしかめた。

「こんなの初めてだ。親父も、爺さん連中も不思議がってたぜ」

「おじさまも何かおかしいって……でも」

「でも?」

 吉乃は舌打ちした。

「おじさまはともかく、《猟会》のおじいちゃんたちは全然動くつもりがないらしいの」

「ええ? なんで?」

「しんどいからだろ。いつものことじゃねえか。オレらだっているし、他の狩人だってわんさかいやがる。ザコを囲んで睨み合いしてるやつらだっているんだぜ。わざわざ出てくることもないって、今頃屋敷で酒でも飲んでるよ」

 幸は蘭や我路たちを思い出す。確かに、率先してケモノを狩るような人たちには見えなかった。実際、我路は今の状況をかなり鬱陶しく感じているだろう。

「何が起こってるんだろう」

「さあな。大空洞からケモノが出てきやがったのは間違いねえ」

「下で何かあったのかも」

「それも、考えるのは後だ。まずは出てきたやつらを仕留めなきゃどうにもなんねえよ」

 仲間に呼ばれた功刀は焦ったように幸へ話しかける。

「よう、オレらと来るか?」

「ううん。大丈夫」

「そか。うん、わりぃ。お前だってリーダーだもんな。でも、何かあったら言えよ。じゃな!」

「私も行くね。そっちはどの辺回るの?」

「外周は見てきたし、中心に行こうかって話になってる」

「それじゃあまた会うかも。がんばってね!」

 同世代の狩人も順調にやっているらしく、負けていられないという気持ちがどこからか湧いてくる幸であった。



 二、三時間が経った頃、討伐の進んだ区域とそうでない場所とで差が生まれ始めた。やはりケモノの数が多いのはメフの中心部であり、扶桑に近い場所である。

 早めの昼食を済ませた幸たちは伍区に向かうことを決めていた。ここは今、取り仕切っていた八雲や月吠などの家がそれどころではなくなったので手薄となっていた。また、リリアンヌからも連絡が来て、彼女は既にそちらへ向かっているそうだった。

 伍区へ。メンバーこそ揃っていないが、《驢鳴犬吠》は目的地へ向かっていた。



 冬場のケモノは厄介だ。たいていは腹が減って気が立っている。睡眠を邪魔されて腹が立っている。そして何より恐ろしいのは子のいるケモノだ。孕み腹のケモノこそ、狩人が最も警戒すべき相手である。

 巨大な豚が伍区の田畑地帯で吼え声を上げている。丸々と肥え太ったように大きな体。全体的に大きいが目立つのはやはり腹だった。《子袋》と呼ばれる巨大な豚が狩人どもを見下ろしている。

 たかが豚だ。高をくくった狩人が仕掛けたが、《子袋》の動作は存外素早かった。ケモノは鼻先から頭をひねるようにして、近づいてきた狩人を突き飛ばした。これはしゃくりという行為である。まともに食らうと大の大人であってもこうなる。既にこの時、しゃくり上げられた狩人の意識はなかった。衝突の際、全身の骨は砕け肉も割かれる。当たり所が悪ければ即死だ。何せ大型のトラックのようなケモノがそれと変わらないスピードで突っ込んでくるのだから無理もない。

 豚によく似ているのは猪だ。勘違いしている狩人も多いが、この両者の違いは驚くほど少ない。《子袋》はメスだが、オスなら牙の生える豚もいる。豚も猪と同じように、同じようなものを食う。鼻先は固く、筋肉も充分だ。

《子袋》の恐ろしさは力と速度だけではない。それはむしろおまけのようなもので、厄介な点は別にある。

 通常、《子袋》は狩人と戦わない。これは大空洞で栄養を蓄えて冬を越し、春になるまでは大人しくしている。地上には出てこない。人生の大半を食事に費やしているからだ。全て腹の子のためだ。《子袋》は同種族だけでなく、他種族との子も孕む。この節操のなさは全く新しいケモノを産むこともあり狩人を悩ませるのだが、それ以上に厄介なのは実際に子を産む時だ。《子袋》は一度に十数を超える子を産み落とす。腹の中にいる子は、親の肉を餌とする。親は子に自らの内側にある肉を食わせるのだ。やがて子は親を食い、育つ。育った子が、親を食い破って外に這い出て、自力で産声を上げるのだ。骨だけになるのが分かっていても、死ぬと決まり切っていても親は孕み、子を産む。そうして生まれてくる子は既に独りでに餌を獲れるほどに成長している。《子袋》を殺せても次に狩人たちを襲うのは腹の子だ。それもどんなものが飛び出てくるか分からない。不幸中の幸いなのはまだ腹の子が育ち切っていないであろうことだ。《子袋》の出産は春だ。今の時期だと子も半端なものしか出てこない。

《子袋》が疾走する。飛び道具を持っている一部の狩人が射かけるも、ケモノの外皮は酷く分厚い。生半な攻撃では届かない。遠間からでは無理と悟った狩人もいただろうが、超大型のケモノの突進を目にしては誰も動けなかった。田畑は荒らされる。掘り起こされた土が跳ね上がる。ケモノはただ走り回るだけだが、それだけで脅威だった。それを避けられなかったものが呆気なく中空に吹き飛んで砕かれて、ねじ曲がる。

「誰か止めろよ!」

「ふざけんな!」

 足が止まったところを狙うしかないが、率先して切り込めるものはやはりいない。ケモノには隙こそあるが一度の攻撃で仕留められるものはここにいない。

 花粉症持ちだ。異能者を出せ。

 その声に応えるかのようにして前に出る集団があった。《騎士団》の一部隊、《固い切っ先》とも呼ばれる花丸美樹の部隊であった。



 花丸部隊の動きは早かった。既に今日、メフ中のケモノと最前線で戦ってきたものたちである。意気軒昂であり、大型との戦いにも慣れていた。

《子袋》の突進は脅威的だが予備動作も大きく、分かっていれば間違いなく避けられた。少なくとも花丸部隊のメンバーならばわけもないことだった。ケモノの動きが止まったところ、狙うのは足元だった。巨大であるがゆえに体重を支える部分に負荷がかかっているのは明白である。突進のたびに、腹に伝わる地響きと舞い上がる泥土。寒気の中、《子袋》からは蒸気のようなものがもうもうと上がっていた。

 何度か攻防を繰り返すうち、高い音が鳴った。口笛の音だ。花丸美樹が合図を出した。白煙が立ち上る。周囲を覆ってしまうほどの煙は、やがて狩人たちの姿を隠した。《子袋》が遮二無二突っ込むも、足を取られてのめりかけた。突進の影響で掘り起こされた地面が大きく口を開けていた。穴にハマったのだ。自重を支えきれず、ケモノの体勢が崩れる。起き上がろうともがくも足が短い。

 また、口笛が鳴った。先とは違う音色だ。瞬間、煙の中から風を切る音が三つ、四つ。《子袋》の体に鉈の刀身が深く食い込んだ。高所からの跳躍、体重が乗った一撃だ。花丸部隊に続き、他の猟団や狩人も続いた。

 最初こそ《子袋》は抵抗を試みた。四肢を動かし、頭でしゃくり上げようとじたばたともがいていた。しかし狩人たちは数が多い。焦らず、隙を見て少しずつケモノの力を削いでいった。体中から血が流れ、《子袋》の命が少しずつなくなっていくのを、その場にいたものたちは目の当たりにしていた。

「切れるんなら手足やって、頭潰すぞ」

 花丸美樹が段差から穴に降り立った。彼は数名の供を連れ、まず、《子袋》の円らな目玉を一つ潰した。もはや身じろぎすらしなくなったケモノの顔に足をかけ、大きく膨れ上がった腹を認める。親を仕留めた後、飛び出てくるであろう子どもを的にかける必要があった。《子袋》の、もう片方の目が光を帯びた。鼻の孔から蒸気が噴き出る。近くにいた花丸たちが両腕で顔を庇う。ケモノは最後の力で起き上がった。既に左の後ろ脚は切り離されていたが、大きな腹で地面を擦るようにし、何も見えないままで頭突きを決めた。鼻先でしゃくり上げるようにして、何度も頭部をひねる。蒸気を浴びたことで《子袋》の顔から転がり落ちていた花丸部隊の面々は、その一撃をまともに受けた。段差の上からそれを見たものは思わず、昼に食べたものを戻しそうになった。助けるという次元の話ではなかった。巨大なケモノの末期まつごの力である。運よくしゃくりから逃れたものは、足を踏まれながらも穴から這い出て一命を取り留めたが、花丸たちは一部を残して挽き肉と化していた。中身はケモノの固い鼻先で磨り潰され、そも、《子袋》の異能であろう蒸気を喰らったのだ。二度と狩人ではいられなかっただろう。

《子袋は》まだ暴れている。散発的に矢玉が放たれるがほとんど無意味だった。

 穴にはまり、足は一つ切り落とされ、全身からは血が流れ、視界を半分以上失った。《子袋》は死にかけだ。だが、狩人たちはもう動けなかった。人は学ぶ。ただし人は忘れてもしまう。彼らは手負いのケモノこそが最も恐ろしいのだと我が身を以て知るのだった。

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