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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
刻舟求剣Sparks Fly
106/121

恋の逃避行



 血の香がする。

 そういう時、いつだって薄暗い。暗がりから香るのがそれだ。

 闇にはとうに目が慣れている。散乱した勉強道具。折れたパーテーション。動かない上司。握り締めたボールペン。

「先生……?」

 少女の声がする。か細く、儚げな声が。

 混濁した意識がしゃんとする。

 握り拳がゆっくりと解かれて、声の主を捕らえた。

「か」と、喉の奥から悲鳴じみた音が発せられる。それは笑みだった。人が笑った時の声だった。

「これで俺は。君は」

 男と女の手が重なった。



 お金稼ぎは大事である。冬の間はなおさらだ。《驢鳴犬吠》のメンバーはそれぞれアルバイトなり何なりで冬の間を過ごそうとしていた。

 幸はいかるが堂でのアルバイトに復帰した。ついでに雪螢もだ。彼女の顔を見た鵤藤は驚いていたが、特に何も聞かず、二人が働くことを鷹揚に受け入れた。

 雪螢を誘ったのは幸だ。しかし彼女はいかるが堂で働くことを嫌がった。一度は自分の都合で辞めたのだ。そしてここには藤がいる。雪螢は藤にも借りがあった。

「また、幸の学校の子と関わるなんてね」

「嫌ですか」

「そう言ってる」

 幸と雪螢は並んで品出しの作業を進めていた。

「でも来てくれましたよね」

「あんまりしつこいから」

「そう……ですか」

 幸は横目で雪螢の手を見ていた。彼女の作業スピードは、以前よりずっと落ちている。ブランクのせいだろう。そして自分はちょくちょくここのアルバイトを手伝っていたのでスピードが上がっている。雪螢を超えるのは今だった。

 遅いだのとろいだの鈍いだのと散々扱かれてきたが、立場が逆転したことを感じる幸。彼は仕掛けた。そのために雪螢をいかるが堂のアルバイトに誘ったのだ。

「雪螢さん」

「何」

「ぼく、もう終わっちゃいました」

 ほら、と、幸は綺麗に陳列された商品棚を指差す。雪螢は眉根を寄せた。

「……お疲れさま」

「はい。雪螢さん、まだ、なんですね」

「啊?」

「いつの間にか、ぼくの方が早くなっちゃいましたね」

 幸は負けず嫌いだった。そして雪螢もまた負けず嫌いである。何より彼女は速度を重視する。彼は壁を一つ乗り越えたとばかり思っていたが、その壁が反り立っていくのをやがて目の当たりにする。

 本気を出した雪螢は他のものの仕事を奪う勢いで働き始めた。元はここで、藤に『エース』とまで称されていた一流アルバイターである。幸など物の数ではなかった。

「幸」

 やり遂げた感をいっぱいに出す雪螢は、幸に向き直った。

「遅い」

 はい。そう頷くしかできない幸だった。



 夜になって退勤のスリットカードを通した後、幸と雪螢はバックヤードで見知らぬ外国人に声をかけられた。黒髪を束ねた褐色の女だ。スーツを着た彼女はじっと幸を見下ろしている。左目の下に泣きぼくろがあった。インド系であろう彼女はかけていた眼鏡の位置を指で押し上げてから、小さく微笑んだ。理知的なそれで、幸は自分より幾分か年上の女性なのだと確信した。

「あの、アンケートをよろしいでしょうか」

「アンケート?」

「そ。協力したげてね」

 通りすがりの藤がスタッフジャンパーを翻しながら言った。彼女はインド系の女性の傍に立ち、にひひと笑った。

「うちの商品開発部の大型新人、ハリシャさんよ」

「商品開発?」

「来たる日に備えているのよ。ふふふ」

「来たる日っていつのこと?」

 幸が聞くと、藤は首を緩々と振った。ツーサイドアップの髪もふるふると揺れた。

「言えないわ。でも、そこでタダイチとの違いを見せてやるってやつね。爆上げよ爆上げ」

「バレンタインの日のことです。ですよね、ボス?」

「あ、もうっ、言っちゃだめって言ったじゃない」

「でも、どうせバレてしまいます」

 ハリシャという女は申し訳なさそうに目を伏せた。

「アンケートと言うのはですね、チョコレートの味についてなんです。いかるが堂のプライベートブランドとして……」

「ああ、コンビニでよくあるやつ」

 雪螢が遮るようにして言うと、ハリシャは困ったように笑った。

「ええ。でも、この街のお客さまの声を聴いて、この街のためだけに作られる商品ですから」

「じゃあ、バレンタインの日に発売するんですね」

「その予定です」

 それから、幸と雪螢はハリシャの出すいくつかの質問に答えた。彼女はふんふんと小さく頷き、ありがとうございますと微笑をたたえる。

「おいしいのができるといいですね。その時はぼくも買います」

「え。八街くん、自分でチョコ買うの? バレンタインに?」

「だってその日に出るんでしょ」

「男の子なんだから誰かにもらえばいいじゃない」

 藤は事も無げに言った。

「もらえなかったらどうするのさ」

「その時は私に泣きつきなさい」

「くれるの?」

「売ってあげる」

 だと思った。幸はロッカールームに戻り、制服から私服に着替えた。



 店から出た幸と雪螢は風を浴びた。竦むほど冷たい夜気の中、叢雲の中でさえ月が冴え冴えとしていた。

 二人は、街灯から街灯へと移る二つの影を目にしていた。ハリシャだ。彼女は小さい子を連れて歩いている。時折何か話しかけているのか、ハリシャの影が大きくなったり、小さくなったりしていた。

「妹さんですかね」

 幸が何の気なしに言うと、雪螢は違うと短く返した。

「親子ね」

 ハリシャたちを見る雪螢の横顔は愁いを帯びていた。幸はその理由が分からなくて、ただ、黙って彼女の傍にいた。

「帰ろうか、幸」

「はい。あの」

 自転車の方へ歩いていく雪螢を呼び止めた幸は、困ったように笑った。

「今日は一緒に帰りませんか」

 雪螢は黙って頷いた。



 幸は何度か猟会の集まりに顔を出していた。そこで功刀と話し、やはり、冬になると狩人たちは貯めていたものでやり繰りしたり、副業をやっているものなのだと聞く。

「オレたちみたいな学生とかならさ、短期のアルバイトを寒くなる前に見つけておくのが基本なんだ」

「そこはどうにかなったかな」

「オレも。毎年お世話になってる店があってな。……まー、でもよ、そんでも心もとないとか思わね?」

 確かにいかるが堂の給金と狩人として得られる金では大きな差がある。そのことを功刀は分かっていたのだろう。ある提案を持ちかけてきた。

「八街ってさ、少なくともオレより頭いいと思うんだよな。何か勉強できそうだし、難しいことも知ってるし。そんで度胸も案外据わってるよな」

「そんなことないよ」

 そう答える幸だが脂下がっているのは丸分かりだった。

「探偵向きだと思うんだよ。オレは。うん」

「探偵?」

「おう。たぶんな! なんかお前ってやべえ問題があっても、パッと答えに着地しそうっつーか、答えを引き寄せそうな感じがしてさ」

「そうかなあ?」

 功刀は勘のいい少年であり、幸の性質をある程度見抜いていた。しかし幸は答えを見つけられても他人にそれを説明できるほど聡明ではない。ただ一人だけ、本当の場所に辿り着けるだけだった。

「殺人事件を推理するの……?」

「違うって」

 功刀は手を叩いて笑った。

「いや、オレの知り合いがな、人を捜してるんだってよ。でも、それを手伝えるやつってのも、まあ、色々と条件があって……とりあえず《猟会》の知り合いじゃないとダメらしいんだ」

 誰かを捜している人間が、その手伝いをする人間を捜しているらしかった。

「ややこしい話だね。でも、それって功刀くんが手伝うんじゃだめなの?」

「そういうの向いてねえし、バイトがあるからなあ。オレはあの人、苦手だし」

「あの人?」

「ああ、なんでもねえ。ともかく、どっちかと言うとお前向きなんだよ。な、頼むよ。何も見つからなくてもお礼はするって言ってたしさあ」

 功刀が拝んでくる。幸は頼みごとに弱かったし、困っている人がいるというのも見過ごせなかった。

「ぼくでいいんなら引き受けるよ。でも、その人がぼくでいいって言ってくれるんならの話だけど」

「大丈夫だって! お前のことはオレが前から話してたし、そいつも話してみたいとか言ってたし!」

「……その、人を捜してるって人は、功刀くんの知り合いなんだよね」

「おお、そうだけど」

「誰なの?」

「そいつも狩人だけど、まあ会ってみりゃわかるよ」

 幸は息をついた。功刀は面倒見のいい兄貴分だが大雑把なきらいがある。そして行動的だ。

「じゃ、明日タマ校近くの喫茶店に向かってくれよ。ああ、明日って時間あるか? おう、そう、放課後。そんでな……」

 既に手際よく進められていたらしい。幸は功刀の提案を受け入れることにした。そして、二人の話に聞き耳を立てているものがいた。



 翌日の放課後、幸が功刀に指定された鳥玉高校近くの喫茶店に向かうと、そこには知った顔がいた。

 梅田金吉である。《猟会》の幹部であり、《騎士団》の出向組である彼がなぜここに。幸は不思議に思うも、ここが彼の行きつけの店なのかもしれないと思いなおした。ただ、梅田の対面に座る少女が気にかかった。いったい、誰なのだろうかと幸は彼女に視線を遣った。

 梅田と相席しているタマ校の制服を着た少女は多くの人の目を引くだろうと思われた。まず、制服でメフの男子学生の注意を引くだろう。タマ校の制服というのはある意味ブランドだ。次に顔立ち。整った造作はもちろん、たおやかな仕草一つから育ちの良さがうかがえる。それでいて完成されたという雰囲気はない。どこか幼さの同居した少女が笑う。それだけで虜にされるものは少なからずいるはずだ。何よりも人目を引くのは髪の色だ。白というよりしろがねで、アンバランスながら容姿と共にあれば妙に釣り合いが取れていて――――。


「君」


 声をかけられた幸はハッとした。

「八街くんだろう? 甲くんから話は聞いている。こちらに来てかけたまえ」

 どうやら人違いではないらしい。梅田は席を立ち、自分の名を呼んだ。幸はそう認識すると、ふわふわとした足取りで梅田と少女のいるテーブルへ向かった。

 幸が近づいても、制服の少女はコーヒーカップに指を這わせたまま目を合わせようとしなかった。その代わり、梅田がバチバチに視線を合わせてくる。

「かけたまえ」

 梅田は自分の隣を指で示した。幸は頷き、椅子を引く。少女とは対面の形になるも、彼女はふいと目を反らした。

 幸の隣にいる梅田は、わざわざ椅子をずらして幸を真正面に捉えた。

「何度か蘭の屋敷で見たが、こうして言葉を交わすのは初めてだな。もう知っているだろうが、私は梅田という」

「八街です」

「よろしく。君が余計なことをしない限り、私は先達の狩人として君をよく導くつもりでいる」

 幸は困惑したままだった。功刀が言っていた、人を捜していたというのは梅田のことだったのだろうか。相席している少女は無関係なのだろうか、と。

「話は聞いているな? お嬢様は今、人を捜している」

「お嬢様?」

 幸が少女を見ようとすると、鋭い叱責の声が飛んだ。

「見るな」

「ええ……?」

「まだ見てはいかん」

 見るなも何も目の前にいるのだ。しかし梅田は許さなかった。

「本題に入る前に、こちらから質問がある。誠意をもって答えて欲しい。嘘はいかん。お嬢様に気に入られようなどと考えるものなら……私には人を見る目がある。それも、お嬢様に邪な気持ちを持つものはすぐに分かる。いいかね」

「何がですか」

「質問を始める」

「だからですね」

「犬と猫、飼いたいのはどっちだ?」

 訳が分からないまま、訳の分からない梅田の問いに答え続ける幸。しかしその内容は生年月日だとか血液型だとか、好きな食べ物や嫌いな芸能人など、とりとめのないことばかりだった。いったいこの時間はいつまで続くのか。何の意味があるのか。釣りをしている時と似たような気分に陥り始めた時、先まで一言も口を利かなかった少女が声を発した。

「おじさま、もう充分です」

 ぴたりと動きを止めた梅田が、横目で少女を確認する。

「よろしいので?」

「はい。……八街さん。あの。まずは先ほどからの無礼をお詫びいたします」

 少女が頭を下げたので、幸も反射的に同じようにした。顔を上げた彼女は小さく微笑んでいた。

「やっぱり、功刀くんから聞いていた通りの人。面白くて、可愛らしいって」

「ええと」

「私、男の人が苦手で……それで、おじさまにも同席してもらって……あっ、あの、さっきの質問は」

「お嬢様」

「ああ、ごめんなさい。初めまして、八街さん。私、鳥玉高校二年の入之波吉乃しおのは よしのです。功刀くんとは幼馴染なんです」

 同い年だったのかと幸は驚いた。吉乃という少女はどうにも掴みどころがなかった。黙っていれば年上に見えるし、笑うとずいぶんと幼く見える。

「あれ」と幸は首を傾げた。

「じゃあ、入之波さんも」

「吉乃で構いませんよ」

「いけません」

 梅田がずいと前に出た。吉乃は面食らった様子である。

「まあ。どうしたのです、おじさま」

「出会ったばかりの男女が呼び捨てなどとは破廉恥な」

「ぼくは呼び捨ててません」

「黙らっしゃい」

「いいえ。母から女性は呼び捨てにするなと言われてましたし」

「ほう、良いご母堂でいらっしゃる」

「おじさま……」

 じっとりとした目を向けられ、梅田は咳払いした。

「もう、うるさいんだから。ごめんなさい、えっと、何か言いかけてたよね」

 幸は首肯する。

「入之波さんも狩人なの?」

「はい。末席ながら《騎士団》に名を連ねています」

「末席などと……!」

 梅田が立ち上がった。

「いいかね八街くん。お嬢様は入之波部隊を率いる身だ。このように謙遜なさっているが、狩人としては功刀くんより君よりも……」

「おじさま」

「ん、ンンっ。いや、邪魔をして申し訳ない」

 小さくなった梅田は珈琲に口をつけ始めた。気を取り直した幸は、気になったことを吉乃にぶつけた。

「《騎士団》の狩人ってことは何となく察してたけど、その、入之波部隊ってのは何なの?」

「はい。うちは大所帯ですから、いくつかにグループを分けているんです。そのうちの一つを私が」

「ええ、すごいね」

「いいえ。父から引き継いだだけです。そんなに大きなグループでもありませんから。ふふ、お飾りの部隊長なんです」

 梅田が何か言いかけるが、吉乃が彼を目で制した。

「さっきから『おじさま』って梅田さんのことを呼んでるけど」

「はい。おじさまとは血のつながりはありません。でも、私が生まれる前から入之波の家はおじさまには懇意にしていただいておりまして、そのご縁で、おじさまには……」

 幸はぎょっとした。梅田は目頭を押さえていたのだ。その上『失礼』とのたまってハンカチを取り出す始末だった。吉乃は慣れているのか、話を続けた。

「……父が、おじさまに私の教育係をお願いしたのです。お目付け役、とも言うのでしょうか」

「ホントにお嬢様なんだね」

「いいえ、もう、恥ずかしいです」

 これで色々と納得できた。やはり人を捜しているのは入之波吉乃で、梅田は彼女の付き添いでここにいるらしい。幸はそこでようやく人心地ついた。いつの間にか注文されていた飲み物が届いて、吉乃はそれを彼に勧める。

「レモネード、さっきお好きだと言っていたので」

 梅田の質問攻めの中でそのようなことも聞かれていた気がする。幸は吉乃の押しの強さであったり、根回しの良さを垣間見た気がした。

「私のお話、聞いていただけないでしょうか」

「人を捜してるんだよね。うん。でも……君も狩人なんだよね。しかも《騎士団》の隊長さん。だったらぼくに頼まなくてもよかったんじゃ」

 現にここには梅田がいる。吉乃と同じ団のメンバーに頼んだ方が話は早かったはずだ。

「これはあくまで個人の依頼です。私、入之波吉乃の。人を捜すなんてこと、よその狩人か警察の方にお任せするのが道理なんでしょう。けれどよそ様に任せても、きっとあの子は見つかりません。この街で人がいなくなるのはそう珍しいことではありませんが、いなくなった人が見つかることは滅多にありません。私の気分が収まらないので八街さんに依頼するんです。これは私個人の問題です。団の皆さんを付き合わせるわけにはいきません」

「そこまでして探す人って、どんな人なの?」

「気になりますか」

 幸は唇を尖らせる。

「ならない方が変だよ」

「ええ。おじさまの質問にもそのように答えていましたね」

「……たぶん」

 吉乃は頬杖をつき、悪戯っぽく幸を見上げた。

「知りたいのなら、お話を受けてくださいますか」

 ここまで来て断るのは無理だ。幸は仕方なく首を縦に振った。

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