恋せよ乙女
脈動するものがある。
柔らかな肉の中、生ぬるい水の中に蠢くものがある。
いまだ血と肉を与えられる側でしかないものが、その時をじっと待っている。
売布の街に末枯れが見えて白姫が目を覚ます頃、その時を今や遅しと待っている。
狩人よ心せよ。冬にでも芽吹き、咲くものはある。
「俺ぁよ、どうにもアレがヤなんだよ。突き出しってあんだろ。アレぁどういうことなんだっていつも思ってんだけどよ」
紙コップになみなみと注がれた安酒が波紋を描いた。しかめっ面で中身を見つめるのは黒髪の老人だ。彼は長い髪を後ろで束ねている。
「嫌だったら断ればいいのでは」
「断れねえから突き出しなんだろうがよ」
酒気が蔓延する室内に、しわがれた声が轟いた。
「うるさいぞ。だったら最初から突き出しを出さない店を選べばいい。そういうのを売りにしているのだってあるだろうに」
「そこがいいんだよ。その店じゃねえと飲みてえ酒が置いてねえんだ。だいたい、突き出しって言い方が押しつけがましくてよくねえや」
くだを巻く黒髪の老人。彼の対面にいるのは年老いた男だ。きっちりした髪型で、眼鏡をかけている。
眼鏡の老人は言った。
「言い方が気に入らないならお通しでも何でも違う風に呼べばいいじゃないか」
「言い方じゃなくってだな、俺ぁ、そういう客のことを分かっていない心意気が気に入らねえって言ってんだよさっきから」
「いや、言ってない」
「言ってるだろ」
「言ってない」
黒髪の老人は黙り込んだ。その様子を見ていた上座の老人は、持っていた扇子をパッと広げて扇いだ。彼の頭に宿る残り少ない白髪がなびいた。
どっちでもいいじゃねえかと上座の老人が呟く。彼は黒髪の老人に視線を定めた。
「お前アレだろ。外国でチップ出したがらないやつだろ」
「あ? ……いや、外国なんか行ったことねえだろ」
「行ったかどうかじゃなくて、お前がそういうやつなんだって話してんだ。どうなんだ?」
「店員が客にサービスするなんざ当たり前じゃねえか。それをお前、コーヒー注いだとかどうかで孫に小遣いやるみたいな真似できねえよ」
黒髪の老人は鼻で笑った。
「お前は孫にも小遣いやらねえだろ」
「ほっとけ」
「なんだ!? 小遣いくれんのか!?」
大柄な爺が立ち上がった。先まで若い男に絡んでいたであろう彼は、黒髪の老人の傍までずかずかと歩いていき、彼の肩をばんばんと叩いた。
「いてえ」と黒髪が抗議するも、大柄な爺は意に介さない。
「ドケチジジイが小遣いくれるなんて珍しい話だな!」
「誰もやるなんざ言ってねえよ」
「言ったろ!?」
「言ってない」
眼鏡が呆れた様子で口を開いた。
「言ってないのか!」
「だからそう言ってんだろ!」
「なんだ、やっぱりドケチだな」
大柄な爺はその場にどっかりと座り込むと適当なものから紙コップを奪って一息に飲み干した。非難するものがいれば豪快に笑い飛ばして屁を返した。
「突き出しくらい金払って気前よく食えばいい」
「てめえ!」
「おい、蒸し返すな」
「ア? おいおい、働いたことないのか? ありゃあな、店からすりゃ結構助かるのよ。いい売り上げになる。えらいぜ、突き出しやらない店は」
「店のことなんか知らねえよ。俺ぁ客だぜ」
「でも店にいる間、ぐだぐだうるせえこと言ってんだろ? 騒いで迷惑もかけてんだろ? ちょっとくらい売り上げに貢献してやれよ。狭い街ん中で生きてるもん同士、そうやって協力しねえと……」
「金が欲しいならしようもねえ居酒屋なんざ畳んじまえ。もっと稼げる方法なんざいくらでもある」
「そりゃねえだろ。なあ?」
「こっちに話を振るな」
眼鏡の老人は顔を背けて酒に口をつけた。
「会長はどう思うんだよ」
「どっちでもいいじゃねえか、んなこたあ」
「よくねえ。この世には白黒はっきりさせなきゃいけないことが多過ぎるんだ! 腹ぁ割って話そう! な!?」
「『な』じゃねえ。声がでけえんだ、お前は」
「だいたい、話すことも特にないだろう。何か考えでもあるのか?」
大柄な男はしばし黙り込み、やがて寝息を立て始めた。
「相変わらず人を食ったようなやつだな」
「集会にもたまにしか顔を出さん」
「狭い街の中、どこで何をしてんだろうなこいつ」
「……お」
いびきをかいていた大柄な爺が立ち上がった。
「いや、やっぱチップは普通払うだろ。払ってやれよ」
「うるせえよ」
「おい、いい加減にしないか。若いのも見てるんだぞ。みっともない」
「みっともないだあ?」
「ああ、みっともない」
眼鏡と大柄が睨み合う。
「そんな頭でっかちだから吉乃ちゃんに――――」
「言うなああああああ!」
眼鏡が大柄に跳びかかった。それを避けようとした黒髪だが争いに巻き込まれる。三人でぎゃあぎゃあと喚いているのを、上座の老人は白い目で見ていた。
「やれやれ……その辺にしときな。そんなどうでもいいことで」
「うるせえ!」
「あのなあ」
「黙ってろハゲ!」
「ハゲじゃねえ!」
上座の男が身軽な動きを見せた。
「まだここにちょこっとだけ残ってんだろうがああああ」
爺が四人、宴の場で取っ組み合いになった。盆を蹴飛ばし料理を払い除け、視界に入るものを口汚く罵り合う。その光景を若い者は遠巻きに見るしかできない。
黒髪の老人、我路菊水。
眼鏡の老人、梅田金吉。
大柄な爺、竹屋竿竹。
そして上座の男、蘭赤彦。
彼らはメフの狩人を取りまとめる《猟会》の幹部である。四人ともが齢六十を超えたベテランである。集会に参じた若い狩人の大先輩で見習うべき存在だ。その彼らが子供のように言い争って殴り合っていた。いつも通りの光景だった。《猟会》の集会は特に大した議題もなく、互いの無事を確認し合った後は飲み会の場と化す。そして四人の幹部が大立ち回りを披露してお開きとなるのがいつもの流れであった。
「爺さん方、俺たちを集めたのは喧嘩を止めて欲しかったからじゃねえだろ」
だが、この日は違った。今日はある議題があった。四人の爺を止めたのはマスクは甘いがガタイはいい、プロレスラーめいた中年の男だった。彼は伸ばした茶髪を掻きながら、片手で上座に座っていた老人、蘭赤彦をひょいと掴み上げた。
「おう?」
掴まれた蘭は目を白黒とさせるも、すぐに体を反転させ、レスラーめいた男から逃れた。
「おう、そうだったな」と気を取り直した様子で服装を整え、扇子を開く。
「お前らもいつまでやってんだ、戻れ戻れ、席につけ」
「一番キレてたのはお前だろうが……」
場が静まったのを潮に、蘭が物々しい口調で言った。
「《百鬼夜行》が復活しやがった」
場はそのまま、静かだった。
かつてメフに知られた大猟団《百鬼夜行》は狩人なら誰もが知るところである。そして、その猟団が名を変えて再びメフの地に戻ったことも。
「知ってるやつもいるだろうが、ご丁寧に役所に届け出たやつがいるらしくてな」
大柄な爺、竹屋があくび混じりに口を開く。
「《百鬼夜行》てなあ、みんな死んじまったんじゃねえのか? 中身がなきゃあ何の意味もねえだろ」
「誰かが新しく立ち上げたんだろう。問題は誰が立ち上げたかだ」
狩人たちは黙り込んだ。《百鬼夜行》はある種、忌み名だ。触れずに済むなら済ませたい。
「届け出たやつがいるのに、そいつのことは聞いてねえのか?」
「そこまではな。《騎士団》の方はそいつを掴んでるんだろうが」
蘭が眼鏡の老人、梅田を一瞥する。
「……《騎士団》も一枚岩じゃあない」
「そうかい」
蘭が扇子を閉じて皆を睥睨した。
「名前が変わっても元は同じだ。たとえ中身が入れ替わってもな」
「《百鬼夜行》にゃ遭いたくねえ。ただでさえもう一個、《騎士団》なんてでっけえパレードが練り歩いてんだ。そこを今更出てこられてもドえれえことしか起こらねえじゃねえか」
「ふうん」
レスラーめいた男が腕組みした。
「だったらどうすんだ、爺さん。見て見ぬ振り通すか? それとも芽が出ない内に潰しちまうのか?」
「そこよ。それをここで話そうと思ってたわけだ」
「つっても、もうお前はだいたいどうするか決めてんだろ?」
黒髪の老人、我路に水を向けられて、蘭は口元を緩めた。
「で、どうすんだ?」
「決闘ですわ!」
朝の教室に人馬の少女の声がよく通った。
床の上に落とされた白い手袋を誰もが見やるも誰も拾おうとはしない。それは決闘の合図だからだ。
「拾いなさいな、委員長」
「なんでぼくが」
「拾いなさいなっ」
叱責の声で幸の身が竦んだ。彼をねめつけるリリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラの目は血走っていた。朝一番から決闘を申し込まれるような覚えはなく、幸は狼狽している。
「ぼく、何かした……?」
「何か……?」
リリアンヌは目を瞑り、拳を震わせた。
「何もしていないから怒っているのです!」
「何もしてないなら怒らなくていいじゃないか! 怒るよ!」
「どっ、どうしてそちらが怒るのですか」
「じゃあなんで決闘なんて申し込むのさ」
「それは」
リリアンヌは悲しそうに、寂しそうに目を伏せた。既に教室では久方ぶりに行われた『幸VSリリアンヌ』の結果を巡って賭けが行われつつあった。
「委員長が、私を、誘ってくれなかったものですから」
「何に?」
「何って」
顔を上げたリリアンヌだったが、恥じらうようにして顔をそむけた。
「おっ、そういう流れ?」
「マジか、八街チャレンジャーだな。俺初めてはさすがに普通の子がいい」
「外野は黙っとらんかい」
「ひっ、蝶子ちゃんグーはやめてグーは」
幸は思案するも、リリアンヌを誘うような事柄が思いつかなかった。一つだけ思いついたのは、最近クラスの間で流行っているテレビゲームの協力プレイのことだったが、それを口にする勇気はさすがになかった。
「ゲームのこと? あのね、リリちゃんそういうの好きじゃないのかなって思って」
幸にあるのは勇気ではなく無鉄砲である。
「違います。あの」
リリアンヌは幸の傍に顔を寄せて声を潜めた。
「猟団のことです」
「ああ……ああ、そっち?」
「他に何があるというのですか」
昼休みになるや、幸はリリアンヌに連れられて中庭へ向かった。その際クラスメイトに冷やかされたがリリアンヌが目だけで一蹴したし実際に椅子を蹴飛ばして黙らせていた。
「さあ」
「うん」
幸は菓子パンを齧った。
じっとりとした目つきを向けられて、幸は視線をそらしそうになった。
「どうしてはぐらかすのですか」
「そう見える?」
「見えます。もしかして、その……あまり考えたくはないのですが、私を団に招きたくない、なんてことはありませんわよね」
「うん」
「はい」
「招きたくない」
「Cestpasvrai?」
幸は菓子パンを齧った。彼はそうしながら、リリアンヌの顔色が青くなったり赤くなるのを黙って見ていた。彼女が母国の言葉で何事かを喚いているのも黙って聞いていた。口の中が甘い味でいっぱいになって、飲み物を持ってくることを忘れたのを後悔した。
「……私は、委員長とお友達になれたとばかり思っていましたが、それは勘違いでしかなかったのですね」
「ううん。リリちゃんは友達だよ。だから嫌なんだ。だって、友達が危ない目に遭うの嫌だし、その時になって守ってあげるなんて、ぼくには言えない」
ぼくは弱いから。そう付け足して、幸は舌で唇を舐めた。
「狩人が危ないのはリリちゃんも知ってるよね。友達をそうやって誘うの、嫌だって言うか、怖いから」
「私も狩人です」
「うん」
「危険なのは承知の上です」
だから。幸が言いかけるより早く、リリアンヌが彼を制した。
「『守ってあげる』とは聞き捨てなりません。委員長。私がいくつの頃からケモノを狩ってきたとお思いですか。ええ。ええ、そうです。あなたに守ってもらうなどと、そんな生意気な口は許して差し上げません。新人さん、よくって?」
リリアンヌは意地悪い笑みを浮かべる。
「昨日今日狩人になったばかりの委員長に守ってもらうほどやわではありません」
「でも」
「よろしいですか」
うっと幸の息がつまった。リリアンヌにネクタイを引っ張られたのだ。彼女は、目を丸くさせる幸をじっと見据える。
「小さくてか弱い委員長。強い私が頼りないあなたを守ってあげます」
「えっと」
幸は色々と考えた。リリアンヌは確かに自分よりもベテランだ。人馬であるがゆえに身体的には自分よりも勝っている面ばかりある。知識も経験も並の狩人顔負けだろう。だからこそ、もっと他にいい猟団があると思った。同時に、何を言っても彼女は揺るがないだろうと悟る。《花盗人》を使うまでもなく分かった。
「後で文句言わないでよ」
「では今のうちに言っておきましょう。団長。私には副団長というポジションが相応しいかと」
「そういうのは何も考えてないんだけど。それに、リリちゃんは後から入ったし」
「そこです」
リリアンヌは幸から手を放した。
「どうして私を一番最初に誘ってくださらなかったのですか」
「理由なら今言ったじゃんか」
「お友達ですのに! ナンバーツーとか、右腕のような感じがよかったのに!」
「そもそもリリちゃんって、一人で狩人やるんだーとか言ってなかったっけ」
「おや、あんなところに過去が。どうやら置き忘れてきてしまったようですね」
リリアンヌは遠い目であらぬ方を見つめる。
「まあいいけどさ。あ。放課後になったらみんなに紹介するね。今日って都合つく?」
「もちろんですわ」
この時の幸は、放課後に正門で待ち構えていたイシャンにリリアンヌと同じ案件で絡まれることをまだ知らない。
すっかり幸たち《驢鳴犬吠》のたまり場と化した喫茶店の現店主であるオリガがカウンターに頬杖をついていた。彼女の目下の悩みは、コーヒー一杯で粘る団員たちのことである。おまけに飯までたかろうとするものもいる始末だ。
今日も今日とて陽の高いうちから浜路と雪螢が居座っている。
「おい。何も頼まないのなら出ていけ」
返事は帰ってこない。
「おい」
雪螢が女性誌をめくる音と、浜路の腹が鳴る音だけがオリガのもとに届いた。
「出入り禁止にするぞ」
「き、聞こえています。何にするか考えていたところではないですか」
先まで寝こけていた浜路が取り繕うようにしてメニューを手にした。
「一時間も悩んでいたのか」
「あら、もうそんなに経ったのね」
「よく言う」
どうせほかにまともな客は来ないのだが、それでもオリガにもこの店を任されているというちょっとした責任感があった。店を潰すということは日限の顔を潰すということにもなる。彼がまたメフに戻ってきた時、何を言われるか分かったものではない。
「何でもいいから何か頼んでくれ」
「では水を」
「ふざけるなよ。……お前ら、そんなに金がないのか?」
「あったらこんなところにいるわけないじゃない」
「殺すぞкитаёза」
オリガにも二人の懐事情は分かっていた。しかしこちらの事情も鑑みてもらいたかった。
また店内が静まり返る。ここにいる三人が息を殺して一瞬の隙でもあったら誰か殴りつけてやろうかなどと考えていそうな雰囲気の中、からんからんと間の抜けた音が鳴り、客の来訪を告げた。
「おお、ここがご主人のアジトか」
「そんな悪の組織みたいに……」
店に入ってきたのが見慣れぬメイド服を着た若者だったのでオリガは目を丸くさせたが、幸も一緒にくっついていたので彼女は安堵する。
「サチーシャか。いらっしゃい」
「私たちには『いらっしゃい』なんて言わないのに」
雪螢がぼそりと漏らすとオリガは舌打ちした。
「しかしこの国の建物というのは狭くて暗いな」
店の中を物珍しそうに見回すイシャン。先から耳と尻尾をせわしなく動かしていた浜路が幸に問いかけた。
「幸殿。こちらの方は」
「ええと」
幸は答えに窮していたらしかったが、イシャンにじっと見つめられて何事かを観念したようだった。
「新しい団員さんです。イシャンくんって言います」
「うむ。余がイシャン・チャウドゥリーである。よろしく頼むぞ下々」
偉そうなメイドを見るのは初めてだった。オリガは改めて奉仕精神に著しく欠けているであろうものに目をやる。
「こいつがか、サチーシャ。こいつが狩人なのか?」
「狩人見習いです」
「そしてご主人のメイドである!」
イシャンは腕組みしてふんぞり返っていた。
「いけません!」
浜路が立ち上がり、イシャンを指差した。
「先達に礼を失するのはよくありません。幸殿。このような無礼を働くものを捨てられていた犬猫と同じように勝手に連れてこられては」
「あ、もう一人いますんで紹介しますね」
「幸殿!?」
ドアをくぐったのは人馬の少女だった。見覚えのあるものだったので、オリガはほうと息を漏らした。
「なんだ。あの時の子か」
「そうなんです」
どうやらすっかり打ち解けて仲良くなったらしい。
「そっちのメイドはともかく、そっちの子の腕は保証する。狩人としては私たちより歴が長いはずだ」
「へえ、亜人なの」
雪螢がリリアンヌに視線を向ける。その眼には幾分か好奇の色が宿っていたが、すぐに失せた。
「はじめまして。我が団長のクラスメート、リリアンヌ・マリアンヌ・ド・ッゴーラと申します。……ええ。亜人です」
「別に。そっちの犬で見慣れてるから気にしない」
「誰が犬ですか」
「誰も気にして欲しいなどとは言っておりませんが」
「そう?」
「亜人だろうが何だろうが、そっちのお嬢さんの腕前についちゃあおれも折り紙を付けられますぜ」
リリアンヌのあとに入ってきたのは古川だった。今日は客が多いなとオリガは心中で零した。
「へっへ、どうも。道すがら旦那方と会ったもんでね。先んじてお話はうかがいましたよ。まあ、何、ド・ッゴーラのサントールといやあ、向こうじゃ名の知れた狩人でして。まさか旦那と同い年のお嬢さんとは思ってなかったですがね」
リリアンヌの眉がぴくりと動く。
「何かご存じで?」
問われ、古川は歯を見せて笑った。
「おれもフランスにゃあ少しばかり明るいもんでね」
狂犬と人馬の間に一瞬だけ火花が散った。
「なるほどね」と雪螢が女性誌を閉じた。
「腕があるのはいいこと。私は歓迎するし、幸が決めたことなら口出ししないわ。そっちの犬ころと違って」
「ちょっと! ……いえ、いいです。そちらの、リリアンヌ殿のことは私としても構いませんが」
どうやら浜路はイシャンに思うところがあるらしい。オリガとしてはどうでもいいので事態の行く末を見守ることにした。
「やはり私としてはですね!」
「ああ、それから」と古川が口を挟んだ。
「チャウドゥリーといやあ石油で家を興したってので有名ですぜ。何でも、メフとは友好都市の契りを結んでいるみたいじゃあないですか」
石油という言葉に浜路はたじろいだ。
「そっちのお坊ちゃんはメフ全体のスポンサーみてえなお国から来てんだってなもんで。おれたちとは桁が違う、富豪中の富豪ですよ」
「だからなんですか。……坊ちゃん?」
浜路は首を傾げた。
「メイド服を着ているようですが」
「おれも面食らいましたがね」
「男なんですか」
「うむ!」
イシャンは胸を張った。
「余は確かに男だ。故あってな、確かに余は貴様らが八回人生をやり直しても辿り着けぬであろう金持ちをやっているが、今この街においては一介のメイドに過ぎん」
「変態じゃないですか。いけません幸殿、いいですか、こういう人はですね」
「余が団員として迎え入れられた暁には、この猟団を全面的に支援したいと思う。余はご主人のメイドである。世界一のメイドと自負している。であれば余のご主人もそうあるべきだ。世界一であるべきだ。少なくともこの街で幅を利かせている他の猟団に負けてはならんはずだ」
「へえ、支援ってのは?」
雪螢がマドラーでイシャンを指し示した。
「金だ。何をするにも金はつきものであろう? もちろんご主人を除いた貴様らの衣食住までを世話する義理はない。しかしご主人の団員として活動するからには何かしらの援助をしたいと思う。……そうだな。まずはお近づきの印だ。ここの払いは余が持とう。どうせ大した額ではあるまいが……知っているぞ。庶民は安さを競い合うのであろう?」
「この人はいい人ですね、幸殿!」
浜路は尻尾を振っていた。