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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
抜け、伝家宝刀
102/121

お天道様がみてる



「冗談じゃねえや花粉症ってのは」

 古川は独り言ちた。

 旧市街から発せられた音に反応した雪螢が、《竜巻乗り》の風を纏い、外殻から身を躍らせた。彼女に続いたのはオリガである。光の馬に乗って下りていった。

「私に……いや、彼女に任せるか」

 深山は《水の檻》で生み出した水塊を人の姿に変える。巨大な女だ。それが掌を広げて、彼はその上に乗った。そうして幸と古川を見る。続けと言わんばかりに。

 三人を乗せた《水の檻》がゆっくりと降下する。彼らは見た。天井も壁も崩れて、蔦に絡まりごちゃ混ぜになった廃屋を。《斜交い行脚》のものに武器を突きつけられている浜路を。

「始まっていたか」

「深山の旦那、急いでくだせえ」

「分かっている」

 既に雪螢とオリガが降下を完了しており、幸らを待っていた。合流した五人は浜路のもとに急ごうとしたが矢を射かけられる。《竜巻乗り》と《光の中を歩め》が矢玉を悉く撃ち落とした。

「動くんじゃ……」

 女が声を発した。幸は、彼女が二名という女だと気づいた。以前見た時よりずいぶんと痩せてやさぐれていたが。

「……動くんじゃ、ねーし」

 幸に確かな現実を突きつけた二名は、諦めたかのようにうなだれた後、何か、振り切るかのように面を上げる。細まった目。彼女はどこか眩しそうにして幸をねめつけている。

「……何、イキってんの……そんな目ぇして、きらきらして私らみたいなのを追っかけまわして……」

「その人を放してもらいます」

 浜路は幸らを見ようとしなかった。不甲斐ない。そう思って恥じているのかもしれなかった。

「それから。あなたたちが他にしたことを話してください」

「は?」

「警察に。悪いことをしたんなら――――」

「馬鹿じゃないの」

 二名は笑みを浮かべる。ことここに来て悠長に構える幸を嘲っていた。彼は《斜交い行脚》の団員から手製の弓を奪った。《花盗人》が奪った経験と記憶は雄弁である。幸はここで起きたことのある程度を把握した。分かってしまった。人がケモノに変わる瞬間を理解してしまった。旧市街の誰の目にも触れない場所で、一つの終わりを痛感した。

「……どうして」

「だって、しようがないじゃない!」

 二名は肩を震わせた。

「こんな暗がり、誰が見てるって言うの」

「誰も手なんか差し伸べない。落ちたものはそれっきり」

「だったらここで何をしようが、生きるためなら仕方ないじゃない」

 その声には、その言には、二名の――――地べたを這いずるものの必死さ、真剣さが込められていた。雪螢たちですら押し黙っていた。彼女らにも分かるのだ。一歩間違えば、二名と共にいたのは自分たちだったのかもしれない。

「……自分がその日生きていくだけなら、他にやりようなんか、たくさんあったはずです。選べたんだ、本当は。でも、選ばなかったのはあなただし、あなたたちみんななんだ」

 だが、幸だけは口を開いた。彼だけが二名を強く見据えつける。

「あなたたちが殺した人は何も選べなかったじゃないですか」

「何を選ぶって言うの……!」

 お前に何が分かる。二名からは強い殺意が立ち上った。

「選べたじゃないか。仲間だっていたし、力だってあったはずなのに。あなたたちにはぼくなんかより、ずっと……!」

《斜交い行脚》から奪ったのは惨たらしい記憶だけではない。彼らにも確かにあったのだ。笑い合って、まっすぐで、眩しい記憶が。

「いっぱいあったのに! 本当はできたんだ!」

 幸は涙目だった。どうして泣いてしまうのか、自分にも分からなかった。ただ、悔しくて、腹立たしくて、虚しかった。

 ケモノだ。障害ケモノだ。横紙破り(ケモノ)だ。幸は涙をそのままに二名らを強く見据えた。こいつらはもう人を辞めたのだ。

「武器を置いて、上に戻ってください」

「冗談じゃないっつーの」

「人の振りをしたいなら、やるべきことがあるでしょう」

 幸の目に光輝が宿る。彼はもう覚悟を決めていた。



 自分の知る、いつもの幸だった。浜路は彼を認めて息を呑む。少し前の幸とは違う。涙目で弱虫だった少年はとうに姿を消していた。

《斜交い行脚》の二名、彼女のことも、彼女の言葉も浜路にはよく分かる。だが。だが、と。胸を強くかきむしりたくなるような衝動に駆られる。

 家族が死んだから誰かを殺してもいいのか。

 奪われたから奪ってもいいのか。

 何を迷っていた。そんなもの、全て否である。だってそうじゃないか。自分はそうしなかった。そうやって生きてきて、自身の正しさを証明したかったのだ。境遇は何の言い訳にもならない。人の弱さを利用するものは弱い。自らが悪と断ずる行いに手を染めた《斜交い行脚》。それと同じことを自分もしたのだ。

 間違っていたのは自分だ。

 幸があの時泣いたのは、彼自身の弱さのせいだけではない。浜路の弱さにも腹を立てていたのだ。

 全て認めたその時だった。大空洞に震えが走る。余震だと誰かが短く叫んだ。扶桑が揺れているのだ。誰もが自分の足元を確かめ、地面や蔦に手を置いてバランスを取ろうとしていた。浜路を縛めていた二名の異能も効力を失っている。

 上層から建物の一部が落ちてくるのが見えた。旧市街の蔦に絡まっていた廃屋が音を立てて奈落の底へ旅立っていく。自分たちがいる場所も危うくなる中で、幸だけが動じずに二名たちを見据えていた。

 狼人の鋭敏な感覚が何かを捉える。ぴしりという音が聞こえた。大空洞に新たな裂け目ができたのだ。

 浜路は声を失った。裂け目から差し込んだのは地上からの陽の光だ。それが、幸を照らしていた。彼だけに注がれた光を、彼女は我を忘れたように見つめる。


『こんな暗がり、誰が見てるって言うの』


 嘘だ。

 だって見ていたじゃないか。他の誰が気づかなくとも、気にしてくれなくとも、行いを見ているものはいるのだ。

 忘れていた。ここも同じだ。同じ世界だ。地上と変わらないものだって確かにある。

 余震が収まった頃、幸はもう一度告げた。

 選んだのはあなただと。斜交い行脚の事情を分かっていてなお、言ってのけた。


 ――――父上。違う。違ったのです。


 折れず、曲がらず。

 犬伏の教えを頼りに今まで生きてきた。

 だが、違う。思い出せ。伝家宝刀、春雨丸の偉大なる姿を。あれは教えてくれていたのだ。あんな状態になってまで自分のもとに顕れたのは、本当の教えを伝えるためなのだと。

 折れず、曲がらずではない。折れても、曲がっても、もう一度――――何度だってまっすぐに立てるかどうかが大事なのだ。人は刀とは違う。根元から折れたあの姿。あれこそが犬伏を支えるものであり、人の本当の姿なのだと。



 先まで身じろぎ一つできなかった浜路が、《斜交い行脚》の団員を殴り飛ばした。彼女を知る誰もが固まった。頼みにしていた竹刀を投げ捨てた浜路を、信じられないものを見るような目つきで見るしかできない。

 ぶん殴ってぶっ飛ばして、浜路は荒い息をして、幸を一瞥する。

 怒りで我を失った二名が咆哮した。戦いの合図だった。風と光が迸り、刃と刃がぶつかって火花を散らす。

 幸らと《斜交い行脚》の戦いが終わるのはすぐだった。そも、二名たちは弱っていたのだ。まともに物も食べられず、戦闘向きの人材もいない。一方の幸たちはただただ強かった。実生活ならともかく戦いにかけては他の追随を許さない半端者どもが集ったのだ。制圧はすぐだった。

 皆が武器と戦意を収める中、一人だけいきり立つものがいた。浜路である。彼女は二名を押し倒して殴り続けていた。既に拳の皮は裂けて血が滲んでいる。二名はもう抵抗しなかった。浜路は何事かを叫びながら拳を振り上げる。

「コーチ」

 その手を幸が掴んだ。

「コーチの力でそのまま続けたら、死んじゃいます」

 浜路はそのままで、ゆっくりと頷いた。そうして幸を見て、一筋の涙を流す。

「……コーチ?」

「もう、私が八街殿に教えることはありません」

 浜路は二名から退いて、その場に膝をつく。

「コーチなんかじゃないんです。私の方が教えられました」

 うなだれる浜路を見下ろした幸は、小さく微笑んだ。

「じゃあ、これからは一緒ですね。対等……というか、仲間というか……あ。そういうのって、だめですか」

 浜路は幸を抱きしめた。息がつまって、彼は少し苦しさを覚える。

「一緒に山にいた時とは、比べられないくらい強くなりましたね。あなたを弱いと断じた私を、どうか、許してください」

「痛いです。コーチ……じゃなくて、犬伏さん」

「浜路で構いません、八街殿」

 雪螢に頭を蹴られて引きはがされるまで、浜路は幸を抱きしめていた。



 地上に戻った幸たちを待っていたのは警察だった。彼らに《斜交い行脚》を引き渡すことで幸たちの依頼は果たされたのだった。

「おう」と幸に声をかけたのは《花屋》の狼森である。彼はもじゃもじゃ頭を掻きながら、事件の顛末を語った。

 見習い狩人や外部の見学者が消えた今回の事件だが、狩人の方が消えたのは当然だった。

「何せそいつらが手引きしたんだからな。地上で何も知らねえ見学者の護衛を安く買って出て、てめえらの塒まで引きずり込んだ。が、話が広まってその手が通じなくなったもんで、行き倒れ装ってたってわけらしい」

「……はい」

「心ここにあらずって感じだな。あんま興味なかったか」

 幸は首を振った。おおよそのことは《花盗人》を通じて知っていた。

「屏風ちゃん、今日はいないんですね」

「あー。あいつなら……」

 狼森は物陰に目線を送る。

「まあ、珍しく殊勝っつーかなんつーか、あんたに合わせる顔がないんだとさ」

「どうしてですか」

「そりゃあ、あんたを囮に使ったことを悔いてんだろうよ」

「囮」

 そうだ。頷き、狼森は煙草に火を点ける。

「そんなのいいのに。言っといてください。もう、そういうのは気にしないからって」

「そうか? ……そうか」

 何か得心がいったのか、狼森は晴れがましい顔つきで幸を見た。

「八街幸だったな。あんた、男の顔になった。中で何があったか知らねえが、そういうのはいいと思うぜ」

「そう見えますかっ」

「おう。ケモノを追うのは狩人だけじゃねえ。俺らもそうだ。だからよ、花屋に興味があるならいつでも来な。俺も屏風も歓迎するぜ。じゃあな。善良な一市民の皆さんの協力に感謝する。ありがとうよ。おかげでクズどもをブタ箱にぶち込めるってなもんよ」

 国家権力の後ろ姿をぼうっと眺めていると、横合いから抱きすくめられて揉みくちゃにされた。

「幸、ご飯食べよう」

「雪螢さん痛いです」

「お祝いもしよう」

「お祝い?」

 うん、と、オリガが頷いた。

「ちいこいの。私たちはお前の猟団に入ったんだから、そりゃあ歓迎会の一つでもしなくちゃならんし、依頼だって果たしたんだからそのお祝いだ。よし。酒を飲むぞ」

「明日は遅番だからな、私もつき合おう。だが女ども、あまり私に近づくなよ」

「いやいや、旦那に姐さん方、おれぁ団に入った覚えはねえぜ」

 古川が肩をすくめる。

「おれぁあの時そこにいただけで猟団なんて面倒なものに入るつもりはなかったんですがね」

「えー。いいじゃないですか、入ってくださいよう」

「へっへ、考えときますよ。それより飲み食いできるってのはいいですね。パーッといきましょうか。もちろん旦那の払いでしょう?」

「が、学生にたかるんですか」

 その台詞を聞いて雪螢たちはふっと微笑んだ。

「何言ってるの、団長」

「そうだぞ。早くウォッカを飲ませろ団長」

「ふ。行くぞ団長、団の人間に気風のいいところを見せるのもお前の仕事だ」

「ええ……」

 しかし悪い気はしない幸だった。

「仕方ないなあ。でもお酒はぼく、飲まないですからね。ほら、浜路さんも行きますよ」

 浜路はその場にぽつねんと立ち尽くしていたが、首を振った。

「ですが、私は」

 幸は彼女に近づき、顔を覗き込む。

「もしかして気にしてますか」

「気に……! しない方が、変です」

「仲直りしましょう。ぼくも、ごめんなさい。ね、コーチ……じゃなくて浜路さん。一緒に来てくれたらぼくは嬉しいです。団に入って欲しいとかそういうのじゃなくて、ご飯、食べに行きましょう」

「よろしいのですか」

「はい、よろしいのです」

 幸が笑って、つられた浜路も小さく笑った。そうしてから彼女はお腹を摩った。大層腹が減っているご様子だった。

「団長のおごりだそうですね」

「はい」

「しこたま食べますから覚悟してください」

「え。あの。できれば手加減とか……」

 浜路は幸の手を引いて駆け出した。

「食べ放題じゃないところで食べ放題しましょう!」

「そんな!?」



「やかましい連中だな」

 幸たちがいなくなった後、木の根にどっかりと座り込んだ八鳥は頭をがりがりと掻いた。

「《斜交い行脚》だったか? そいつらもまたくだらねえことを大空洞に持ち込みやがって。ここを何だと思ってやがる」

「八鳥さん」

「なんだよ」

 八鳥の視線の先には古海がいた。彼女は意地悪い笑みを浮かべている。

「幸くんが心配だったんでしょう? そんな、隠れて見守るみたいなことしちゃって」

「バカヤロウ。俺ぁ静かに潜りたいんだよ。あいつらがいなくなるのを待ってただけだ」

「そんなこと言っちゃってー」

 かっと八鳥は吐き捨てるように笑う。

「ぎゃあぎゃあうるせえ連中だよ全くよ。ロバみてえに、犬みてえにな。どいつもこいつもうるさくてくだらねえ。驢鳴犬吠ろめいけんばい。熱に浮かされやがってよ」

「ろめい……それ、前にもどっかで聞きましたね」

「あ?」

「なんだったかな……ああ、そう。私とむつみが八鳥さんにくっついてた時で。ほら、覚えてるでしょ。いつも私ら喧嘩してたから」

 八鳥はあらぬ方を見た。

「……そんなこともあったか。俺は覚えてねえがな」

「どうだかなー」

「生意気になりやがって……まあ、いいけどよ」

 ごきごきと首の骨を鳴らし、八鳥は立ち上がる。

「今度はどれくらい潜るんですか」

「ああ? そうだな、できればぎりぎりまで。じき冬だ。そうなりゃ潜れなくなるからよ」

「見納めってやつですね」

「春までだがな」

 八鳥は扶桑を見上げた。

「見飽きるほど見てきたってのに、不思議とそうはならねえんだよな」

 風が吹いた。桜吹雪の中、八鳥は大空洞へと歩を進める。

 古海はしばらくの間、そこで扶桑を眺めていた。今日は久しぶりにむつみを飲みに誘ってみるか。そんなことを考えながら、彼女もまた歩き出した。

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[一言] あ、タイトル出てきましたね
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