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驢鳴犬吠めふFeverズ  作者: 竹内すくね
抜け、伝家宝刀
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暗がりの正義<2>



 幸は山道を下りながら首元を摩っていた。天満から受けた簡易的なご神託の記憶はまだ薄れていなかった。

 山を下り、がらがら通りで鉈を受け取る予定だった。彼はトンカントンカンうるさいがらがら通りに足を踏み入れ、なじみの鍛冶店を訪れた。

「たかちゃん」といつものように声をかければ「おう」と返ってきた。

 冬でも薄着の鷹羽は丸椅子に座ってカウンターで頬杖をついていた。幸が近づくと、彼女は我が意を得たりとばかりに鉈袋を持ってきた。しかしそれをすぐに渡そうとしない。

「……たかちゃん?」

「たかちゃん言うない。お前、最近大空洞に潜りっぱなしじゃねえか」

「ぱなしじゃないよ。週末だけ」

「そんでも増えた。研ぎにもやたら出しやがるし、余計な素材も持ってきやがる」

 ケモノの素材は大空洞での副産物だ。幸はなし崩し的に塔子と行動を共にしているため、ケモノを狩ることが増えた。彼女はあまり素材に興味がなく、死体を捨て置くことがほとんどである。

「何かに使えるかなって」

「使えねーよ。《狒々色》ん時みてーな、ああいうのじゃねえと」

 見ろ、と、鷹羽は鉈を取り出して刀身を指し示す。

「最初に作ったやつ、もうずいぶんと擦り減っちまった。下で何をやってっか知らねーけど、何をどんだけぶっ叩けばこんな風になるんだよ」

「ガタが来てる感じ?」

「今までと同じように使うなら新しいの打った方がいい」

 それもいいかと幸は考えた。斧磨鍛冶店での出費は古海を通して市役所の経費で落ちるようになっているが、自分で猟団をやっていくなら潮時かもしれない。週末だけだが大空洞にも潜るようになり、ケモノの素材を得られるようにもなってきた。それをタダイチやいかるが堂に買い取ってもらい、ちょっとした小遣いの域を超えるようになっている。彼の懐は分不相応にも温かくなっていた。

「お願いしていい? 今度から領収書はぼく宛てで」

「へえ、大丈夫なのかよ。アタシの腕は安かねえんだぜ。客だってちょこちょこ来るようになったしよ」

「ぼくのお金でぼくの鉈を打ってもらいたいんだ。たかちゃんに。えへへ。お互い見習いを卒業したんだね」

 鷹羽は笑いかけたが、真面目くさった表情を作る。

「バカヤロウ。アタシらはいつまで経っても見習いみてーなもんだ。どんだけやっても完璧なもんなんか作れねーし、やればやるほど思うんだ。百点満点なんか取れねえよってな。そんでも百点取ろうと頑張るしかねーよ」

「そんなこと言うなんて珍しいね。いつもはもっと自信満々なのに」

「うるせー。ちょっとこう、そういう風な気分なだけだよ」

 その気持ちは幸にも分かるような気がした。自分はむつみたちを追いかけて、見習いを卒業して彼女らに近づけたと思った。大いなる勘違いだった。その道を進めば進むほど差が開いていくような気分に陥っている。鷹羽もまたそうなのかもしれない。

「……なんで笑ってんだよ」

「たかちゃんと一緒だなって思って」

「バァカ、アホみてえな顔してねーでさっさと受け取って帰っちまえ。こっちゃ忙しいんだ」



 鷹羽に見送られて鍛冶店を出た幸は、なんとなく気になって闇雲堂という名の店を覗いた。犬伏家の刀を買い取ったという古物商である。一見するとがらくたばかりだ。店の外からでは件の刀がどこにあるか分からず、しかし店の中に足を踏み入れる勇気もなく、彼はその辺をうろうろとしていた。

 その様子を見かねたのか、中から店主らしき鱗人の男が現れる。浜路から話で聞いていたので幸は店主の風体に驚かなかった。

「どうも、お坊ちゃん。何かお探しで?」

「あ。えーと、刀を」

「刀?」

 幸は簡単に事情を説明した。

「ああ、あの狼人の……なるほど、お知り合いでしたか」

 店主はその辺に立てかけておいた十数本の傘の中から長いものを引っ張り出す。それは鍔のない刀であった。

「よかったら見ていきますか」

「ぜひ」

「どら」と店主は鞘から抜いた。彼が着流しを着ていることもあったが、幸が思ったよりサマになる所作である。

「……あれ?」

 幸は小首を傾げた。刀には刃がなかった。正確には刀身が根元から折れていて、わずかな部分しか残っていない。これが浜路の探し求めていた家宝なのか。家を売り払ってでも取り戻そうとしたものなのか。幸は彼女が不憫に思えてならなかった。

「刃がねえから値が張らないんですよ」

 店主は低く笑う。

「でも、どうしてこれを買い取ったんですか」

「鞘自体はいいもんだ。それに、作り手の魂というか、念が感じられていい」

 鞘に戻すと、店主はそれをまた壁に立てかけた。

「これじゃあ何も……切れない刀に意味なんかないじゃないですか」

「坊ちゃん。日本刀ってのはね、折れず曲がらずよく切れると言ったもんで。実際、こいつも『生前』はいい刀だったに違いありやせんぜ。だが……いや。いいか。あたしの勝手な憶測で喋っちゃあこいつも気の毒だ」

 壊れた刀を血眼になって追い求めてなくてもいいのではないか。そう思い、浜路に話すかどうかを幸は迷った。

「あの狼人の姐さんも分かってるからこそ、こいつを欲しがってるんじゃあないかと思いますがね」

「分かってるって……」

「この刀がこうなってるってのはあの人もご存じですよ。抜くとこを見ましたからね。大層酔っ払ってたみたいですが、そん時だけは目が冴えていた」

 幸が困惑しているのを見抜いてか、店主は話を続けた。

「物の価値ってのは人それぞれというやつでね。坊ちゃんから見りゃあ何の変哲もないがらくたに、てめえの持ってるもん全部どころか命だって差し出して投げ出すようなご仁だっている。あたしにもそういうもんがあるし、坊ちゃんにもあるはずですよ」

 眼鏡の位置を指で押し上げると、店主は長い尻尾を引きずるようにしながら店の奥へと引っ込んだ。取り残された幸は、立てかけられた犬伏家の刀を見やり、店を辞すのだった。



 返り血を拭った塔子は幸を小ばかにするような顔になった。

「言ってるじゃないですか。私は全てのケモノを殺すって」

 大空洞に潜った幸は旧市街でまたも塔子と遭遇した。もう慣れたので何も思わなかったが、彼はあることを塔子に問うた。ケモノに復讐するというが、ケモノと判定された人はどうなのか、と。

「殺しますよ」

 塔子は言い切った。

「その人にどんな事情があったにしてもですか」

「はい。殺します。そんなことよりついてこないでください」

 そっちが近づいてきたんじゃないかとは言えない幸。

「……一雨さんは毎日ここにいるんですよね。変な人とか見なかったです?」

「変な……八街くんしか見てませんね」

「ああ、そうですか」

「あ。でも」

 塔子は思案顔になる。喋らなければ彼女は美形だ。

「人は増えましたね。ここよりもう少し下、行き来する人が増えたような気がします」

「そうなんですか?」

「でも、興味ありませんから。ケモノなら目の端に映るだけでも逃がさないつもりですが、それ以外はあんまり」

「ぼくのこともすぐに気づきますよね」

 塔子はにっこりと笑う。

「だってケモノの次に憎らしいんですもの。君がいると《黒衣の花嫁》の出力も上がりますし、ケモノ狩りに便利です。それより、君はどうするんですか。君こそ、ケモノになった人を殺せるんですか」

 もう、殺した。それに近しいことは何度も。幸は言わなかったが、塔子は彼の様子を見て鼻を鳴らす。

「ああ、そうでしたね。木屋瀬さんを一緒に殺しましたっけ」

「《騎士団》の仲間だったんじゃ」

「だってもう《騎士団》抜けましたし、そもそもあそこは人が多いので、全員の顔と名前だって知りませんし、話したこともほとんどありません。おまけに私は舞谷の御役目がありましたから、他の候補者と話すのもなんだかなあって」

「お役目、候補者?」

 あ。塔子は間の抜けた声を発した。

「は? 何がです? 何も言ってませんけど」

 完全に取り繕っていた。幸はじっとりとした目を塔子に向ける。

「や、さっき舞谷のお役目がって」

「幻聴でしょうか。耳が悪いのなら取ってしまいましょうか」

「候補者ってなんですか」

 塔子は舌打ちした。

「教えません。他の舞谷……まあ、どうせ聞いても誰も答えてくれないでしょうけど、無駄ですよ。というか聞いちゃだめです。下手をしたら殺されちゃいますから」

「何をしてるんですか、舞谷家の人って」

「もう、聞くなって言ってるじゃないですか。どうして私の言うことを聞けないんですか」

 塔子の目に光輝が宿る。《黒衣の花嫁》の力が出かかっていた。

「それに、私にだってほとんど答えられませんよ。強いて言うなら」

 言ってくれるのか。幸は拍子抜けする。

「言うなら?」

「別に何もしてませんよ。舞谷の家は。というか、何もできないというか、できていないというか。聞いても無駄だっていうのはそういうことなんです」

「でも」

「でもじゃありません」

 塔子は真剣なまなざしである。珍しく理性的というか、冷静な口調と表情だ。

「今はもう、そういうものとは縁遠くなりましたが、私も舞谷の人間です。君が余計なことをするつもりなら、残念ですが阻止せざるをえません。そして私の言う阻止は生易しくありませんよ」

「じゃあやめます」

「…………そうですか」

 塔子は酷く残念そうだった。

「どうして残念な……まさか、ぼくを亡き者にする理由を捜していただけでは……」

「そんなことないです」

 よそ行きの笑みは聖女のようである。鉈を握っていては台無しだったが。



 日曜日の朝は気だるい。

 土曜日の朝も月曜日の朝も気だるい。

 朝が気だるい。昼も気だるい。夜もだるい。何をするにも億劫である。しかし同居人は気忙しい。妙に元気で、好奇心の塊だ。朝も早いうちからばたばたと準備をしている。今日も彼は大空洞へ行くのだろう。何を好き好んであんなところに行きたがるのか、むつみには理解できなかった。

 むつみは自室の扉を開け、洗面所から出てくる幸をじっと見つめた。彼は不思議そうにしながらも挨拶をした。無駄に元気だ。

「おはよう。何。今日も行くの?」

 問えば、彼ははいと頷く。

「足を滑らせないようにね」

「分かってますよ」

「ちゃんと準備できてるの?」

「できてます」

「それじゃあ気をつけて行ってらっしゃい」

「はい。あの」

「何だい」

「なんか今日の叔母さん、お母さんみたいなこと言いますよね」

 怒髪天を突きそうになった。むつみは怒りを堪えながら声を振り絞る。

「聞かなかったことにしたげるから、そういうのは二度と言わないように」

「え。あ、ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんですけど」

 とにかくやつと一緒にされるのは腹が立ってしようがない。幸を見送ってから牛乳を飲み、パンをかじって怒りを発散させていると電話が鳴った。相手は古海だ。面倒くさいので無視しようかと悩んでいたが、あんまりしつこいので仕方なく出てやった。

「ごめん。寝てた?」

「幸くんならもう行ったよ」

「そうなん? ……ついていってあげなくていいの?」

「それは誰に言ってるのかな」

 どこまで心配性なのだ、この女は。休みの日にも気にかけてやるくらいなら、もう少し手心を加えてやればいいものを。

「はあー……なんだ。家にいるなら迎えに行こうと思ってたのに」

「迎えって、どこに」

「いや、まあ、ちょっと」

 甥っ子をどこに連れていくつもりだ。

「ちょっとって何……?」

「や、大空洞潜って戻ったらご飯でも食べに行って、それで」

「『それで』じゃないから」

「心配じゃないの?」

 むつみは寝ぼけ眼を擦り、眠たい頭を無理やり働かせて考えてみた。

「あの子はもう、ほっといても平気だよ。私たちが放っておいても、あの子を放っておかない人がいるし。ちょうどいいよ。私以外の誰かが、私の目の届かないところであの子を見てくれるなら」

 手間が省けるというものだ。

「じゃ、今日のところは私が見てあげるとするか」

「は?」

 電話が切られた。朝からぎゃあぎゃあとうるさいやつらである。


『うるせえよ。ぎゃあぎゃあと。犬か。お前らみたいなのはな……』


 ふと、蘇る声がある。

 市役所に入る前、《百鬼夜行》に属するよりずっと前、誰かに言われた言葉だ。誰だったか。何だったか。



 潜るにつれ、暗がりに近づくにつれ、視界と意識が狭まっていく感覚。大空洞の奥へと進むたび、自分の中の何かが抜け落ちて軽くなる。幻覚かもしれないがここに適応しているような気がしてたまらなかった。

 幸は歩く。人とケモノの境界線が不確かになっていく場所を。右も左も、自分と他人も分からなくなって、最後に残ったものを探す旅だ。

 旧市街に至る手前、幸は立ち止まった。見慣れないものを認めたからだ。崩れかけた家屋の中、人が倒れている。若い男だ。幸は慌てて駆け寄った。が、寸前で足を止める。滑落し、八鳥と行動を共にして学んだことがあった。遭難者や行き倒れを装うケモノの存在である。モドキだのトモカヅキだのと呼ばれる、人に化けるケモノだ。

「あの」と声をかけながら、幸は鉈を抜いた。ケモノなら鉈を怖がって逃げ出す。八鳥はそう言っていた。どうせなら逃げてくれと祈るように歩を進める。しかし男は動かない。ケモノではない。人だ。

「あの」

 もう一度、声をかけた。周囲には自分以外に誰もいない。自分だけで考えて決めなければならない。足がすくんだ。目の前で倒れているものを見過ごせない。だが、義侠や責任より恐怖が勝った。今までも一人でやってきたはずだというのに心細くて仕方がない。鉈を持つ手が少し震えている。幸は呆然とした。強大なケモノと戦った。練達の狩人とも戦った。今は倒れている男の方がずっと恐ろしく感じる。

「……?」

 なんだ、これは。


 ――――ぼくは何をしているんだ。


「動けないのですか」

 行き倒れの男に竹刀を突きつけるものがいた。犬伏浜路である。彼女は動けない幸には構わず、男を見下ろしていた。

「それとも、動かないのですか」

 幸はその様子を黙って見ていた。浜路の言動が理解できないでいたが、この場において異物なのは幸の方だった。彼は八鳥に学んだつもりでいたがそうではない。自分にとって都合のいいことを切り取っていただけだ。八鳥はこうも言っていた。

『ケモノじゃなくとも悪党かもしれねえ。死んだふりしてこっちの隙窺ってんのかもしれねえ』と。大空洞で人を襲うのはケモノだけではない。人も時にケモノと化す。幸はそのことを考えないようにしていただけだ。

 祈りながら、見る。その祈りが届かないことを知りながら、幸は竹刀を眺めていた。

 風を切る音がして、浜路がそちらに竹刀を向ける。彼女が素早い動作で飛来したものを払ったと同時、倒れていた男が立ち上がって背を向ける。浜路は追おうとするが、飛び道具に阻まれた。男の姿が見えなくなって飛び道具が止んだのを潮に彼女は息をつき、

「八街殿」

 服を掴まれた。

「邪魔をしてもらっては困るのです」

 浜路はその手を振り払おうとするが、幸はそれを許さなかった。彼は浜路を睨みつけるようにして見据えている。

「ぼくを囮にしたんですね」

「ええ。私では釣れなかったので」

「あなたは……!」

 悔しかった。腹立たしかった。裏切られたという気持ちでいっぱいになった。が、浜路が自分を利用したのは、力がなく、弱いからだ。八街幸がどこまでもどうにもならないやつだから、浜路にそうさせたのだ。それだけではない。先の男はこちらを的にしていた。大空洞に潜る自分を知っていて仕掛けたのだ。誰も彼もが弱者に群がる屍食鬼グールだ。

 分かっていても止まらなかった。

「あなたはそんなことしないと思ってたのに……ぼくを弱いなら弱いって、ちゃんと言ってくれれば!」

「八街殿……?」

 涙目の向こうに霞む浜路は困惑している様子だった。

 幸は嗚咽する。浜路を掴んでいた手からも力が抜けた。彼女は立ち尽くしていたが、逃げるようにしてその場からいなくなった。

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