0ー7 100の原則
前回に引き続き、理論回続きます。
「まさか倒れるとほどとは、思っていなかった」と、
犯人二人は口を揃えて呟いた。
農家の夫婦、隣町へ向かう旅人が事件かと寄ってきては去って行く。
燦々と照る太陽の下、草原を走る風が三人の間を通る。マリアは心地よさそうに、シオは暑さから逃れようとシャツの腕をまくり襟元を扇いだ。
マリアの膝に寝かされたステラはぴくりともしない。
「大丈夫なんでしょうか……」
「大丈夫。これは命に別状はないやつだから」
対照的な態度の二人に挟まれたステラは「うう。布団は、ダメです」と呻き眉根を寄せた。
完全に頓挫した講義は放置して、監視された平和な草原で三人は何をすることもなくただ時間を消費している。
シオは未だむにゃむにゃと布団について語るステラにあえてローブを掛け、どけようともがく様を興味深げに観察している。マリアは朝とは打って変わって軽装になった彼を見つめた。
「噂って。当てにならないものだなぁ」
「噂、ですか?」
縦横無尽の風に煽られて、青年は顔をしかめる。マリアはその容姿をまじまじと観察していた。
「その、シオ・アルフレッドって名前を、今まで何度か耳にしたけどさ。
外見は黒髪、色白、紫の瞳であっているんだけど」
静かに言葉を待つシオに、マリアは何かを言いかけて口ごもる。あめ玉の代わりに言葉を転がすように口を動かして、やがて意を決したように力強く頷くと、その口をようやく開いた。
「かつて魔法の名家や裁定師団らと対立し、死闘を繰り広げた。とか。かつて名のある冒険者を殺した。とか物騒なものばっかりなの」
雨水を含んだ雲が三人に影を落とし、過ぎ去って行く。
ステラがついにローブを放り出し、安らかな笑みを浮かべた。マリアもシオも笑みを浮かべ、
シオは再びローブを被せた。
「でも。少なくとも、ステラちゃんと話すシオさんには影も形もない、と思ってる」
マリアはシオを見やり、すぐにまたステラに視線を戻した。ステラはローブをどけようともがき、その言葉になっていない呟きは、停滞しかけた場の空気をむにゃむにゃと動かした。
「……ここ三日間。僕らの元に来ていたのはその噂が理由ですか」
「そうだよ。塗り替えられないか、やってみようと思う」
「……僕は今のままでもいいのですが」
マリアは口を開きかけて一端つぐみ、再び開いた。
「でもステラちゃんの相棒が悪く言われるのは嫌だよ」
「……そうですか」
「そう、だから。実は超優秀な幼子で、自分を強く見せたいがために悪い噂を流していたんだ~、という噂を――」
「それはやめてください」
白い軽そうな雲が三人の上空をゆったりと行き過ぎる。マリアが慎重に前を向けば幾分かぐったりとした青年の姿があった。
「これでも。二人よりは年上なんですよ」
小さくため息を吐く様子に、気付けば笑っていた。
***
ステラは目を覚まして、真っ先にマリアへ掴みかかった。糸目で判別しにくいが、やけに楽しそうであることは察知できる。
「せっかくパーティー組んでるんだし。二人がもっと仲良くなったらいいなーと思ってやったんだけど」と供述するマリアの肩を掴み前後に激しく揺らす。
シオは我関せずといった態度で距離を置いて二人を観察し、落ちたローブをバッグに押し込んでいた。
「そ、そういう目でみるものじゃないでしょ!」
「そういう目って、どういう目?」
――くそう。疑問系だけど、絶対分かって言っているな。ステラは歯がみして、マリアの頬をつねった。
お節介やきの彼女と過ごす時間は有意義なものであったけど、こういうのは要らない。
「パーティ内の関係なんてそれぞれだと思うけどなー」
ペースを崩さない彼女の言葉に思わずため息を吐いた。そういえば彼女のチームは未だそれぞれに行動しているんだっけか。と、彼女の言う定義に納得しかけて、慌てて首を横に振る。
「私は、対等な関係であるべきだと思う。第一、私は足引っ張ってばっかだし、年齢は逆かもしれないけど、私たちはいわば先生と生徒みたいな、なんと言いますか、そもそもパーティ未満な感じだし」
「発想が、優等生だねえ」
「う……」
顔が火照り、落ち着くために一端俯いて意識的に呼吸をした。耳まで熱くなる感覚がある。故郷で度々囁かれた優等生の単語にここまで動揺する自分に、恥ずかしさを感じた。
「対等……ね」と蚊の鳴くような青年の呟きに振り返れば、シオと目が合う。
冷たく鋭利な視線にステラは身を縮込ませて、その姿を認めた彼は慌てて表情を取り繕った。
「――えっと、問題がないようでしたら訓練に戻ろうと思うのですが」
「そ、そうですね。よろしくお願いします」
彼の笑顔が作り物に見え、近づいてまた遠くなった錯覚に陥る。出会った日も見えた、彼の冷たい表情の理由は、何なのか。
マリアと言い合う以前に、きっと私は彼を知らなければならない。
「今日の目的は、『エルネラ』さんの制御の訓練の初歩をやってもらおうと思っています」
シオ先生は水筒の水を飲み、中空を見上げて思案する。軽装になり、ぼんやりとする時間が幾分減っている印章を受けた。
「まず、ステラさんは『エルネラ』さんと魔素量を共有することにより、素質の段階はクリアしたと仮定します」
魔法の素質の公式で魔素保有量が少ないってやつか。
「そうなると、私も魔法が使えることになる?」
ステラが呟くとシオは苦笑を漏らした。
「確かに素質の面ではできると言えます。ただステラさんはこれまで魔法を使う経験がなかったようですから、いきなり魔法を使えと言われても難しいと思います」
「呪文や魔方陣を描いたりするんじゃないの?」
「それは体外の話です。ステラさんが使うのは体内。精神力のみで扱う方です」
「精神力、というと、つまり?」
「つまり。今のステラちゃんが戦闘中に、落ち着いて、状況を見ながら、使えるかっていうことだよ」
シオの代わりに隣に座るマリアがゆっくりと、一部を強調しながら答えた。
――つまり。二人とも私が戦闘中で冷静に魔法に集中できるか心配しているんだな。……うん、できないわ。
「ああ、なるほど」と口では答えて、内心では涙を呑んで首を縦に振った。
「体内魔素は一種の防御機能。自分の恐怖など一定の緊張状態に陥ると使用されるものです」
「さっき説明してましたね」
「『エルネラ』装備中の場合。無意識で『エルネラ』から魔素を取り込み、防御に使います。膨大な量ですから、使っている間は身体能力は上昇するでしょうし、ほぼ無敵状態でもあるんですけどね」
「その代わり、制御しきれなくて、身体が乗っ取られる」
「そうです」
「乗っ取られる……。じゃあ、あのときも」
マリアの声は誰にも聞かれず、密かに消えていく。
「アーティファクト内部でどれほど制限されているのかは分かりません。ただ現状ではステラさんには扱いきれない量が送り込まれていると思います。
――なので、これから100を維持してもらいます」
「「100?」」
生徒側は二人揃って首を傾げた。
「先に話した自分の配合率の合算値です。個人差もありますし、場所にも左右されるものですけど。ステラさんの値を100としてこれから考えていきます」
言い切ると、シオは辺りを見回した。彼の背後には草原、青空、のどかな畑も点在している。シオにとっては暑いのかもしれないが、風の行き交う晴天で心地いい気候だ。
なるほど場所の条件は達している。そこまで思い至り、ステラが頷くとシオも頷いた。ついでにマリアは二人を見て頷いていた。
「それでは実践に移りたいと思います。マリアさんも手伝っていただいても?」
「おーともよー」
「では。マリアさんはステラさんに治癒魔法を送り続けてください。ステラさんは過剰分を送り出して下さい」
シオに指示されるがまま、真剣な眼差しで二人は向かい合う。
……しかし、治癒魔法が過剰に送られると身体はどうなるんだろう。とステラは眉根を寄せた。本家でそんな授業やったかと、おぼろげな記憶を漁り、首を捻った。シオを見れば視線が合い、彼も首を傾げた。
その程度の知識、魔法使いとしては常識の範囲なのだろうか。マリアは悩む素振りを露ほども見せず、すでに呪文を唱え始めている。
「シオさんが言うんだし、なんとかなるのかな? 取り敢えずやってみようかな」
誰に宣言するでもなく言い、ステラは意識を集中させた。
ここ二日間。世話になっていた魔法。その呪文は耳にたこがでいるほど聞いてきたし、いかに自分が使えないものであったとしても、発動のタイミングは分かる。
彼女の持っていた杖から青い光が満ち、ステラの頭上から粒となって降り注ぐ。
治癒魔法はマリアの得意とする水属性に分類される。水の形は持たないが、疲弊して身体の節々も痛くてたまらなかった時、その患部に染みこむように入り、溶け出して癒やしてくれた。あの魔法の流れが、今再びステラの体内に流れ込む。
しかし、想定外の感覚がステラを襲った。
青い光がいくら清浄で自分に害を及ぼさないものだとしても、現在の(ほぼ)健康体にとっては異物であるもの。それらが持つ力の流れは、身体を巡り末端で滞留し、やがて痺れを起こした。腹部から徐々にせり上がってくる水気は、気持ち悪さをまでももたらす。
意識を澄ませて青い光の筋を認識し、外へ出るように働きかけても、全く効果はなく、光はマリアの指示通りに患部を求めて体中を駆け巡り、所々で溜まっていった。
「ちょっ、ストップ。マリア、ストップ!」
大きく叫ぶとマリアは呪文を打ち切り、青ざめて口元を抑えるステラの背中を優しく撫でてくれた。
「――できない」
荒い呼吸の合間から出た一言は、絶望の色に満ちていた。
「ふふ」と。
見ればシオが背を向けて笑いを堪えているのか、その細長い身体が振るえていた。
分からない。分からないが、多分馬鹿にされてる。
「ちょっと、シオさん。何笑っているんですか。こっちは真面目にやっているんです」
「すみません、ぶふ」
笑いを堪える青年に無言で近寄りよじれる脇腹に、無心で手刀をたたき込んだ。彼は呻きその場に崩れ落ちた。
「――で、なんでそんなに笑っているんですか」
「笑うつもりはなかったんです。ただ、何も聞かずに実験を始めるんだなって」
「…………あ」
元を辿ればこれは危険だと逃げていた研究である。安全も言及せず実行に写したことは彼にとって想定外だったのだろう。首を傾げていたのも、同じ理由だったのかもしれない。
「疑問は問いただしておくべきだったか」
「で。どうでした?」
「全く出せません。全部体内に残っている感じです」
「治癒魔法は効果は時間で消滅しますから、少し間を置きましょうか」
シオは脇腹をさすりながら立ち上がった。
「実は今日やりたかったのは、分解の行程なんです」
「分解?」
「ちょっと見ていて下さいね」
シオは座るステラたちと同等の大きさの水球を作り出し、宙に浮かせた。ぷよぷよとした質感の球は四方に揺れて、映る三人の顔も伸縮を繰り返している。
「まず、魔素一つ一つには属性とは違う、四つの『能力』が備わっていると考えます。
魔法は一定の範囲に集められた魔素個々が持つ『能力』の集まりで、その集まり一つの中の偏りが、結果として属性を生み出します。
そしてこれは、水属性の塊、の見本です」
シオが水球をつつく。ステラも半ば当てつけに叩くと同じだけの力で押し返された。なかなかの弾力。くせになりそうだ。
「一度魔法になった魔素同士の繋がりはとにかく強い。魔法となった集まりを扱えるのは術者本人に限られます。掛けられる側が出来るのは、自分が扱う魔素をぶつけることぐらいです」
――そして今回の実験に関係すると考えれば。
マリアの治癒魔法はこの水球、私はこれを分解しなければいけないということだろう。体内で行うのだとすると。
「つまり、練習すべきは、私の体内魔素をマリアの魔法にぶつけるってことですか」
「簡単に言えばそういうことです」
水球と触れ合う光景を通りすがりに見られているのを自覚しながら、もちもち感に捕らわれ動けない。水球は全力で押しても表面が内向きに伸びるだけで、その場から動くことも敗れることもなく、爪を立てても刺さらない。
マリアも杖の先端を指しているが同じ結果のようだ。
「魔法、破れるの?」
「魔法そのものは確かに強いです。でもその素は同じ魔素、一つが持つ力は大体同じです」
解説するシオは頭上に新たな球体を作った。水球と同等の大きさで、ほんのり緑色の光を纏っている。あれもまた同等の質感が望めそうだ。
無言で離れた生徒二名の姿を確認すると、シオは球体を水球にぶつけて双方を破裂させた。その破片は飛び散り辺りを濡らすこともなく、やがて空気中に溶け込むように跡形もなく消えていった。
「魔法の四属性の強弱は言えますか?」
「水は火に強く、火は土に強く、土は風に強く、風は水に強い」
シオは笑顔で頷いた。
「では、水に対して効果的なのは?」
「風。――あ、じゃあさっきの球は」
水球を壊したのは自分の魔法の光の色と同様の緑の光を纏った球。つまり自分の固有属性である風はマリアの魔法より有利であるはずだということ。言いかけた言葉を継ぐようにシオは口を開いた。
「ええ。風属性の配合にした球です。分かりやすく着色もしました」
シオは両手を腰に当てて偉そうに胸を張る。えへんという言葉が聞こえそうだ。
「ではマリアさんの治癒魔法。仮にその魔素量を30とします。相殺を狙うなら?」
「風属性を、30以下?」
「ステラさんの値は?」
「ひゃ、100?」
「今回使うべきなのは、その内何割くらいですか?」
「えーと。3割もあれば十分……ってそれでいいの?」
「それでいいんです」
ステラはマリアに向き直り、首を回してシオを見れば頷きが返ってくる。マリアを見て、再びシオを見る。
「やるよ?」
「どうぞ」
少女二人は数分前と同様に向き合い、マリアはステラとシオの会話を聞いてから、癒やしの呪文を唱え始めた。
再び降りかかる水の魔法は日差しを浴びて光る。ステラは目を閉じてその魔素の流れ、青い光に神経を注いだ。青い光はその軌跡を所々に残しながらステラの体内を巡る。
次に、自分の四肢が痺れる前に、自分の身体の中にあるはずの風の因子、緑の光る粒子を探り、指示を送る。緑は脳から発せられる指示に素直に従い、青い光に正面から突撃しては消えていく。それを何度も何度も繰り返した。
体内にあった緑の光は予定以上に消費したけれど、マリアから送られる魔法は分解され、少なくとも先刻のような気持ち悪さはない。
「で、できた。でも、まだ中にある気もする」
「分解しただけで、過剰な量が入り込んでいることには変わりありません。
今度は体内の量を元に戻して下さい。分解後なら魔法の形を取っていないので、過剰な分を制御することはできるはずです」
「そ、そっか」
体内の魔素量を元に戻す。つまり送り出す前の感覚量に戻せばいいのだろうか。
知覚できる範囲の魔素の光に外へ出るよう指令を出すと、元が青にも関わらず、今度は思った通りの動きを見せた。指先から空気中へ、送り出された光は解けて消えていった。
「できた? かも」
「そのようですね」
「こっちから見てもよく分からないけど、おめでとー」
シオは堂々とあくびをしていて、自分だけ頑張っていた感が否めないが。マリアが手を叩いて喜んでくれるのは素直に嬉しい。
「風属性の『能力』の関係上、実際使った割合は予定と違ったとは思うんですけど。
今日のところは取り敢えず。相殺、分解の感覚、そして送り出すところまで覚えておいてくださいね」
いつの間に緊張していたのか。講義の終わりを悟った瞬間全身の力が抜けて、ステラはその場に座り込んだ。
……今日は、ほんの練習。心の内で呟いた言葉が重く響く。
実際『エルネラ』の力の量はこの非ではなかった覚えがある。もちろんこの要領で『エルネラ』を使うことができるという展開になればいいのだけれど。
「実際『エルネラ』はもっと力が強いんだよね」
「その分、自分が使える量も大きいですよ」
「できるかな」
「強くなりたいんでしょう?」
「……そうです、けど」
ステラは服の裾を握っては離し、それを忙しなく繰り返した。
ここで不安だ、手伝ってほしい。ならまだしも、やっぱりやめたい。とは言えない。
あの日の犠牲者はいなかった。もう一度起こったとしても止める手立てならある。
でも、もう一度繰り返すのは嫌だ。と本心は言う。
それを防ぐために今の訓練があるけれど、確証は得られない。どれだけ昔の懺悔を口にしたところで、自信のない現状が変わることはない。
ステラは両手で顔を覆い、そのまま頬をひっぱたいた。
「だから今頑張っているんでしょう。順番を間違えるな私」
弱った自分に鞭打ってここまで来て、目標への大きな手がかりを得たというのに何を悩む必要がある。
弱音を引っ込めて赤くなった頬をぐにぐにと引っ張っていると、頭を雑に撫でられた。
「あの、」
見上げれば、暑さのせいか、同様に頬が赤くなった青年と目が合った。頭を撫でる手は一瞬止まり、ぎこちない動きでまた撫で始めた。
「えーと」と、青年は言いかけてはやめることを何度か繰り返し、視線を彷徨わせて、言葉を探していた。その表情には冷たさはなく、ステラはついその様子を観察してしまう。
小さな呼吸を置いて、シオが少女を見る。
ステラは反射的に息を呑んだ。
「あまり重く考えなくていいと思いますよ。
――なんと言っても、ステラさんは考えすぎて気絶する位なんですから!」
「後半はいらない!」
――励ますなら最後まで励まして! そこで勝ち誇った顔をするな!
肩を落として俯いたステラの前後双方から、今度は頭を撫で繰り回された。
更新がどんどんずれてきている。
なんとかしなければ……φ(・_・”)