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0ー5 その名はエルネラ 後編

11/19 更新

 青い獣の破片が飛び散る中で、少女は剣を前に突き出して立っていた。


 大通りの人の流れは止まり、風も吹かない。息を呑み、何も動かない重い静けさに包まれて、ステラは剣の切っ先を自分の胸へと向ける。誰かの悲鳴が耳朶を打った。


 ――ここで、自分に刺せば止まる。あんな大きな獣でもこの程度の破裂で済んだ。使用者が消えればこの剣は力を振るえない。……そう思うのに。

 切っ先を見つめたままでステラの手は動かない。劈く声が静まっている今なら動かせるはずなのに、震えて照準が合わない。彼女の純粋な気持ちが露呈していた。


 どんなに無力でも、この国に不適合と言われても、

 ひっそりと幸せに生きる道が、あるはずだった。

 あの人が示す先に、自分が変わる未来があったはずだった。


 砕けた砂利の道を踏み鳴らし、誰かがこちらへ向かっている。

 近寄って欲しくないと叫ぼうとして、同時に助けて欲しいと願う自分に愕然とした。


 何も言えないまま顔を上げて、青年の姿を見た。

 出会った時と同じように、こちらに手を伸ばし、そしてやや強引に剣ごとステラの手を引き寄せる。


視界が暗転した。




 目の前でステラの身体が傾き、シオは慌てて抱き寄せた。

 広い大通りの真ん中に円形の包囲網。ステラとシオを中央に据えて、裁定師団による厳戒態勢が取られている。


 シオは意識のない彼女の下半身を地面にそっと置き、肩に手を回して上半身を支える。彼女は剣を握りしめたまま静かに息をしているが、力の影響を受け続けていることは触れるだけで分かった。暴れ狂う力の流れが二人が接している箇所に到達し、火花が上がり、シオに小さな切り傷をつけた。


 使用者が力の暴走を始めるとき、前兆として大気に変化が起こる。けれども今回に限りシオは感知するのが遅れた。ジーナの店の手伝いを、店主の目の前で投げ出して急行したものの、着いたのは彼女が獣を倒す直前だった。前兆どころか暴発寸前の危険水域だ。


「これは、どういうことでしょうね」


 誰に問うでもなく、シオは一人ごちる。


 思索にふける彼の背後から近づく黒い服の男がいた。


「今からどうするおつもりで?」


「その声は。師団長さんですか」


 その男は裁定師団師団長。


 魔法使いの上位種である賢者で構成された一団であり、魔導機器たるアーティファクトの管理を任された一団の最高指導責任者だ。フードを深く被り顔は隠れてしまっているが、その黒いローブの下からは国旗と同様の赤い騎士装束が覗いている。

 

 年も若く前任者から引き継ぎトップに立ってからも日が浅いが、実力主義のこの国においては彼が適任とも思われている。


 シオが問いに答えようとして口を開きかけたとき。

 自身の存在を主張するように、シオの手元で一際大きな破裂音がした。


 現在進行形で暴走は進んでいる。ステラの体内を巡る強大な流れは、触れる物に入り込みその操作権を奪おうとしているようだ。シオは自身に流れ込んでくる力の奔流を抑えることはせず、わざと全身に巡らせて調整し微量を外へと放散する。彼らの周辺で地面は振動し石だたみは砕かれ、その箇所には小さな穴ができた。


 未だ背後に立つ気配を感じ、質問を受けていたことを思い出して今度こそシオは口を開いた。


「彼女の意識が戻らないようなら。今この場で、力を相殺します」

 

 相殺の単語に取り巻きがざわめいた。師団長は何も言わずその場で考え込む。


「できるのですか?」


「こういう場合、できなければこの場にいる人が犠牲になるんでしょう? 僕はただ、最善を尽くすだけです」


「……あなたは、噂に聞くシオとは違うようだ」


 シオが首だけで振り返った。その顔には嫌悪感がありありと出ている。


「噂話をするつもりなら、ここから離れていてもらえますか? 賢者クラスとは言え、この場においてはただの邪魔者です」


「それは失礼」


 そう言いながらも立ち去ろうとはしない男に構わず、再び力を放散させる作業に戻る。

魔素の流れを注意して動かすと、ある違和感に当たった。


 本来暴走状態になると魔素全体量が許容量を上回り、制御下に置けない力が大気中に逃げようとする。そして本体たる生物はそれらの無差別な動きに耐えられず組織が破壊されて消滅する、そのはずである。


「……意識がないのに、力が抑制されている。コントロールも多少利いている。なんで」


 今朝と同様に検査をすると、異物のようなものが引っかかった。制御の原因がこれだとは断定できないが、黒々としたその気配に悪寒が走る。


「……もしも協力する意志があるのなら、」


 シオは無言でこちらを観察する男に語りかけた。


「彼女にかかっているモノを解いてもらえますか?」


「……かかっているもの?」


 師団長がシオの向かいに座り込み、浅い呼吸を繰り返す少女に手をかざした。


 検査魔法をかけるとその正体を明かすことを拒むように激しく火花が飛び散る。師団長は無表情のまま手を掲げ、やがて火花の中から浮かび上がった黒い文様にたじろいだ。


「これは……闇魔法。しかも精神阻害です」


 シオは顔をしかめて文様を見やる。彼の手元からはなおも火花が散り、放散された魔力は地面をえぐった。


「朝測った時は反応がなかったんですけどね。あなたのお仲間がやったのでは?」


「ステラ嬢はわたしの管轄下に置かれていました。師団がやったのではない。おそらくは、エルネラ家の魔法だ」


「エルネラ……」


 シオは端正な顔を歪め、舌打ちをした。

 師団長の興味深げな視線を受けて、大仰な咳払いをする。


「なるほどね。……で、解けそう?」


「何重にもかけたのか、小さな身体にこれは強すぎる。呪術のパターンも特殊……だが。やれないことはない」


「さすが師団長様。ではお願いします」


「シオは何をする?」


「ちょっとした準備です」


 シオは問いに笑顔で答えると、態度を一転し冷えた空気を漂わせる。深呼吸を一つしてから目を伏せた。


「魔方陣、展開」


 彼が呟くと、青白い光がシオの身体からわき上がり、彼を中心に放射状に延びた。直角に曲がり上空に伸びて更に角度を内側に修正して一点に収束。一見サーカスのテントのような形を作る。縦線から横線が伸びて格子状になり、空白には膜が貼られ透明な面が出来る。


「これから、この範囲に出入り不可の結界を張ります。僕と師団長以外は外に出るようお願いします」


 師団の面々も師団長の合図で結界の外へ出る。シオは人払いが済んだことを確認すると人が通れるほどの空間を背後に残して、薄く透明な面を更に分厚く堅い氷状へと変化させた。


 師団長が解呪の呪文淀みなく述べ始めると、黒い文様に眩い光が集い、ばきばきと砕いて飲み込んでは、共に地面へと落ちてゆく。文様が一回り、二回りと小さくなる毎に、シオの身体に巡る魔素の量が二倍三倍と変化した。

 

 入り込む量が多くなり、制御可能限界を超えるのも時間の問題。彼は自分も飲み込まれないよう、放出量を意識的に増やす。地鳴りが起きて結界内の石だたみが一斉に剥がれて飛び散る。


「どれだけ抑えていたんだよ」


 ステラと触れている指の先から痺れ、徐々に感覚がなくなっていく。全身が鈍重になる度に、シオは悪態を吐いた。


「――シオ、そろそろ解けます」


「了解。ステラさんを抱えていて下さい」


 シオは師団長へとステラを渡すと未だ剣を握る彼女の手元に自らの手を置く。二人を結ぶ魔力は一層激しい火花を散らして拒絶するが、シオは彼女の手から強引に剣を抜き去った。指の間が切れ鮮やかな赤が飛ぶ。


「治癒は?」


「要らない。勝手に治る」


 二つを引き離すとステラの呼吸のリズムが落ち着きを取り戻し苦悶の表情が和らいだ。確認したシオの表情も少しだけ変化する。


「では師団長さんもステラさんを連れて結界の外側へ。


――そのまま彼女を処分とか言ったらただでは済まさないですよ?」


 ばちばちと爆ぜる剣を握り、左右に振って師団長を少し茶化す。その手の傷は深まることはなく、治ることもない。


「分かっている。これから何をする」


「さっき言った通りです。この剣自体の力を結界内に放散、その後僕の魔法をぶつけて相殺させます。甚だ不本意ですが。こうなった以上力技で抑えるしかありません」


 暴走状態のアーティファクトと使用者は体内を構成する魔素まで共有しており、離れていても共生関係にある。どちらかが命を落とせばもう一方も、ただではすまない。


 被害を抑え二人を生かすつもりなら、ことの元凶である力の奔流を制御できるまで弱めればいい。

その後のことは、本人たちに任せることにはなるけれど。


「……無茶だけはしないように」


 師団長はそう言い残すとステラを抱えて結界の空間から外へと出た。

事態を遠巻きで見ていた人の中から、栗色の髪の少女が飛び出しステラに抱きついた瞬間を認めて、


 シオは結界を完全に閉じた。




 静まりかえった結界内で一人。

 シオは剣を地面に突き刺して、周囲の壁を増やし何重にも重ね、地面からも漏れ出ないよう、地下も含めて結界を張り直した。


「待っていてくれたんですか? もう出てきてもいいんですよ」


 シオの声に応えるように、剣の周囲の火花が増し、結界内に反響して空気を振るわせる。地鳴りが起き砂利が跳ねる。振動は段階を踏んで激しさを増し、亀裂を産み、地割れを起こしてまた治まった。


 危害を加えるわけでもなく、ただ純粋に力を見せたいだけのようにも見える。


 ……そのまま力尽きてくれれば楽なんだけどな。


 シオが思った矢先、すぐ傍で地が割れ底から石で出来た突起物が飛び出してきた。間一髪のところでそれを躱す。その視界の端で剣の変化が確認できた。


 剣は眩い光を集め、その身を粒子状に変化させて空気に溶け込むと、更に大気中の物質を取り込んで、半透明な薄い緑の球体を成した。そこから長い首を伸ばし、強靱な爪を付けた四肢が伸び文字通り地に足をつける。胴体となった部分から長い尾と翼を作り出し、さながら魔物の最高峰、ドラゴンの姿を取る。


 ただ。剣の粒子は悠々とその姿を作り上げた……まではよかったのだが、『それ』は、とても大きすぎた。完成したばかりの身体を動かせば結界に当たり弾かれ、全身から火花を散らし、痛々しい呻きを上げる。

 伸ばせない首を引っ込めて短く作り直す。広げられない翼も折りたたみまっさらな背中に作り替えられる。ぎらついた目はシオの姿を捉えるが涙で潤んでいるようにも見えた。持て余した構成物は四肢や尾へと再分配され、表皮が堅牢な鎧に覆われる。顔とかその容貌に圧倒されるというより、


「……鎧、立派だね。かっこいいよ?」


 ドラゴン(?)の幻獣に睨まれた気がして、シオは大きく咳払いをした。


「さ、さて。やりますかね」


 シオは改めて幻獣を見つめ、攻撃を仕掛けてこないことを確認する。両手を前に突き出し自身の二倍ほどある氷の弓を形成して狙いを定めた。先端には冷気を放つ鏃が付いている。

 目の前で凶器を晒しているにも関わらずシオには牙を剥こうとしない緑の幻獣を訝しげに観察しながら、魔法の弓を操作し、唯一武装していない頭部を目がけて放った。


とす、と小さな音を立てて、矢は相手のこめかみに刺さった。


「ちょっと中身を見せてもらいますよ」


 朝ステラに行った検査と同様の冷気を、鏃から注ぎ込む。

 幻獣に刺さった矢は役目を終えるとそのまま融解し傷だけを残した。水と化した自分の魔素を体内に戻し、返ってきた結果に苦笑を漏らす。


「うわ、全属性且つ魔力量100越え。予想通りなんですけど、嫌ですね」


 好き放題言われている、かの獣はといえば、痛みの存在に今気付いたようで、地鳴りのような雄叫びを上げて地べたをのたうち回る。焦点の合わない目で結界を見渡して、破ろうと爪を立てるが壁は堅く、立てた爪がもろく砕け落ちる。

 

 傷から流れ落ちるのは血液ではなく黒々とした粘性の物質。


 文様の余波がこちらにもきている証だった。


 ――とはいえ。あまり結界の方ばかりに注意が向くのは得策ではありませんね。


 どんなに侵されていたとしても、『人』に牙を向けようとしないのは、偶然か必然か。傷もそこまで深くないはずなのに暴れ狂うのは別の理由からか。

 シオは錯乱する獣を見つめてかぶりを振った。


 検査に使っていた弓を粒子状に分解し、自身の魔力を注ぎ込んで彼は相手と同型の幻獣を作り出した。


「恐らく全属性と言っても、緑の獣は風属性が土台となって、身体を構成する為に他属性を付け加えている程度に過ぎない。

動の風には静の土。氷を融解させたのなら炎の配分も多いと見てもいい。相反する水を多めに配合しよう」


 ぶつぶつと呟くシオの調整を受けて、幻獣の色が透明から半透明の橙色、水色へと変化していく。


二体の獣は互いの存在を認識すると同じように吠え、同じように牙を剥き、闘争本能に従って争い始めた。互いに相手に爪を立て、深い切り傷を付け、自身の構成物質を操作して皮膚を再形成する。


 決着の付かない膠着状態に持ち込むことで相手の勢いを削ぐことが今回の目的。むしろこの均衡を崩してはいけない。何重にも張られた結界が、彼らの衝突の余波を受ける度に一枚ずつ悲鳴のような音を立てて崩れ落ちていった。


 相手の幻獣には力の供給者がいないため徐々にその勢いを落とす。シオの魔素保有量も決して無限ではない、争いに使えば意図せずとも彼の獣の勢いも落ちていく。


 大きなイレギュラー的存在がぶつかり合う場で、予定通りにことが進む可能性は限りなく低い。前触れもなく途端に水色の幻獣が押され始めた。


 ――力の量が増えることはない。考えられる原因は属性配合の優劣。ややこしいな。


「……まあ、お互い得意分野ですけどね」


 シオはむしろ事態を楽しむように薄ら笑いを浮かべた。

 爪を立てようと腕を振り上げた青い幻獣の鎧の一部を分解して爪に組み込み、強固なものへと変質させた。強化された爪は相手の鎧ごと切り裂き、深手を負った緑の幻獣は、シオが注視する前で、傷を治癒させる動きに出た。


 その間、3秒。


「身体の治癒が始まり、鎧という物質の再形成まで行うのには早すぎる。

風属性の母体で、水属性の治癒魔法の速度が速くなっている。表皮の、物質形成も早いとなると、

……風と真逆に位置する土属性の割合が増えている? 風属性で相殺するべきか?」


 シオの幻獣の青色が黄緑へと変化。幻獣の争いが再び拮抗状態に陥る。


「うん、いい感じ」


 優勢劣勢を交互に繰り返し、相手の優勢が長引けば、分析して獣の色を変える。ただ争い続ける二体の幻獣の身体は更に覇気を失い小さくなっていく。




 ――ついには緑の幻獣が眩い光を放ち、霧散すると剣の形を形成して、そのまま地面に突き刺さった。

力を振り絞るようにぱちぱちと火花が散るが、その音もやがて収束していく。


 幻獣を消し、結界を解き、シオは地割れ被害の少ない場所に腰を下ろして空を見上げた。

昼間の大通りには似つかわしくない、静寂が降り立った。


「本当に止まったのか……」


 最初に口を開いたのは結界のすぐ傍で控えていた師団長だった。


「止まってはいません。一時的に力を削いだだけです」


 シオが『傷一つない』手で剣を拾い左右に揺らした。反撃する火花を放つ力もなく、剣は沈黙していた。


「でもここから先は、本人次第ですから」


「……そうか」


 マリアのもとで未だ意識が戻らない少女を二人は反する表情で見つめていた。



***



 黒い霧が晴れると真っ白い空間が広がっていた。

 記憶が判然としない状態だけど、流石にこれは初めての場所だろう。出入り口もなく現実味も生活感もない部屋だった。それでもどこか懐かしさを覚えた。


 私何してたんだっけか。ああ、剣に呑まれたんだっけ。


 それで……どうなったんだっけ。


 記憶を手繰るとシオの前で倒れたところまでは思い出せた。その先はないように感じる。


 あの後に繋がるとすればここは天国? 地獄にしては穏やかすぎる。いや夢の中の線もあるな。意識失ってる訳だし。頬をつねってみると痛い訳でもなく何も感じない訳でもなく、何故か痒かった。微妙すぎて判断に使えない。


 空間の床部分を叩くと少し冷たくてつるつるしていた。本当にここは何なんだ。


『あ、ステラだ』


 甲高かった方の声。その印象は、はっきり思い出せる。けれど今は狂気じみた声ではなく、楽しげな少女の声だった。足音がして振り返ればステラの幼少期そのままを映した小さな女の子がそこにいた。


「あなたは、アーティファクトの」


『あーてぃ……何? あ、皆が呼んでるあの名前の方か』


「名前の、方?」


『うん、私にはちゃんとエルネラって名字があるんだよ』


「……は?」


 ステラは目を瞬く。ここにきて、またエルネラ?


『人は、産んでくれた人の名字を名前に入れるんでしょ? だから私の名前にもエルネラは入っている、はず! 多分、恐らく、きっと!』


 自分の名前なのにいい加減だな。それにしても、彼女の論理でいくとアーティファクトを作った人の名字がエルネラということだろう。ステラはどこか因縁めいたものを感じた。


『あー。でもやっとステラとお話しできた! いっつもクロが邪魔するんだもん。私もお話ししたかったのに』


「クロ?」


『うん。なんか真っ黒かったからクロっていうの。さっきから見当たらないんだけど、ステラがいるならいいや』


 ――つまり。剣の中に二つの人格らしきものが存在していたということだろうか。自分が持っていた物なのに知らないことが多すぎる。

 ステラは蹲り変な声を漏らした。


 もういいよ。いない方がうるさくないからでてこなくていいよ。心の底から願います。



『ねね、何して遊ぶ?』


 明らかに落ち込むステラの肩をエルネラはこれでもかというほどに強引に揺らした。首を上げて彼女の顔を拝もうとしても視界がぶれてしようがない。


「その前にここはどこなの?」


『え?』


 エルネラが動きを止めて、小首を傾げた。


「ここはどこなの?」


『……あー。わかんない』

 

 やっぱり自分にそっくりな顔立ち、が苦悶の表情を浮かべて思案し頭を横に振った。これは知らないな。私には分かる。


「じゃあ、ここの外は?」


『…………ステラがいたとこ? 分からないなー知らないなー』


 エルネラがあからさまに視線を逸らした。これは知っているやつだ。


「……外に、戻れるのね。よし」


 ステラが急に立ち上がり周囲に目を配ると、エルネラは目に見えて狼狽えた。ステラの服の裾を掴みぐいぐいと引っ張る。


『何で、敵がいっぱいだよ? 怖いんだよ? やめようよ』


 ……敵、ああそうだ。彼女は。

 彼女が戦闘中で行ったあれこれを思い出し、ステラはエルネラにデコピンをかました。彼女は衝撃に目をぱちくりさせる。


「人は敵じゃないの。私も悪いところがあったと思うけど、今後一切絶対に剣を向けては駄目」


『え? でもそんなことしたらステラが……。エルネラ家の人はステラにひどいことしてた。敵じゃないの? さっきの人たちだってステラを怖い目で見てたよ、敵じゃないの?』


 彼女は敵と味方の区別がつかない。それよりも、その前に、もっと大切なものが欠如している気がした。


「そうだね。今はもう、そうなってしまったかもしれない。でもそれは――」


 ステラは子に諭すようゆっくりと言葉を紡ぐが、それが遮られる隙を産んでしまった。


『駄目。ステラを守ることがお仕事なの。行っちゃ駄目。行っちゃいやだあ』

 

 そう叫んでエルネラはついには泣き始めてしまう。


 頭を撫でても優しく語りかけてもエルネラは一向に聞く耳を持とうとすらしない。多分当時の私よりもだだっ子だ。重いため息がこぼれた。


 埒が明かないので、ステラは心を鬼にし、もう一発デコピンをする。おでこの刺激にエルネラが怯んだ。


「ねえ、エルネラ。私の話を聞いて。私はね今の場所を失いたくないの。エルネラ家にいた私に何が起きたのか全然覚えていないんだけどさ、私が子供に手を上げたことはちゃんと覚えているの」


 暴走する前に自害する選択肢も、それが一瞬の戸惑いで潰えたことも。エルネラはおでこをさすりながらステラの話にゆっくりと首を縦に振った。


「マリアもきっと傷つけた。ジーナさんも流石に……これ以上の迷惑は掛けられないし。シオは、そもそも私のことどう思っているかよく分かんないけど、巻き込んでしまった」


 怯えて縮こまっているばかりだった心は、ここに来てからとても穏やかだった。ただ静かにステラの判断に従って動いてくれる。


「エルネラは彼らのことをどう思った? 私のことは関係ない。エルネラからはどう見えた?」


『……』


「戻り方があるなら教えて。今の自分がいる場所からも、自分がしたことからも逃げたくないの」


『……なんで』


「うーん。なんとなく?」


 今なら状況を変えられるなんて思っていない。戻った先にあるのはただの結果だ。彼らからの制裁が待っていても甘んじて受けようと思う。


 結局あの日の判決が一日ずれただけなのだ。そう思うことにする。あの瞬間以降、誰も被害に遭ってなければいい。敵味方とか関係なく、そう思う。


 エルネラは俯いて、ただ首を横に振っている。


 けれどそれ以上の動きはない。クロの方も気になるけど、やっぱりいないのなら好都合だ。

白一色の空間を、醒めるような冷気が空間を通り過ぎていった。


 ステラが風の行き先に身体を向けるとエルネラがステラの手を慌てて引っ張った。小さな少女の力は弱くて、身体も細くて簡単に折れてしまいそうな、本当に、昔の、エルネラ家にいた頃の自分の姿を見るよう。


 非力で魔法も使えなくて、他人の動きには敏感な小さな少女。


『ステラ、ステラだめ行かないで。何で、私がお仕事失敗したから? でもちゃんと言うこと聞いて、守るために闘って、いい子にしてたのに、なんで?』


 ――ああ。この子には分からないのか。伝わらないのか。


 再び泣きそうな顔をするエルネラの頭をゆっくりと撫でた。彼女が顔を上げると本当幼い頃そっくりだと思う。


 もう一度。ステラを誘う風が頬を撫でる。


「話の続きはまた今度にしようね。出口分かっちゃったし」


 白い部屋には、出口も入り口も見えないけれど、風は道があるから通るものだ。

 ステラは何も言わずにエルネラに微笑みかける。


 ゆっくりと離れ去って行く背中を小さなエルネラは見つめていた。



***



 ひんやりとした空気が身体の中を通り抜けて行く感覚がある。

 指先から身体を巡って指先へ。源流を辿ると2日前に知り合ったばかりの青年がそこにいた。

 ステラは彼がいる場所が屋外ではなく見知った部屋だと気付き、更に薄い布団が掛けられていることに驚いた。

 全て悪い夢だと錯覚するが、彼の隣でマリアがうたた寝していることで現実だと理解する。


「あ、起きた」


「私、いま人間の形を保てています?」


「……衝撃で頭が変質したようですね。待っていて下さい今お医者様を――」


「違うわ」


 知らず笑みがこぼれてしまう。


 見上げれば青と橙色が調和した空色で。昨日と同じ疲れ切ったそれでもどこか温かい、気持ちこそばゆい風がこの街を、ステラのいる部屋を通り抜けて行く。昨日以上に疲れ切った身体は動くことすらかなわない。それがさみしくも嬉しくもあった。この手に剣が今も握られていたなら、どんな結末を迎えていただろう、とか。


「では、ジーナさん呼んできますね」


 手を放し立ち上がった彼は一歩踏み出すと、力が抜けたのかそのまま前に倒れた。ステラは起き上がろうと力を入れたが重すぎて全く上がらない。マリアはぼんやりと方向を見つめていた。三者三様の脱力状態。


「シオさん。大丈夫ですか?」


「だいじょうぶ……呼んできます」


 何かをひきずる音の後、扉が開く音がした。

 

 思うようにことが運ばないこのぐだぐだとした空気が、やけに落ち着く。


 ステラは未だ寝ぼけたままのマリアに微笑み、心穏やかな眠りについた。



ここまで読んでくださった方は果たしているのでしょうか……。


毎週更新を続けていましたが、私情のため、次話は再来週になります。

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