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0ー4 その名はエルネラ 中編

前編後編の二部構成のつもりが予想外に長くなり、三部になってしまいました。

話が一区切りついたら思い切って断捨離したい。


11/19 更新

 さんさんと照る太陽の下で、たくさんの人間が生活している。

 他の国と比べて冒険者が多いこの国は、街と村を行き来する旅の人間も多い。

 そんな国の中枢であるこの街で、今日も様々な人間が出会い、別れを繰り返している。


 ステラは自分の職務を全うすべく、荷車を懸命に引いていた。

 近隣に住む人らは、力仕事に励む少女など見慣れたもので通りすがりにお疲れと声を掛けて立ち去っていく。

 魔法使いの村で生まれ育ったステラは、それが好ましくも寂しくもあった。


 横道に入り、大通りに出ると、店頭に旗を掛けている店が目についた。赤地の布に金の糸で、国を興した戦士をモチーフにしたこの国の文様の刺繍がなされている。

 

 店も家も中央に向けて建ち並び、その建物に合わせて旗も直線上に並んでいた。店員は店の飾りを増やし、いつもはもっと自由なに舞う踊り子や吟遊詩人たちも真剣な眼差しで練習に励んでいる。


 見た目から騒々しい雰囲気にステラは首を傾げた。


「この時期何があったっけ? 祭り?」


 馬車5台は余裕で横並びできる幅を持つ大通りが見渡せないだけでも、その人数の異常さは明白である。催し物に合わせて観光客が増えているのかもしれない。

 荷車で横断するのは少し危険かもしれない、けれど、目的地はこれを渡った先にある。

 ステラは人の通行の妨げにならないようゆっくりと姿を見せて、通行人が認識したのを測ってから極力早足で横切った。



 まるやき亭と大通りを挟んで、対称に伸びる石畳の道。

 鍛冶屋、防具屋、裁縫屋、素材加工、商業用の食料加工場、などさまざまな工場が立ち並ぶこの通りは、通称職人通りと呼ばれている。


 近隣住民ではなく、立ち寄った旅の冒険者や、ステラのような商人つながりの人間が多く利用している。職人稼業の冒険者たちが街や村を渡り歩き、最終的に行き着く場所もやはりここだとか。

 ここで製造、加工されたものは品質が高く、地方でも評判がよく――やはりというか、金額も高い。新人同然のステラが手を出すにはきついものがある。


 ちなみにアーティファクトの使用者は、討伐にしろ防衛にしろ、闘い中心の職種しか選べないので門下生になる道もなく、今のお店のお手伝いもランクに関与しない。

 人間、与えられた条件で成り上がるべきなのだ、そんなものなのだ。悔しくなんてない。


 普段はまんべんなく客が入っているものだが、今日は鍛冶、防具の辺りが繁盛しているようだ。店は複数あるのにそのどれもに人だかりができていた。

 今回のステラの用事は織物工場での発注と食品工場での追加購入。剣を使う身としては後ろ髪引かれる思いで前を通り過ぎていく。


 まず先に見えた織物を扱う工場の前で荷車を置き、遠慮無く中に入った。

 ごうごうと唸るような大きな音を出す銀色の箱が真ん中に置かれ、その周りで人がもくもくと作業をしている。

 中央の箱はステラの腰のものとは形も大きさも時代も違う、現在の魔法工学で生み出されたものだ。魔導コアと呼ばれるものを埋め込み、そこから動力を引き出している。

 じっくり観察したい気持ちもあるが、今は仕事中である。欲求を抑えて周囲を見渡すと見覚えのある、おっとりとした空気を漂わせる女性がいた。

 相談事を受けているようなので、離れたところから話す機会をうかがう。


「失礼します、商品の追加をお願いしたいのですが」


「ああ、ええとステラさん、でしたね」


 のんびりとした所作で彼女は振り返った。ステラがジーナから預かったメモを渡すと緩慢な動きで頷いていた。


「ジーナさんのお店も追加ですね? 今週は注文が立て込んでいまして急ぎは無理ですが、お祭りの前日には間に合うようにしておくとお伝え下さい」


「やっぱりそうなんですね。なんのお祭りがあるんですか?」


「毎年この時期になると闘技大会が開かれるのですよ。冒険者たちの腕試しにもなるって、好評だそうですよ。いろんな地方から参加者が集まって大賑わい、そして工場にも追加注文が立て込んで大賑わい……」


 女性はうつむき乾いた笑いが、彼女の疲れが、全身から顕われていた。


「……すみません。そんなタイミングで」


「いえいえ、かき入れ時ってやつですから。


――そういえば、ステラさんはそこの大型裁縫器に興味ありますか? ありますよね」

 入ったところを見られていたのか。女性の勢いに己の危険を感じ、首を縦には振らずこっそり距離を取った。


「興味があるなら使ってみますか? そして一緒にこの困難を乗り越えませんか! きっとあなたもここで、目覚めるはずです!」

 

 目覚めるって、何に! 私に何をさせる気なの! 引き攣った営業スマイルを浮かべながら、ステラは詰め寄る女性から更に距離取った。


「いや。私には他にも仕事があるので、あの、ここで失礼しますから!」


 上半身を腰から九十度に折り曲げて形ばかりの礼をして、そのまま振り返ることなくステラは出口へと走って行った。


***


 食品工場は職人通りに面する一番手前に受付・管理小屋があり、そこを抜けると倉庫が一望できる空間に出る構造になっている。

 大きな工場がどんと構えている訳でなく、複数の建屋が一カ所に詰められて高い柵で囲われている感じだ。


 警備の人がローテ-ションを組み、担当の倉庫を休むことなく監視している。中を見たのはジーナさんに連れられて職人への挨拶回りをした一回だけ。ここは裁縫工場と違い厳重である。


 受付の小屋に入ると筋骨隆々の男性にやあと声を掛けられた。


「ジーナさんとこのステラちゃんじゃないか。予備はあるから荷車は隅に入れておいてくれ」


「はい」


 工場は肉を取り扱っている場所でもあり、まるやき亭も贔屓にさせてもらっている。

 

 ステラは慣れた手つきで、荷車で扉を押し開けて小屋の端に置いた。受付の男性に、ジーナさんから預かっていたメモと銀貨二枚を渡すと、払った目印の札を代わりにもらった。これをもらう時は品物準備に大体一時間程度かかる。

 どう時間をつぶそうかと考え始めたところ、奥から切羽詰まった声が男性を呼んだ。


「すまん、ちょっと、いや大分時間がかかりそうだ。他を回っていてくれ」


……二時間かもしれないなあ。

ステラは鷹揚に頷いた。




 他を回れと言われても、挨拶回りした場所は用がなければおいそれと入れない。

 そして今日の職人通りに漂う鬼気迫る空気はあまり人が来ることをよしとしていない、気もする。


 覗けるところには限りがある状況。思い当たった先は、先刻見た鍛冶屋の光景だ。

 剣はどうだろう、人だかりができていたし多少ハードルは下がっているだろうし。知り合いじゃないけど品物を見るぐらいならいいかな? 店頭販売じゃなくて完全受注だったら他に行こう。そうしよう。



「あれ」


 軽やかなステップを踏んで鍛冶屋前に到着すると、その人だかりの中に知った人物を見つけた。栗色の肩までの髪に印象的な糸目。シオとは対照的な白いローブの女の子。手には身の丈程の木製の杖を携えている。中を覗こうと必死に首を伸ばす彼女は人だかりと一体になって揺れていた。


「マリアさん」


「あ、ステラちゃんだ、久しぶり-」

 

 マリア・ルヴァルディ。治癒魔法が特異な魔法使いで、ステラが新人冒険者としてギルド登録に来たときに出会い、案内を申し出てくれた過去がある。世話焼きというかお人好しな少女だ。入った時期が近いから、年が近いからと、その後も何かとステラを気に掛けてくれていた。ありがたみを表現するため、何回か彼女を拝み倒したことがある。


「裁定師団につれて行かれたって聞いたよ。無事そうでなにより。ステラちゃんは戦犯でもないし大丈夫だとは思ってたけどさー」


「うん、ありがとう」


 彼女は素直でその言葉尻からも安心にさせる成分がにじみ出ている。ジーナさんとは違った意味で彼女と話していると和んだことはままあった。



 鍛冶屋の人だかりから距離を置いたところで、二人はマリアが持っていたクッキーを頬張る。シオがいたら面倒くさいことになりそうだ。


「あ、そうだ。ステラちゃんに会ったら報告しようと思ってたんだ」


「なになに」


 マリアはもったいつけるようにゆっくりと、首から掛けていた紐をたぐり、その先にあった物をステラの眼前に突き出した。


「じゃーん。あたし、Dランクに昇格しましたー!」


 手の平サイズの板に、特殊なインクで刻まれたDの字に、ステラは手に持っていたクッキーを危うく落としかけた。


「人が喉から手が出るほど欲しがっているものを……でも、おめでとう!」


 悔しくなんてないんだから! でも泣きたい! 同じくらいにギルド入りしたって言っていたのに! 二つも上なんて。これが実力というものなの!


 ステラが世の中のヒエラルキーに思いを馳せていると、罪悪感が芽生えたのか、札をしまいごまかすように頭をかいた。


「といっても、今組んでるパーティーの人たちができただけなんだよ。前回なんてあたし治癒魔法かけてただけだし」


「へえ。……マリアは戦力差があるのに、組んだんだ」


「うん。しかもCとB」


 組んでからの昇格だから当時のマリアはEか。私だったら、足引っ張るからとか理由を付けて逃げそうだ。C以上は所謂一人前レベルだ。


「それで、今Dのお嬢さんは何しにここへ? 武器の調達?」


 拗ねた口調になってしまった自分を戒める。問われたマリアは気まずそうに目を逸らした。


「お暇なので街散策中」


「…………他はどうしたよ。例のチームメンバーさんは」


 マリアは斜め下に傾げわざと影を作った。重そうな空気だ、話題を変えた方がいいかな。とステラが口を開きかけたところで、マリアが「あのね」と漏らした。


「例の依頼、討伐依頼だったんだけどさ」


「うん」


 とつとつとしゃべる彼女の雰囲気にステラも声を落とす。どうしよう、真面目な話なのに、挟まったクッキーがとても気になってしょうがない。


「Bの人が、あたしを庇って重傷を負っちゃってさ。

そのくらった技も下手したら後遺症が残るって位そうとうやばくて、あたし一生懸命治癒したんだけどさ」


「……うん」


 マリアの話すトーンがどんどん落ちていく。ステラはつばを飲み込んだ。クッキーは取れなかった。


「一時的な麻痺にかかったみたいで、あたしその人を水魔法で囲って転がして逃がしたの。あ、攻撃魔法じゃないよ。防御魔法だから、害はないの」


「…………うん?」


 あ、クッキー取れた。


「それで、昨日女子に助けられるとは何事ぞって言って、自分を鍛えに一週間の修行の旅に出ちゃった。あの人がどこ行くのか見当もつかなくて、この街で足止め食らってる」


「…………」


 一連の流れに自分も含めて突っ込みが追いつかない。マリアの表情は影を作ったまま微動だにしないし、今話に突っ込んでいいのかも分からない。諦めて他の話をふる。


「えっと……ちなみにCの人は?」


「付き合ってられんって言ってどっかいった。こっちは定期的に集合場所に来てくれるから探さなくていいんだ」


 鍛冶屋の前の群衆が散っていく、その道すがらどんな空気を察したのか、二人を一瞥して去って行った。


「マリア、これだけは訊かせて? それは本当にチームなの?」


「これで各々チームって自覚しているんだから、本当不思議な巡り合わせだよね」


「……そうだね。あなたたちがそう思っているのなら、私は何も言わないよ」


 隣の鍛冶屋で鉄を打つ音が、やけに心に響いた。


「そういえば、あたしのことばっかだったけど、ステラちゃんはジーナさんの手伝いで来たの?」


「うん。そろそろ仕事に戻ろうかな。クッキーありがとう」

 

 少し土埃を被っていたワンピースの裾をはたき、職人通りを見れば、工場で働く小気味いい音が耳にすっと入ってきた。


「……じゃああたしも行く。暇だからジーナさんのお店までついて行って、景気づけにあそこの肉を食べてから帰る。ステラも一緒にお昼にしよう」


 お互いの顔を見合わせて、一緒に笑った。



 食品工場は数刻前と同じ男性が出迎えてくれた。けれど挨拶には元気がない。

 呼び出された件が上手くいかなかったと見て取れる。その逞しい肉体が縮こまっているようにも自慢の筋肉がしおれているようにも見えた。


「……嬢ちゃん、お帰り。荷車には乗せておいたよ」


「どうしたんですか」

 

 ステラの問いに彼は俯いて答えようとしない。代わりにため息を吐き、彼女から札を受け取った。


「……お隣の嬢ちゃんは付き添いかい?」


「はい」


「ならいい。二人で荷物を注意しておいたほうがいい」


 もしや商品が盗まれた……とか? いやいやまさか。 


 ステラとマリアは目を合わせ、二人して首を傾げた。人の出入りが多いから色んな思惑の人がいるだろうけど、この工場は警備が厳重な方だ。受付にがたいのいい人を起用しているのだってそこに理由がある。多分。


「……お察しの通り、食品がなくなっていた。誰の仕業か調査中だ。念のため、気を抜かないようにな」


 男は言い終えると大仰なため息を吐いた。「何で俺が担当の日に限って」と漏れ出た心の声は聞かなかったことにする。


「なんか、そこまで落ち込む理由は分からないけど、頑張れ」


 マリアが隣で彼に小さくエールを送っていた。


***


 帰りは二人がかりで荷車を押す。重さのせいで魔力の減りが早く、段々と重みを感じるようになってきた。

 運べないレベルではないが、マリアにも少し押すのを手伝ってもらう。


 乗せているのはミルクの瓶が三本、果物を詰めた箱が五個。

 荷車には布を被せ、簡単に奪われないよう紐で強く縛っていた。まあ倉庫ならともかく、この小さな荷車からわざわざ物を盗む可能性は限りなく低いと思う。


 荷車を引く私の今日の運が限りなく底辺だとか、じゃなければ。


 大通りを抜けて、幅のある二度目の脇道に入ったところで、マリアが異変に気付いた。


「ステラちゃん。なんかもごもごしてる」


「うえ?」


 振り返り確認すれば荷車にかぶせた布の、隆起した一部がうごめいていた。サイズは小さく、目視で子ネコほどだと判断する。果物を積んでいるし匂いにつられた小動物が紛れ込んだのかもしれない。


 タイミング的には大通りからだろうが、でも、どうやって?


「一緒に開こう」


「うん」


 荷車を止めて感づかれないように、静かに縄をほどいていく。二人で布をめくり上げたそこには、小さな耳としっぽの長い青い生物がいた。なめらかそうな体毛に覆われた、丸みのある体躯。女子二人も思わずかわいいと呟く。


 彼が変化に気付き顔を上げたところで、ステラは再び布で視界を覆い、ひっくり返して出入り口を紐でくくった。即興布袋の中で小さな体躯が暴れている。マリアがおぉと手を叩いた。


「やるねえステラちゃん」


「まあ、これぐらいのサイズなら」


 ばたばたと暴れる不格好な袋をマリアに託し、荷車を引く。先に見える白い道に出れば店はすぐそこだ。取り敢えず運び終えてから食べられたものなり、小動物くんをなんとかしよう。


「この子なんだろう? 精霊?」


「そうだったら罰当たりだね」


 精霊は一般的に人の集まる街に現われることはない。

 飼われている動物、にもこんな容姿の生物はいただろうか。

 

 実は魔物でした、の説は、そもそもこの街の出入り口に魔術結界が張られていることから、入り込むことがない。時間で弱まることもあり、絶対とも言い切れないけど。――うん。言い切れないな。


「あれ?」と漏らしたマリアの声に勢いよく振り返る。


「あ、いや。もごもごが止まったかな? って」

 

 ステラが確認するとマリアの抱える布袋は確かに動いていない。紐も結んだ形を保ったままでいる。

嫌な予感がしてステラも周りを見渡し、マリアの頭上に、それを見つけた。


 生物と同じ青色の人を丸呑みできそうな大きな獣の頭蓋。その大きな口をぱっかりと開けている姿を。


 ステラは荷車に乗り上げ全身を使ってマリアを押し出した。彼女たちの背後を青い頭蓋がかすめ、その勢いのまま地面に落ちる。

 二人の目の前で頭蓋は引きずられるように移動して、――本当にいつ移動したのだろう――中空に浮かんでいたあの青い生物の尾っぽを形取った。

 彼は荷車の上に静かに降り立ち、尾の数を五本に増やすと身体の色を消し、背景と同化する。


 二人は反射的に飛び退いた。

 マリアを後ろにステラが前に立つ。腰に差していた剣を抜き、息を沈めて様子をうかがう。消えた相手は単純に見て判断できない。なら別の方法はどうだろう。


 ステラが意識を澄ませば軌道の光線が視認できた。


 向かってくる光線を打ち返すつもりで剣を振るえば――頭蓋を弾くことも、できた。


 相手の頭蓋は透明のまま光線を描き、獲物にある程度迫ってから姿を顕わす。透明の間はものに触れることができないのかもしれない。


 立て続けに襲い来る頭蓋をアーティファクトで弾き返すと、それらは建物に打ち付けられ壁と共に崩れ落ちる。そして収納されてはまた攻撃に加わってくる。本体までは距離があり、頭蓋のせいで縮めることもできない。


「大通りまで下がろう」


「大通り? 今人がたくさんいるよ!」


「ここで闘ってても埒が明かないし、大通りは人も多いけど冒険者も多いはず」


「……そうだね、分かった」


 いつも通り、剣は変に曲がるけど的が大きいせいか外すこともない。とにかく今はこの場をしのぐことを優先しよう。ステラは攻撃を弾きながら徐々に戦線を後退させていく。マリアもステラの目の前に守護用の水球を展開し、相手の勢いを落として援護をした。



 二人が大通りまで行き着くと、飛来する頭蓋に、事態を察した人々が四方に散らばって行く。その場に居合わせた冒険者たちも目論見通り援護しようと集まってきた。


「街中になんで魔物がいるの!」


 遠巻きに見ている人たちの中から甲高い声が上がった。大通りが騒然となる。声に呼応するようにステラの心臓が激しく脈を打った。


 ――たくさんの人が見ている。ちゃんとやらなきゃ。


 思った途端、身体の中を激しい嗤い声が反響した。


 手元から這い上がってくる異物感、胸を鷲づかみにされる感触がステラを襲う。


 ――さっきまでなかったのに。


 訊くものを震え上がらせる笑い声に、今日は一段と激しく甲高い響きが混じっていた。大音量で奏でられる不協和音に気が狂いそうになる。


 ――集中して、マリアがいる、色んな人が味方についてる、きっと大丈夫。

『今まで好んで一人で闘ってたくせに?』


 深呼吸をして、襲い来る頭蓋を弾き返していく。取り囲む人の目が心に刺さる。はっきりしない輪郭だけの人垣が、赤い空に浮かんだ黒いシルエットと重なった。


「ひ――」


「ステラちゃん大丈夫?!」


 ステラの様子を察したマリアが駆け寄ってきた。心配そうに肩に触れようとする少女に、――ローブを羽織った人間に――身体が拒絶反応を示した。

 ステラにはじかれマリアはバランスを崩し尻餅をつく。


「あ、ごめんっ」


「ごめんごめん、驚かせちゃったか」


「本当に、ごめんなさい……」


 あんな夢を見たからかもしれない。

 今朝方シオも精神的な面で不穏だと言っていた。さっきまで気持ちがよかったからか、すっかり忘れていた。


 声が、心の奥底に沈めていた黒々とした感情を引っかき回して、吐き気がする。これ以上はまずいと手を放せと頭が警告を出した。


 冒険者たちが参戦すると、ステラたちが動くまでもなく、青い獣は勢いを落としていった。尾は切り落とされて地面に無残な姿で転がっている。

 息が苦しい。気持ち悪い。もう、私抜きでも大丈夫だよね。私がいなくても、別に。


 そう思った矢先、状況に変化が起こった。


 劣勢になった魔物の本体が、散らばった尾を食べ始めたのだ。


 瞬く間に何倍にもふくれあがった身体には分厚い鱗のような板が張り付いている。

 剣呑な空気の中対峙する魔物と冒険者勢。

 身体を重そうに引きずる魔物は一向に攻撃を仕掛けて来ようとせず、ただじっとこちらの様子を伺っている。


 冒険者の剣士が慎重に近づき、間合いに入り全身の勢いを乗せてよく大剣を振るった、が、剣は甲高い音を立てて弾かれた。


 冒険者たちが一斉に距離を取る。


 魔物の大きく青い瞳に視られ、ステラは身を震わせた。


 ――来る。


 魔物がその驚異的な跳躍力を見せつけるように跳び上がり、ステラを押しつぶそうと身体を大きく反らせた。


 動けば避けられるのに、身体が言うことをきかない。


 いや、動かせない、ということにこの土壇場でステラは気付いた。


 手が自分ではない、誰かの力によって動く。足もその場から一歩も動くことはなく、迫り来る巨体をその細い剣で弾いた。


 ステラの制御下ではありえない威力にステラ自身が戸惑う。何が起きたのか分からない、理解できない。

 脳から離れた四肢から、じわりじわりと浸食されていく感触がある。手が使えなければ剣を放すこともできない。今の一撃は重量すら感じなかった。感覚も乗っ取られているかもしれない。


 ――誰かに遊ばれている、恐怖心がステラの感情を占める。


 弾かれた魔物の身体は建造物に叩き付けられ、崩れた瓦礫に埋もれた。中の人はすでに避難していたが、そこにあったはずの温かな空間が、残骸に埋もれ悲惨な姿を晒している。

 小さな子供がこらえきれず泣き叫んだ。


 ゆっくりと痛みをこらえながら起き上がる魔物から、板が数枚はがれ落ちた。視線は泣き叫ぶ子供を追う。


 ――駄目、助けなきゃ。

 

 それでもステラの身体は言うことを効かない。心の声を無視し、身体は魔物に向かって攻撃を仕掛ける。

 自分が獣になっていく感覚。本能に忠実に、目の前の『敵』を串刺しにせんと刃を向ける。


『自身を否定するモノ=敵対するモノ』

 そんな等式が頭の中ではじき出され、なにより思考回路を音として捕らえているステラは戦慄した。


 子供の目前で青い獣の攻撃を弾き返すと、身体は旋回しその目は恐怖で固まった子供を映した。剣の切っ先を認めた子供はステラに僅かな恐れを抱いた。


『自身を否定するモノ=敵対するモノ』繰り返される暗号に従うように、勢いを殺さぬまま剣は子供の首へと振り下ろされる。


 ――やめてやめてやめて!


 間一髪のタイミングでマリアが飛び込み子供を凶刃からかっ攫う。

 壊れた機械のように首を傾げ、味方と認識していたマリアを、共存する誰かの思考は『敵』と判断した。


 ――お願い、やめて、止まって、言うことを聞いて!


 意志に反して、ステラの顔は至極の笑みを形作る。

 マリアや冒険者たちが目の色を変えて、異質の空気を放つステラへと刃を向けた。


『ステラは欲しかったんでしょ。奴らが認めざる負えないほどの力が。さっきの見てた? 大きな『敵』を吹っ飛ばしたの』


 甲高い方の声が、霧散しかけていたステラの意識に語りかけてきた。

 落ち着かせるように優しく頭を撫でられている感触がある。恐怖で振り払うことができない、いや、そもそも身体はステラの意志に関係なく、動かされている。


 許されているのは自身の身体に巡るおどろおどろしい、気体とも液体とも固体ともとれないモノに翻弄される心を保つことだけ。


 マリアは戸惑いを露わにステラに駆け寄ろうとしたが、冒険者たちに引き留められていた。二人の間を阻むように、冒険者が立ち、武器を構える。

 さっきまでの味方が完全に『敵』に切り替わった。


 制御しきれなくなった感情が、視覚をゆがませた。


『ねえ『敵』がいっぱいだよ? ねえ私に任せて? 全部全部壊してあげるから。

だってだって私は、ステラの味方だもの。怖い物なんてもう何もないんだよ』


 味方? 全部壊そうとしているあなたが?


 ――今この口が動かせたなら、あなたを嗤ってあげたことでしょうね。

 ステラは心の中で歯がみした。


 確かに過去、私は家族に、村の皆に認められたくて、大きな力を持った『あなた』に助けを求めた。

 力があれば見下されない。人の上に立てるんじゃないかって思っていた。いつだって優位に立てないことが悔しくて、他人を『敵』と見ていた自分も確かにいた。だから他人の視線を怖がって、遠ざけていた。


 言っていることは正しい。でも、この子は完全に狂っていた。狂っている。

 今この時を、この子に任せてはいけない。


 理性がステラを奮い立たせようとする。けれど身体がついてきてくれない。異物に浸食されたままだ。


 恐怖に彩られた周囲の視線に、身体が反応する。弱った精神につけ込むように、浸食が進む。これをどうにか止めなければならない。


 このままじゃ、ここにいる皆を巻き込んでしまう。

 そうしたら、私は今度こそ……。

 今度こそ……?

 ばちんと、脳内で爆ぜた音がした。


 ――馬鹿みたい。

「今度こそ、見捨てられるって? 今更、何甘えたこと言ってんの?」


 誰に言うでもなく、ただ心の内が出した結論にステラは自嘲した。

 おかげで渦巻いていた恐怖心が一気に晴れてしまったと、その少女は不気味な笑みを作る。ステラを支配していた声も今は事態の静観を始めたようで、勝手に動いていた身体は静かに動きを止めた。

突然止まったステラの様子に、それを隙とみた青い魔物は彼女に狙いを定めて追突してくる。マリアが水球で動きを鈍らせても、異変に気付いた冒険者たちが動き始めても、


 そもそも、逃げる気のない彼女には意味も無い。

 剣を伏せ、目を閉じ、大人しくなった声に語りかけていた。


「戦闘中に何を見ているか。ああそうだね。私は他人を見ていたよ。


 村の中に私の味方はいなかったから、全部全部敵だと思い込むようにしていた。

そうした方が楽だった」


 あんたはそりゃ嗤うだろうね、私も今なら笑えるかもしれない。


 魔物は大口を開け無抵抗のステラを丸呑みにする。周囲で悲鳴のような甲高い声が上がっていた。想定していた痛みは全くなかった。


『そのまま死ぬつもりか?』


「それは御免被る」

 

 声に応えながらステラは目を開き辺りを見回す。魔物の体内は空っぽで、液体が上部から滴っているだけ。触れれば身体が溶けるわけではなく、代わりに魔素が奪われるようだ。

 緩慢な動作で立ち上がり、ステラは剣を口内へ突きつけた。不思議な弾力がある。


「あのさ。私、村ではひどい扱い受けててさ、魔法の才能なしと知られてからもっとひどくなったんだよね」


『知っている』


「もう絶対に帰りたくなくてさ、だから外に出られて、街に来られて嬉しかった。できれば皆の役に立ちたかった」


『これから、どうするつもりだ』


「魔物の身体を結界代わりにして、今流れている力をこの場に出す」


『……もう一度問おう、死ぬつもりか?』


「ノーコメント」


 いつも騒がしかった声は、少し落ち着いて響く。もう一つの高い声は全く反応しない。でも、もうどうでもいい。身体を動かす権限が戻るなら、それでいい。

 体内の浸食物は溶解液に何度も流されながらも剣から補充され充填される。身体の浸食自体は収まらないまま、むしろ外へ出せと暴れ狂っている。


 『暴走』は止まらない。

 溜まった力がどんな影響を及ぼすのか、自分には分からない。

 だからこそ、自分で自分を動かせる間に可能性を試したい。



「ねえ、ステラ・エルネラ。私は、ちっぽけなあんたが誰よりも大切で、誰よりも嫌いだった」



「最期ぐらいはさ、ちゃんと皆を見てから逝こうよ」



 魔素の位置を把握し、全身を巡る膨大な量に笑いが出た。こんな量、きっと最初で最後だろう。

コントロールの正しいやり方なんて知らない。ただ、今は、意志を持って暴れ回るこれを行きたい場所に行けるように道を作ればいい。


 剣を魔物に深々と突き刺す。おどろおどろしい異形の魔素の大群が剣を伝って体内に流れ込み、魔物の全身に行き渡った。

 魔物の身体の各所で爆発し表皮がぼこぼことふくれあがり、ついには母体が耐えきれなくなって、その姿を霧散させる。

 魔物だったものの破片が飛び散る中、衆目を集める少女は悠然と立ち、その剣の切っ先を自分に向けた。

 力を再補充するその前に、使用者が消えれば、きっと最悪の事態は免れる。


 こわごわと前を向き、


 しかし目前に立つ青年に手を引っ張られ、


彼女の思惑は簡単に破られる。


 静まっていた心が動き出し、剣を伝って充満した力が体内で再び暴れ始める。制御が取れないステラの身体はバランスを崩しその人物に向かって倒れ込んだ。




涙で濡れた視界に映ったのは、仲間の青年と、黒い黒い集団だった。


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