0ー3 その名はエルネラ 前編
予想以上に長くなってしまいました。
読みやすさからどんどん離れていっている気がしてならない。
半分以上、理論回です。
(10/23)挿絵挿入。何故か0話より先にできあがってしまった(’・ω・`)
主人公不在。
(10/29)加筆、修正
赤く染まる夜空に白い月が昇っていた。
鬱蒼と茂る森の中に、ぽつりと白くて大きな監獄のような建物が立っている。
風も吹かない、生気の無いその場所で、銀髪の少女は魔法使いに囲まれていました。
かつて、彼女はその建物に住んでいました。
かの家の原点となったのは、およそ百年前の建国時代に生きていた魔法使い、エルネラ嬢。少女の生きるこの国を興した英雄チームの一人でもありました。
その家、エルネラ家は魔法使いの大家として今もなお、彼らの頂に君臨し、魔法使いならば誰もがその名を知り、彼らの象徴的存在でもあると言えました。
エルネラという、その名を受け継いだ通り、全属性を扱うことができる魔術の天才の直系の家でありました。
現代、天才の血を継ぐ少女、ステラ・エルネラも将来有望の魔法使いでした。
特に英傑エルネラと同じ、銀色の髪に深い青の瞳を持ち、とても聡明な少女は誰もが、かのエルネラの生まれ変わりと信じて疑わなかったと言います。
彼女は努力も怠りませんでした。
成績もとても優秀でした。
奢ることもありませんでした。
――けれども、ある日魔法使いたちは気付きました。彼女に魔法の才はなかったのだと。
だから、努力を怠るはずもなかったと。
成績は常に最優秀を取らざるを得なかったと。
他の魔法使いたちに対して奢るわけがなかったと。
以降。どんなに素晴らしい成果を出しても、彼らは魔法の使えない彼女を、誰も認めようとはしませんでした。
エルネラ家の人間も、村に住む魔法使いたちも、いつしか彼女を「エルネラ家の落ちこぼれ」と称しました。
魔法という名の力を持たない可哀相な子。
才能なしにエルネラの名は重すぎる。
そして次第に憐憫は嫉妬の色を帯びていきました。
……力のない子より、力のある我が子が村にも国にもふさわしい。と。
――だから、私が『それ』を使えると知ったとき、そんなことをしたのですか?
――魔法の使えない私が、危険だと思ったからですか?
――私がしてきたことは、努力は、全てが間違いだったのですか?
少女は魔法使いに向かって叫ぶと、両手で顔を覆いその場にうずくまりました。
――ステラ・エルネラはまだ、あなたたちが、理解できないでいます。
***
「おーい、ステラさん。聞いてますかー」
やけに間延びした声に、ステラは我に返った。
一筋の陽光が射す向こう側で、小さな影が呼んでいる。窓から吹き込む心地よい風が、醒めた意識に染みこんできて、外のまばらな足音や小鳥のさえずりが耳朶に響く。
木製一人分の小さな部屋でステラとシオは向かい合っている。
ジーナのまるやき亭で一晩を過ごした二人は、後に店の手伝いをするという約束で、午前中は間借りした部屋で勉強会を開いていた。
シオは彼女の前で魔法で作った青いまな板サイズの板とペンを自在に操り、意気揚々と教鞭を振るっている。
今日の授業。題して「魔法基礎とコントロール術」。
ステラは魔術の理論なら理解しているつもりだったが、長らく座学に触れていなかったせいか、基本のキから全く思い出せなかった。故にかつての優等生らしく今日は真面目に大人しく聞いていた。
大人しくしすぎて、ぼんやりと別のことを考えていても、シオはしばらく気付いていなかった程だ。
――今もエルネラ家いたなら、なんて言葉が頭をよぎり首を振って打ち消した。
多分聞いたら思い出せる。きっとそんなもん。
ステラは、今冒険者として、国のお膝元にいる。
それを確認して思い直して、目の前の板を見据えた。彼の字からは几帳面さが窺える
……そんなばかな。
「おーい」
「あ。すみません、頭が寝てました」
「朝からそんな感じですが、具合でも悪いんですか?」
ステラはゆるゆると首を横に振った。
「夢見が悪かったんです。つい、それについて考えちゃって。もう大丈夫です……講義を続けてください」
それにしても、昔の夢を見るとは。ステラは深くため息をついた。
シオはステラを窺い、大人しく板を見上げたのを確認して、では、気を取り直して、と咳払いをする。
「魔法は血筋や才能がものを言います。これは魔法を使わなくても誰でも知っていることですね」
ステラはゆっくりと頷いた。血筋、才能。何度も聞かされた言葉が、今のステラの心に重苦しく響く。
「というのも。魔法を発生させる種のようなもの、所謂『魔素』と呼ばれる物のコントロールに直結するからなんですね」
小さなシオが小さな板を複製し、文字を書いては上へ横へと並べていく。授業の内容がすぐに確認できて中々便利だ。
――あの板、後でまるごともらえないかな。
筆記用具を無駄にできないので、ステラは内容をひたすら頭にたたき込んでいた。何だか貧富の差を感じる。実際には魔法が使えるか使えないかの差だが。
「魔法使いは通常、体外にある『属性を保有する魔素』を使って魔法を起こします。闘いに使う大型のものは呪文のような“きっかけ”が必要ですが、小さなものは体内の生命活動外の予備の魔素で形成できます。無詠唱の人は割とこっちを使います。ステラさんのような魔法剣使いもこっちですね」
視覚的にすればこんな感じ、と言ってシオは手の平をステラに見せるように出す。彼の手元からその一部から水分が湧き出るように波打ち、分化した青い小さな粒を空気中に放り出すと、今度は光を放ちながら彼の手の平の上に集まり、拳サイズの水球を作り出した。
「大気中には基本の四属性がまんべんなく存在していていますが、体内に循環しているものも全属性分あるのですが、予備分の魔素配合率によって属性や威力に差がでます。また、それらを感知するのは先天的な素養ですね。
どちらにせよ、感知できなければ使うもへったくれもないという話ですが」
シオは火の球、風の球、土の球を次々作り出し、トスジャグリングをする。青、赤、緑、黄の四色がコミカルに飛び跳ねるので、賑やかでちょっと楽しい。
「器用だね」
「ありがとうございます」
彼は照れくさそうにお礼を言うと、手を叩き、全ての球を消した。
「まとめると。一般の人が言う、魔法に適性がある、又それに値する血筋や才能というのは――魔素を感知し、それに働きかける力、もといコントロールする力があること。そしてそれらを感覚的に理解しているということです」
「そこらへんは常識ですね」
「そうですよね。理解が早くて助かります」
シオはにこにこと微笑みながら板書したものを一枚にまとめ、横にずらす。
では常識ついでに。と新しい板を出して式のようなものを書き始めた。
魔法の素養=
魔素感度(前提条件)+魔素管理能力✕{魔素保有量(体内全魔素量-体内変換用魔素量)+魔素親和性}
鼻歌を歌いながらリズミカルに書いていくのはいいのだが。その頭から表出されるのは聞いたことのない文字と数式の混合物。頑張れば理解できなくもなさそうだが、現在脳が上手く処理できていない実感がある。
ステラ脳にとって、知らない単語は暗号であった。
――さては、いきなりレベル上げたな、こいつ!
「ちょっと待って! それは常識の範囲内ではない!」
「え! そうですか? すみません……。うーん」
生き生きと板書していた手を止め、彼は俯いた。多分説明を考えてくれているのだろうが、怒られた子供の姿を彷彿とさせるそれは心に痛い。
でもこんな式、昔あったかなあ? とにかく今の私は処理が追いついていない。もう少し簡単に頼みます。先生。
「そうですね……簡単に言い直せば、」
念を一心に受けるシオは顔を上げると、眉間に皺を寄せたまま、文字式を板ごと消して、更にうなりながら新しい一枚に板書をし始めた。書き終えると心配そうにステラの様子をうかがう。
魔法の素養=
『魔素』の場所を感じ取る力+『魔素』を操縦する能力✕自分が扱える魔力総合量
「後半、大分省略されましたね。これならなんとなく分かる。大丈夫。ありがとう」
シオの顔が一瞬にして晴れた。
「――って感じです。理論値ではMaxが破格の1400。通常はこれが500以上が適正ありとされています。ものすごい値ですけど、適正のあるなしは割と数値の落差も激しいです」
彼の話に脳に簡単に入ってくる感覚を覚え、やったことなくもないかな、と思い始める。一度その結論に至れば、当時の内容はここまで詳しくはなかったことや実践中心ということまで思い出せた。故郷を出てからそこまで日は経っていないはずなんだけど。ちょっと忘れすぎやしないか? ステラは頭を小突いた。
考えている間にシオがちょこちょこと近寄って来て、ステラのおでこに手を当てた。目が合うと彼はにっこりと、子供のくせにいっちょ前に絶妙な塩梅で彼女に微笑む。
「ついでにステラさんの値を測っちゃいます。ちょっと動かないで下さいね」
言われた直後、少し冷たい冷気が身体の中を通過する感覚があった。不快感もなく、割とあっさり通り抜けて行く。
昔計測したときとイメージが違う、気がする。ステラはエルネラ家で測定されていた当時を相変わらずぼんやりと思い返し、芋づる式に、生徒たちの前で公開された時の映像まで思い出して、苦い顔をした。
「……確か私は200台だったはず。評価は適正なし、常人」
「あれ。ご存じだったんですか」
測定を終えたシオがあっけらかんと言葉を返す。多分記憶は当たっていたのだろう。
自分の才能は相変わらず。ステラの気分が落ち込みかける。今更魔法の専門家にはなろうとも思わないけど。
「では、その内訳は分かりますか?」
問われてステラは本日何回目かの記憶探しの旅に出た。
「そういえば、誰も教えてくれなかった。はず。学校でも実家でも適性がどれ位あるか、またはないか。それだけだったから」
ステラが首を横に振るのを見て、シオは板書を始めた。
魔素感度50+操縦する力10✕魔力総量((32-12.6)+取り込む量0)=244
「基本的な魔素保有量が少なく、自分から取り込む力は皆無。魔法を使うと主体の健康や精神に影響が出やすいため、適正なしとされるパターンですね。
感度が高く、扱える技量は元から備わっていると判断してもいいでしょう。個人属性は風……もしや」
シオはステラの横にひっそりと置いてある『それ』を一瞥した。
「アーティファクトは魔法武器だといっても、それなりの重量があります。
ステラさん。実は重さを軽減するために風魔法をこっそり使っていませんか?
まあ、日常魔法ですから、それぐらい些細なものなら意識していなくても無意識で作用している可能性もありますが。
……ともあれ。使っていたのなら、戦闘中振っても当たらないのは多分『それ』の魔力がステラさんの操作をいじっているせいだと思います。後で確認してみて下さい」
「……『それ』はあまり重くない、パワフル遺物だと思っていました。私、無意識に魔法を使っていたんですか」
「仮定の話です。
ちなみに、アーティファクトは使用者によっては声が聞こえて、更には意思疎通もできるそうですよ」
彼に声のことは話していない。知ったら嬉々として詮索してくるに違いない。そう確信するほどに、声の話をするシオは上機嫌だった。
「あと、色々ありますが取り敢えず置いておいて。今回やりたいのは制御ですから……」
自分が板書した数字をじっと見つめるシオ。常人と判断されたステラだが、多分その値は世間一般の常人ジーナより低いのではなかろうか。ステラの忙しない視線がシオと板の間を行ったり来たりする。
「見ておきたい数値はここ、管理能力。――段階評価の数字で式ではあまり出てきませんが――この値がMax15の内の10なので、そこそこあるという判断になります。
これでアーティファクトを制御していきますから、多分大丈夫なのではないかと」
「でも相手は高火力のアーティファクトですよ?」
「今の状態では正直きついと思います。ですから多分です」
「うう」
「続けますね。アーティファクトは使用者の体内魔素の方が親和性が高い――えっと、波長が合いやすくて――体外ではなく、体内の魔素量に合算します。現段階では、戦闘中のステラさんの魔素保有量は平常時とは別にそれらの合算値で考えないといけないわけですね」
シオがまた新しい板を出して数字を書き出す。今日で何枚目だろうか。
「ちなみに管理能力から導く使用限界値より、一回の攻撃で使う魔素量の値が上回ると、皆さんが言う、暴走を起こしますね。
平均保有量が100越えのアーティファクトが暴走を起こすのは、大体この戦闘時の魔素値が原因です。
当然と言えば当然、力に呑まれるとはよく言ったものです。
体内の生命活動に使っている分まで同調して、下手すれば乗っ取られます」
「うぇ……」
あの声の主に飲み込まれる想像をしたら、変な声が出て、慌てて口を覆った。
「……あ、そうだ講義を続ける前にちょっといいですか。実はこの暴走に関して、昨日の一件を観察していて気がかりな点がありまして」
シオの紫の瞳がステラを映す。その真剣な眼差しに息を呑んだ。
……が、あくびをこらえている顔だと気付いて力が抜けた。
緩い環境にたちまち小鳥のさえずりが迷い込む。
「ええと。今のこの状況が続いていたとなるとステラさんがその剣を手に入れてから、ずっと暴走の危険がある状態だったと考えられます。……『それ』が思っていたより友好的なのか、別の理由があるのか、ステラさんは何か思い当たることありますか?」
――友好的? あれで? あり得ない、とステラは首を振った。
今思い出しても鳥肌が立つ、こちらを見下したような嗤いには、好意的な感情を欠片も感じない。
だとしたら、理由はもう一つの方だろうが、『それ』を手に取った頃の記憶は時期的に、赤い空の記憶と重なり、頭が勝手に拒否反応を示して思い出しにくい。
「友好的、ではないと思います。他の理由は、あったような気もするんですけど、判然としません。あまり思い出したくない過去にあるもので……」
「そうですか」
シオの返しがあっさりとしていて、ステラは安堵の息を漏らした。
「できれば知っておきたかったんですが……一魔法使い的には、あまり主体の精神に負担をかけてもいけません。
取り急ぎ、コントロール術だけでも習得しておきましょう」
シオが手を叩く。すると今まで浮いていた板が消えて、二回り大きくとげとげしい板が彼の頭上に現われた。中々インパクトのある形だ。
「というわけで。ここで僕の友人が最期まで研究していた理論の登場です」
のんびりとした雰囲気を一新するように。全身を広げ、誇らしそうに鼻を鳴らした。とりあえずステラは手を叩いてみる。
……だが彼が一向に動こうとしないので、結局手を叩いて観客に徹していたステラから切り出すことになった。うん。昨日もこんなことがなかったか?
「えっと、昨日言っていた策ですね」
そうです! と言わんばかりに彼は上げていた両手を腰に当てて、ふんぞり返り、もったいつけるように間を置いて垂直に手を上げた。
「そうです! ずばりその名前は、…………あ」
――今度はなんだ!
ぐだぐだしてきた空気に穏やかな風と子供の笑い声が割り込んできた。
「今度は。どうしたんですか」
「研究段階だから、名前まだ決まってないんでした」
板が彼の落胆と共にその背後に落ちた。
――心底どうでもいいな! でもそんな気はしてた! ステラは物理的に肩を落とした。
「名前はまだでもいいじゃないですか。それよりもまだ研究段階なんですね」
「そうなんですよ。裁定師団に提案しようとしても、そんな理論だけの証拠がないものを認められるか! って門前払いでした。――中身がないならいっそ形からと思って!」
「いや絶対そういう話じゃない。……でもちょっと待って下さい。実際に使ったことない理論なんですか」
「当たり前じゃないですか。僕は使用者ではありません。実験データなんて集められません」
「いやそうだけど……」
でもそれを使って大丈夫なのか。机上の空論というやつではないか。使うのはアーティファクトだし、失敗していたら大惨事だぞ。
「――他の人にも協力してもらおうと進言したんですよ? でも皆同じこと言います。危険だからって。……絶対に、大丈夫なのに」
すっかり勢いを失ってしまった少年に少しだけ罪悪感が目覚めた。話だけでも聞こうではないか。上手くいくなら私にとってもうまい話だ。
「ちなみにどんなことするんですか」
「まず、使用者とアーティファクトを同調させて、」
「無理です」
「うー」
今さっき一緒に危険を確認したばかりじゃないですか。油断したらすぐ無茶を言う。
「昨日から思っていたんですが、シオさんは危険性を理解していますか? 一回でも暴走させれば目も当てられない、生きていられるかすら分からない大惨事を起こすんですよ。
シオさんだって傍にいたら死ぬかも知れません。
自慢じゃないですけど、私には、その、実力は、そう……ありません!」
誇って言うことでもないが、あえて胸を張ろう。私は危険だ。室内にびんびんと響き渡る悲痛な叫びの余韻を肌で感じる。言いようのない切なさに打ちひしがれているステラ。そんなことは意に介さず、シオはふくれっ面で彼女を見上げた。
「うー。でも、それならなんで、そもそも使おうと思ったんですか!」
「それは――」
恨めしそうに睨むシオに、ステラは口ごもり視線を真下にを逸らした。
たまたま選ばれたから? 力が欲しかったから? 違う。
ステラは口を横一門に結んだ。
きっかけはその根底にある、嫉妬に近い、もっと淀んだ感情だ。暗い奥底で今もぐるぐると渦を巻いているこれのせいだ。
黒々としたそれを直視するのを諦め再び前を向くと、夢に見た影が何故かシオと重なってその姿はぐらりとゆがんだ。動揺すると情景の認識ごと変えて非常事態だと喚く自分に嫌気がさす。
ひどく波打つ心臓に手を当てて落ち着けと命令する、小さく深呼吸もする。
異変に気付き、近づいてきた彼がステラの肩に触れると息が止まりそうになった。
けれどその彼から流れ込んでくる冷気が、彼女の止まらない緊張を鎮めていった。
「アーティファクトは敵ではありません。みんなが思うような危険なものではないんです。絶対に」
冷たいけれどとても安心感がある。心臓も落ち着きを取り戻していく。
ほっとした様子のステラを確認してシオは満足そうに頷く。
そして今度は、何を思いついたのか、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「どちらにせよ。現状、ステラさんには拒否権はないのです」
「ええと、今度はどういう意味……あ」
理由は昨日のことにある。
ステラは名目上猶予期間を与えられている身だ。彼の管理下で制御できるように勤しむ義務がある。今回の提案を拒否すると、すなわち違反となり黒服集団の中へ逆戻りだ。
――安心したらすぐこれだ。感動を返せ。
今度はステラふくれっ面で真横を向いた。
「……では一年後くらいに結論を出します」
「えぇ~」
「ふふふ」
再びぐだぐだとした空気が流れてきたところで、この場に似つかわしくない快活な声が割り込んできた。
「ステラ、シオ、そろそろ手伝ってもらえるかい」
部屋を覗くと、二人が同時に向いたのでジーナさんは眼を瞬かせた。
「残念。続きはまた後日ですね」
「そうですね。そうしてもらえると、私も助かります。――粘られても私は折れないからね」
三人の間で沈黙が流れる。通りかかった吟遊詩人が語る、長い長い時間の冒険者の話が、部屋に割り込んできた。
「……まあ。どちらにせよ、今日はステラさん精神が不安定なのか、体内の魔素が不穏な動きをしています。今日はここまでにしましょう。あと念のため、今日一日だけでもその剣を抜かないようにしてください」
「ふふふ。はーい」
この間。話の読めないジーナさんはただただ首を傾げていた。
「ステラはいつもの場所に買い出しに行ってくれ。シオも、まあ一通りの手伝いはできるだろう。何にしようか」
「今晩のクッキーを得るためならなんでも」
問われたシオは両手を上げて丸を作り全身で主張する。真剣な表情からは純粋な欲求しか読み取れない。ジーナさんはからからと笑って頭をなで回した。
「男の子だし。もう少し大きかったら力仕事でもなんでも頼んじゃうんだけどねー」
「大きかったらいいんですかあららら」
頭を振り回されながらも正確に聞き取ったシオは、彼女が手を離すと瞬時に青年の姿をとった。
その姿を出せばお菓子をもらえないのではと、ステラは思ったがジーナさんは「こりゃ驚いたね」と感心するだけで大丈夫そうだ。
先に小さい方で自己紹介して印象づけておけば、後で変わっても問題がないという訳か、策士め……いやそもそも小さい方が本体だったか? 生態が謎すぎてちょっと混乱してきたぞ。
ジーナは青年シオを隅から隅まで観察すると、満足そうに頷いた。
「面も悪くない。一応の清潔感もある。客前に出しても問題なさそうだ。よし、今日は表型中心でいこう。あとで服を渡すよ。――ちなみに私が満足する成果を出したら」
「出したら?」
「追加でおやつを作ってやろう」
青年シオの瞳がこれでもかと開かれた。
続けて選手宣誓がごとく手を垂直に上げて堂々と口上を述べる気配がしたので、ステラは身構える。
「――全ては、糖分のために!」
「どんな合い言葉だ!」
二人の掛け合いにジーナさんが大声を上げて笑っている。シオは不思議そうにこちらを見ている。
どうしても突っ込まざるにはいられなかったこの心境を、誰か察してくれ。
***
目的の店はまるやき亭から大通りを挟んだ向かい側にある。買い物メモを確認すると重いものがいくつかあったので、ステラは二人と別れた後、軽い身支度を済ませて店の外に出た。店の横から小型の荷車をごろごろと引っ張り出す。
ステラが買い出しに出ることはままあった。中には荷車を使う機会もあったが……今思えばこれにも魔法を使っているのかもしれない。
感覚はないが手元に意識を集中させると、案の定微量な反応があった。腰に帯刀している『それ』を手に持つと、とても微弱だがこちらも反応がある。ちゃんと魔法の反応がある。
「手に持つときだけ反応して、しかも重さでその強さが違うのか。なんで今まで気がつかなかったんだろう」
自分が微妙ながらも使っている。通りの笑い声につられて顔がほころぶ。店周りの地面が日光を照り返してまぶしく輝いている。全身が軽く、高揚しているのがしっかりと分かった。
「私、単純だな」
頬を軽く叩いて、落ち着けるよう息を吐いた。今度は割と素直に言うことをきく。
荷車を下ろし、一端店出入り口の窓から覗くと内側のレストランと宿屋のカウンターが合体したダイニングでシオが働いている姿が見えた。
彼が接客できるのか心配していたが、客と談笑しているようなところから、順調なことが窺えた。意外だ、と思ったことは胸の内に隠しておこう。
ステラは勢いよく戸を開けて、シオとカウンターのジーナさんに手を振った。
「では行ってきまっす!」
二人がにこやかに手を振り替えしたの確認し、ステラは颯爽と出て行こうとしたが、
そのすぐ横の、思わぬところから声がかかった。
「ステラ嬢ちゃんじゃないか。なんだ、まだいたのかい」
その男はジーナの常連客のひとりだった。初老に差し掛かり皺も増え、筋肉質で逞しかった腕は今は力なく垂れている。手伝っていた頃何度か顔を合わせていて面識もある、彼は今日は朝から呑んでいたようでいつもより顔が赤い。
彼の鋭い眼光にステラは悪寒がした。
「裁定師団に連れて行かれたって聞いて、終わったと思ったんだが、まだジーナの脛かじってんのか? しぶといねえ。一人立ちできる実力がないなら、さっさと実家に帰った方がいいんじゃねえかい?」
彼は店内によく響く声で豪快にステラを笑った。他の客から思いも寄らぬ形で視線を集めてしまったステラはただ苦笑を浮かべるしか考えつかなかった。
一転して静まりかえった店内のその奥で、シオは状況を冷めた目で見渡し、カウンターに寄りかかり、こっそりジーナに話しかけた。
「変ですね。友好的な態度とは裏腹に、言葉には悪意しか感じられません」
「……あの人も昔は腕の立つ冒険者だったんだがね、任務の途中で大けが負ってさ。新人冒険者に絡むこともたまにあるんだ。普段はもっと考えて話す方なんだが――今日は酔いがひどいね、まだあまり呑んでいないはずなんけどね」
「ふーん」
ステラと男を見比べて、シオは静まる客の間を抜けていくと、音もなく二人の間に入り男の方を威圧するように立った。
一方、闖入者を推し量るような眼差しで彼はシオを見上げた。
「なんだい兄ちゃん。見ない顔だな。もしやあんたも居候か。つくづくジーナも運がないな」
「……」
シオは何も言わずに男を観察している。男はシオの態度にいらだちを見せ、貧乏揺すりを始めた。
「おい、あんた給仕だろう。ちゃんと職務果たしな。それとも。あんたも気分一つで仕事ができなくなる甘ちゃんかい?」
男はステラを顎で指して嗤った。ステラは喉の奥に言葉をつかえさせた。
ジーナも後ろから様子をうかがっている。
彼女が手に持っているのは男の追加注文だろうか。彼女が持つ盆には酒が入った瓶とグラス、そしてブウの丸焼き一人分の皿が一枚乗っていて、それをシオに見せて意思表示をしている。
シオはそれを確認すると、男に向き直り――今度はシオが男を嗤った。
訝しがる男の前でシオは堂々と手に緑の光を纏わせ、盆に向けて放った。
するとジーナの手から盆がそのままの形を維持したまま浮き上がり、ゆらゆらと、男にわざとその姿を見せるように宙をたゆたっている。
「そうですね。確かに仕事はしなければいけませんね?」
「おい、何をするつもりだ」
不穏な動きをする盆に気付いた男は、態度を一変してシオを睨んだ、シオはまた何も言わず、ただにっこりと、品の良い笑みを浮かべる。
中空で傾いても中身はこぼれない。他の客はただ事態を傍観している。
そんな剣呑な空気の中、
天を向いていた盆が、フォークとナイフの切っ先が、客の男へと向けられ、放たれた。
豪速で迫り来る食器の一群を前に、男は身動き一つ取れなかった。
先行してフォークが頬をかすめ、
ナイフが頭部の髪の毛を奪う、
そして後続する酒瓶の中身がぶちまけられ、肉の皿が男の顔を殴打する
――直前で事態は静止した。
男は異様な光景に静かに息を呑む。
酒のしぶきは宙に浮いたまま、そして視界は肉で埋め尽くされたまま、緊張で彼の身体は動けない。
首を動かす勇気も無く、肉の存在感を主張するかのごとく、その芳香がこれでもかと鼻腔から攻め立てる。
完全に身動きの取れない状態の男を前に、シオが二本の指を立てた。呼応するように食器が光る。
「あなたの方こそ、仕事はどうしたんですか。ああ、難癖付けるのが仕事なんですか? ……できれば別の場所でお願いしたいですね。はっきり言って、仕事の邪魔です」
淀みなく言いたいことだけ言って、二本の指を男の方向からからテーブルの上へ向かって払う。酒瓶は逆再生するように中身を納めて、机に着地。肉の皿も彼の指示に従うようにテーブルへ音を立てて着地した。
目の前の凶器を取り払ってなお、未だ動けない男の前でシオは指を折り、拳を握る形にする。
すると今度は男の背後の壁に刺さっていたナイフとフォークが引っこ抜けて、彼の上空に位置を変えるとその高度を更に上げた。
「人を甘ちゃん呼ばわりする前に、自分の甘ちゃん根性をどうにかした方がいいんじゃないですか?」
ぎょっと目を剥く彼を、シオは冷めた目で見据えた。
「――自分の身一つ守れない冒険者崩れが」
がんっ
けたたましい音を立てて刃物が机に突き刺さった。
男は弾かれたように、椅子から転がり落ちると、悪態を吐く力もなく、よたよたとその場から逃げるように店を出て行った。
「今日のはおごりにしとくよ」そんなジーナの言葉も聞こえているかどうか。彼の背中は街の中へと消えていった。
無言で二人のもとへ来たジーナは、無表情を一変、笑いを浮かべると、並んだ二つの頭を掴んで力いっぱい撫で繰り回した。
いつも通りの激しさに二人揃って情けない声を出す。
「今日こんなのばっかりじゃないですか~」
シオの声にジーナはからからと笑うと、撫でるのを止めて、勢いそのままにシオの肩を勢いよく叩いた。
「ははは。情けないねえ。でもまあシオもよくやった!」
ジーナは意味ありげに一呼吸置き、笑いを引っ込めると真剣な眼差しでシオを見つめる。
「――と言いたいところだが。接客としてはよくないね。今日のお菓子は抜きだ」
「ああ! しまった!」
流れるような動きで膝から崩れ落ちたシオ。多人数に囲まれた中で、青年が、演劇の一場面がごとく現実に打ちひしがれるその思いを全身で表現する。――この絵は中々シュールだ。
そのまま時間が経過すると、一部始終を見ていた誰かがこっそり吹き出して、連鎖していった声はたちまち店内に活気をもたらした。
「ほらさっさと仕事に戻りな! まだ頼みたいことたくさんあるんだからこれ位でへこたれんじゃないよ」
これを狙っていたのか。ジーナは賑やかになる店内に満足そうに見つめ、まだ意気消沈うなだれたままの彼の襟を掴んで無理矢理立たせると、その背をカウンターへと押し出した。
「――いい奴じゃないかい」
よろよろと客に脇腹を突かれているシオを愉快そうに眺めながら、次はステラに語りかける。長い間詰め込んでいたものが、長いため息となって放出されて、ステラの顔にも笑顔が戻ってきた。
「ちょっと、変わってますけどね」
「まあね。それはうちではいつも通りじゃないか。……買い出し、出れそうかい?」
「……はい。行ってきます!」
じゃあ行ってこい、とジーナに背を軽く押され、気を取り直してステラは外に出る。
荷車を押しながら今度こそ街へ繰り出すのだ!
意気込んで前を向けば、反射光を真正面から浴びて目をつむり、また出鼻をくじかれたとちょっと笑ってしまう。
ちらりとまるやき亭を振り返ると、シオが客と談笑する彼のようすが見えた。
活気に溢れる町並みに感化されたのか、
はたまたそれは予感だったのか、
ふわりと抜ける風の中、
ステラの心は妙にざわついていた。