0ー11 宴の予兆
幼い頃読んだ絵本によると、仲間は信頼というもので結ばれた間柄らしい。
その人たちは主人公を裏切ることはしないし、
敵国のスパイだったとしても、やがて寝返り味方となる。
しかし現実のパーティメンバーは組んだからと言って、必ずしも仲間になるわけではない。
自分が関係を求めているからといって、相手が同じ考えだとは限らない。
――だからって、助けないわけないでしょ!
焦るステラの意思を除き、その身体は『エルネラ』主導の下に動いている。
少女が握る剣は今まで見たこともなかった輝きを放ち、繊細な装飾だらけの刀身だったその刃の外側に光の刃を形成。ドラゴンを分断しても余りある片刃の大剣は、本来の姿を取り戻し、それを喜ぶかのように明滅している。
ステラが刀身に驚く合間にも、少女の身体はドラゴンを切る予備動作に入っている。『エルネラ』の力は量を改めて測らずとも知っている。このまま振ればドラゴンの背後で倒れている青年ごと切り裂くだろう。
――なにか、ないの?
とどめの一撃にかかる時間が、とても長く感じる。
今の私ではエルネラの力を打ち消すことはできない。でもドラゴンを倒して、シオは助けたい。
斜め前に立つドラゴンの後ろに気絶し地面に着いたままの彼の片手が視認できた。エルネラの指示通りそのまま前方一直線に切れば彼も巻き込んでしまう。
――せめてもう少し上に軌道が変われば……いや待てよ?
経験や現在の実感として、エルネラは剣戟に乗せた『魔法の力』でドラゴンを切る。
そしてシオ曰く、魔法は『命令を与えられた』魔素のまとまり。切っていない今の段階では魔法は発動していない。
エルネラの『前方』への命令と、私の『上』への命令が、準備中の同じ魔素だまりの中に入ったらどうなる。
――ううん、考えてる暇なんてない。
戦いに待ったなし。ステラが自身の制御下だった微量の魔素を追加で送りこむ。
そのすぐ後に、エルネラが剣を振り抜いた。
周辺の風も塵も鉄片も巻き込んだ一撃は、過去何度も悩まされた軌道ずらしの煽りを受け、けれど正確にドラゴンの鱗を打ち砕き、勢いを殺さぬままその肉体を真っ二つに切り裂いた。
追随する衝撃波は対象物を真横に吹き飛ばすだけに留まらず、周囲の壁を打ち砕き、柱を切り裂き、天盤にも強烈な振動を与えた。戦いの反動で壁という壁に刻まれていた亀裂は、更に坑道を縦断するように奥へ手前へ伸びていく。
砂や石が混じった煙を浴びた後に、ステラはドラゴン達のいた場所の様子を慌てて確認した。巨大な獣が暴れ回った跡のような惨状の中、ひっそりと瓦礫に半分埋もれた青年を発見し、直ちに駆け寄る。ステラは先ず瓦礫を力尽くでどかし彼の安否を確かめた。
渦中のシオは、壁に寄りかかったまま動こうともしない。傷口からの出血とは反対に依然として高い体温。加えて、
――なんとも穏やかな寝息を立てていた。
「生きてた……って、こんな状態で普通寝るか?!」
死の危険が迫っていたというのに、睡魔の方が強いとは。呆れを通り越してむしろ尊敬だよ。
ともあれ、昏睡状態の可能性もあるかもしれないので、ステラは彼を取り敢えず運ぶことにする。
一呼吸挟み、『エルネラ』を腰に戻し、砂にまみれた青年を掘り出し背負い上げてから、身体の制御が自分に戻ってきていたことに、はたと気付く。
「エルネラ、もしかしてまた寝た?」
『寝てないよー寝てないよー』
やけに間延びした口調に合わせて剣自身がゆっくり揺れる。今までの恐怖体験が嘘だったように、今の彼女は友好的だ。怖さの欠片もない。
『ステラに言われた通り調節できたよ! ねえ偉い? 偉い?』
「ぐ、ぐっじょぶエルネラ」
そして妙に馴れ馴れしい。別に構わないけれど。
離れてこちらの様子を窺っていた二人の下へ着くと、先ずマリアがステラの顔色、その他振る舞いをざっと見渡しおもむろに頷いた。
「ステラちゃん、戻ったみたいだね。――じゃあ出よう、今すぐここから出よう」
「マリア? なんでそんなにいそ……」
背突くマリアに問う前にその答えを示すよう、四人と『一人』の背後数メートルの天盤が音を立てて崩れ落ちた。
崩落した現場は穴がぽっかり空くわけでもなく、坑道を構成していた瓦礫と砂が役目を終えたとばかりに形を崩し、下にあったドラゴンの亡骸ごと飲み込んで押しつぶし、更には地鳴りと共に壁面の亀裂は枝分かれを繰り返してその範囲を広げる。
徐々に、段々と、加速する坑道全体の崩壊の気配に、走れる三人は出口へ向かって一斉に駆けだし、
彼らが予感していた通り、瓦礫の波は一拍おいて加速しながら一行を追いかけてきた。
四人と『一人』を瓦礫と土砂の津波が容赦なく追い立てる。命の危機を肌で感じながら、ただひたすら目の前で照り続ける光の外へと走り続けた。
地盤が歪み、軋み、光を取り囲む柱が内向きに傾いていく。あれが崩れたら一貫の終わり。
なんて、考えちゃダメダメダメ!
続く地響きで足をもつれさせながらも三人は走り続け、追いつかれる直前で咄嗟に前方へ飛び上がり、
まさに崩壊と同時。一行は無事に生還を果たした。
***
木々の隙間から燦々と降り注ぐ光の下、ステラは荒い呼吸を整え、未だ激しく波打つ心臓を落ち着かせる。吹き込む風が噴出した汗を乾かし、混ざった鉄分の匂いで我に返ったステラはシオを目の前に横たえた。光に照らされた赤黒い穴の姿を改めて認識して、思わず息を詰まらせる。マリアに目配せをすると頭を優しく叩かれた。
「大丈夫、フィールド補正はないし、すぐに治せるよ」
意を汲んだと示すように頷いた後、彼女は杖をシオの上に掲げ、先端から青く優しい光を降らせた。
光は傷の下へ集いまぶしいほどの発光を繰り返す。見る見るうちに傷は塞がれていき、やっとステラは肩の力を抜いた。集中していたマリアがふと首を傾げた気がしたが、気のせいだろうか。
三分もかからず傷口は塞がり、シオはゆっくりと目を覚ました。起き抜けの表情に危機感もなく少女二人は安堵の息を漏らす。
「……んぁ、おはようございます?」と、緊張感のない口調で挨拶しながら自分の身を起こそうとする彼は、血まみれで穴の多い衣服に気付き顔をしかめた。
「なんか、からだが、ぼろぼろ? ドラゴンにやられたんだっけ。ここどこ?」
立て続けに疑問を呈するシオをステラが取り敢えず落ち着かせ、自分の身体を叩き始めたその彼の手も物理的に止める。
「とりあえず落ち着いてください。坑道から出たんですよ」
「? 坑道の外と言っても、ゴブリンのいた森とは違うようですが」
問われたステラは改めて辺りを見回した。
続くドラゴン戦で早くも忘れかけていたが、坑道に落ちる前、自分たちは薄暗い森の中を走り回っていたはずだ。光降り注ぐ低密度の森ではなかったし、もっと暗いトーンの世界だった。
つぶれてしまった坑道の入り口は、見ると森のから頭一つ出ている位の高さがある岩山の中にできていて、
近辺の森を形成する木々は、坑道と逆に進めば進むほどその数を減らし位置もまばら、
森を抜けた先には草原と青空の二色地帯。
ついでに地面は、しばらく雨が降っていないと思うくらいに干からび具合。
あまりの景観の違いにマリアとロビンも首を捻って思案顔である。
「別の土地へ渡るほど移動していないつもりだったが……」
「どのくらいの距離を走ったんだろう。坂道とかあった? 私は分かんなかった」
「みんな必死だったからねー」
次第にドラゴンとのバトルなんて初めて、遭遇自体初めて、など打ち上げの空気が作られそうになるが、現状を鑑みれば笑ってなどいられない状態だと一行は気付く。
「都市はどこら辺にあるんだろ、日帰りできる距離か、そこから怪しい気が」
「あたし坑道があること自体知らなかった。廃坑になって何年目なんだろ、情報全くなし」
「街でも村でも、距離がありすぎると魔法探知もきついものがありますよ」
「あ、これ野宿フラグ?」
「ドラゴンが巡回していなければ、それでもいいですけどね」
「「……」」
一連の出来事で情報は当てにならないと身をもって知った一行は、揃って沈黙する。
基本、魔物は夜活発になる。本来ダンジョン内のみ生息しているはずであった強敵ドラゴンが地上をうろついている現在の状況下で、尚且つ彼らの行動範囲が読めない以上、うかうか寝ることもできない。
しかも、うろついているのが中型ドラゴンだけとは限らない。小型はまだしも、大型や土地の主クラスとばったり会う可能性が否定できないのだ。
「……俺は少し、草原周りを見て来よう。フィールド制限のない今なら、探知魔法も可能なはずだ。街でなくとも何か手がかりが得られるだろう」
「あ、あたしも行く」
真っ先にロビンが動き出し、その後にマリアが続いた。
「シオ君の怪我はもう大丈夫だよね」
「はい。おかげさまで」
「でもまだ無茶しちゃだめだよ。あたしたちが戻るまで休んでて。これはヒーラーからの命令です」
「でも、」
マリアの一言を受けて、ステラは浮かせた腰を下ろし、自分は平気とばかりに立ち上がろうとしたシオを力尽くで座らせた。
「これ以上の無茶は許さない」
「――くっ」
「よしよし」
二人の様子に満足げに頷いてから、マリアとロビンは木々の外へと歩いて行った。
……で。
二人になって気付いたのですが、今すごく気まずいです。
先輩早く戻って来てー。
思えばステラがシオから仲間じゃない宣言されたのはついさっき。坑道から全員で脱出するまでは常識の範囲内だったからよかったものの、ステラはこれからの振る舞い方が分からなかった。
これまでの経験からシオに優しい側面があることは知っている。自分も助けられたことはある。それでいて子供っぽい面もある、更には冷たい視線を浴びたこともある、
要するに。それらの境界線が分からない、ずっと気にしないで過ごしていたから。
相手を知らない限りは、関係の上昇も見込めない、気がする。
ステラに座らされたシオを盗み見ると、特に不服を申し立てるでもなく、のんびりと空を見上げている。
マリアの魔法の影響か、彼の体内の火属性はなりを潜め、熱で浮かされている様子もない。思えば出会った当初から常識外れなイメージの人で、適当に意見を述べては場を引っかき回す人だった。
「どうしましたか?」
「何考えているのかなって」
「帰ったらステラさんにどんな練習をしてもらおうかと、考えていました」
「そうですか」
どんなにぼんやりしていても、打てば響くように答えが返ってくる。教えるのも上手いし頭はいいんだよなーと失礼なことを考えながら、今度は自分の振る舞いについて思いあぐねる。
昔読んでいた本にも、『周囲を変えるならまず自分から!』と書かれていた。……何でそんな本を読んでいたかは、思い出さない方がいい、うん。
思い当たるものとしては、今までの話し方とか? ツッコミも口調もきつかったかもしれない。慣れていない人には強い口調ってしんどいから。
後は、あまり友達とかいなかったし経験なかったから、知らず気に障るような行動をしているのかも。ジーナさんはお母さんとかお姉さんな感じだし、マリアは距離関係なくつきあえる感じだったし。接客は苦手だったし。
……それ以前に、元から仲間だと認識されていない線もあるのか。
ともあれ理由を並べたところで変わるはずもないと、ステラは自分の頬を両手でひっぱたく。
よし、日常会話から始めよう。これから友情を育もうじゃないか。そこから仲間にランクアップだ。めげるな私、頑張れ私。
「い、いい天気ですね」
「そうですね。依頼がなければお昼寝したいくらいです」
「「……」」
二人揃って木々の隙間からまぶしそうに空を見上げ、周囲をぽかぽかと温かい陽気が包む。
なんだろう、これじゃない感がする。和やかでとてもいいんだけど、違う。目指す雰囲気じゃない、気がする。
ステラは居住まいを正し、シオを見つめた。
熱に浮かされて記憶が飛んでいて、さっきの出来事はなかったことに……なんてならんよな。
正直、不満があるなら言って欲しい。見捨てられるくらいなら言われた方が、そっちの方が耐えられる。
などとなげやりな思考は半ば威嚇するような表情を作り、ステラの挙動に気付いたシオが彼女を見返した。
「僕に、なにか?」
「え、あ、えーと。怪我はもう大丈夫みたいですね!」
「はい、大丈夫です。お騒がせしました」
はい、睨み付けて、すみませんでした。前触れもなかったし驚くよね、でも私も今まであなたの唐突な冷たい表情が怖かったです。
ステラは激しく脈打つ心臓を押さえ冷や汗垂らしながら笑顔を作って、シオも一瞬怪訝な表情になった後何も言わず笑い返してくれた。
次第に胸騒ぎがして直視できなくなり、ステラは彼から目を背けた。
……話題変えよう、そうしよう。シオさんの好きな物とか話題は、多分お菓子とか、研究とかだな。
「研究は、実質データ集めですよね」
「理論はほとんどできあがっていますからね」
「ああその、とても言い辛いのですが。先程実戦の機会がありまして、習ったとおり打ち消そうとして、無理でした」
何故自爆する話題を選んだのかと軽く自分を戒める。シオはステラと腰に収まっているエルネラを交互に見つめ目を瞬かせた。
「それでも無事と言うことは、使えたのですか?」
「使う、と言うか、協力してもらった感じで」
「……そうですか。後でその話を聞かせてくださいね」
「も、もちろんです」
よし、いつも通り話せている。安堵しながらもステラは唾を飲み込んだ。今の空気は悪くない。
いい機会だから、私と会う前はどんなことをしていたのか、本当にただの気まぐれだけなのか、とか聞いてみたい。もっと本心に近いものを聞きたい。いけるだろうか。
穏やかに笑むシオを視界の隅に捉えながら、ぐるぐると巡る思考をまとめている脳内に、突如として少女の声が割り込んできた
『ステラすごくどきどきしてる。なんでかなー』
エルネラァ! 隙を突いて出てくるんじゃない!
と叫びそうになる衝動を抑えて、一つ深呼吸を挟む。
「今お姉さんは真面目な話をしているから静かにね」
「ステラさん?」
「気にしないでください」
シオには、というか私以外にエルネラの声は恐らく聞こえていない。隠す必要もあまりないのだが、今は一対一で話したいと言いますか、そうしなければならない気がすると言いますか。
『対等な仲間が欲しいといいますかー』
「対等な仲間が欲しいといいますかー」
――は? 今何言った?
角付きドラゴン戦を同様勝手に動いた口を手で覆い、そこから出たであろう言葉を脳内で反芻する。思わず顔が火照りそうになったが、目の前の青年の顔色が自分の苦手なものに切り替わったのを認めて一気に氷点下まで落ちる。
「……対等な、仲間、ですか」
彼のいつもより暗い声音に自然と身体が震える。
――待って待って、今のなし。最初っからすごい地雷を踏んだっぽいよ!
弁明の言葉を考えるステラだったが、闖入者の声が再び割り込んでくる。
『本音を語ってほしいと言いますかー』
「本音を語ってほしいと言いますかー、って違います、今のは、その」
しどろもどろになる後半の声が届いているのかは分からない。シオは無言のまま目を閉じて言葉を吐く代わりに小さく息を吐いた。
――終わった。分からないけど、二言目も絶対地雷だった。
エルネラのばかあ、おばかあ。
涙目で頭を抱えた少女を見据えた瞳が、何も言わず冷たい無表情からゆっくりと穏やかなものへと作り替えられる。
ステラにはそれが少しだけ、機械じみていて、悪寒がして、悟られまいと視線を落とした。
「……言われてみれば、本音と本当は違うものでしたね。隠すつもりもなかったのですが」
時間を置いて発せられた幾分かの温かみを持つ呟きに顔を上げれば、何度も手を差し伸べていた時の青年の姿がある。ステラが目を擦り瞬きをする仕草に忍び笑いすら浮かべている。
「遠慮せず質問してよかったんですよ。分からないなら分からないと応えますし、今までもそうでしたが、僕は嘘を吐きません、ああでも、はぐらかしはしたか」
蓬けた自分を自覚しながらも、これはチャンスだとはじき出した脳みそが質問を練り上げる。はぐらかせないで、絶対答えがあるもの。それは、
「じゃあ、生年月日は?」
――おい、私。
先刻と違った意味で頭を抱えた少女にシオも沈黙した。と思っていた。
「……早速ですか。それは分かりません」
「え?」
間の抜けた顔になっているステラを置いて、問いに答える彼は、痛みに耐えるよう苦しそうに、けれど無理矢理笑っていた。
「そもそも僕の名は、シオ・アルフレッドではありません。これは友人の名を語っているだけ。
僕は本当の名を覚えていないし、家族も故郷もなければ、生まれた日なんか一度も祝ったことはありません」
「記憶喪失ってこと?」
「簡単に言えば、そのような感じですかね」
自分のことなのに彼の口ぶりは他人行儀で淡々としていて、それ故に笑ったままの表情、無関心で曖昧な内容、全ての印象がちぐはぐだった。
「今僕が持っている記憶は喪失以降の地点、全て友人の死後から蓄積されてきたものです。それ以前の僕がどんな奴だったかの情報は、彼が最期に僕に宛てた手紙頼みですね。
そこで得たのは、彼の研究内容、彼自身と彼の研究を消そうとしていた集団がいたこと、そしてまあ、最終的に彼を殺したのは友人の僕ということ、
……簡単に言えばそんな内容でした」
何も言えなくて、言うべき言葉が見つからなくて、ステラはシオが語る内容を理解し、ただ見つめるしかできなかった。シオは困ったように眉根を寄せ、それでも微笑みを崩さない。
「なんて顔してるんですか」
「すみません」
「僕にとっては全て情報に過ぎません。当人が感じていないのです、気にしなくてもいいじゃないですか」
「……すみません」
彼は何も感じないと言う。
……であるなら、恐らく、彼自身も気付いていない。
今その顔が、その作り笑顔が、涙を堪え、ちぐはぐな彼の本心を語ってくれていることを。
「ついでに、僕がステラさんに教えているのは彼が僕に送った手紙と同封されていた資料の一部から自分が習得した知識です。資料を受け取った後僕自身も追われて、全て習得する前に原本は奪われ燃やされてしまいましたから」
「なんで、そこまでして、研究を完成させようと思ったんですか」
「恐らくは自分のため。つまり自己満足です。償いなんて体のいい言葉で例えるのも憚られますね」
相変わらず淡々としている口調に、添えられたのは侮蔑の表情。
この人は、どんな思いで今まで生きていたのだろう。昔はどんな人だったのだろう。分からない、でもきっと、目を背けてはいけないんだ。
彼の傍にいるのなら。彼の仲間になりたいのなら。
「あ、もう二人が戻ってきましたね」
彼の呟きに草原の方角を見ればこちらへ歩いてくる二人の影が確認できた。複雑に歪んでいたシオの印象も、元の心穏やかな青年に変わろうとしている。
だからその前に、何か、一言だけでも言いたくなって、気付けばステラは「あの」と彼を呼んでいた。
「なんでしょう」
呼び声に応えた彼と目が合って、エルネラが静まっているのも確認して、ステラは慎重に口を開き、はっきりと言い募る。
「私は、シオさんのこと仲間だと思ってますから!」
直後、緊張と気恥ずかしさに身体が震え、真っ赤になった頭を抱えて地面に丸くなった。
正直今の話だけでは、本物のシオがどんな思いで手紙を残したのか分からない。彼らの間にどんな歴史があるのかも分からない。
それでも今の彼は信頼に値する人だと思う。だからこれは、地雷覚悟の一方的な決意表明だ。
発熱する頬を両手で包み冷ましながら、彼を盗み見ると、
「……そんなこと、初めて言われました」
作りかけの青年の仮面が剥がれ、それは想定していた無表情を越し、
ちぐはぐだった全てが、笑顔のまま一斉に涙を零していた。
「ほんと、変な人」
***
マリアとロビンに連れられて草原地帯に出た二人を待っていたのは、辛うじてある歩道に並ぶキャラバン隊だった。鉄製の重そうなコンテナに申し訳程度の車輪と懸架式の座席が付いた荷車とも言えない車を引く獣と御者。それが三台並んでいる。
しかも先頭に座っている御者はステラには面識がある。ステラが眉間に皺を寄せて思い出す間に、向こうは快活な声と共に手を振ってくれた。
「おや、ステラちゃんじゃないか」
「あ、こんにちは」
ちゃん付けされるのはまるやき亭関係、そして最近聞いたと思われるボイス。マントでも隠せない筋骨隆々のその姿。それらから導き出されるのは、先日食品工場の受付にいた屈強そうな男性。多分合っている。名前は分からない。
そして都市勤務の彼が外にいる、ということは?
「もしやこの馬車は都市行きだったりします?」
「ああ。祭り用の追加食材やらなんやらを積んでもう帰るところさ。ギルド依頼分じゃ絶対足りないからな。この荷台はそもそも人が乗れるような作りじゃないが、俺たちが乗っている縁の部分なら座れると思うぞ。嬢ちゃん達も帰りなら乗っていくかい?」
先輩ズは何も言わずこちらを見るだけ。彼らはすでに同意済みで一応私達の意見を聞いておこうといったところだろうか。
「じゃあ、おねがいしま――」
す。と答えかけて、思わぬところから静止の声がかかった。
「変な臭いがします」
『ステラ、変な臭いがする』
――シオさんに、エルネラも?
男も面食らってシオを信じられないような目で見た。
「加工前の生肉もちゃんと魔法機器で冷凍保存ができている。坊主、変なこと言っちゃいかんぞ」
「いえあなたのではなく、三番目の馬車から」
『三番目の馬車から変な匂い。気持ち悪い』
彼らが指す馬車は列の最後尾。気配を殺すように、静かにそこに停車している。御者は何の反応も寄越さず空を眺めていた。
「……中を調べさせてください」
三台目の主にシオが断わりを入れても無反応で、流石の先頭の男も彼の様子には訝しげで首を傾げている。
話が進みそうになかったので結局他二名の御者に許可を取り、一行は三台目の開き場違いな冷気に身を震わせた。
コンテナの中は馬車とは思えない程冷え切っていて、もはや牽引式の冷凍庫だ。切られる前のブゥやラムシーなどが姿そのままで氷付けになって並べられている。
この空間は工房の特注品で、結構お値段も高いから、絶対汚すんじゃない云々と、散々注意を浴びせられたにも関わらず、シオはその内部に土足で足を踏み入れた。一頭ずつ手前に引きずり出して並べ直し奥に踏み込み、冷気を苦にもしないその姿はある意味冒険者の鏡とも言える。
担当の御者は付き添わず、先頭の男が一緒にその光景を眺めている。男は不快感を隠すこともせずしかめっ面。ステラが内心はらはらしながら双方を眺めていると、一番奥の列に踏み込んだシオが声を挙げた。
「この列が違う。これもこれも全部縫い目がある。変な臭いの原因もこれだと思う」
シオの発言に男はしかめっ面を解き、中へ慎重に入っていく。防寒具の一種であるマントがあるとは言え、この人も大概だなと頭の隅で思う。
男はシオの指摘箇所を認めると唸るように声を上げた。
「これはなんだ? 搬入前に再確認はずだがこんなものなかったぞ」
シオが男の指示の下表面を魔法で熱し、その縫い目らしき箇所も焼き切る。
それから中を見た二人は一斉に言葉を無くし、なけなしの使命感でもってそれを抱えて、出入り口で待つ三人の目の前に置いた。“それ”と本日何度目かの遭遇にマリアとステラは言葉を失い、ロビンは御者の下へ走った。
ブゥたちに詰め込まれていたのは、ゴブリンを含む小型の魔物の死骸だったのだ。
二の句が継げないでいる四人を置いて、事態は尚も進行する。
中身を暴かれたとほぼ同時で今度は御者台の辺りが騒がしくなり、四人は件の御者の傍にいる二台目の御者、ロビンらのもとへ。
彼らの前には何故か地面に倒れ込んだ御者の姿があり、怪我か、病気か、マリアが服を容赦なくめくり上げその姿を確認すれば、違和感どころの話ではない。
彼は人ではなく、つぎはぎだらけの人形であったのだ。
「なんでだ、こいつ、朝は普通に会話して、よく笑う奴で。それで」
驚愕で固まる一行の真上を掠めて、大型のドラゴンが草原の向こうへと飛んでいった。
***
***
「ねえ、今の見た? 魔物みたいな嗅覚だ」
青い空に優雅に舞う骸のドラゴンに、その背に乗る金髪の少年が語りかけた。外見年齢は十代半ば頃、赤い瞳に赤いイヤリング、緑を基調とした貴族の子息らしい格好をしている。
彼の楽しげな声に応えるように、ドラゴンは悲鳴に似た叫びを返した。
うっとりとした表情で少年はドラゴンの背を撫で、その顔に甘い微笑を浮かべる。
「そうだね。思っていたよりも、楽しい宴になりそうだね」
ゆっくりとその口角を上げ、開いた瞳孔が怪しげに揺らめいた。
「さあ。僕らを消したこの国に、最大の祝福を――」