0ー10 仲間と味方
更新ペース云々以前に、すごく間が空いてしまいました。色々と申し訳ありませんでした。
前話との接続大丈夫かな。。
イラストの挿入、0ー0から0ー3にかけて、加筆、修正があります。
次話更新日の約束なんて、もう、しない。
「ああこれは、夢なのかな」
霧に煙る視界をかき分け見つけた先に現われたのは白い建物。紛れもない実家の姿があった。
自分は先程までドラゴンに追われ、逃げ切ったあと穴から落ちた。その先に家があるはずがないのだ。であるから、今ここは夢の中と結論づけられる。
屋敷を取り囲む木々がごうごうとうなり声をあげ、通過する激しい風が立ち某気のステラを揺さぶった。
……はやく、帰らないと。
夢の外へと。屋敷に背を向けて歩みだしたステラの目の前に、引き裂かれた教科書が投げ捨てられた。確認するまでもない。
これは全部自分の名前が書かれたものだ。
過去の記憶が目の前に引きずり出され、ステラは吐き気を催した。
村を出る前の自分、才能なしの烙印を押された私は、日がな一日自分の部屋に閉じこもる生活を送っていた。
有力者の実子が才能なしなんて村民たちのいい噂の的。それまで手を掛けてくれた大人たちも、仲が良いと思っていた友人たちも、手の平を返してステラを笑いものにした。
この国は力を持つことが全てである。
思想がエスカレートした学校ではついにステラより才能のある村民の子が“優遇”され、家族はこの事態を己の修行不足だと言い募った。
だから、周囲の人々が改善に導いてくれるはずがないと諦めた彼女は、自分の身は自分で守る決意をした。
真夜中に家の図書館から本を数冊持ち込んで、後は部屋に閉じこもって修練に時間を費やした。学校は必要最低限の日数だけ確保して、生徒や教師と話すこともせず、毎日睡眠と食事と勉強を繰り返していた。
だって力があれば皆見直してくれるだろうから。
今は我慢して努力すれば、現状も未来も変わるはず。
魔法の力こそが最上だと教え込まれた少女が、
本当の剣を持ち、冒険者としての生き方があることを知ったのはその時だった。
……はやく、にげないと。
すくんだ足を両手で叩いて鼓舞する。芋づる式に蘇る記憶から目を背け蓋をして、目の前の教科書を跨ぎ茂みの中へと足を踏み入れる。足下は少し湿っていて獣道に光は射さず先は見えない。勘を頼りに歩くしかない。
躊躇うことなく進むステラを誰かが追っている気がして、早足になる。
早く目が覚めないかなと淡い期待を持ちつつ森の中を彷徨い歩いて行くと、小さな声が自分の名を呼んだ。なんと三人がそれぞれの方向から私の名を呼んでいる。
よく聞けば、全て聞き覚えがある声だった。
一つは少女のような声。銀の剣の中にいた少女と同じ声。ステラのいる地面の下から聞こえてくる。剣を取り、追ってくるものを今すぐ壊せと言い募る。
一つは男性らしい低い嗤い声。同じく剣の中にいたはずの人の声。自分のすぐ後ろから、ステラが来た道を追ってきている。こっちへ来いと誘っている。
そしてもう一つ……これについて考える間もなく、ステラはその三人目の声の下へと向かった。
***
薄暗い地下空洞に微弱な光の筋が落ちている。森の暗がりから洞窟の暗がりへ移り、現実と理解するのに数十秒要した。
「今度こそ現実、間違いない」
ステラは上体を起こして周辺を見渡した。
空洞は一本道で壁面に木製の柱や梁が並び立ち、鉄製のレールがひしゃげて八方に散っていることから、それ自体は人為的に作られた物だと推察できる。それ以上に目を引くのは壁面に刻まれた爪の跡や、引きずられたような血痕の線。ゴブリンたちのものと異なりこちらは大分日が経っているようだ。空洞内は熱気を帯びており違和感を覚えた。
「やっと気がつきましたか」
首を真横に向けると見慣れた青年が隣に座っていた。私が身体を起こし立ち上がると安堵の息を漏らす。
「あの程度で死ぬとは思ってもいませんが、あんな簡単に気絶されても困りものですよ」
「この高さで落ちて気絶だけってむしろすごくないですか?」
なりたくてなったわけではないと、ステラは仏頂面で反論する。この空洞の高さは目視で二十メートルほどだ。しかしステラの言葉を受けたシオは目を丸くして感嘆を漏らしていた。
「すごい、記憶まで飛んでる」
「はい?」
「地盤崩れに巻き込まれた後、ステラさんは剣に跨がって箒の要領でゆっくり下りてきたんですけど、着地直前になってコントロールに失敗して自分から壁に激突したんです」
「……」
シオが指さした先の岩壁には人一人分の丸いくぼみが出来ている。剣を跨いでいたのなら足が地面に着くすれすれの高さだ。
「本当ですか」
「本当です」
「自分でぶつかって、自分で気絶して、自分で過去にトリップしたのか……我ながらアホだな」
ステラは天空を扇ぎ自分たちが落ちてきたであろう穴を改めて見つめた。落ちる直前に見た同等のサイズの穴が周囲に見当たらない。信号が上がっていた穴の近くに二人がいると思うのだが。
「一回地上に戻って信号の上がっていた穴に入り直してみた方がいいかな」
「一度やってみましたが、誰もいませんでした」
「いつの間に」
「ステラさんが気絶している間に。空洞、というか坑道内には魔物はいないようだったので単独行動しました。地上は未だにドラゴンの仲間が近くをうろついているようでしたが……あ」
シオはおもむろに地面に横になりうとうとし始めた。
「チャージの時間がきてしまいました。ちょっと寝かせてください」
「嘘でしょ」
ステラが夢から帰還した途端にシオが睡魔に襲われるって……。
全く変なところで連携が取れている。しかし体調の悪いシオを動かすのも得策ではない。それなら自分も彼が寝ている間に情報収集に精を出すべきだろう。
何の気なしに意識を集中させて空洞内の魔素の光を捉えると、不自然な色の偏りを認めた。通常大気中には緑、青、赤、黄色の四色がまんべんなく浮いている。しかしこの空洞内は力の能力魔素、赤色が大半を占めている。更に言えば力の能力が高い属性は炎だ。
――この不自然な熱気は魔素のせいってこと?
それならば、熱のような症状があるシオはここにいない方が良いのではないか? 思い至りステラがシオに進言しようと振り向くと、
案の定。大気中の赤い光がシオに吸収され蓄積している光景が目に映った。
……つまり。シオさんが最近熱っぽい理由って偏りのせいということ? じゃあ街でも症状が出ているのは何故。
いやいや考えるのは後だ。炎属性が蓄積すると何が起きるのかは知らないけれど彼を洞窟内で寝かせたら悪化の恐れもある。
ステラはシオを揺り起こした。
「なんでふか?」
「この坑道なのですが――」
言いかけたステラの言葉を遮るようにシオは「あーそのことなんですが」と声を挟んだ。
「えっとですね。この坑道内は迷路状になっていて、フィールド特性なのか炎属性以外の体外式魔法は使用できません。地上で索敵魔法を使用した感じだとマリアさんとロビンさんは二人で坑道内を彷徨っているはずです。これからの陣頭指揮は――ステラさんお願いします。僕のことは置いていっても構いませ、ふぁぁ」
「いや置いていきませんよ、いけません」
言うだけ言って眠り始めたシオの身体の中を未だ赤い光が行き来している。増えることも減ることもない。ステラは眠りこけるシオをやや強引に背負い地上へ出るための力を溜める。体外、体内以前にステラ自身は外の魔素を取り込むことが出来ない身体なのだから、魔素供給源は首に提げたコアと自前の分のみ。
シオを背負う力の分と宙に浮く分を慎重に分けて――今回力を作用させる相手は自分自身なのだから――自分に命令を与える。
一回の命令に対して、二人は小さく、けれども着実に昇っていく。
ここで一気に力を注ぎ込めば箒の二の舞だ。二十メートル上がるのにどれだけの力を要するのか分からないなら、小さな力を調節しながら積み重ねる方が確実だろう。
――シオが魔法を使えば一瞬で行き来できる距離。
足下がぐらついて、脳裏に過ぎった言葉を首を振って打ち消した。
「大丈夫、だって今飛べているもの。魔物だって倒せた。ちゃんと前進してる」
教わった通りに着実に、一歩一歩でも遅れを取り戻していけばいい。
焦れったい気持ちを抑えて更に高度を上げていく。感情を治めて作業に集中すれば身体は安定するよう。速度を増しても問題ない。3分の2ほど昇り、ステラの顔に笑みが表われたタイミングで、彼らの脱出を阻むように大きな魔物の顔が光の穴を塞いだ。
赤い表皮に黄金の瞳、頭頂部に頑強な白い角。魔物の最高峰ドラゴン君(その2)がその長くも短くもない首を伸ばして穴をのぞき込み、ステラたちが昇ってくるのを涎を垂らして待っていたのだ。
「……ワタシタチ、オイシクナイヨ」
ステラは愛想笑いを浮かべドラゴンと視線を交えたまま、命令の向きを変え静かに高度を落とし、
勢いよく背後に旋回して暗がりへ逃げ込んだ。
二人は光から闇の中へ。一本角、二足歩行型のお肉たっぷりタイプのドラゴンプレスを間一髪のところで避ける。大きな地響きと共に坑道へ降り立ったドラゴンはその場で悔しそうに地団駄を踏み、両翼を大きく広げて雄叫びを轟かせた。
声は響き渡るどころでは収まらず坑道全体を揺らし、衝撃で壁面が崩れ岩の破片が暗闇の中逃げようとする二人に襲いかかる。ステラは逃げる速度を上げて大型を避け小さな物は甘んじて受けた。
暗闇の中は奥へ逃げれば逃げるほど光は射さず、視界は悪くなっていく。光の下には首を巡らせ獲物を探るドラゴンが陣取り、ステラが背負っている人物もこの非常事態に目を覚ました。
「すごい雄叫び、悪夢だ」
「夢じゃないです! 現実世界で襲われています!」
話す間にドラゴンは口に火の球を作り出しては放ってくる。ステラは避けつつ火で照らされる道を奥に進んでいく。火の粉が散り木製の梁や柱に飛び移ると燃え上がり、火のアーチができては消し炭になり崩れていく。
柱がなくなった天盤やその岩壁が迫り来るドラゴンの足音に合わせて揺れ、破片を落とす音が聞こえているのは気のせいではないだろう。
浮遊のための魔素を切り速度上昇に替えて、ステラは全力疾走した。
背負われたままのシオも重くだるい頭を動かし状況を把握して、ドラゴンとの間に魔素の塊を生成しようとするが、形を作る段階で霧散、を繰り返す。
唯一作られた炎属性の壁は、ドラゴンの足止めどころか、吸収されて相手の力を増幅させるだけに終わる。
「「――やば」」
強化された炎の球は何倍にもふくれあがり二人どころではなく坑道を焼き尽くす勢いで放たれた。シオは再び炎の障壁を作り力をぶつけ相殺させる。両者がぶつかる衝撃波でステラもシオもドラゴンまでも吹き飛ばされた。
二人が暗がりの中で散り散りになりそれぞれに立ち上がる。
「他の属性は無理なんですか!」
「他属性の能力素が少なすぎて、上手く発動出来ても初級程度。そもそもこの場所も、僕自身が持っている分も、力の能力素の比率が大きすぎて、ほとんどの魔法が形成段階で炎属性になります」
能力の偏りで属性が決まるってやつか――。下手に炎属性魔法を使えば敵の攻撃を強化して、こっちが追い詰められる。
「私が、最初から逃げずにいたら……」
プレスだけを避け真っ先に外に出ていれば状況は変わっていたかもしれない。
……ううん。今からでも、囮になったら。
きっとシオなら状況を変えられる。
自分がなんとかしなきゃ。いつだってそうだったじゃないか。結局自分の力で解決しないといけないことばかりなんだ。
剣を構えて見据える先から、ドラゴンが地面を踏みならしてこちらへ向かって来る。
「……シオさ」
「僕が囮になるので先に逃げてください」
意を決して紡ごうとした言葉はいとも簡単に潰えてしまった。
「待って、その役目は」
「……僕の方が生き残る確率が高いです」
シオは小さな水の槍を形成してドラゴン目がけて放つが、羽ばたき一つで返されてしまう。
「さっき逃げずにいたらとか言っていましたが、責任感じて囮を買って出ようとか、思っていませんよね」
「――!」
「ステラさんは強くなるため、僕は研究のため、僕らは互いの目的のために生き残る選択をしなければならないはずです。違いますか」
呼吸は少し荒く熱で浮かされながらも、彼は冷静さを崩さない。
ドラゴンが水の槍から方向を定め火を放ち、映った人影に向かって爪を立てる。狙われたシオは風の魔法で飛び上がり、振り下ろされた手に着地する。
ドラゴンを覆う鱗は頑丈で有名だ。まず粘膜に覆われた目を狙うか羽を損傷させ、行動手段を限らせるのが常套手段とされている。
シオはそのまま頭部目がけて駆け上がるが、ドラゴンは手を乱暴に振り、なおしがみつく彼を翼で起こした突風で吹き飛ばした。
着地してよろめきながらも立ち上がる。魔法を放つ度その分を補充しようと身体が働き力の能力素ばかりが蓄積していた。坑道内で戦闘するだけで悪化の一途を辿るだろう。
そもそもの話。地上のドラゴンのみならず、『エルネラ』の暴走を抑えた人間が、目の前の一頭を倒す策を講じない時点でこの戦いの結末なんて見えているも同然だった。
……私が求めていた力は、その知識をくれた人を見殺しにしてまで得るものではない。
「シオさんが囮になる必要ない」
「ステラさ、」
「大丈夫。私もそう簡単に死ぬつもりはないよ」
諭そうとする青年の声にステラは被せて反論する。残念ながら策なんて一つも浮かばないけど、仲間を見捨てるつもりもこれっぽっちもないんだから。
「指揮は執っていいんだよね。それなら二人で逃げる策じゃなくて勝つ策をこれから考える。異論は認めない!」
ステラも剣を構えてドラゴンと相対する。向こうは交戦中のシオに狙いを定めていることを確認し、ステラは暗闇の中を滑走。ドラゴンの斜め後ろを取り、風の力を振り絞って全力の一撃を繰り出した。
結果、衝撃でドラゴンの鱗ははじけ飛んだ、だがそこまでだった。
ステラに気付いたドラゴンは尾を振り回し、彼女は剣を構えて追撃を防ぎ距離を取った。さて次はどう攻めようかと思いあぐねていると、
暗闇の中から一本の矢が、シオの真横をすり抜けステラの頭上を飛び越え、ドラゴンの瞳に突き刺さった。
「ステラちゃん、シオ君、こっちだよ!」
痛みで暴れるドラゴンを置き二人は声の主のもとへと同時に駆けだした。
***
「二人とも生きてる? 無事?」
「無事じゃなかったら走って来れないだろ」
暗く判然としない視界の中に二人の人影が浮かび上がる。声からしてもはぐれたマリアとロビンで間違いないだろう。目をこらさなければ細かい表情まで読み取れないが、取り敢えずのところ二人の安全を知りステラは安堵する。
「話している時間はない。……大きくなっているが、お前はシオ・アルフレッドでいいのか?」
「はい」
「それなら炎属性魔法で指示する場所を燃やして欲しい。取り敢えず全員こっちへ来てくれ」
シルエットの内の一つが駆けだして、その後を三人が追う。怒りに我を忘れたドラゴンは坑道内に今も当たり散らし、壁を壊し天盤に新しい穴を空け地響きを轟かせた。
駆ける四人の頭上の天盤からも一部が剥がれ落ちて進行を妨げるが、先頭の男は難なく躱しそれらを飛び越え、追従する三人もそれにならい地震地帯を駆け抜ける。
一行が行き着いた先にはこの坑道のターミナルの様な円形の空間、そこから三つの分かれ道がある。
向かって右から古い真っ暗な坑道、
ちぎれた電飾が火花を散らし明かりの代わりを果たしている坑道、
柱や梁が違う物質でできている坑道。
ロビンの指示で向かって左側の道の影に隠れる間も、後を追うドラゴンの足音が響いてくる。
「奴が来たら反対側の梁を燃やしてくれ。できることなら天盤に衝撃も」
「なるほど。やってみます」
シオが爪を噛み流れ落ちる血で足下の石に何かを書きつけて、それを右側の坑道に放り込んでから左側に身を寄せた。
「今描いたのは魔方陣ですか?」
「はい。唱えれば火花が飛び散る、小型爆弾のようなものです」
「静かに、来たぞ」
四人の緊張が高まる中、意中のドラゴンが雄叫びを上げながら分かれ道の前に姿を現わした。鼻をひくつかせて自分たちの行く先を探っている。
「今だ」
ロビンの小さなかけ声に応じ、シオが石を爆発させた。それ自体はさして激しいものではなく小さな火花を飛び散らせただけ。指示通り柱と梁を燃やし右の坑道を照らし出した。
何が起こるのか、慎重にターミナルの状態をうかがい見ると、ドラゴンは片目を失い残る右目が捉えた岩の破片の影を人と誤解して、右の道へ突っ込んでいく様子を捉えた。
荒ぶる巨体が完全に入ったことを確認して、次にシオはひびの入った天盤に炎の上級魔法を食らわせ、崩落させる。
右の衝撃のあおりを受けて中央の壁や天盤にも亀裂が入るが、ステラたちのいる左の道までは及ばない。
崩落した瓦礫の山の奥から悲鳴にも似た雄叫びが響き消え失せ、一行は揃って溜息を吐いた。
***
「この道の先に出口っぽいものを見つけたんだ。出る前に事態に気付けてよかったよ。あたしは何もできなかったけど」
「ありがとうございました、助かりました」
一応の決着と見て、四人は左の坑道の更に奥へ進む。相変わらず道内は蒸し暑く不快だ。けれどもこの道は先刻までいたところと違い、何かが光りを反射して時折光が見えた。
「ここの道は鉄の柱なんだ」
触れてみると確かに人工的な冷たさが返ってきた。
「よく見れば分かると思うけど、錆びてもいない。この道だけつい最近作られたのかも」
遠く道の先から光が差しシルエットだった四人の姿を克明に照らし出す。篭もっていた熱気と異なる外の風が吹き抜けた。
……やっとでれる、早く任務報告を済ませて休みたい。
そう思った矢先、ステラの背後で誰かが倒れた音がした。このタイミングで倒れるとしたら一人しかいない。
「シオさん!」
振り返って駆け寄り、大きな声を掛けて意識があるかを確認する。爆撃に魔法を使ったせいかもしれない。炎属性の魔素を吸収しすぎた全身は発熱しており、彼の意識はもうろうとしている。けれど坑道から出ない限り癒しの魔法を掛けることもできない。
「あれ、地面が近い?」
「無茶しすぎです、はやく背中に乗ってください」
「ああステラさん。僕は元気ですから、三人で先に」
「行くわけないでしょう!」
ステラは彼に背を向ける形でその場に屈み、シオの両手を引き上半身であろうものを強引に引っ張り上げる。更にその状態で立ち上がって自分の上半身だけを折り曲げてシオの体重が背中にかかっているのを確認してから手を脚の付け根で組み、強制的におんぶの形を取る。
おぶられたシオは駄々をこねる子供のようにステラの肩を激しく揺らして抵抗を試みたが、力尽きて一旦諦めた。
「なんで?」
「いや、ここで置いていく方がなんで? ですよ」
「……なんで?」
「これでも私、シオさんのチームメイトで仲間だし、なにより重病人を置いていけるわけないじゃないですか。生き残る選択をすべきって、さっきシオさんも自分で言っていたでしょう」
現状把握ができていない様子の彼に言い聞かせても効果があるか微妙なところだけれども、今は早く納得して休みを取ってもらわなければ困る。
「なかま……重病人……そうなの?」
「まさか、この後に及んでまだ元気とか言わないですよね。今のシオさんは明らかに熱の症状が出ています。大人しく寝ていてください」
溜息交じりのステラの物言いに、しかしシオは肯定も否定もしない。一人で何事かを呟き結論を出すとステラの肩に手を置いてゆっくりと上半身を反らせた。
「でしたらなおさら今の状態は不可解です。僕は足手まとい。力のないものは置いて行った方が最善です」
「――は?」
転んだはずみで頭のねじが飛んでいったのか? シオの口ぶりも、ムニャムニャとした声音ではなく、理路整然とした物言いで、どうにも現状を理解できていない台詞に次第に苛立ちを覚えていった。
「なんですか、それ――」
「重病人は“無力”。置いていかれて当然。そう決まっているからです」
思わぬ一言にステラの足が自然と止まった。前を行く二人も不穏な気配を感じて足を止めた。
「なんで、そんなことを言うんですか」
――どうして、力を持つあなたが、そんなことを言うのですか。
「馬鹿にしているんですか」
――どう考えても足手まといなのは私だ。そんな私に手を差し伸べてくれたあなたが、授業に追いつけない落ちこぼれ生徒にも理解できるまで付き合うようなあなたが、なんで、自分を足手まといだなんて言えるの。
「馬鹿にしないで」
背中から離れた彼の身体が、彼から拒否されていることを示唆しているような錯覚を覚えさえしてしまう。唇を強く噛んで感情を押さえ込み深呼吸を挟む。
「私にとって、初めてのチームメイトで、仲間で、心から呼べる先生で、そんな人を私が足手まといになるからと、この場に置いて行くと思いますか。そんな薄情な人間だと思いますか」
ゴブリン戦の共闘で感じたものは嘘だったのか。それともまだ自分の努力が足りないせい? 少しでも役に立てたと思った自分が馬鹿みたいだ。
今のシオは弱っている。こんな主張はあって意味のないようなもの。分かっていても巡る思考は悪循環を起こして止めることはできなかった。せめて溢れそうになる涙だけは堪え続ける。
「……シオさんにとっては、ただの研究の協力者、それだけかもしれませんが。私にとっては大切な、『味方』」
そうであり続けた人。喉に涙がつっかえて最後は言葉にならなかった。
目の前で情けない姿を見せたときも手を差し伸べてくれた。
出会ってから一度も、その手を翻すことはしなかった。
言っていて、やっと気付いた。
研究のためと言いながらでもいい。少しでもそこに情が生まれていたなら、なんて私は彼に期待していたんだと。
「……僕が、『味方』?」
シオがステラの肩を押してその背から離れ、ふらつきながらも地に足をつけて一人で立った。
「ステラさんは、変な人なんですね」
……ああ。
…………あああ。
止めていた涙がついにこぼれ落ちた。
拭うこともせず何も言えず残る力を振り絞って歩く少女を、
追い打ちをかけるように次なる事態が、背後から迫る両手がその弱々しい背を突き飛ばした。
状況が飲み込めず前のめりに倒れ、首だけで振り向いた少女の目の前で、
彼女を飛ばした青年が、今度は壁を突き破って現われたドラゴンに真横から突き飛ばされた。
天盤の下敷きになったはずの角つきドラゴンが、
その折れてとげとげしくなった角で、シオを文字通り突き飛ばした。
彼は岩の壁に叩き付けられ、刻まれた傷口から赤い液体が飛び散らせた。
――突然のできごとにステラは声を上げることもなく、真っ白になったその頭に見たままの情報を打ち込む。けれども意味は読みこめずどこか別世界に感じる光景を呆然と見つめたまま彼女は立ち上がった。
坑道内でずっと沈黙していた『エルネラ』が、淡い光を放ち始める。
「これは、夢だ、きっと悪夢なんだ」
――彼が『敵』だったなんて嘘だ。力を持った彼がやられるなんて嘘だ。
『そうだ、悪夢なら壊さなきゃ』
ステラは声に誘われるままに、腰に差したままだった銀の剣を引き抜いた。仲間からの呼び声にも気づけないステラの耳には、少女の声だけが木霊している。
『あいつは味方を傷つけた』
「あいつは味方を傷つけた」
剣の意志に唆されるがままに、『エルネラ』を構えにたりと笑う。
『あいつは悪夢の根源だ、あいつは敵だ、あいつは敵だ、あいつは敵だ』
「あいつは敵だ、あいつは敵だ」
うわごとのように呟き繰り返しながら、ステラは感情のない瞳でドラゴンの姿を見据える。異変に気付いたマリアが助けに向かおうとする足を止め、ロビンにも静止を促した。
『ねえステラ。私は間違っていないよね。あいつはステラの味方を壊そうとしているもの。ねえ、あいつを壊そう。壊そう。壊そう、壊せ、壊せ、壊せ』
「壊せ、壊せ、壊せ」
体中を異物が駆け巡る。四肢の末端から浸透し制御権を奪っていく。『エルネラ』から膨大な量の魔素が送り込まれて少し酔い、
冷静な自分が目覚め危機に気付く。
しかし流れ込んでくる量が多すぎてすでに手遅れ。まるで制御が利かない。
暗示のように繰り返される『エルネラ』の思考回路に引っ張られそうになりながら、理性だけで思考を働かせて状況を見やる。
『私はステラの味方、あとは壊す全部壊す』
楽しげに歌う『エルネラ』のコントロールの下、身体はドラゴンの攻撃を躱し、いなし、隙あらば意識のないシオを巻き込む威力を持った剣風で両者を切り刻もうとする。だが、
『でもステラは思ってる、私は敵と味方が分からない。誰を壊す、何を壊す?』
頭の中で歌いながら、『エルネラ』の攻撃はその体勢を取るだけの寸止めを幾度か繰り返し結果何もせずに終わる。彼女の中にも迷いが渦巻いている。
しかし厳然たる事実として、魔素の力は打ち消す間もなく完全に彼女の制御下に置かれていて、自分の意志ではコントロール不能。
現段階で戦線は保てるが、シオの救出には動けない。そんな中ステラの理性は一つの結論をはじき出した。
――ちょっと待って。それなら、『エルネラ』に頼めばいいのでは?
「『エルネラ』は私の味方なんだよね。今だけでいいの。私の指示通りに動いて」
唯一動かせる口をめいっぱい広げて懇願を口にすると、脳内に楽しげな声が返ってきた。
『なになに? 壊さないの? 逃げるの?』
「違う、ドラゴンだけ倒す力が必要なの。身体はもう勝手に動かしていいから、力を調節して闘ってもらえる?」
『調節って、どれぐらい?』
あんたも分からんのか。今朝方の箒実験を思い出して、感覚ではなく言葉の表現を探す。
「……えっと、自分が持っている10分の1くらい?」
『分かった!』
元気よく声は応えて、剣に風の力を思うぞんぶん溜めた。
しかし自分が使っていた十倍もの力を溜めた時点でステラは思い知る。『エルネラ』の保有量は段違い、自分の基準に合わせても想定以上の力が集まってしまう。
「た、溜めすぎ! ちょっと待って『エルネラ』!」
しかし上機嫌な『エルネラ』に今更待ったは効かず、
完全に行動権限を譲渡された彼女はドラゴンへと猛進し腹部目がけて一線を放った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!