0ー9 怒濤
(0ー8の前に挿話入れてみました。)
少し物騒な単語がちらほら出てきています。
また、命に対する軽薄さを感じる描写があるかもしれません。ご注意ください。
都市から草原を横断した先。
その場所からでは真っ白な都市が空の雲に紛れて確認できない、それほど遠く。
隣町へ向かう馬車を途中下車をした一行は、ターゲットの住まう森へと踏み込んだ。
ステラは前線で闘うことを見込んで、いつもの革製装備を身につけ、『エルネラ』は腰に差し、代わりに近い形状の片手剣を携えていた。
しかし、森の中にはドラゴンの住まうダンジョンが存在している。それを聞いた途端躍起になって依頼書を破り捨てようと暴れ出した。
「大丈夫、大丈夫だから。一回落ち着こう、深呼吸しよう。ここの空気は気持ちいいよ」
「無理無理無理。ドラゴン戦で先頭に立つとか無理ですよマリアさん。その紙を寄越しなさい。今この場でなきものにする」
小競り合いをする女子二人を放って男子二人は周辺の偵察していた。四人がいる場所はまだ浅く、魔物一匹も見当たらない。ヒエラルキーの下位にいる小動物がのんびりと草や木の実を食んでいた。
二往復しても二人の位置が移動しないのでロビンは仕方なく口を挟んだ。
「――ドラゴンの居場所は範囲外だ」
その言葉に涙目のステラが振り返った。
「ほんとうですか?」
「この場で嘘を吐いてどうする」
呆れを隠そうともしないロビンに、むしろ安心感を覚えるステラ。彼女の動きが止まったところを見計らって、マリアは依頼内容の説明を始めた。
「えっとー、今回はD級任務。都市近辺にできたゴブリンの住処の調査です。魔物討伐は可能であれば行うこと。ゴブリンとのエンカウントの可能性は高く――住処だからね。
ロビンの言う通り、ドラゴンのテリトリーからは十分すぎるほど離れています。
そもそもダンジョンから出ない魔物だから、滅多な事でない限り遭遇もしないでしょう、とのこと」
滔々と読み上げるマリアの言葉で、ステラは落ち着いただけでなく恥ずかしさまでも覚えた。偵察の途中から地面に生える草の吟味を平行して行っていたシオも、ちゃんと聞いていたらしく、話に加わってきた。薬草らしきハーブをいつもの圧縮型マジックバックに無雑作に突っ込んでいる。
「調査って具体的にはどうすればいいんですか?」
「んーと、今回行くのは、本来在来種の下級ゴブリンがいた場所なんだけど、他地方の種や上位種が住み着いた可能性があるの。だから、いれば在来種のゴブリンの数を、いなければ住み着いたゴブリンの種類や数をまとめて提出。発生機序は任意。専門分野だからね」
「魔物の住処の場所って予測が付くものなんですか」
「ある程度はね。下級の集まりだったら危険もないし見つけた人から場所の報告だけされる場合もあるね。ダンジョンがある場所に冒険者以外が立ち寄る可能性は低いし」
「ふーん」
先輩冒険者殿の有り難い情報を拝聴しながら森の中へ進んでいくと、現在地からワントーン暗い場所が見えてくる。暗くもないが明るくもない雰囲気で、吹き抜けてくる風は涼しさと、ほんの少しの寒気をもたらした。
「そろそろ生息地域に入る。警戒はしておけ」
茂みをかき分け颯爽と進んでいくロビン先輩の背中は勇ましい。悲しきかなうちの先生にはそんなものは期待できそうもない。小さな頭が振り向き不服そうに頬を膨らませた。
「なんか、失礼なこと考えていません?」
……だって、今の君はかわいい系だろう。そう言いかけて、止めた。
日陰部分が多く、地面は湿り気を多く含んでいる。靴が沈むかのような錯覚を起こし、奥に進むほど樹の密度は増し更に歩き辛くなっている気がする。
ステラが転ばないよう注意をしながら進んでいくと、前方におかしな方向に傾く木が見えた。他の三人も気付き、進路を変えて徐々に近づいていく。
木は何本も組み合わされ、表面加工こそしていないがそれらは立派な一つの家を形作っていた。切り妻屋根、丸太の壁、出入り用の空間も空けて作られている。
中から青い子鬼が何体か出てきて周辺の警備を始めたため、四人は一旦その場を離れた。
「あれが、ゴブリンの住処?」
輪郭だけとなった距離では住人の種族までの判断は付かない。ロビンはその影をじっと見つめておもむろに頷いた。
「見たところ上位種だがゴブリンに間違いないだろう。位置も大体情報通りだ……それにしても、新しく見る型だな。周辺に在来種は見当たらない」
囁きに近い報告にマリアは「噂通りだね」と呟き返した。
「どういうこと?」
「大通りの件があった頃から、都市周辺の魔物スポットで見慣れない魔物がうろつくようになったらしいの。この依頼もその調査の一環。一説では、在来種は襲われたり住処を追われたりしているって話」
「じゃあ。今さっきのも」
「恐らくね。強さはまちまち。いざとなったらステラちゃんは逃げて。それで自分の身を守ることに集中して。あたしたちはダンジョン戦で慣れてるし、森はロビンのホームグラウンドだからね。逃げ切れる自信だけはあるの。
まあ、シオ君もいるし、危険があれば守ってくれるでしょ」
マリアはステラの横で周囲を警戒しているシオの頭に手を置いた。
呼ばれたと勘違いして振り向く彼は、いつもの眠そうなだるそうな緩慢な動きではない。ステラ、マリア、警戒中のロビンを順々に見やり、緊張感を感じ取った少年はその結論として、ステラに向かって両手の平を上げた。
「ステラさん、手」
唐突の要求に首を傾げながら応じると、シオは掲げていた手をその手に打ち付けた。身長差のせいでシオだけがハイになっているハイタッチ。木陰に身を潜めている状態なので音は立てなかった。
「何故?」
「気が紛れるかと思って」
「この人は……」
おかげさまで、確かに緊張感は薄れたけれども。
一方、マリアは静かにその場を離れてロビンと真面目な話を始めていた。ゴブリンの住処を指さして小声でなにやら作戦を話している。少しだけ楽しげに映ったのは気のせいだろうか。
マリアが首だけ振り向き、タッチをしたままのステラたちの姿を認めて満足そうに頷くと、ロビンとの会話に戻っていった。
「今日のことなのですが」
「ん、何?」
声に振り返ると真剣な紫の瞳と目が合った。色白で華奢な庇護欲をかき立てる容姿をしているくせに、漂う気配は一人前の戦士である。
「今回の立ち回りの事なのですが。僕らは二人の遠距離技が遮られることのないよう、囮ないし盾役としてゴブリンと相対すると思います。今朝方練習したこと、覚えていますよね」
「自分の魔素をまとめてそれに指示を出して、最終的にその指示で箒が空高く飛び立ちましたね」
確か魔素の量調整を間違えたんだっけか。ステラは砂の味まで思い出して苦い顔をした。
「今回の指示は一つ、魔物の切断です」
「箒の代わりに剣を動かす。うーん。剣の振る力を嵩増しするって解釈でいい?」
「そうですね。足りない腕力を動の能力で補って相手を切ります。指示が切るところで終わるので、今回は加減を間違えても影響ないはずです。取り敢えず量は初級魔法分で。僕も最初からフォローしますので、落ち着いて対処していきましょう。目指せFランク脱却です!」
「お、おー!」
小声で盛り上がっている二人にマリアとロビンも合流した。作戦の下りも聞こえていたようで「説明は不要のようだな」とだけ言うと移動を申し出た。
ゴブリンの住処から一定距離を置いて円形にまわり、戦い易い場所を探す。射撃が届く距離を目安としていると言うが、偵察の時とあまり変わっていない気もする。相変わらずどの道もぬかるむ程ではないが湿り気を帯びていた。
「そこの道がよさそうだな」
ロビンの呟きで前方を向くと人が五人ほど横並び出来そうな道があった。しかも住処まで一直線に伸びている。枯れ枝や獣の皮も散在しているが、れっきとした道だ。
「ゴブリンの生態は人に近い。恐らく奴らが使っているものだろうな」
「なるほど」
マリアは一足先に道の真ん中に立ち周囲の確認をしてから、持ってきた杖で魔方陣を描き始めた。十字を引き交点を中心に六重の円を描く。線の間を埋めるように記号やら文字を慣れた動きで刻んでいった。
ステラが羨望の眼差しで見つめる中、鼻歌交じりに描きあげた陣からは幾筋もの青い光が溢れ出し、いくつものバリスタを乗せた鳥型の機械を形成した。
ロビンは中央に乗り頭部に自身のクロスボウを設置、それとバリスタ同士は連動しているようで、彼が構えればバリスタもそれぞれに標的を測定し照準を合わせた。
マリアは尾の付け根辺りに乗り、機械全体に魔力を流し入れ、矢を補充する係。二人を乗せたまま機械は木々の茂み程の高さまで上昇、斜め上からの射撃姿勢になる。
「俺たちは魔法射撃で青ゴブリンを牽制、可能であれば数を減らす。敵の総数は現段階では分からない。相手の力量はお前たちが一番に分かるはずだ、危険を感じたら離脱を図れ。こちらも援護する」
「分かりました」
「始めるぞ」
かけ声と共に一斉に放たれる魔法の矢。闘いの幕が切って落とされた。
***
途切れることなく一直線に打ち込まれる、まるで弾丸のような魔法の矢。急所に直撃すれば命を落とし、物に当たれば水の粒が飛散してそれも地味に痛い。
初撃を免れたゴブリンたちは木の隙間や建物に避難していた。悲鳴を上げる隙はなく、仲間を顧みる時間もない。急ぎ矢の出所を探った先には中空に浮かぶ鳥のような機体がある。
青ゴブリンは雄叫びを上げて仲間たちに敵襲を知らせ、比較的軽傷で済んだ六体は各々の武器を持ち、森へと姿を隠した。
この場で正面突破を敢行すれば一瞬で蜂の巣になる。そんな愚を犯す者はいない。六体は各自の判断で、しかし揃って機体の背後を狙い駆けだした。
射撃が始まり三分。ステラたち自陣にも変化が訪れた。
草をかき分ける音が方々から聞こえてくる。地上で待機しているステラとシオは臨戦体勢を整えて相手の動きを窺っていた。
恐らく撹乱しているわけではない。複数の魔物はここらで一旦立ち止まり狙撃手や地上待機組を狙うが、時折上空から降り注ぐ威嚇射撃に弾かれて、仕方なく後方へ後方へと突き進んでいる。
ついには二人の耳で音が捉えられない辺りの距離を置いてから、一体のゴブリンが飛び出してきた。
その背後に各々のタイミングでゴブリンが姿を現わし、計六体のゴブリンが一斉にこちらへ向かってくる。上空の二人は襲撃に気付いているのかいないのか、威嚇以外の反応は全くなかった。
ステラは慎重に魔素の流れをコントロールして手に集約する。青いゴブリンを見据えて、剣を構え唾を飲み込んだ。
先行する一体のゴブリンが飛び上がり、混紡を振り下ろしてきた。
いなすことはしない。着地点を読み身を捩って躱し、回転そのままで片足を敵の懐へと滑り込ませる。振り終えた相手の背後から首を目がけて殴りつけるように、全身で剣を振り抜く。
魔力も充填し勢いも十分だった一撃は、しかし表皮に薄い掠り傷を作るだけに終わる。
――っかったいな。
動の力でなんとか傷を作れた印象だ。想定よりも浅すぎる。何度叩き込んでも動きを止めることも難しいだろう。
剣戟の反動でずれた身体の重心を戻し、横に跳んでゴブリンの追撃を逃れる。更に二歩下がり混紡の間合いを抜けて一定の距離を保つ。その間に数体のゴブリンが迫ってくる。
――やばい、どうすれば。いや落ち着け私。
腰の『エルネラ』からはいつものような嗤い声は聞こえない。にも関わらず上手くいかない焦りで注意が散漫になる。ゴブリンではなく周りの音に耳を欹てて、後方から迫る足音に気付いた。
振り返る間もなく。背後から小さな影が飛び出した。影は自分目がけて振り下ろされた混紡を軽々と避けると軽やかな動きでゴブリンの足を払い、手に氷柱を作っては低くなった脳天を刺し貫いた。
この一撃は攻撃ではない。氷はゆっくりと溶けてゴブリンの身体に充満し、粒子化した情報をシオに伝えてくる。答えを得たシオは混紡を握り直した音を察知しすぐさま間合いを取りステラの横に着地した。
「ステラさん。こいつ氷属性です」
「それって、水と土の複合だったよね。剣が通らないのもそれが理由?」
「そうです。僕が土を打ち消していくので、弱った奴をステラさんは当初の予定通り捌いていってください」
言うやいなや、シオはステラの元を離れた。
「そのまま倒してくれてもいいんだけどな――いやいや。私のランクアップも兼ねているのだから、本人が動かなくてどうするよ」
愚痴も程々に改めて戦場を見渡すと、シオが先頭のゴブリンの混紡に乗り上げた瞬間を捉えた。
足に魔力を充填し宙で一回転、からの踵落とし。
脳天への一撃に頭部から表面を覆っていた鎧がもろく崩れ落ちる。青から更に深い群青色の皮膚が露わになった。
彼は相手が怯んだ隙を突いて戦闘から離脱、代わりにステラが間合いを詰めて剣戟をたたき込んだ。
今度はゴブリンの肉のみならず骨ごと引き裂くことに成功。
できた。と充実感に浸るのもつかの間、
少年は視線を交わすと後続する一団に正面から挑んでいくので、ステラも後を追った。
編成は槍、斧、剣が二体と剣盾の両持ちが一体。どう攻める?
ステラが撃退に成功したことを確認して、後続部隊に目をやった。
彼女のコアによる魔素補充や戦闘中の制御の感じだと、攻めの一撃につき一体分、防ぐので二体分がせいぜい。各個撃破が理想だろう。乱れている足並みを更に撹乱する目的も含め、シオは単体でど真ん中へ特攻を仕掛けた。
ゴブリンの一団はシオを取り囲むように位置を調整する。シオも彼らの意図をくみ取り、相手から見てほぼ同時に射程に入るよう槍から離れ身軽でない斧へと微妙に向きを変えて中へと飛び込んだ。
連携を取る間もなかった彼らは、一斉に臨戦体勢に移行し、剣と剣はぶつかり合って攻撃を中断。盾持ちが前に出て時間を稼ぐ形になる。長距離と瞬発力で槍の先制攻撃となり、必然的に斧は槍を避けた際の追撃になる。
敵側の一悶着の間、シオは薄ら笑いを浮かべていた。
……恐らく。先制は右前からの槍、次に左横の斧。斧を振りきってから前方より二振りの剣、盾持ちは遊撃。
焦っている頭では足を奪うことは二の次になる。加えて槍は突く武器であり、小さい標的で一撃を狙うなら胴体か頭を突く。
シオは胸部から上半身を思いっきりのけぞらせて鋭い刺突を躱し、突き終わりの静止の一瞬を狙って槍を掴み反動もそこそこに逆上がりの要領で乗る。先端の重量に対しゴブリンが持ち上げる力を利用して群れに向かって後方に小さくジャンプ。横殴りの斧を間一髪で躱して着地すると反動で隙だらけになった斧持ちのゴブリンに、魔法を込めた回し蹴りを叩き込む。
ステラの追撃がガードの崩れた一体をなぎ払う。
――まずは一体目。
剣二体が前方から、槍はすでに構えに入っている模様。
ステラは引き下がることをせず全方へと飛び出す予兆を見せ、剣に再び魔素を充填させている。
シオはステラを一瞥した後、手から腕にかけて(踵落としと同威力の)魔素を集中。突かれた槍を細腕一本で弾き返し、安定を失った槍を掴みゴブリンを引っ張り込むと拳で殴り飛ばした。
起き上がろうとしたゴブリンを見据え、片手を突き出して氷の弓を顕現させる。
「――ごめんね」
呟くと同時に矢は心臓部を貫き、ゴブリンは断末魔の叫びを上げた。
その姿を見届けることなく、シオは次のターゲットへ、ステラを狙う盾持ちへと向かった。
タイミングは間違ってはいない。いや間違ったかも。少しまずい状態だわ、これ。
前方には剣を持ったゴブリンが二体。シオの一撃がない以上自分は守備に転じるしかない。魔物の気迫に震え始めた膝を自覚しながら、ただ前方を見据え剣を横に構える。コアからの供給分を借りて余力分と混ぜ合わせ剣に宿らせる。
確実に耐えられるのは一体分、もう一体は賭けだな。
思った矢先、一体目が下から切り上げる。剣が上に突き上げられ上体がよろめく刹那、二体目が左右逆方向から切り込んでくる。
ステラは”今”剣に魔素を充填し、動の力で上体を下へ動かし、剣の腹の部分で追撃する剣戟を強引にたたき落とした。
刺されることは免れたが強引に身体を捻ったので腰が痛む。
痛みに顔を歪めようとも、敵を見ることを忘れない。ゴブリンの二体は地を蹴り同時に切りかかってくる。ステラは後方に下がりながら避け続けた。
魔素の供給を感じながら剣を避け魔法として構成する。二体の処理を考えているとそれだけで脳は処理能力の限界に達し背後の凶刃には気付かない。
ステラが三体目の音を感知したのは脇腹二十センチまで迫ってきてからだった。
――――うそっ。
痛みに身構え身体が強ばる。反射的に目をつむるが、一秒、二秒経っても衝撃は来ない。替わりに背後から雄々しい声が耳朶を打った。
「ステラ! 前に構えて!」
相棒の声に、手が勝手に動く。
続いて目を開けば剣を持ったゴブリンが二体。息の合った一撃が振り下ろされ握力が衝撃に耐えかねて獲物を落とした。拾う間を与えまいと二体は剣を突き出してくる。
けれど。ステラは諦めたのではなく、どこか落ち着いた心地でその光景を眺めていた。
――悲観は捨てろ。そうだ、後方には彼がいる。心の声に応えるように、小さな手が背中に触れた気がした。
ステラがその場にしゃがみゴブリンが歓喜の雄叫びを上げた三秒。背後にいたシオがステラの背を踏み台にして跳躍、鼻っ面目がけて拳を突き出した。
顔面強打した二体は気絶。地面に伏したまま盾を含めた三体に、ステラは拾い上げた剣を悠々と突き刺した。
タイミングよく上空から呼ぶ声がする。ゴブリンの波は無事去ったようだ。
「はじめて、倒した、気がする」
「お疲れ様です。怪我もしてないようで」
「お互いにね」
本当に、自分が自分で戦えたことがこんなにも嬉しいとは。
悟られるのが小っ恥ずかしくてステラは小躍りしそうな身体を必死に抑え込んでいた。けれども口角だけはどうしても上がってしまう。
対するシオはあれだけ飛び回った後でも涼しい顔していらっしゃる。魔法使いなのに実は武闘派とか、卑怯だ。
そんなこと、思っても言わないけれど。
「いつもだけど。助けてくれてありがと」
シオは何も言わず、照れくさそうに頬を掻いてそっぽ向いた。
「二人ともお疲れさまー」
「住処に異常がないか確認してから戻りたいが、構わないか」
「了解です」
「そういう任務だもんね」
上空から戻ってきた二人は薄らと汗をかいていた。射撃も一筋縄とはいかなかったようだ。四人は互いのコンディションを確かめ合ってから、目的地である住処へと向かった。
襲撃の跡が色濃く残る、嫌に静まった辺りを確認して木の建造物に入る。そして四人揃って顔を顰めた。
中には思わず鼻をつまみたくなる程の異臭が立ちこめていた。地面に散らばるのは鉄分の匂いする肉、赤い液が付いた骨。生活を全く感じさせない空間を、たいまつが静かに照らしている。
建物の中までは矢が届かなかったはずなのに、内部にも惨劇の跡が一面に散乱していた。
「ゴブリンが生肉を食べるとは聞いたことないのですが」
「だが落ちている骨の形はゴブリン種だな」
「あいつら共食いするの」
「あたしは聞いたことないよ」
シオ、ロビン、ステラ、マリアが口々に意見を述べる。それらを総括すると、
「ここの在来種は、何故か分からないけど上位種の餌食にされた、というとこ?」
「これは報告しなきゃだね」
異論はないようで皆一様に頷いて見せた。どうしようもない胸騒ぎを抱えながら注意深く内部を捜索するも、凄惨な状態以上のものは出てこないよう。四人の決断は早く、気付けば揃って外へと歩き出していた。
そして今度は住処から出ようとしたところ、ロビンによって遮られる。彼はそのまま三人を自分の背後に寄せて外を覗くよう指示した。
ひょっこりと並べて顔を出す三人。彼らはいるはずのない魔物の姿に目を疑った。
「ドラゴン?!」
「中型が一体。他は眷属種もいないようだ」
今日はとことん異常事態が続くらしい。
住処の外側に二足歩行型で夕日色のドラゴンが一体。ゴブリンが集めていた餌を食べに来たようだ。背後を警戒しながら住処に近づき、地に落ちたままだった獣肉を貪る。一通り食べ終えると他に食料が落ちてはいないか確認をして、その場から動く気配はない。
装備を構え固唾を呑んで見守る中、ドラゴンは住処へと歩いてきた。
やっぱりそうなるよなー。と言わないでも分かる四人の横顔。けれど相手は魔物の最高峰の種族、ここで動かなければ命の危機だ。この建物に出入り口は一つしかなく、今覗いている場所に立たれた時点で逃げ出すこと自体が困難になる。
「仕方ない。俺たちが囮になる。先に行け」
言うやいなや、クロスボウを構えたロビンが住処から飛び出し、ドラゴンの目に向けて矢を放った。不意打ちをくらったドラゴンは残る片目でロビンに狙いを定め、口から火炎を放射。
ロビンの意図を汲んで飛び出したマリアが水の壁を前面展開して重傷を免れる。
しかし飛び散った火の粉で住処は燃えだし、ステラとシオは転び出る形となった。
ロビンが続けざまに矢を放ちドラゴンの注意を引きつけ、器用にも少しずつ戦う場所をずらして、森の中へ誘導している。だがいかに息の合ったあの二人でもドラゴンを相手にするのは苦しいものがある。
ステラとシオは後ろ髪引かれる思いで燃え上がる建物の影に隠れ、ドラゴンとロビンたちが進む方向とは逆側の森へと身を潜ませようとしていた。
しかし、入ろうとした時。悪寒がした。
腰に付けたままの『エルネラ』から、忘れていた恐怖がせり上がってくる。心臓が脈打ち手足が痙攣を起こしたように震え出す。
誰かが警鐘を鳴らしている。異常に気付いたシオがステラの手を握り、彼女の背後を確認して目を大きく開いた。
ドラゴンはロビンたちの前で身体を大きく反らせて、離脱を図る二人を猛追して来ていた。
『エルネラ』が意識に干渉して自分を使うよう責付いてくる。言われるがまま柄に手を掛けようとしたとき、青年に変身したシオがステラを担ぎ上げて全速力で森の中へと駆けだした。
迫るドラゴンを尻目に、シオは右へ左へと木の間を縫うように進み、相手を撹乱し時間を稼ぐ。その間にシオの魔素が前方の一点に収束しているのが、ステラの目でも確認できた。
……よく分からないが、何かしようとしていることは分かる。今できることはないかと、少ない知識を手繰り、取り敢えず身体を浮かせて重さを減らすことを思いついた。
実際にやってみると、シオが小さく笑った、気がした。
収束に手間取ったのかずいぶんと迂回をしてからシオは収束点を飛び越えドラゴンをその地点へ誘導し、そこにドラゴンが到達しかかったとき、シオは振り返り重厚な声音で唱えた。
「――顕現せよ、紫電の獣!」
叫びに呼応してドラゴンの前に八方からの大気が集まり渦を巻き、同等のサイズを持った空気の塊が表われた。気体の獣は身体の内側で放電を繰り返し、煽られた木々のざわめきの中でけたたましい産声を上げる。
ステラはシオにしがみつき暴風で飛びそうになる身体を必死に留めながら、その光景を見つめた。
獣は口を大きく開けた後、向かってくるドラゴンを一飲みにした。それだけに留まらず獣は持てる雷でドラゴンの分厚い表皮を焼き、対するドラゴンは獣を内側から食い破ろうと爪を立てている。
空気の壁を隔てて確かに起こっている激しい闘争を食い入るように見つめながら、二体の獣を置いて二人は戦線を離脱した。
***
「気配は追ってきていませんね。一端休憩しましょう」
木陰で休む提案をするシオの額からは汗が流れ、顔は火照り息も上がっていた。先刻の疲れ以上に、熱のような症状がぶりかえしてきているように思える。
ステラは賛同し、彼に細い樹に寄りかかるよう指示して、自分は地べたに腰を下ろした。
……別れた二人は今どうしているだろうか。無事だといいんだけど。
シオはバックから水筒を取り出して水を飲み、珍しく浮かない顔をしていた。
「あのドラゴン。嫌な感じがしました」
「『エルネラ』も突然動き出して、また寝ちゃった」
「『エルネラ』さんが……。そうでしたか」
二人は大きく深呼吸をして周りを見渡した。湿った地面、涼しい風、生き物の気配はない。けれど一息吐くほど暇はなく、今度は遠くから破裂音がした。顔を上げると鬱蒼とした森の茂みの上まで立ちのぼる赤い煙が見て取れる。
ステラは思わず顔を覆いたくなった。
あれはパーティ内では時々使用される信号だ。魔物を刺激する恐れもある為追われているタイミングでは使用されない。この場合位置を知らせるか、
「……別れて間もない場合だと、救命や敵の位置を知らせる信号となる」
シオもゆっくりと水筒をバックにしまい立ち上がる。
「行きましょう」
「大丈夫なんですか?」
「……あのドラゴンに会わなければ」
なるほど、救命に賭けたか。
「私もこれ以上のイレギュラーはごめんです」
二人は疲労の色の濃い笑みを浮かべ、歩き出した。
全くもって、青い空に禍々しい赤はよく栄える。これが罠だと訝かしめば私達には別の未来が待っていたのかも知れない。
木々をかき分けて進んだ先に表われたのは大きな穴。その下から煙が上がっている。
ああ、嫌な予感がする。とっても嫌な予感がする。
そうして、ステラとシオが内部を確認する間もなく、二人の足下も崩れ落ちた。