月は素敵な僕らの太陽(前編)
監視衛星『コテラ』の駐在員、ビクターは手にしたカップを置き呟いた。
「うん、今日も順調に暇だ」
栗毛の髪、豊かに湛えた髭、その容貌は地球人、とりわけ現地でゲルマン系と呼ばれている人類に酷似している。
唯一の違いは上機嫌に揺れている毛むくじゃらの尻尾であろうか。
「地球人がヒューマノイドだから、同じヒューマノイドという理由だけでここに派遣されてはや千年、思えば遠くに来たものだ、思えは永く居たものだ」
彼がカップを差し出すと、カップになみなみと琥珀色の液体が注がれた。
「今日もご機嫌に怠惰ですね、マスター」
ブロンドの髪と細身と体を覆うのは、純白のカチューシャと、袖の膨らんだワンピース、そしてエプロン。
メイが身に纏っているのは地球でメイド服と呼ばれている衣装だ。
その姿を遠めに見れば、地球人はメイドさんと見間違うであろう。
そして近づいて仰天するであろう。
彼女の顔には本来ある目・鼻・口という部品がなく、存在するのは巨大な丸型レンズと、そこに付随する各種小型センサ、彼女は監視衛星コテラの備品、現地人型ロボット、愛称『メイ』。
システム設定は十七歳の少女である、永遠の。
「ときにメイ、その服の機能はどうだい」
カップの液体を啜りながら、ビクターが訊ねる。
「原始的ですが、機能的ですわ。作業時の水滴飛沫、粉塵への一次防御としてはまずまずでしょう」
「そうかそうか、二百年前に徴用した、その服が地球で再びブームになっているから倉庫がら引っ張りだしてみたが、案外良い物みたいだね」
うんうんと頷きながら、ビクターはカップの液体を飲み干すと、机の端末に目を向けた。
「メイ、今週の業務はどうなっている?」
「はい、コスモ観光の調査員三名様が来星される事になってます。目的は地球観光の可能性の調査、との事です」
「むぅ、地球に観光名所なんかが出来ちゃうと、観光宇宙客人が増えて仕事が増えてしまってかなわんな。テキトーに対応するとしよう」
迎えるホストとしては甚だ不謹慎な言葉を吐き名がらビクターは机の上の雑誌に手を掛けた。
「ご安心下さいマスター、地球は生命系は豊富ですが、地形や気候も銀河星系の中では特に目新しい場所はないでしょう」
「そうだね、地球文明の遺跡巡りも、銀河じゃ似た遺跡はごまんとあるし、そういった遺跡を現在進行形で建造中という未開惑星があるしなぁ」
ビクターの手が虚空を切ると、端末には地球有名建造物であるピラミッド、大阪城、万里の長城が映し出された。
「せめて戦争でも起こっていれば、スペクタクルな絵を提供できるんだけどね」
「マスター、未開人への戦争誘発・幇助活動は未開惑星保護法で禁じられています」
メイが厳しい口調で嗜める。
「偶発的に現地人が起こした戦争なら、その法に抵触しないよ、メイ」
ビクターの手が虚空を走り、端末に過去の履歴が表示される。
「これを見てごらん」
メイの無機質なレンズの焦点が、端末に向けられる。
「これは俺が赴任したての頃の資料だ。この時代の、鉄の棒と鉄の鎧で殴り合うといった非常に原始的な戦争を上空から見るという観光ツアーが大ウケでね、当時は結構観光客が来たものだ。見所は、数十秒ステルス機能を削除して発光すると、地球人がひれ伏したり、俄然やる気になって突撃する所だな」
ふふん、と自慢気にビクターが語る。
「そうだったのですか。でも私が起動した百年前には、そんな観光ツアーの業務はありませんでしたよ?」
「ああ、その頃から戦争は銃火器の時代になっちゃったからな。塹壕戦は俯瞰で見るには動きが少なく、不人気で、ツアーは中止になってしまったのさ」
ビクターの手が再び虚空を切ると、端末には比較的近代の戦争の画像が表示される。
そこには、塹壕から半身を出して手榴弾を投げたり腕だけを出して銃を撃つ兵士の姿が映し出されていたが、上から見るとモグラがひょこぴょこしているようだ。
ビクターとメイはしばらくその画像を眺める。
ひょこぴょこ。
ひょこひょこ。
ぴょこぴょこ。
パーン。
兵士は動かなくなった。
「で、これはいつまで続くのですか」
二時間後、メイが質問する。
「あと三日くらい、そしたら、あの線『塹壕』ってのが一本増えるよ。この戦線が終わるのは一ヵ月後かな」
「これはこれで、いいのになぁ」
ビクターが遠い目をして呟く。
「マスター、過去の資料は記憶しました。ですが、今の地球の状態ですと戦争を観光協会へ紹介するのは無理のようですね」
メイが端末に触れると、地球の地図が表示される。
そこには戦争を示す髑髏マークは表示されていない。
「ああ、紛争レベルはあるが、恒常的に戦線が発生している情報は無いね。観光調査の日程も決まっているし、戦端が開くまで待って頂くのも無理だろう。今回はいつも通り、遺跡と食事のコースにしよう」
ビクターの合図で地球地図に旗が立つ。
そこが今回のツアースポットとされた。
「メイ、いつものセットを用意しておいてくれ」
「はい、光学的に地球人に見える現地迷彩発生装置と降下艇、消毒済の地球食を人数分ご用意しておきます」
「うん、頼んだよ」
そうして、ビクターは再び窓の外を、ただ眺め続けるという日常業務に戻っていった。
はい、始まった途端に前編ですね。すみません。
大体、2000~3000字くらいで話は区切ろうと思っています。
サブタイトルは「月は無慈悲な夜の女王」のもじりですね。