アースエリア・ストレイン
飛鳥はコテラに来ていた。霊体ではなく生身で、である。
飛鳥はまた肉体労働かと思っていたが、今回は違った。
とある異星人の地球観光の案内をして欲しいとの依頼だった。
普段なら飛鳥は降下艇カンカン号から地表に降りた後が担当になるからだ。
「ねえ、この三連休の間のバイトはモドラ星人を案内すればいいのね」
「ああ、そうだ。僕は忙しいから君に頼む。いや、ボーナス弾むから是非頼む」
書類とモニター画面を忙しなく眺めながらビクターが頭を下げる。
「あら、ビクターが仕事をしているなんて珍しいわね」
ボーナスという単語に目尻を緩めながら、
「仕方ないわね、やってあげるわ」
飛鳥は言った、己の愚かしさも知らずに。
そして、飛鳥は一人艦橋に立つ。
メイは買い出しで不在と聞いていた。
ハッチが開き、モドラ星人が姿を現す。
その風体は異形であった。
例えるならば、旧時代の潜水服、もしくは1900年代のSF小説の挿絵にありそうな宇宙服。
重厚で何重にも包まれた服、しかもそれは人型ではなく、何本もの手足が出ている。
飛鳥は昆虫に宇宙服を着せたら、こんな感じになるのかなと思った。
頭と思われるヘルメットの部分からは中が透けて見え、赤い球状の瞳が見て取れる。
「ようこそいらっしゃいました。管理衛星『コテラ』の現地採用案内人『アスカ』がご案内致します」
「Hello! Nice to meet you. My Name is Bapa」
「ほっ、ほワット!?」
飛鳥は困惑した。異星人の口から出て来たのが英語だったからだ。
「Do you understand in English?」
「じゃ、じゃすとありとる」
そう言うのが精一杯だった。
「ちょっとビクター、翻訳機の設定間違えてない!? 英語になってるんだけど」
飛鳥が虚空に目線を逸らし、ヘッドセットに語り掛ける。
「んー翻訳機は正常だよ。動作してないけど」
「はあ!?」
一瞬、変な声が出た。だが、数秒の間を置いて飛鳥は理解する。
この異星人は肉声で英語を話している事に。
「ああ、日本の方だったのですね。これは失礼しました。私はモドラ星のバパと申します」
今度は日本語だった。
「初めまして、飛鳥です。日本語……地球語お上手ですね」
「ええ、何度も来ていますから」
喜びか笑みを表現しているのだろうか、赤い目玉がヘルメット越しにクルクル動いた。
「へぇー、バパさんって英語と日本語だけでなく、スペイン語やラテン語、アステカ語まで話せるのですね」
「ええ、一杯勉強しました。私は地球人と仲良くしたいのです」
飛鳥とバパは降下艇カンカン号で地表に降りる間、他愛のない会話を交わした。
いい人じゃないのと飛鳥は思った。
地表では倉庫に扮した更衣室が用意されていた。
ビクターが言うには、モドラ星人の宇宙服は脱ぐのに手間が掛かるので専用の更衣室を準備したそうだ。
「お手伝いしましょうか?」
「いいえ、お構いなく」
ピッという電子音が聞こえ、宇宙服は蛹が割れるように背中から開いた。
ああ、やっぱり昆虫に似ているな。
それが飛鳥の正直な感想だった。
細身の蟻に似ている身体と六本の手足、大地に四本が着いている所を見ると、二本は手なのだろう。
「ふぅ、やっぱり開放感がありますね」
クキクキとストレッチをしながらバパが言う。
「それでは、よろしく頼みますよ」
指の本数は地球人とは違うが、バパが掌をスッと差し出す。
「はい、地球の良い所をもっと知ってもらいますね」
飛鳥も手を差し出し、二人は握手を交わした。
観光は順調に終わった。
異形の姿は光学迷彩装置でアメリカ黒人系の男性に扮した。
渋谷のスクランブル交差点ではしゃぐ姿も、金閣寺で写真を撮る姿も、大阪B級グルメツアーも、中国地方での森林浴も、全てつつがなく終わった。
二泊三日の日本観光を終え、再び更衣室で宇宙服を着たバパは、降下艇でコテラに戻って行った。
飛鳥とは地表でお別れだったが、二人は握手と軽いハグを交わし、別れを惜しんだ。
「マスター、飛鳥さんから連絡です。今日は風邪で休みます、との事です」
「そうか、やっぱり」
「やっぱりですね」
二人はうなずき合う。
「何かお見舞いを持って行ってもよろしいでしょうか」
「ああ、それが良いだろうな。ところでメイ、清掃消毒は終わったか?」
「はい、完璧に。ドックから降下艇内までピカピカにしました」
「そっか、なら僕も安心して惰眠を貪れるな」
安堵の溜息をついて、ビクターは椅子を傾けた。
机の書類とコンソールの画面は三日間変わってなかった。
「飛鳥ー、メイドのお友達がお見舞いに来てくれたわよ」
階下から母親の声が聞こえる。
飛鳥にとってメイドのお友達の心当たりは一人しかいない。
玄関に迎えに出ると、予想通りメイがビニールの袋を抱えていた。
「メイちゃんお見舞いに来てくれたの。ありがとう、ゴホッ」
いつもとは違うしわがれた声、呼吸の苦しさから来る猫背の体制で飛鳥は礼を言う。
「大丈夫ですか?」
「あー大丈夫大丈夫、解熱剤とタミフル飲んでいるから。立ち話も何だから上がってよ」
飛鳥の部屋でメイは見舞いの品を出す。
「はい、市販のスポーツドリンクと栄養ドリンクに果物、それといつもの霊体クッキーです」
「ありがとう、これで生き返るわ」
飛鳥は一気に栄養ドリンクを飲み干し、カットフルーツと霊体クッキーを口に入れた。
「あたしとした事が、新型インフルに掛かっちゃうなんてね。巴子や静子にも心配されちゃったわ」
ははは、と笑いながら、飛鳥はスポーツドリンクで果物を流し込む。
「でもスゴイです。飛鳥さん。いや地球の皆さんは」
「はい? なんで地球の皆さんみたいなグルーバル展開になるの?」
霊体クッキーで活力を取り戻し、栄養補給を済ませた飛鳥はちょっと元気を取り戻していた。
「ええ、あのモドラ星人と直接触れ合って、生きているというか、対処療法で済むなんて。これがマスターだったら銀河中央病院の集中治療室行きですよ」
飛鳥の怒りが宇宙を越えた。
「ちょっとビクター! あのモドラ星人って、どんな奴なの!?」
「いや、気の良い異星人ですよ。何をおっしゃっているのか分かりませんな」
霊体となった飛鳥の闖入にビクターが飄々と答える。
「正直に!!」
ドゴンと大きな音を立てて扉が大きく歪む。
それはポルターガイストという可愛らしいモノではなかった。
「わ、わかった。だから暴力は良くない。良くない」
「で、何が起きたの」
「うーん、起きたというか起きているというか。簡単に説明するとモドラ星人はキャリアなんだ」
「キャリアって?」
「地球の生物に例えると蚊が近いな。ジカウイルスとか日本脳炎とかウィルスや細菌を媒介する生物の事だ」
「えっ、バパさんは大丈夫なの? あなた達、異星人は病気への抵抗力が弱いんじゃなかったっけ?」
そう、かつてガルーという名の異星人が地球に訪れた時、地球の病原菌の前に半死状態になった事を飛鳥は思い出していた。
「大半はそうだな。病気に罹らないように抗体を持つのが一般的な進化で、文明の発展と共にそれは弱まっていく。地球人はその途上だな。だがモドラ星人はその方向とは違う進化を遂げた」
「違う方向って?」
「ウィルスや菌と共生する方向にだな。身体に多種多様のウィルスや菌が入っても大丈夫なように体組織の方を変化させる進化を遂げたのさ。彼らの身体には数千とも数万とも言われる種類の微生物が巣食っている」
蚊は生命の血を吸ってもその病原菌に侵されない。
他の生物に移すのみだ。
「だから彼らは本星を除き、銀河連盟の他の場所ではあんな重厚な宇宙服を着込んでいるのさ。他の異星人をに病原菌をばら撒かないようにね」
「そんな危険な生物を地球に持ち込んだっての!? 地球の生態環境を守るのもあんた達の仕事でしょうに!」
「違うな、僕の仕事は銀河連盟の加盟星系人の幸福と利益の為に地球を活用する事だ。それに」
「そ・れ・に!?」
「もう手遅れだ」
にこやかに笑いながらビクターは言った。
飛鳥の拳がビクターの顔を歪めた。
「いいんですかマスター、本当の事を言わないで。飛鳥さん『二度とモドラ星人さんを地球に降り立たせないで!』って言ってましたよ」
コテラから部屋に戻ってきた飛鳥から顛末を聞いたメイはビクターに問いかけた。
「本当もなにも、本当の事しか言ってないさ。一部を隠しているだけさ」
頬に霊障用絆創膏を張った姿でビクターは笑う。
「それに、言っても地球人の利益にはならんだろう。モドラ星人が地球人と友達になりに来ているなんて」
「彼らも難儀ですよね。本当は直接触れあいたいのに、キャリアであるがゆえに宇宙服越しでないと銀河連盟員と触れ合えないなんて」
「そうだな、彼らは本来、人懐っこくて、寛容で、ユーモアもあり、思いやりを持つ好い奴らなんだ。僕も何度か他のモドラ星人と会った事はあるが、彼らにはいっぱい世話になったよ。恩義を感じていると言ってもいい。それは僕だけじゃないはずさ」
「だから、地球なのですね」
「そうさ、前に飛鳥には話したが、地球の生物の特性は、その多様性にある。そして幾度の大量絶滅を乗り越えて来た頑健さにもあるのさ。だから、銀河連盟はモドラ星人の地球上での防護服無しを黙認している。地球人なら、モドラ星人が運んで来るウィルスや細菌への抗体を持つに至ると。そして彼らと直接触れ合える友になってくれると」
「だから、モドラ星人さんは少しずつ来訪して、ばら撒いているのですね」
「ああ、千年以上も掛けた壮大な計画だよ。過去には西アジア、ヨーロッパ、南米。ここ百年ではアメリカとスペイン、アフリカにも行ったかな」
「あー、その度に十万単位での犠牲生物が出てますね」
マラリア、黒死病、麻疹、スペイン風邪、エイズ、エボラ、人類は事ある毎に絶滅しかねない伝染病に晒されてきた。
「そうでもないさ、ここ最近では死者はグッと減った」
「でも難儀ですよね」
コテラのスタッフの中でビクターだけが真実を知っていた。
モドラ星人の地球来訪は非公式だが、銀河連盟に認められている。
地球生物の特徴は多種多様で頑健ある所だ。
それは、炭素系生命体ならば銀河連盟所属星系人に近縁種が高確率で存在するくらいに。
そして、その近縁種からはモドラ星人の運んで来る細菌やウィルスの抗体が採れるのだ。
それをモデルにしたナノマシンのバリエーションを増やせば、いずれモドラ星人と直接触れ合える異星人も増えるであろう。
ビクターも含め、銀河連盟員の大半はそれを望んでいるのである。
それが、何十万、何百万、億をも超えるの地球生命の犠牲の上に成り立つかと思うと、ビクターもメイに同調する。
「ああ地球人も難儀なものさ」
「あら、珍しいですね。マスターが地球人に肩入れするなんて」
「そうだな、今回ばかりは僕も地球よりさ」
今日も地球のニュースは流す。
アフリカで新たな感染症が発見されたと。
鳥や豚が新型インフルエンザに罹ったと、それが人へ感染する型へ進化したと……
今回は次々と発見されている新型細菌や変異ウィルスをネタにした話です。
でも、地球は何度も大量絶滅の危機に晒されていますが、地球単位で見ると、十万単位で人間が死亡しても、それは大量絶滅ではなく、ちょっとした病気の流行レベルなんですよね。
相変わらず恐ろしいですね。そんな事をお話にしてみました。
モドラ星人の英語が少し古いのは、前回訪問時の言葉だからです。
サブタイトルは「アンドロメダ・病原体」からです。