老婆と宇宙(そら)
日本のとある施設でひとりの老婆がその人生を終えた。
享年167歳(自称)。
身よりは無く、関東の某寺院に永代供養として埋葬された。
「あー今日は残念な事に仕事がある」
コンソールで報告書を打ち込みながらビクターはぼやく。
「マスター、そんなに暇がお好きなのであれば、銀河拡張員になってはいかがでしょうか?」
「やだよ、あんな危険な仕事」
ビクターは即答した。
「メイちゃん、その銀河拡張員って何?」
「物を知らんようだな飛鳥、よし僕が気分転換に説明してやろう」
お前には聞いてない、と飛鳥は思ったが、銀河拡張員が気になったのでビクターの申し入れを受け入れる事にした。
「いいか、銀河は広い、例え光速で移動したとしても、お前たちの時間の基準で何年も掛かる」
「そうね、地球から最も近い恒星でも約4.4光年掛かるって習ったわ」
「だからゲートを使う。ゲートは対になっていて、一方のゲートから入れば、数時間でもう一方から出てこれる」
「この太陽系の端にもあるわね。でも何で外れなの? 近い方が便利じゃない?」
飛鳥が疑問を口にする。地球を訪れる異星人はゲートから数日を掛けて地球にやってくるからだ。
「それは、単純に危険だからさ。ゲート事故が発生すると地球から月の十倍くらいの半径が消滅し、周辺にも大きな影響を及ぼすからだな」
「げっ! うん、太陽系の外れにあるのがいいと思うわ」
「そんな便利なゲートだがいくつか欠点もある」
「欠点?」
「ひとつはゲートは対にしかなっていない事だな。太陽系のゲートの行先は銀河辺境第7ハブだ。銀河連盟の中心星系に行くには、そういったハブを何度か経由しなくてはならない」
自分の故郷には、それからさらに三つハブを経由しなくてはならない事を思い出し、ビクターは少しうんざりした。
「ゲートに入る時に出口のゲートを指定出来ないんだ。それは結構大変ね」
「銀河連盟中央ハブはいつも大渋滞さ。移動時間より待ち時間の方が長いくらいだ」
「マスター、コーヒーをお持ちしました。飛鳥さんには霊体コーヒーを」
一時、会話の輪から外れていたメイが、良い香りと共に戻って来た。
「ご苦労」
「メイちゃん、ありがとね」
二人はお盆からカップを受け取り、喉を潤した。
「続けるぞ、他の欠点はゲートの技術が『始まりの六種族』に独占されている所だな。あの方々がゲートのコアを授け、それを基にゲートは作られる」
「『始まりの六種族』って?」
飛鳥は初めてビクターと出逢った時、それに縁があるかと聞かれた事を思い出していた。
「その名の通り、銀河連盟創立の六種族の事さ。遥かに高い技術力を持っている。亜光速戦闘機とか、ゲートのコア技術とか。僕たち一般銀河連盟より一段高い地位にある」
「へぇ、だからあたしがその『始まりの六種族』の縁者かどうか気にしてたんだ」
「無礼があってはいけませんからね」
メイのメモリ―の中にも『始まりの六種族』への特別対応マニュアルが格納されている。
「最後の欠点だが、ゲートは対になっているので、最初の設置の時は最寄りのハブから通常航法で目的地に持って行かなくてはならない。正確には部品を持って行って現地組み立てだな」
「えっ、それって光年単位の距離を?」
「そうだ。地球時間で百年くらい旅をする事になる」
「それが銀河拡張員の仕事なのですよ。銀河で最も暇で、価値がある仕事って言われています。お給料も高いんですよ。拡張員の方は過去に何度か地球にも訪れた事があるんですよ」
「へぇ、そんな異星人が来たんだ。やっぱ骨休め?」
「ショッピングだな。暇つぶしの道具を買いに来たのさ。さて、ブレイクはここまでにするか」
飛鳥の問いに応え、ビクターはコンソールを再び向かい合った。
「お待たせしました。ご注文のペットになります」
時を遡る事、百年弱、ビクターは地球を訪れていた銀河拡張員へあるモノを納品をしていた。
「ありがとう。これからずっと暇だからね。子供の成長相手が欲しかったんだよ」
「ご依頼通り、延命処置と深層心理にお子さんを自分の守るべき家族だと思うように致しました。震災で亡くした孫と同期させています」
「知能レベルは?」
「あなた方、トゥアー星人の少年期に少し劣る程度です」
「そうか、子守りには十分だな」
「はい、延命処置も旅の終わりまでは保つと思います」
「うん、満足したよ。これは約束の代金だ」
「ありがとうございます。では、旅の無事を願っています」
そう言ってビクターは手にした火打石をカツンと鳴らした。
「それは? この星の土着風習です。お浄めと旅の無事を祈る行為だそうですよ」
「そうか、それも追加で頂こうか」
「毎度あり!」
ビクターは満面の笑みで応えた。
「ハル坊、危ないからそっち行っちゃだめよ」
老婆が走り回る幼児の後を追っかける。
幼児用の教育プログラムを流しているうちに、老婆はトゥアー星人の言語を学んでいた。
「ハル坊、おやつ食べんしゃい」
老婆が食料BOXから幼児用の食料を取り出す。
「バーちゃん、何でハルとバーちゃんの食べ物違うん?」
「バーちゃんが食べる物は大人向けやからよ」
老婆はそう言うが、実際はトゥアー星人と地球人向けの食事が分かれているからだ。
「バーちゃん、お話して」
「ええよ、じゃあ今日は浦島太郎のお話しようか」
老婆は自らの知識の限りの昔話を何日も、何日も語った。
「バーちゃん、鶴折れた」
「ハル坊は鶴を折るのが上手やね。じゃあ、連鶴を教えたる。翼を繋いで空を舞うんや」
老婆の手本を見て、少年は長い帯のような紙に切り込みを入れて折り始める。
連鶴の珠が出来た。
「鬼灯みたいで綺麗やわ。ハル坊は折り紙じょうずやね」
老婆が少年の頭を撫でて微笑む。
トゥアー星人の立体構成思考、空間把握能力は地球人を遥に超えている。
「バーちゃん、あの問題溶けた」
「ハル坊は算額が得意ね。あれ、バーちゃんが知っとる一番難しい問題やのに」
「教育コンピューターの問題と毛並みは違うけど、本質は同じだからね」
トゥアー星人の数学能力は地球人の限界の先にある。
「バーちゃん、最近元気ないな」
「延命処置の限界なんだろう。しょうがないさ。それよりも目的の星系に到着するぞ、これから忙しくなるからな」
「わかっているよ父さん。マニュアルは完全に覚えたさ」
老婆は一人、宇宙船の一角に鎮座している。
コンピュータの記録では、彼女がこの宇宙船にペットとして登録されてから、ハルが成長をするまで、彼女の母星の時間で八十年が経過していた。
その後、ハルが自立して、この宇宙船の主の隣でサポートを務めるようになってから十年、彼女は毎日、壁を見つめるだけになっていた。
『よし、初期接続を開始するぞ。成功すればシャトルで処女潜航の開始だ。ハル、そっちの準備は良いか』
『大丈夫だよ、父さん』
船のメイン管制室とサブ管制室に別れ二人は眼前に広がるリングを見つめる。
直径2kmのゲートは宇宙空間に静かに佇んでいる。
『よし、接続開始」
『接続開始!』
リングの中の暗黒が一層暗い暗黒になる。
それと同時に振動が宇宙船にも伝わって来た。
空間移送前駆波である。
それは標準値を超えていた。
『ハル! 空間移送本波が来るぞ! 備えろ!』
『備えろって、どうすればいいのさ!』
二人の焦りの声が聞こえた。
同時に宇宙船の全体が大きく揺れた。
ハルの上の天井に亀裂が入り、落下した。
意識を取り戻した時、ハルは自分の上に何かが載っており、床に倒れ伏しているのを感じた。
同時に脇腹に激しい痛みも。
床は濡れている、それはハルが初めて感じる自分の体液の感触だった。
助けて父さん、救護ロボは何しているんだ……
彼は叫んだつもりだったが、音にはなっていなかった。
彼は自分が想像よりも負傷している事に気付き恐怖した。
だが、それも音にはならなかった。
「ハル坊、そこか」
声が聞こえる、懐かしい声だ。
ペットの地球人だ。
「いま助けたるけね」
どうやって来たのだろう、あのペットは相当弱っていたはずだ、もはや歩行も困難なくらいに、彼はそう思ったが、そんな事よりも助けが来た事が嬉しかった。
ズリズリと音が聞こえる。
「ハル坊きたよ。今、持ち上げたるけね」
そう言って、老婆は伏していた状態から、肘と膝を立て、彼の上に載っている、かつて天井だった物へ力を込めた。
上がるはずがない、自分が何度か持ち上げようとしてダメだったのだ。
だが、そんな彼の想像と絶望を打ち砕いて、彼を拘束していた物は持ち上がった。
「ハル坊、今のうちに這い出んね、早く!」
その声に従い、彼は四肢に力を込め、這う。
そして、落ちた天井の下から抜けたその時、それはガクンと一段下がった。
ハルは老婆が力尽きた事を悟った。
そして、ハルの意識も深い闇の底へ沈んでいった。
その後、ハルが医務室で意識を取り戻した時、彼は自分の愚かしさを悟った。
「よかったね。ハル坊、無事で」
老婆が彼の手を握り喜びの涙を流していたのだ。
後にハルは、野生動物の筋力と生命力は老齢といえどもトゥアー星人を凌駕しているという事を学んだ。
「もう、ハル坊が救えなかった夢を何度も見たけね。今度こそは助けたかったんよ」
老婆の言葉が何を示しているのかは分からなかったが、そこからは強い意志と悲しみが感じられた。
『よし、では処女潜航を開始する。準備はいいなハル』
『大丈夫さ父さん』
それから少し時は流れ、ゲートは補修を受け、再稼働した。
今度はシステムは全項目正常である。
だが、全項目が正常といえども、処女潜航における失敗率は数%ある。
そして失敗率=死亡率なのである。
銀河拡張員が最も暇で、最も価値があり、最も危険な職業と言われる所以である。
『向こうに着いたら、ちょっと寄り道してバーちゃんを故郷に帰して来るね』
『そうだな、彼女には十分世話になった。最期は故郷で迎えさせてやろう』
そして二人は星の海に旅立つ。
関東のとある土地で一人の徘徊老人が保護された。
身寄りは無かったが、とある商会の人物が後見人となり、上質の施設に入る事になった。
後見人は「アフターケアも仕事の内ですから」と言っていたらしい。
数年度、その老婆が天寿を全うした。
その墓には見事な百連を超える連鶴が供えられていた。
施設の職員は語る。
彼女は最後の方はボケが酷くなって、維新三傑と面識があるだとか、震災と言えば関東大震災の事だとか、銀河の中心で異星人に折鶴を教えただとかを語っていたそうだ。
享年98歳、大往生である。
彼女は生前、語っていた。
自分は今年で167歳の皎寿を迎えたと。
たまに海外で百ウン十歳(自称)の人がニュースになりますよね。戸籍が定かではないので公式には認められませんが。
これは、それが実は本当だったら、というお話です。
皎寿は作者の創作で、百と六と八で168、それから百のヘンから一を引いたので167という意味です。
サブタイトルは「老人と宇宙」からですね。
当初は「老人と星の海」にしようと思ったのですが、やはりSF系からにしました。
微妙な計算の誤差は目を瞑って下さい。