里山戦争(後編)
山に入り数時間、一同は茶色の肉塊を見つけていた。
ヒグマの死体である。
「ねぇ、これって……」
「間違いないな。ガルーの仕業だ」
地面に横たわる肉塊は腕が折られ、首は数回転されたような捻じりが見て取れた。
周囲の木々には数百キロの巨体がぶつかったと思われる跡が残っていた。
「死んでから数日は経っているようですね」
ヒグマの死体を観察していたメイが言う。
「じゃあ、ここからそう遠くない所にガルーがいるな」
「ね、ねぇ、出直さない? もっと人手を増やして、装備を充実させた方がいいと思うな」
ヒグマを軽く捻り殺す存在を前に飛鳥が不安そうな声を上げる。
「そんな暇は無い。大丈夫だ、この生命感知装置があれば不意打ちされる事はない。逆にこっちから不意打ちして網を掛ければ僕らの勝利だ」
ビデオカメラを除きながらビクターは自信たっぷりに言った。
「ねぇ、そのビデオは強い生命反応を感知するとメイちゃんだけに聞こえる周波数でアラームを出すって言ってなかったけ?」
「ああそうだ、通常のアラームではガルーに気付かれてしまうからな」
僕がそんな初歩的なミスをする訳ないだろといった風にビクターが答える。
「ガルーって少し角ばった灰色のクマっぽい風体だって言ってたよね」
「なんだ飛鳥、もう特徴を忘れたのか」
「あそこにいるのは角ばった灰色のクマっぽいよね」
「そうだな……」
二人が驚愕の表情を浮かべて振り向き、メイの顔を見る。
「え、ええええ、何も聞こえてませんよ」
メイが困惑した声で応えた。
二人は再び振り向く、今度は角ばった灰色のクマっぽいやつを。
のそり、とソイツは身体を起こし、一同に顔を向ける。
目が合った。
ソイツはこちらを認識するなり、駆け出した。逃げる方向ではなく一同の方向へだ。
「メメメメ、メイちゃん、あみ、網!」
「アアアア、アスカさん、ますい、麻酔銃!」
「ボボボボ、僕は悪くないぞ。このビデオが悪いんだ」
うろたえながらもメイがネットガンを発射する。
その網は対象を捉え、ソイツはもんどり打って転ぶ。
「当たれぇ!」
飛鳥が雄たけびを上げ、麻酔銃を打つ、何度も。
その針は目標命中した。
「まだだぁ!」
飛鳥は駆け出し、右手からスタンスティックを取り出すと、それをソイツに叩き付けた。
バチィ! と電撃が弾ける音が響き、そして再び響いた。
「はぁ、はぁ、殺ったか!?」
「物騒な台詞を言うんじゃない! これだから野蛮人は……」
すっかり動かなくなったソイツに近づき、ビクターは生命反応を確かめる。
ビデオから伸びたコードが網の隙間から対象に巻き付き、その身体を走査する。
「うん、間違いない、ガルーだ」
「良かったですね。動きがシュミレーションより遅かったので地球のクマさんかと思いましたよ」
「いやいや、クマさんはこんなに角ばってないよ」
手を前で横に振って飛鳥が否定する。
「よし、走査完了。麻酔は効き過ぎなくらい効いている。このまま、ガルーが乗ってきた着陸艇に向かうぞ」
ガルーの網を外し、ビクターが身体を探ると、棒のような物が出て来た。
「よし、壊れてないな」
ビクターが棒を操作すると矢印のビーコンが現れる。
一同はそのビーコンに従い、森の中を進む。
完全に動かなくなったガルーを連れて。
「お、重い」
クマに匹敵する重さのガルーは飛鳥とメイの二人で抱えているとはいえども重たかった。
一同が少し開けた場所に出ると、再びビクターは棒を操作する。
虚空に線が入り扉が現れた。
「よし、中に入るぞ」
一同が中に入ると、豪勢な内装であったと思われる備品が部屋の中にぶちまけられていた。
「やはりな」
ビクターはそう呟くと、コンソールに向かい、着陸艇の状態を確認する。
「よし、機能に問題ない。メイ、ガルーと一緒にこいつでコテラに帰還しろ。僕は乗ってきた着陸艇に戻り、そっちで帰還する。飛鳥とは街に戻ったらお別れだ」
「了解しました」
「やっと終わり。あたし疲れちゃった」
メイに手を振り、二人は山を下る。
「終わってみれば思ったより簡単に済んだわね」
「そうだな。あの熊に感謝だ」
「へっ、あの熊って途中でくびり殺されていた熊?」
あの熊と言えば、心当たりはひとつしかなかった。
「そうさ、死体を見た限り、熊とガルーの闘いは一方的だったように想像されるが、実は違ったのさ」
「熊さんは相討ちに近かったって事?」
そう言えば前情報よりガルーの動きは鈍かった。熊を越える力にピューマの速さと立体機動を合わせ持つ、それが飛鳥に与えられていた情報だ。
それに比べ、先ほどのガルーの動きは鈍かった、あれでは小型犬の方がスピードが速い。
考えられる原因は熊との闘いで重傷を負っていた事だ。
「いや、かすり傷さ。ガルーにあったのは」
「それくらいの傷で動きがあんなに鈍くなるの?」
「いや、傷が原因じゃない。原因は病原菌さ、地球のな」
「はぁ!? あんた達、地球を遥に超える文明を自慢しているのに防疫もしてないの!?」
飛鳥の驚きはもっともである。別の星に行くのだ、彼らの言う所の未文化の星に。
現地の病原体に対する備えをしておくのが当然である。
「違う違う、予防はちゃんとしてある。もちろん僕も。だが、今回はガルーにとって悪い要素が重なり過ぎた」
「逃亡中だったからって事?」
「そうだな。馬鹿な飛鳥にも分かるように説明してやろう。理由の大きな部分は、ガルーは熊にかすり傷を付けられた事だ。その爪でだ」
「ああ、獣の爪は雑菌だらけって聞くわね」
「そう、ときに飛鳥、お前は熊に傷を負わされたら死ぬか?」
ビクターが尋ねた。
「んー、傷によるけど、爪傷程度なら水洗いして、消毒して、病院に行って手当と抗生物質をもらって消化に良い物を食べて休息を取れば、まず死なないわね」
正しい対処法付きで飛鳥が答えた。
「そうだな、でもそれで地球人が助かるのは、地球人だからだ」
「免疫があるって事?」
「そうだ、もちろん僕らも未開の星に行く時に防疫を考えない訳じゃない。標準のナノマシンによる防疫手段があり、ガルーもそれの処置はしていた。あの散らかった部屋はガルーが必死に船に装備されていたナノマシンを探した跡だな」
「へぇ、じゃあ手遅れだったのかな」
「そうじゃない、地球の病原菌は特別なんだ」
「強力って事?」
「ちょっと違うな、厄介なんだ。具体的には多種多様過ぎるって事さ。だから僕や正規の来訪者は地球向けにカスタム化されたナノマシンによる防疫処置を受ける」
「そっか、あたしたちもヨーロッパと東南アジアでは長期滞在で受ける予防接種は種類が変わるから、それと同じって事か。ガルーの防疫は標準品な上に傷を受けたので病気になっちゃったんだ。あの行動は助けを求めてたからなのかな。悪い事しちゃった」
逃げるのではなく、ゆっくりとした動きで近づいてきたガルーの行動を思い出しながら飛鳥は言った。
「では質問だ、なんで地球の病原菌や生態系はそんなに多種多様だと思う」
「えーと、四季があって、海があって山があって砂漠や氷河があるからかな」
「それじゃ半分だな」
ビクターが小馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「じゃあ、正解って何よ!」
「そうだな。これはお前たち地球人が未だ未開人である事に関わっている。簡単に言うと、この地球の生命は何度も絶滅しかけている。大規模なもので五回、小さい物も含めると何十回もだ」
「えっそんなに? 恐竜が滅びた時だけじゃないってこと?」
「そうだ、お前たちの呼び方でも、恐竜が絶滅した白亜紀末、アンモナイトや初期大型動物が絶滅した三畳紀末、海洋生物も含め生物の9割以上が絶滅したペルム紀末、海洋生物の8割以上が絶滅したデボン紀末、三葉虫や貝類といった初期繁栄海洋生物の大半が絶滅したオルドビス紀末の五回だ」
「でも、今、あたしたちが生きているって事は、絶滅から生き延びた種が再び繁栄したってこと?」
「そう、その度に新しい環境に適応した進化を遂げているが、不要となった過去の遺伝子は消えた訳ではなく、ジャンクとして残っている。状況によっては再び顕現するだろう。細菌やウィルスは特に顕著だな。馬鹿なお前でも知っているだろ、病原菌やウィルスの変異の話は」
「ああ、テレビでやっていたわね」
冬には新しいインフルエンザの型についてのニュースが流れる事を飛鳥は思い出していた。
「そう、でもお前ら地球人はそれに対応出来る抗体を持っている。いや思い出すと創り出すが正しいかな。だから、健康な個体が十分な栄養と休養を取ればまず重篤な状態にならないし、熱を下げたり、呼吸を助ける程度の対処療法で対応出来る。ウィルスの中には古代ナノマシン兵器の残骸やその他の要因があってもだ」
「げっ! あんたら地球にそんな物、撒いてたの!?」
「銀河連盟はそんな事しない! だが、そうとしか思えないウィルスも存在するのも事実だ」
まあ、銀河連盟公式外の要因は否定出来ないがとビクターは心の中で呟いた。
「ガルーの最大の不幸は逃げる先に地球を選んだ事だな。まあ、僕もお前もある程度の防疫体制を整えているし、耐性も持っているが、熊に大怪我を負わされると危険だけどな」
「そうね。あたしも野犬ならともかく、熊から生き延びるのは難しいかもね」
野犬程度ならば大丈夫なのかとビクターは心で突っ込みを入れた。
ガサッ
山道を下りていく二人の横から大きな音が聞こえる。
そして犬とは思えない大きさの黒い影が見えた。
「な、なぁ、難しいだけで、出来ない訳じゃないだろう」
その音に気付いたビクターが飛鳥に声を掛ける。
「む、むりよ。あたしはか弱いJKなのよ」
「野犬をあしらえると公言するJKが何を言っているんですか?」
ガサガサッ
音が近づき、影も大きくなる。
「こ、こんな時は……」
「頼むぞ現地人、僕は死にたくない」
飛鳥は初めてビクターの期待に満ちた目を見た。
「大声を出しながら逃げる!」
「あっ! 卑怯だぞ! 僕を置いて行くな!」
二人は駆け出す。
「た、助けて!」
「ヘルプ! ヘルプ!」
山道を転げるように二人は走るが、その後ろから大きな音も聞こえてくた。
二人の息が乱れ、足の回転が新記録を達成したその時、
「正義のマタギ参上!」
パーンという銃声と野太い男の声が聞こえた。
音の主は猟友会と思われる格好をした男。
飛鳥はその後ろに回りこんで、振り向きたくても見れなかった方向を見た。
ガサッ
二人が見た者は銃の音に驚いて逃げて行く熊の姿だった。
「あれあれ、ここは山じゃぞ、色っぺぇ姉ちゃん」
ビキニアーマー姿の飛鳥を見て、猟友会の男は顔をにやけさせた。
その後ろではビクターは茂みに頭から突っ込んでいた。
次からは地球の原生生物への対策装備を持って行こうとビクターは心から思った。
※この後書きは他作品のネタバレを含みます。
この話は宇宙戦争のオチと同じく、地球の病原菌で宇宙人がやられるという話です。
でも、遥に高度な文明を持った宇宙人が防疫を考えないなんて事あるのでしょうか?
という所から生まれました。
地球の文明が銀河連盟から遅れている原因も大絶滅でリセットが掛かっていたという設定ですね。
よく生き続けていると思いますよ地球の生命は。