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お嫁さん、転生。

 うちの野良ネコが死んでいた。


 縁側の腰かけでひなたに触れたまま、目を閉じて横たわる一匹の黒猫がいた。実はけっこう愛着をもっていたと知ったのはこの時だった。

 毎朝平屋を囲む低いブロック塀を伝い敷地内に降り立って、お気に入りの場所を借りますね。とでも言う様に「にゃあ」と鳴いた。

 いつまで経っても首輪のつかない黒猫にエサをやったことはない。名前もつけず、ただ気まぐれに一言、二言、うっかり話しかけた事があったぐらいだ。たいした縁も無かったはずなのに、黒猫はこの場所で死んでいた。

「こんなもんでいいか」

 自宅の庭、掘りかえした穴を見つめ一息つく。

 冬の空にはうっすら、灰色の雲が浮かびつつあった。


 俺は大学を中退してから、この小さな平屋を借りていた。六畳の居間と客間、あとはイラストを描く仕事用の部屋と、あふれた資料置き場を兼ねた寝室がある。風呂とトイレもついており、近所は静かで、独りで暮らすにはなんら不自由がない。

「掘れたぞ、ノラ」

 シャベルをおいて振りかえる。

 庭の手入れなんてろくにしたことも無かったが、むかし付き合っていた彼女が、園芸をしたいと言って買ってきた道具が納屋の奥にそのままだった。

「っつーか、いくらなんでも掘りすぎたな、これ」

 あまり深く考えず掘っていたせいか、庭の中央に結構でかい穴ができていた。手足を畳めば、人間でも入っちまうかと詮無い事を考える。ついでに良い運動にもなったかな、とか。

「それじゃ、おつかれさん」

 野良ネコを両手で抱きかかえる。名前のない猫は軽かった。思えばこいつは、それなりに長い顔見知りではあった。

 ひ、ふ、み。と、頭の中で指折り数える。

 だいたい四年かそこら。

 姿を見せた時にはもういくらか歳を食っていたようだし、野良とはいえ、実際のところは大往生に近かったのかもしれない。

「だったらもう少し、気前の良い家で亡くなっとけばいいもんを」

 ノラ、黒猫を土のなかに置く。掘った土をかぶせて埋める

。小さな姿はすぐ埋まり、あとは手近なところに転がっていた石と、風に吹かれて飛んできた花を添えた。両手を合わせて瞑目する。

 

『ねぇ、まって』

「うん?」 

『ウチ、まだ三途の川渡ってないんです』

「は?」

『お願い。もうちょっとなんです。埋めんといて。掘り起こしてお側において』

 誰かなにか言ったか?

『こんなんイヤ。せっかくもう少しで、旦那さんと一緒になれたのに』

 幻聴だろう。

 まるで図った様に肌寒い風も吹いたが、単なる偶然だ。

 今は二月の終わり。近所では梅が咲きはじめ、メジロやヒヨドリの姿を見るようになったとはいえ、日中でも風は冷たいのだ。背筋がうすら寒くてもなんら不思議な事はない。

「誰もいないよな?」

 いるわけがない。目を開けても特におかしなものは見えない。晴れた休日の空を仰げば、太陽も堂々と斜光をのばしている。

「んじゃ、そろそろ買い物に行くか」

 今日も普段通りの一日だ。

『まって。まってよぅ。ウチ、まだ貴方の足下におるんですよ?』

「あー、今日はいい天気だなー」

 ただしところにより幻聴が激しい模様。

 俺は職業柄、和洋西洋問わず、様々な化物のイメージを紙上に描き移してきた。伝奇や怪談の資料にも繰りかえし目を通してきたが、実際お目にかかった事は一度もない。勿論これからもないだろう。

『旦那さん。ねぇ、旦那さんってばぁ!』

「さーて買い物、買い物。日用品に、食糧に、コピー紙に」

 徹夜明けに近い自分の眉間を指でおさえた後、なるべく下を見ないように振り返る。明るい空のした、家の中に戻ろうとした時だった。


『ウチのこと、お嫁にしてくれるて言うたよね?』


 ぼこっ。もこもこもこっ。

 聞こえない。俺には何も聞こえていない。嫁だの旦那だのという言葉は、現代に寂しく生きる独り身の幻聴であってけっして、そんな、


「ウチの、旦那さん、待って~っ!」


 ばこんっ! と土くれが散った。というか、庭がまるごとフッ飛んだ。

「いでっ! いたたたでっ!?」

 血飛沫のように。掘り返したばかりの土くれが腕や頬に飛んできた。背後の仕事場に繋がる窓ガラスにもぶつかりガタガタ鳴った。

「な、な、なんっ、なんだよっ」

 とっさに自分の目元を両手でかばいつつ、衝撃が弱まった後に見えたのは、

「ふにゃぁ~」

 手でひさしを作った、色白で、長い黒髪を揺らす、美しい裸の女だった。

「おてんとさま、まぶし~っ」

 そいつの口元がほころぶ。かと思えば、形の良い顎のラインと鼻梁が細かくふるえ、吹きだす様にくしゃみした。

「くちゅんっ! さ、さむぃよぅ~! なんでこんなに寒いのん?」

 大人びた顔立ちとは裏腹に、言葉づかいや仕草は子供っぽい。

「あぁ、そっかぁー、毛皮がないんやっけねぇ」

 女は自分の裸体を両手で抱きしめた。その頭の上には黒い三角耳がへたりと垂れていて、尻の後ろから覗くのは二振りのしっぽだ。

「あ、旦那さん」

 こっちを見た。金の色を宿した眼だった。

「その毛皮、あったかそうですねぇ?」

「こっちに来るんじゃない」

「でも。さむいんです。ウチもそれ、ほしいよぅ」

「来るな。そこでじっと、おわ!?」

 後ずさったら、とつぜん視界が上下した。うっかり置いてあったシャベルの柄を踏んづけてしまったらしい。情けない感じに縁側に尻もちをついた時、裸の女はここぞとばかり飛びかかってきた。

「旦那さぁーんっ!」

「うわああぁーっ!?」

 上半身がさらに押される。窓を半分開けたままにしておいて良かったのか悪かったのか、後頭部がサッシを超えて、カーペットを敷いた室内の床に落ちた。

「あったかぁいっ! えへへ。ウチ旦那さんとくっついてる。ぎゅ~ってしてるよぅ」

 やわらかい。そして女の基礎体温が高いのか、あたたかい。

 甘い、色気のある匂いが、梅の匂いと共に運ばれて香った。

「わー、わぁー。やっぱ全身つこて、ぎゅーってするのえぇですねぇ」

「こ、らっ、よせ、やめっ、ろ!」

 力を込めて押し返すと、さすがにこちらの方が上だった。体制を持ちなおせば、改めて女の全身が間近で映る。

(で、でかいな)

 どこがって、そりゃあ。

 思い、あわてて目を逸らした。というかせめて「それ隠せよ!」と怒鳴ろうとして、


『たっけや~、さおだけ~』


 耳になじむ、全国でおなじみのフレーズが来た。

『お気軽にぃー、声をぉー、おかけくださいー』

「ッ!」

 お気軽にこの場面を見られたら、通報される先は警察だ。事情はどうあれ、まっ昼間から全裸の女がウチの庭で晒しものになっている事実に血の気がひいた。

「とっ、とにかくっ、中入れバカっ!」

「ひゃんっ」

 変な声をだすな。

 相手の肩口を手前に引っ張り、急いで仕事場の中に逃げる。モスグリーンのカーテンを引いて窓を閉めて陽をさえぎり、部屋がうっすら暗くなったところで、ネコマタの女が頬を赤らめた。

「だ、旦那さん、そんな、昼間からなんて強引ですん……」

「ちげえ! あと俺は旦那でもなんでもないっ!」

 事態を少しでも好転させるべく、仮眠用に置いてあった毛布を投擲する。

「とりあえずそれで隠してろ! ってか、なんなんだおまえ!」

「えへへ。ウチ、ノラです。旦那さんのお嫁さんになりとうて、なんか黒いヒトから三途の川渡れて言われたけど、逃げて戻ってきたんです~」

 毛布を抱いた「猫耳女」が予想通りの答えを口にした。即座に言い返す。

「帰れ。素直に川を渡ってこい」

「イヤですん!」

「嫌で済むか。っつーかおまえ、さっき確かに死んでたよな?」

「せやから言いましたやん。戻ってきたって」

「あっさり戻ってこれるかあッ!」

「せやから、たいへんだったんです。ウチね。ねこまたに化けれるギリギリ前に死んでしもうたらしいんです。それはもー必死に逃げて、逃げて、こっちに無事に戻ってきたんです」

「何をもって無事っつーんだそれは。もしかして、生き返ったのか?」

「えっと。心臓は止まってるみたいなんで。主にそれ以外、無事ですん?」

「無事じゃねぇ! 主にメインエンジンからしてダメじゃねーかよっ! おまえは一体どうやって動いてるんだっ!?」

「こころ、という予備動力がありますん。あいは、さいきょーですね!」

「わかった。おまえに常識は通用しないんだな」

 急に面倒くさくなってきた。異性と話の視点が交わらないことは、この世で一番面倒くさい。すると予定通り買い物に行けないことに苛立ち始める俺がいた。

「おい、ノラ猫女」

「はいな?」

「適当に余ってる服くれてやるから、その足で警察なり保健所なり、どこへでも行け」

「そ、そんなこと、言わんとってよぅ……」

 渡した毛布を抱いたまま、顔がくしゃりと歪んだ。ぽろぽろ、泣きはじめた。

「うっうっ、お嫁にしてくれるて。あの時、確かに言うたのに……」

「しらん。野良猫に求婚する残念なバカ野郎なんざ、俺の記憶にはない」

 眉をしかめると、人になったノラが眉を寄せて、まっすぐ指を突き付けた。

「そんなことないです。ウチの目の前におる貴方が、確かに言いました」

 まっすぐ、金色の瞳の中に。吸い込まれた。


 *


 ずっと通じ合っていけると考えていた相手が、とつぜん理解不能な別人へと変わる。

『今までありがとう』

 俺にとっては、一瞬の、鮮烈な切り替わりだった。

 別れを切り出されたあと、どうやって家に帰ったのかよく覚えてない。気がつけば机に向かい、苦い記憶が吹っ切れるまで絵を描いた。

 俺は「絵描き」だ。

 当時はうら寂しいものが広がれば、嫌な記憶を混濁するべく酒にも逃げた。

 絵を描くか、酒を飲むかの二択を繰り返していたら、ブッ倒れた。

 そうして酔いつぶれて窓の鍵を掛け忘れた日、肉球を用い、ぺたぺたと窓ガラスを開く足音を聞いた。

『にゃー』

 当時の俺は昼も夜もなく、ついでに絵はまったく売れず、金は減る一方で底をつき、人生はお先まっくらだった。だけどその時、不意にそこだけ明るい光がさしているように見えて、それを両手に抱いた。抱きながら、腹の底に淀んだ黒い吹き溜まりを曝け出した。

『そうだなー。俺はなー、甲斐性なんざないんだろーなー』

 床に転がり愚痴った。それから、みっともなく泣いた気もする。

『にゃー』

『なんだよ。そうかよ。じゃあおまえが嫁になってくれるかぁ。日本昔話でお約束だよな。人間モドキの妖怪にてんせーして、二人は幸せにくらしましたとさ』

『にゃー』

『そうだなぁ。ねこまた一匹ぐらいならなんとかしてやらーよ。俺は下手な絵ぐらいしか描けへー男だけど……。うあ……つーか……頭、いてぇ……」 


「にゃー」

 その声に我に返った。俺は途端に顔が赤くなり、口元を抑えてしまう。

「思いだしてもらえましたん?」

「よ、酔っ払いの戯言を真に受けるな妖怪っ」

「戯言かて、きせーじじつですもーん」

「妙に生々しい単語を使うな。あと用法もたぶん違うっ」

 というかまともに思い返すと発狂しそうになる。

 ヒトの「最新黒歴史」を発掘しないでくれ。死ぬから。俺が。


 とりあえず服を貸した。貸しても妖怪は帰らなかった。

「ふわっ、ふわ~。おようふく~」

 居間、食事をする机の向かいには、俺の服を着せたノラが小躍りしている。シャツに黒ネックにトレーナー。下はジーンズという、色気など微塵もない男の部屋着ばかりだが、やたらと嬉しそうにはしゃいでいた。

「初めてのお洋服、ぬっくぬくですん。うっすら、旦那さんの匂いもしはりますし、えぇお着物ありがとうございます」

「ただの安物だから」

「せやかて十分です。あっ、お茶でも飲みますん?」

「え、あぁ、じゃあコーヒー」

「はいな。ちょっと待っとってくださいな~」

 うっかり応えてしまうと、そのまま台所を占拠されてしまった。

「おい、なんでその辺の作法にはさらっと詳しいんだ」

「旦那さんがやってたの、ちゃんと見てましたもん。えーと、こーひーって、これですよね?」

「それは紅茶だろ」

「あれ、じゃあこっち?」

「それは味付け海苔……。もういいから、おとなしく座ってろ」

 俺は立ちあがり、ほわほわした「ねこまた女」から味付け海苔の筒を取りあげた。


 *


 結局、すぐ隣で二本のしっぽをぱたぱたと振るう気配と視線に晒されながら、もっとも手軽にできるインスタントコーヒーの煎れ方を指南するはめになった。

 最後に電気ポットの頭を押さえ、こぽこぽと湯が注がれて。

「できましたー。はい、どうぞ~」

「ありがとう」

 茶の間の席に戻り、ずずっと啜った。なんだかんだで、久しぶりに誰かが淹れてくれた茶を飲むのは悪くない。っつーか俺、完全に流されてねぇか。

「ねぇ、旦那さん?」

「な、なんだよ」

 テーブルの向かいに座ったノラ猫は、にこりと笑った。

「ウチはね、思うんです」

「何を思うんだ?」

 いきなりなんだよ。

「ウチがねこまたやったりとか、しんぞーが止まってたりだとか。そーいう細かいことは、気にしたってしょうがないですよね」

「しょうがなくねぇよ、大問題だよ」

「でもおたがいのダメなとこはバレてんですし、適当でえぇとこは、おたがい適当に済ませていきましょ、ね?」

「それが夫婦の秘訣みたいに言うなっ」

 俺は頑固おやじよろしく、湯呑みの底で机を叩きそうになるのを必死に耐えた。ただし眉間には目いっぱいシワが寄る。

「だいたい死んだはずの野良猫が猫又に、いや『ねこまたぞんび』になって戻ってきて、嫁になるから同居しますとか言いだした時点で、済ませられる要素なんか一切ねぇっての」

「そうなん? ほな、ウチ、どうすればええのん」

「だから、俺に聞かれても困る」

「旦那さん、やっぱり、ウチを追い出すん?」

「行くあてとかは無いのかよ」

「んー、生ゴミ集めとるとこか、港の廃棄しょりじょーあたりですかねぇ?」

 ダメだコイツ。通報される未来しかみえない。

「職務質問されたら、一発でアウトだな」

「そしたらウチ、旦那さんに追い出された、言うしかないですね」

「それ結局ここに帰ってくる事になるからなっ!」

 そして俺の立場も悪化するという。

 こういうのもある意味「取り憑かれた」っていうんだろうか。最悪だ。

「……はぁ」

 久々にこぼれた息は、なにか自分の魂すらもうっかり離れてしまった気がした。

「わかった。とりあえず、今日はここに居ていいから」

「ほんと!? わーい、旦那さん大好き~っ!」

 言うなりノラが跳びあがった。文字通り座った姿勢から一転だった。

 机の上を軽やかに跳び超えてきて、簡単に抱きつかれた。

「ウチ、えぇお嫁さんになりますっ! 末永く大事にしてやって!」

「その場合、結婚詐欺で訴えていいんだよな、俺は」

「さいばんしますん?」

「家にそんな無駄金はない。ほら。買い物行くぞ」

 理性が壊れるまえにひっぺがし、とりあえず脳内の買い物リストに「女性用下着」を追加した。



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