2対1
レッスンの後、乃菊とみおん、そしておまけである国也の三人が、放送局から通りを二つ越えたところにある喫茶店にやって来た。
「ここのサンドウィッチは、すごく美味しいって評判なの」
乃菊たちと違って、この街に慣れているみおん。
「そうなんだ。じゃ、注文する!」
乃菊の食べ物に対する決断力には、到底及ばないと思う国也である。
「のぎちゃん、歌、上手いんだね」
みおんが話し出す。
「みおんだって、歌もダンスも上手いじゃない。私は、ダンスがちょっと苦手かな。何だか自由に動けないって感じ・・・」
まだ身体に不調があるのではないかと、国也は思ってしまう。
「そんなことないよ。羽流希さんも呑み込みが早いって、感心してたよ」
みおんは、気遣いできる女性だ、と国也が思う。
「でも、ホントにテレビに出ちゃうのかなって、まだ信じられないんだ」
タレントになるつもりなど、これまで思っても見なかった乃菊は、まだ実感がない。
「そうね、だけど番組には、芸人さんや俳優さんたちもゲストに呼ぶって言ってたよ」
ディレクターが義兄のみおんは、情報が早い。
「えーっ、どうしよう、電話番号聞かれたら!」
乃菊がおどける。
「のぎちゃん、まだ早いよ」
みおんが笑う。
「だよね、まだ1ヶ月ちょっとあるもんね」
今度は、二人で笑う。
「そうだ、現地レポートだったら、どこ行きたい?」
みおんが聞く。
「やっぱり、食べ物の美味しいところかなあ・・・」
乃菊ならそうだろう。
「私も美味しいケーキ屋さんとかだったら、サイコーにテンション上がっちゃいそう!」
女の子は、皆同じか?
「ケーキもいいよね。動物園とか、遊園地なんかも行きたいね!」
調子に乗って来た。
「映画を見るとか、舞台を見るとか、どう?」
趣味か?
「うん、いいねそれも」
お前たちは、遊びに行くつもりか、と思う存在を無視されている国也。
注文したサンドウィッチとそれぞれの飲み物が、テーブルに置かれた。
「美味しそう!」
涎を垂らしそうである。
「そうでしょ!」
みおんもかぶりつきそうな姿勢である。
「国也さんも食べてください」
やっと現れる国也。
「あ、はい・・・」
遠慮がちな返事をする国也。
「遠慮する必要ないよ、ここは、おじさんが払うんだから」
乃菊の無情なお言葉。
「そうですか?じゃ、御馳走になります!」
みおんが、危険な乃菊化している。
サンドウィッチを食べながら、キャッキャとガールズトークが続く。
国也は、自分が透明人間になったような気分で、一人黙々とサンドウィッチを食べる。
「コラッ!食べ過ぎ」
国也は、乃菊に手を叩かれる。透明人間ではなかったらしい・・・。
「普段から動かないのに、食べることは一人前なんだから」
国也にとって厳しいことを言う乃菊。
「みおん、おじさんはね、この年で結構メタボなんだよ」
みおんに告げ口する。
「そうなんだ。もったいないね、ちょっといい男なのに・・・」
みおんは、見る目がある。・・・と国也はにやける。
「駄目!そんなこと言うと本気にするじゃない!」
乃菊の壁が現れた。
「本気にしてもらって、運動する気になればいいんじゃないの?」
みおんが走る真似をする。
「それもそうね。おじさん、みおんにいい男だって言われたから、それ以上太らないように運動しなさい!」
自分の話題になっても、ちっとも喜べない国也である。
国也が会計を済ませて外へ出ると、帰り道を急ぐサラリーマンたちで、歩道が混雑していた。
「いっぱいいるね。蒲橋とは、ぜんぜん違う・・・」
乃菊は、誰かと手を繋がないと、迷子になりそうな気分だった。
「そうだね、やっぱり都会だな」
国也も慣れていない。
「私は慣れてるから、こんなもんかなって、それじゃいけないこともあるかもね・・・」
三人は、地下鉄乗り場へ向かう。
人込みに紛れながら、未来のアイドルと一緒にいる国也は、自分が一般人とは違う立場の人間だと、ちょっとした優越感に浸っていた。
地下鉄の出入り口にたどり着き、階段を下りて行く乃菊たち。
「うわっ!」
もう残り数段というところで、国也が階段を転げ落ちた。
「大丈夫、おじさん!」
膝の汚れを落としながら、立ち上がる国也。
「やっぱり、運動不足じゃないの?」
乃菊がズボンの汚れを払う。
「違うよ、後ろから押されたんだよ」
国也は、そんな感じがした。
「本当ですか?」
みおんと乃菊は、周りを見回す。しかし人波は、国也が転んだことなど気にすることなく流れ続ける。
「こんなんじゃ、誰に押されたかなんてわからないよね・・・」
乃菊は、そう言いながらも、何かを目で追った。
「そうね・・・」
みおんも頷く。
「日ごろの行いが悪いからだよ、きっと・・・」
乃菊が国也の顔を見て言う。
「誰の行いが悪いんだよ!」
ついムッときてしまった国也が反発する。・・・それが間違いだった。
「だから、ものぐさだし、人の気持ちもわからないし、大事なことも忘れるし、そんなんだから罰が当たるのよ!」
三倍返って来た。
「なんだよそれ、君だって、人のこと考えないで自分勝手じゃないか!」
ああ、やってしまった・・・。
「私が自分勝手?そうかもね、おじさんなんかすぐ綺麗な人に鼻の下伸ばして、私のこと忘れてるじゃない」
乃菊が止まらない。
「そうだよ、すぐ鼻の下伸ばすよ、君以外の人にはね!」
それを言っちゃ・・・。
「まあまあ、二人とも落ち着いて・・・」
二人の間で戸惑うみおん。
「また階段から落ちて、怪我しちゃえばいいんだ、おじさんなんか!」
乃菊がそっぽを向く。
「やめなよ、のぎちゃん・・・」
みおんが困惑する。
「君に押されないように気をつけるよ・・・」
乃菊が物凄い目つきで国也を睨む。
「な、何だよ、その眼は・・・」
ひるんだ国也に向かって、乃菊が少しかがんでからジャンプをする。
ゴツン!
乃菊の頭が国也の顔に直撃。国也は、腰から崩れ落ちる。
「大嫌い!」
プイッと向きを変え、乃菊は、切符売場へ向かう。
「大丈夫ですか、国也さん?」
心配して国也に寄り添うみおんだが、乃菊のことも気にかかる。
「のぎちゃんを怒らすと怖いわね」
みおんが微笑みながら言う。
「いつも僕を目の敵にするんだ、あの娘は・・・」
また立ち上がる国也。
「そうなんだ、でも、国也さんも言い過ぎだったかな・・・」
二人の関係をよく知らないが、乃菊の本心が見えた気がしたみおん。
「しかたないよ、犬猿の仲だから、僕たちは・・・」
国也は、鼻をさすりながら立ち上がる。
「わかってないな。・・・さ、行きましょ、置いてかれちゃうから」
みおんも切符売場へ向かう。
「わかってない?どういうことですか、みおんさん・・・」
国也も追いかける。
この状況から、この後、乃菊が一言も口を利かずに家に帰ったことは、想像できるでしょう・・・。
しかし、階段の陰から、三人の様子をうかがっている男がいたことを、誰も気づいていない。
乃菊以外は・・・。