鏡の中の私
「たいした怪我じゃないよ」
医務室で治療を受け、ベッドの上で背中を上にして寝ている国也は、心配そうにしている乃菊に言う。
「私のせいよ、私が怪我すればよかったのに!」
乃菊が自分を責めている。
「君のせいじゃないし、僕にとっては、これくらいの怪我なら、君が怪我するよりましだよ」
国也は、痛そうな顔もせず、乃菊の気持ちを落ち着かせようと、気遣っている。
「駄目よ!、もしも当たりどころが悪くて、おじさんが死んじゃったら、私、生きていけないじゃない!」
乃菊が頭を押さえてしゃがみ込む。
「乃菊ちゃん・・・」
国也の方が、乃菊の様子に驚いている。
「嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ!」
今にも泣き出しそうな乃菊。
「だから、大丈夫だから・・・」
国也は、自分の怪我に過剰な反応をする乃菊に戸惑う。
「どうして、あんなものが落ちてきたの?どうして!」
また思い出して訴える。
「ただの事故だし、とにかく、僕は大丈夫だから・・・」
「私が悪いの、ごめんなさい!」
今度は、床に頭をつけて謝る乃菊。
「のぎちゃん、どうしたの?」
みおんが医務室に入って来た。
「みおんちゃん、乃菊ちゃんを起こしてあげてよ。自分のせいだって謝るんだ」
いい所に来てくれたと、助けを求める国也。
「のぎちゃん、しっかりして。おじさんは、大丈夫だから・・・」
みおんが乃菊を起こそうと手を掴むが、乃菊は、その手を振り解いてしまう。
「嫌だ、おじさんにもしものことがあったら、私のせいなんだ!ウガア・・・!」
暴れだしそうだった乃菊が、急に口を押さえてまた伏せた。苦しそうにお腹も押さえている。
「のぎちゃん・・・」
みおんもその様子に戸惑う。
「トイレ、行って来る・・・」
乃菊は、二人に顔を見せずに医務室を出て行く。
「みおんちゃん、控室から乃菊ちゃんのカバンを取って来て、渡してあげて、何か薬があるのかもしれない。前にもあんなふうに苦しがってたことがあったんだ」
国也は、みおんに頼む。
「は、はい」
みおんも医務室を出て行く。
トイレに駆け込んだ乃菊は、便器のふたを開けて、胃の中のものを吐き出した。
「誰がいるの、私の中に・・・」
乃菊は、洗面台の前に行くが、カバンもなく、発作のような状況に変化がなく苦しいままだ。
「があああっ!」
鏡の中の自分が、吠えるよううに口を開ける。そしてその口の中から、二つに割れた長い舌が出てくる。
「嫌だ、おじさんに会えなくなっちゃう、ウググ・・・」
眼は、ワニのように瞳が縦に細く、鏡の中から自分を睨んでいる。乃菊は、鏡を叩く。
「駄目よ、消えて!・・・このままじゃ、戻れない」
鏡の中で、普通の乃菊と大蛇のような怪物の姿と何度も入れ替わる。
「のぎちゃん、大丈夫?」
みおんがトイレに入って来る。乃菊は、すぐにしゃがみ込んで顔を隠す。
「だ、大丈夫だから・・・」
そう言っているが、みおんには、大丈夫ではないように映る。
「国也さんが、カバンが必要じゃないかって言ってたから、持って来たんだけど・・・」
みおんが洗面台の横にバッグを置く。
「あ、ありがとう。そこへ置いて行ってくれる」
乃菊は、顔を上げない。
「薬が入ってるなら、出そうか?」
みおんが親切に言う。
「ごめん!いいから、行って!」
みおんは、乃菊の変貌に気後れする。
「じゃ、行くけど、良くなったら、国也さんのところにおいでよ・・・」
みおんでも、それ以上相手が出来なかった。
「うん、ごめんね、みおん・・・」
みおんは、気がかりだったが戻って行く。
やっと発作のような状態が治まった乃菊は、鏡の前で深呼吸をする。
「菊野さん・・・」
小さな声で乃菊を呼んだのは、今堂亜美である。
「何?亜美ちゃん・・・」
乃菊が亜美と向き合う。
「ごめんなさい。私、知ってたんです」
不安そうな顔をしながら、亜美が話し出す。
「何を?」
乃菊が聞く。
「二人の仕業だってこと」
亜美が答える。
「二人?」
乃菊は、亜美の言葉を待つ。
「ふう美さんと基橋さん。あの二人が怖いの、私。・・・菊野さん、どうすればいい?」
亜美は、今にも泣き出しそうだ。
「前にあの二人が、真阿子さんを怪我させようと言ってたんです・・・」
乃菊は、亜美の話の途中で、誰かがやって来るのを感じた。
「だけど、私、ふう美さんが怖くて・・・」
乃菊は、亜美の口に人さし指を当て、話を遮る。
「亜美、帰って練習するわよ。行こう!」
ふう美だった。
「あ、は、はい・・・」
驚いた亜美は、そのままふう美に付いて行こうとする。
「ちょっと待って!」
乃菊がふう美を呼び止め、近づく。
「私たちは、仲間でしょ。どんな役回りだって、みんなと一緒だからやりがいがあるんじゃないの?」
乃菊が、ふう美と顔を突き合わせて話をする。亜美は、一歩下がって不安そうに見ている。
「あんただって、センターになったっていい素材じゃない。黙って後ろで我慢する必要なんてないのよ!」
ふう美が、また同じ主張をする。
「私は、そんなことを望んでない。みんなのことが好きだし、みんなと楽しんでいければ、誰が中心だってかまわないわ」
乃菊も一歩も引かない。
「いいえ、あなたも私と同じ匂いがするわ。きっと似た者同士なのよ」
乃菊を睨むふう美の眼が、ワニのように瞳が縦に細くなり、口から二つに割れた舌が出て来て、今にも乃菊の顔をペロペロと舐めまわしそうである。
「・・・」
亜美は、それを見て声も出せずに震えている。
「あなたは、間違ってる」
乃菊は、ふう美の挑発にも動じず、ふう美を睨み、眼をカッと見開く。
「あ、あんた!」
ふう美は、後ずさりする。
「あなたが、改心しなければ、いずれ闘うことになるかもしれないね。でも、あなたも、私たちの仲間だって信じてるわ」
怖いふう美が、なぜ気後れしたように後ずさりしたのか、亜美にはわからなかった。ただ、勇敢に対応する乃菊の姿が、輝いて見えたのは事実だった。
「い、行くわよ・・・」
返す言葉もなく、ふう美は、その場を去って行く。亜美は、乃菊を気にしながらも、ふう美について行った。




