乃菊の夢
歌とダンスのレッスンも1ヶ月半が過ぎ、スタジオで録音も行われた。
番組冒頭で流すビデオの撮影も済み、いよいよ乃菊たちのデビュー、すなわち新番組のスタートが近づいて来た。
「ああ、疲れたあああ・・・」
この日は、レッスンの後に取材にも参加した乃菊は、さすがに疲労が溜まっている。最初の予定よりも、レッスンも取材も大幅に超過し、店の仕事も真面目にこなして来た。当然疲労がピークに達している。
帰りの混雑する電車の中で、ポールにつかまりながら何とか立っている状態である。
「大丈夫か?」
土曜日だったので、疲労の溜まっている乃菊を心配して、マネージャーのように同行していた国也。
途中、席が空いたので、国也が乃菊を連れて行き、窓側に乃菊を座らせた。
「肩貸して・・・」
乃菊は、座るとすぐに、国也の肩へ頭を乗せた。
「おじさん、私、疲れたああ・・・」
普段は言わない言葉だ。
「怠いのかい?」
国也が優しく聞く。
「うん、だから、今日は優しくしてね・・・」
いつもは優しくないみたいだな、と思う国也だが、今日は望み通りにしようと思う。
しかし、乃菊の様子がおかしい。少し呼吸が荒いようだ。乃菊の額に手を当ててみる。
「少し熱があるみたいだい・・・」
国也は、バッグからペットボトルを取り出し、乃菊に飲ませる。乃菊はそれを飲むと、国也の手を握りながら眠った。
国也は、少し周りが気になったが、まだデビュー前のアイドルだから、遠慮なく肩も手も貸した。
「ここが、私たちの新居なの?」
乃菊が聞く。
「ああ、そうだよ、気に入った?」
国也も聞く。
「うん、素敵!」
小粒だが、西洋のお城のような家を前にして、乃菊と国也は、手をつないで眺める。
「さあ、入ろう!」
玄関を入って行くと、ホテルのロビーのような広々としたリビング。
「奥の部屋は?」
乃菊が指さして聞く。
「母さんの部屋だよ」
国也が答える。
「そうよね。雲ネエも年だから、一階の方がいいよね」
乃菊は、頷きながら言う。
「そこにキッチンがあって、あっちは一階のお風呂。お風呂は、二階にもあるんだ」
二人は、二階へ上がって行く。
「こっちの二部屋は、未来の家族のための部屋で、ここがお風呂で、あっちが僕たちの寝室」
国也が一つ一つ説明する。
「やったあ!行こ、行こ!」
乃菊が急いで寝室に入って行く。
「わーい、大きなベッドに寝るのが夢だったんだ!」
子供のように喜ぶ乃菊は、そのままベッドの上で大の字になる。
「気持ちいい!おじさんも一緒に横になろう!」
国也もベッドへ行く。
「まだ、おじさんて呼ぶのかい?」
国也が尋ねる。
「だって、恥ずかしいもん・・・」
舌を出して言う乃菊。
「いいよ、おじさんで。その方が君と一緒にいる気がするから」
懐が深い。
「ありがとう、おじさん!」
その時、ガタガタと音を立て、ベッドも家も揺れる。
そして二人を乗せたベッドが、滑るように暗くなった外へ飛び出して行く。
「キャー!」
やがて、暗闇から赤い空へと変わって行く。
「ここは?」
乃菊が気がつくと、火山が見える何もない高原の中にいた。
「おじさん、どこ?」
乃菊が辺りを見回すと、高原の中に一本の大きな木が、ポツンと立っている。
「おじさん!」
その木に、国也が磔にされていた。
「ゴオオオオーッ!」
唸り声のような音とともに、黒い雲の中から、龍のような、蛇のような、あるいはワニのように見える、いやそれらが合わさったような、二つの頭を持つ怪物が現れた。
「おはよう。さあ、朝食だよ。美味しそうだろ」
その怪物が、乃菊に言う。
「何よ、あなたは?」
親しげに話す怪物に問いかける。
「何を言ってるんだい、お前の母さんじゃないか」
思いもかけないことを言う怪物。
「そんな馬鹿なこと・・・」
乃菊は、自分の手を見ると、鱗のような皮膚になっていく。
「どうして?」
乃菊は、呆然とする。
「当たり前だよ、私と同じ悪黒大蛇なんだから」
怪物がそう言った。
「何なのそれ・・・」
その言葉と自分の姿を重ねる。
「見ての通り、人を喰らう大蛇でしょ、私たち親子は・・・」
怪物が笑顔で言う。
「違う!私は人間よ、あなたのような怪物じゃない!」
乃菊も身体が大きくなり、空中を蛇が泳ぐように飛び始める。
「さあ、その男を食べなさい」
母親の大蛇が言う。
「いやよ、彼は、私のフィアンセなんだから!」
乃菊は、母親大蛇の言葉に抵抗する。
「ハハハハハ、お前が人間と一緒になれるはずがないわ!」
黒い雲の間を二匹の大蛇が、睨み合いながらすれ違う。
「お前が食べないなら、私が頂くわ!」
母親大蛇が、磔にされている国也をくわえる。
「やめて!」
大蛇になった乃菊が、国也を銜えて飛ぶ母親大蛇を追いかける。
「いやー、やめてえ!」
乃菊の叫び声が、噴火する火山の音とともに響き渡る・・・。