◇SIVA法律事務所◇
その日の夕刻、株式会社ニッポンの通用口に一台の黒塗りが到着した。
レクサスLS600hLハイブリッド。
モナコ公室でアルベール二世の結婚式パレードに使われたものと同じ仕様である。
もちろんセンチュリー同様、内閣総理大臣専用車としても知られている。
「カスタマイズしてある。すごい車だな」
「うむ。いかにも高級そうな車だ」
「こういうのはアラジンというのだろう?」
「うむ。ちょっと違うな。リムジンだ」
「どのくらいするのだろう」
「値段か。うむ。家が一軒買えるくらいだろう」
「どこにだ?世田谷にか?」
「それではちょっと足りぬ。茨城か千葉だろう」
門番の狐たちは突然のVIPの来訪に浮き足立っていた。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのは法務部の言霊たちである。
車から降り立ったのはベンガル虎のスーツを着た青い肌の男だった。
男は手馴れた仕草で名刺を差し出した。
「SIVA法律事務所のシヴァです」
「トヨクモノノカミと申します。はじめまして」
「お噂はかねがね伺っておりますよ。いやそれにしてもやっぱり日本車は乗り心地が良いですね」
「恐れ入ります。さ、先生どうぞこちらへ」
ひとしきり名刺交換を終えた一行はエレベーターホールへときびすを返す。
「お呼びだてして申し訳ありませんでした」
「ええ。急遽香港の予定をキャンセルして参りました。しかしニッポンの一大事とあってはね。放っておくわけにもいきません」
「ありがとうございます。先生にそう言って頂くと本当に心強い」
「またすぐチベットに飛ばなければなりません。とんぼ返りです。それまで出来る限りの事を尽くしたいと思っています。公安には?」
「いえ。まだ」
「その方が賢明でしょう。敵は内部にいる可能性がある。誰も信用しない事です。機密保護法案が可決されていてよかった。さもなければテロリスト達の思う壺だ。情報を制する者がすべてを制す、です」
「やはりテロリストですか!」
「私はそう睨んでいますがね。もっとも奴らが相手なら金で済む問題でしょうな。ニッポン株主総会。これだけ派手な舞台を選んだ以上奴らも後には引けない。電話でもお尋ねしましたが、総会を中止するわけにはいかないのですね?」
「手遅れです。八百万の神が集まっております。これはオフレコですが、今回はローマ法王もお忍びで参ります」
「ほお。バチカンがまたなぜ?」
「EUは未曾有の経済危機に瀕しています。そこに目をつけたのが我が社のトップでして。遥かシルクロードをさかのぼりイスタンブールとの技術援助をきっかけにあの手この手を使いました。例のあれです。非難もありましたがEU進出への大きな足掛かりとなります。実をいうと今度の社長交代劇もバチカンの後押しがあったからなんです。新法王が大の親日派でしてね。以降EU諸国の態度がにわかに変わりつつあります。バチカンは世界を揺るがすスキャンダルで信頼を失いました。汚名挽回に必死なわけです」
「表向きは中国との大型提携。裏ではEU進出の野望。なるほどそういう事でしたか」
高速エレベーターに乗り込むとケージは音もなく猛加速して一気にニッポン本社グランドビルの最上階にたどり着いた。
乗っている間、揺れている感覚はなかった。ケージの中で心臓バイパス手術が出来るほどの静けさ。
「素晴らしい眺めだ」
エレベーターを降りるとシヴァは感嘆の声をあげた。
「天気の良い日は伊勢神宮が見えますよ」
「ドバイでもこれと似たようなタワービルに登りましたが、眺望の美しさは比較になりませんな」
シヴァは株式会社ニッポンの顧問弁護士である。多彩な経歴の持ち主でアメリカの某大手監査法人に雇われ手腕を発揮していたが、巨大企業の粉飾決算に加担したかどにより公務執行妨害罪で有罪となり会計事務所は実質上破綻に追い込まれた。
まだ若かったシヴァは組織という得体の知れないどす黒い箱の中にいる事に嫌気が差し、法律を学び、自ら法律事務所を立ち上げたのだ。
その後はコンサルティング時代の経験を活かし企業専門の弁護を展開。数々の訴訟問題を勝ち抜きたちまち今の地位を築き上げた。企業弁護士界のホワイトナイトと呼ばれている。
窓辺のテーブルに座り二人はナフキンを広げた。
「粉飾決算容疑で当局の捜査を受けた時にはもう終わりかと思いました。あの節はお世話になりました。当時私は日本にはいませんでしたが改めてお礼を言います」
「なあに私もニッポンの大ファンでね。当然の事をしたまでです。粉飾会計なんてのは何処の企業でもやってる事です。今のご時世、社会正義を貫いていたら会社は潰れてしまいますよ」
「おっしゃる通りです」
「たまたま運が悪かっただけです」
「これは私からの個人的な贈り物です。どうかお受け取り下さい」
「ほほう。ピンクサファイアですな。これは大きい。しかしこんな高価なものを頂くわけには」
「いえいえ。ですから私からの個人的な贈り物ですので」
「そうですか。では有難く頂戴致します。パールバティーがさぞ喜ぶでしょう」
ウェイターがやってきて二人のグラスにミネラルウォーターを注いだ。
「ローマ法王で思い出しました。ここだけの話しですがね。私はいずれ日本に帰化しようと思っています」
「本当ですか。いやそれはすごいな」
「その時の名前までもうちゃんと考えてあるんですよ」
「是非お聞きしたいものです」
「誰にも内緒ですよ」
シヴァはいたずらっ子のように笑った。
「もちろんですとも。先生。教えて下さい」
顧問弁護士は一呼吸おいてゆっくり答えた。
「不動明王」と。
シヴァの眼光が開いた。
トヨクモノノカミはシヴァの瞳の中に火焔を見た気がした。
「はっはっはっ!まあ、名前なんてどうだっていいのですがね。一流ホテルの虚偽表示問題なんて可愛いものです。さて今夜のメニューは何でしょうね。久しぶりの日本料理だ。楽しみですよ」