丘の上
日が傾いて涼しげな風が吹いてくる。
「今日はここまでだ。野営の準備を」
シーグは馬を止め、数時間の行軍でこの日を終えた。
急ぎたいのはやまやまだが、最も大切な少女のためには仕方がない。
慣れない馬での移動は、かなり負担になったようだ。ずっと緊張していたのが力の入った手と体から分かる。少しぐったりとしている。
「降りられるか?」
シーグはまず自分がひらりと馬から降り、リーリアに手を差し伸べて聞く。
「はい、大丈夫だと思います」
リーリアはシーグの手に掴まり馬から降りる。
「はー、久しぶりの地面・・・」
何時間かぶりの地面にとても嬉しそうだった。
「休んでいるといい。すぐに食事になる」
シーグは踵を返して馬の世話をしようと手綱を持った。
「あ、あの」
と、リーリアが何か決意したような顔で呼び止めた。
「なんだ?」
「ずっと二人乗りは大変だと思うんです。一人で乗れるならそのほうがいいと思うんです。だから、もしよければ馬の乗り方を教えてもらえませんか?そうすれば・・・」
「ふむ・・・」
一理ある。自分としては二人乗りでも別に構わないが、いざという時はやはり馬に乗れるなら乗れたほうがいい。
「いいのではありませんか?教えて差し上げたら。時間はあります、日が落ちるのはまだ先ですぞ」
ガロンも言う。
「分かった。いいだろう」
「ありがとうございます」
「私の馬をお使いください。シーグ様のは女性には無理です。私のおいぼれ馬ならさほど問題ありますまい」
「そうだな。しばらく借りるぞ」
「はい。いってらっしゃいませ」
まず服装を変えさせた。
村娘の格好では馬に乗れない。背が低い兵士の軍服と靴を借りてなんとか格好をつけさせる。
が、これがまたなんとも可愛らしかった。
だぶついた上着、袖はまくり上げられ、大きく開いた袖口から手が出ている。そして男では有り得ない高い位置で締めた腰。いかめしい軍服も彼女が着ればなんとも色っぽく見える。
にやつきそうになるのを必死にこらえて乗馬を教えた。
「・・・そう、手綱はしっかり持って。たるませるな。姿勢はまっすぐ。ぐらつくな、馬がよれる」
「は、はいぃぃ・・・」
最初はおっかなびっくりだったが、なかなか筋がいい。すぐに馬をまっすぐに進ませられるようになった。
「よし、いいぞ。あの丘の上まで行こう」
「はいっ」
リーリアは一つ息をつくと真剣な表情になった。姿勢を整え、教えた通りにふくらはぎを使って馬の腹を圧迫する。馬はすんなりと歩き出した。本当に物覚えがいい。
「わぁっ、すごくきれい!」
丘の上まで登るとリーリアは感嘆の声を漏らした。
西の空はオレンジと紺色の二色に分かれ、美しいコントラストを描いている。
リーリアは馬から降りると、吹く風に気持ちよさげに顔を上げて目を閉じた。
ほつれた金の髪がその風にたなびいて細く揺れる。
(君の方がずっときれいだ・・・)
そう言ってあの華奢な肩を抱き寄せて言いたい衝動に襲われた。
はっ!?何考えてるんだ自分!?
思わず出かけた左手を右手で抑える。
「どうかしました?」
閉じていた目を開け、怪訝そうにリーリアが聞いてきた。
自分明らかに挙動不審者。
「いや、何でも無い」
平静を装って何気ない口調を装い、何気ない仕草で手を元に戻す。
頭の上に疑問符をのっけながらも、リーリアは再び美しい夕焼けに目を戻した。
(あの美しい夕陽よりあの瞬く星より君の方が・・・)
バシンっ。
おもむろに浮かんだ言葉を振り払うために自分の頭をはたいた。
「?」
「何でも無い」
自分、どうしてしまったのか。普段甘い言葉を囁く男などどうかしていると思っていたが、まさか自分がそれに成り果てるとは・・・。
だがそれにしても今のは陳腐すぎる。もっとましなことが言えないのか。
いやその前に何故こんな言葉が頭をよぎるのか・・・。
一つの考えが思い浮かぶが、それだけは肯定してはならない。
彼女は女王になるのだ。
もしその御位に就いたなら、自分などとうていかなわぬいと高き御方。
身分からいったらとてもかなわない。
まして臣下としてあるまじき思いだ。騎士として仕える御方なのに・・・。
「ね?すごくきれいですよね?」
ふいにリーリアが振り返ってきらきらとした笑顔で言う。
次の自分の行動はまったく無意識だった。
彼女の右の手をとって、自分の右の手は彼女の頤を人差し指で持ち上げていた。
あまりの突然さに彼女も目をぱちくりとさせている。
「あ、あのー・・・」
「あー、ゴホン」
「う、うわぁっ!」
背後から突然ガロンの咳払いが聞こえて思いっきりびっくりして慌てて手を離す。
「ガ、ガロンッ!い、いや、これはだな・・・」
「少々帰りが遅いようでしたのでお迎えに参りましたが、少々お説教も必要なようですな」
ギロっと片眉が上がってにらまれる。
「ち、違うんだ、そんなんじゃないんだ。そんな気は全く・・・」
「言い訳は後でお伺いしましょう。さ、リーリア殿、私と一緒に馬で帰りましょう。シーグ様は少し頭を冷やすことが必要なようですから」
「は、はあ・・・」
「さ、乗ってくだされ。よっこらしょ」
ガロンはリーリアを前に乗せると、その後ろにまたがった。
「それではシーグ様、また後で」
ガロンはリーリアを乗せて速足で行ってしまった。
日はかなり傾き、冷たい風が渡っていく。
本当に自分は何をしようとしていたんだろう・・・?