月夜の森
シーグたちは野営地に戻り、皆食事もそこそこに、戦いの疲れから泥のように眠りについた。
(ちくしょう、もうやってられるか・・・)
その中で低いうなり声を発したのは新兵の一人だった。
食い詰めて軍隊に志願したが、思うようにいかず、厳しい訓練にほとほと嫌気がさしていた。
おまけに配属されたのはレイリスでももっとも厳しいとされるシーグの隊。
逃げよう。
もちろん逃げたらただではすまない。だが今夜なら大丈夫だ、皆疲れて眠っている。
それにあの娘・・・。
男はごくりと唾を飲み込んだ。
まだ若いが美しい。
さらって一緒に逃げよう。そして二人で新天地を探して一緒に暮らそう。
男はゆっくりと静かに立ち上がった。あらかじめ少し離れたところで寝ていた。周りの者は死んだように眠っている。そろりそろりと音を立てないように歩いて少しずつ、木につまづかないように進む。
あの娘は都合のいいことに男どもからは少し離れたところに一人寝かされている。
シーグ隊長が気を遣ったようでかえってあだになったな・・・。
男は今までされた仕打ちを思い出しながら暗い微笑みを浮かべて少女のもとへ行く。
よく眠っている。月明かりに照らされたその青白い顔は幻想的なほどに美しく、まるで生きている妖精のようだった。
男はそっと優しく少女をゆさぶって起こす。
「ん・・・」
何度かゆさぶった後、少女の緑の瞳が開かれた。
少女は驚いた顔をして悲鳴を上げかけたが、男はしっと人差し指を唇にあてて黙らせた。
「起こしてすまない。だが蛮族が近付いてる気配がある。悪いが移動する。こっちへ」
男は言葉たくみに言って、寝起きで訳が分からずぼうっとしている少女を助け起こし、森の中へ入って行った。
少女ははじめはおとなしくついていったが、やがて不安になったのか声をかけた。
「あ、あの、どこまで行くんですか?」
「ああ、まぁ、あとちょっとだ・・・」
「他の方は?みなさんはどこに?」
「先に行ってるよ」
しばらく無言で歩く。
少女は不安で足を止めた。
「でも・・・」
「ああ、うるさいっ!」
男は野営地から十分離れたことを確認して大声をあげた。
「きゃぁっ」
「ああ、全部嘘だよ!皆移動なんてしてないさ!移動してるのは俺たち二人だけ。そしてこれからもずっとな」
「ええっ!?」
「いいから来い!」
男は少女の腕を掴んで引っぱった。
「嫌ですっ!離してっ!!」
「おとなしく言うことを聞け!」
「きゃーーー!」
女の叫び声にシーグははっとした。
こんな森の中で何だ!?
シーグは眠れなくて野営地を離れ、一人森の中を彷徨っていた。
目を閉じると浮かぶのはあの少女の笑顔。どうにも寝苦しくてこうして森をうろついていたのだが。
シーグは夜の森の中を野生の動物のように俊敏な動きで声の聞こえた方に駆けた。
その間も間断なく聞こえてくる女の声。この声は・・・!
ほんの少ししか耳にしていないというのにはっきりと聞き分けることがなぜかできた。
やがて危惧していた通り、軍の制服を着た一人の男と、あの少女が揉み合っている場面に出くわした。
少女は泣き叫び、なんとか男の拘束を解こうと必死に抵抗している。男は余裕の表情でねずみを弄ぶ猫のように少女をにやにやと見つめていた。
「お前、何をしている」
「なっ・・・だ、誰だ!」
男は振り返ると驚愕の表情を浮かべた。あり得ないものを見たといわんばかりに。
「シーグ・・・隊長・・・」
「まずはその娘を離せ」
「ちっきしょう・・・」
男は少女を手離すと逃げ出した。
シーグは電撃のごとき早さで動き、男に追いつくと、渾身の力で殴り倒した。
すかさず剣を抜いて男の喉元に突きつける。はらわたが煮え繰り返っている。今までさんざん人を殺してきたが、本気で殺したいと思って剣を向けたのはこれが初めてだった。
「お前、ダリクだな。我が隊で軍律を犯すこと、何を意味するか分かってるだろうな」
「ひ、ひぃっ・・・」
ダリクは恐怖で声もでないようだった。
「問答は無用だな。死ね」
シーグは剣を振り上げた。
「やめてください!」
少女が突然声を上げた。
シーグの動きがぴたりと止まった。
「なんだと?」
少女は物怖じせずにシーグとダリクの間に立った。
「殺すのはだめです。この人にだって家族はいるでしょう?お母さんがいるでしょう?だからだめです」
・・・はっきり言ってまったく意味が分からない。
どういう理論・理屈でそうなるのか詳しく説明を求めたい。だいたい、この少女が守ろうとしているこの男は、いましがた襲われかけていたところじゃないのか!?
シーグはまったく訳が分からなくなって動けずにいた。
それはこの少女のまっすぐ見つめてくる強い瞳のせいかもしれない。
シーグの前では大の男でさえ怯むというのに、あろうことか逆にこの少に怯んでいる。少女は剣を手にした自分を怖がりもせずに立ち向かっているのだ。
ふと、視線が少女の胸元に光るものを捉えた。
ダリクに乱暴されたせいで服が破れ、胸元がはだけていた。その真白い肌の上に、赤く光る宝石のペンダントがあった。
シーグは眼を見開いた。
「このペンダントは!」
「きゃっ」
シーグは少女の胸の宝石を掴み、まじまじと見つめた。宝石の大きさは親指の爪ほど。それを獅子が咥えているというデザインだ。獅子は前王の象徴、みだりに使われるものではないし、この宝石の大きさならこんな村娘が持ち得るものではない。
そうだ、これは何年も前に盗まれたとされる王国の財宝の一つだ。当時話題になって兄と宝探しをしようとしたからよく覚えている。
シーグの脳裏にある記憶が電撃のように浮かんだ。煙るような新緑の緑色の瞳の娘、目の前の少女によく似た思い出の女性。美貌ゆえに王宮に上がった。そういえばその後どうなった・・・?
もしかすると、まさか・・・、そんな・・・!!
だが、もしこの考えが当たっているとしたら・・・。
「・・・女、この男の命を助けると言ったな」
シーグは低く絞り出すような声で言った。
「?そ、そうよ!殺しちゃだめ!」
シーグは剣を鞘に納めた。
「俺の考えが本当なら、お前の言葉は王女命令になるな・・・」
「え?」
「は!?」
少女もダリクもぽかんとした。
「運がいいな、ダリク。・・・だがとっと失せろ。二度とその面見せるんじゃない」
「う・・・は・・・?」
ダリクはぽかんとした表情のまま。
「とっとと行け!」
「は、はいぃっっ」
ダリクは立ち上がると一目散に逃げ出した。
後には少女とシーグが残された。
ほうほうとふくろうの声が静寂を取り戻した夜の闇に響いた。
シーグは一つ息をついてから少女に向き直った。
「少し質問に答えてもらう。嘘はつくな、正直に言え」
「は、はい・・・」
「歳は?」
「15。もうすぐ16です」
15。王の死んだ年、災厄の始まりの年。今から15年前だと自分は9歳。そうだ、王国の財宝が一つなくなったのはその年だ。
「母親の名は?」
「ルーネです」
「ルーネ・・・」
忘れていたが、思い出した。そうだ、昔憧れたあの女性の名前は確かにルーネだった。幼いころの淡い思い出が鮮明な実体となって目の前に現れたようだ。多少薄汚れてはいるが。
シーグはこめかみをさすって息をついた。
王宮に上がった一人の美しい娘、アイガース家の遠戚でその美しさから王の側室にと献上された。王宮に上がる道中うちの屋敷を訪れたのだった。それも確か8歳か9歳くらいのこと。
ルーネが王宮に上がって王の手がついて子供ができた。だが、ことは公にされず隠された。理由は分からないが、何か事情があったのだろう。その後王が急死。当時王宮は大混乱に陥っていた。そんな中ルーネも生死不明となった。あの頃あまりにいろいろなことが起こりすぎて、側室に上がった娘のことなど誰もあまり気にかけなかった。自分でさえ全く忘れていた。
そしてどこでどうなったのか、ルーネはどこかで子供を無事に産み、そしてその子供が今この目の前にいるのだ。
偶然か、運命か・・・。
シーグはまじまじと少女を見た。
顔かたちはルーネにそっくりで、ガイアス王の面影はない。が、さきほどの剣を持った自分にたちはだかったその勇気。普通の者ではあんな真似はできないだろう。そのまっすぐ強い気性はガイアス王を彷彿とさせる。ガイアス王も、自分が正しいと思ったことにはまっすぐ突き進む方だった。無用な殺生を嫌ったのも同じだ。だから皆つき従ってきたのだ。強くも優しい王・・・。
シーグは思わず思い出して目がうるみそうになった。
「どうしたのですか?」
少女が怪訝な顔をして問いかけてきた。
シーグははっとして感傷を振り払った。
「何でもない。とりあえず戻ろう」
「はい」
二人は月夜の森の中を歩きだした。