未知の運命
シーグは逃げるよう部屋を出たことを後悔した。ふらふらと廊下をさまよい、人気のない場所の壁に寄りかかり息をついた。
まさかこんな気持ちになるとは・・・。
泣く子も黙る黒い死神が、たった一人の女の前から逃げ出したなど、自分が信じられない。
だが他にどうできた?
どう転んでも二人が一緒になれるわけはないのだ。
お互いそれが分かっている。
分かっているから、こうして逃げるしかないのだ。一緒にいたらそれだけ自分は何をしでかすかわからない。
さっき無碍に顔を上げさせた時の顔。ピンク色に上気させた頬は耳まで染まり、しっとりと白い肌に思わずむしゃぶりつきたくなるほどの欲情を覚えた。
だがそんなことをしたらどうなる?
だから、これでいいのだ・・・。
なるべく彼女には近づかないでおこう。それが一番、二人のためになるのだ・・・。
小高い丘の上に建つグラガース砦へ至る道を、もうもうと砂煙をあげてとてつもなく立派な馬車がやってきた。馬車にはアイガース家の紋章。
シーグの兄、アイガース家当主、カルフォード侯爵ソリュードがその弟のシーグからの手紙を受けてやってきたのだ。
「シーグ、シーグはどこだ!」
馬車から降りるなり大声で叫びまくるのは侯爵様と呼ばれる男。門番をひと睨みで下がらせ、ずかずかと砦内に入り込む。
随分早いお越しですね、兄さん」
声を聞きつけてシーグは兄を出迎えた。まったく我が兄とはいえ騒々しい。
「シーグ、久しぶりだなぁ、元気だったか?・・・じゃない!今はそんな悠長に挨拶している場合じゃないんだよ!」
自分とは容姿も性格も全く異なっている兄。アイガース家によく見られる金の髪に白い肌。普通の人が見たら、黒髪に象牙色の肌の自分とは血が繋がっているなどと思わないだろう。
「で、本当なのか?獅子王の娘だと!?いったいどこにいたんだ?どうして今まで見つけられなかった?美人か?」
最後の質問に顔をしかめつつも、シーグは今の状況を話した。
「本当かどうかはこれから調査してみないとはっきりしません。そのためにも兄上の力が必要なんです。王宮の関係者に話を」
「わ、分かった。もちろん引き受ける」
「どこに、は北の山地の山奥の村に。どうして、は誰もその事実を知らなかったから、としか」
「そうか・・・。まぁいい。とにかく会わせろ。おっと、美人かどうかの質問に答えてないぞ。重要なとこなのに」
シーグは意図的に避けた質問にいらいらとしながらも、
「・・・まぁ、ルーネの娘ですからね」
「そうか、そうだよな、そりゃ楽しみだ」
全く好色な・・・。この点でも自分と兄は正反対だった。兄は女好きで結婚前は様々な女のベッドを渡り歩いていたという。
ほくほくと嬉しそうな兄を苦虫を噛み潰したような顔で睨むシーグだった。
「こちらです」
ノックをし、返事を待ってからガチャリとドアを開けると、そこにはきれいに髪を結い上げ、小花柄の散る薄青のドレス姿のリーリアがいた。初めて見る姿に一瞬呆然としてしまう。かわいい・・・。
見とれて立ち止まっていると、後ろから兄がせっついた。
「おい、どうした。おっ、これはこれは・・・」
シーグの後ろからソリュードが顔を出す。
「なんというかわいらしいお嬢さんだ。ああ、これは失礼、私はカルフォード侯爵です」
ソリュードは胸に手を当て、宮廷での一般的な挨拶をする。
リーリアは小首を傾げるだけだ。
これはいけない・・・。
「リーリア、まずは挨拶の仕方を覚えよう」
シーグがリーリアに歩み寄ろうとすると、
「いいではないか。今まで山奥の村にいたんだろう?仕方ないさ」
ソリュードはシーグを押しのけリーリアに近づき、その手を取った。
「おお、なんという美しさ。私が独身だったら今頃・・・」
「兄さん!」
シーグはソリュードの肩を掴み、リーリアから引きはがした。
「って、なんだよ!これくらい普通だろう?相変わらず堅物・・・っと」
ソリュードはシーグの目に映る怒り・・・嫉妬の炎を見た。
「なんだー?まさか、お前、この娘にほの字か?」
「なっ・・・違・・・」
ソリュードは今度はリーリアを見る。彼女は顔を赤くして、ソリュードと目があうとぱっと目を逸した。
「ははーん。なるほどなぁ。なるほど、なるほど・・・」
ソリュードはにやにやと二人を見比べる。
「もういいだろう!見ただろう!行こう!」
シーグはソリュードの腕を掴んで引っ張った。
「それでは美しいお嬢さんまた今度」
ソリュードは手だけで優雅に挨拶をしてシーグに引きずられながら部屋を出る。
「おいおいおい、待て待て待て。なんでそうカッカしてんだ?」
しばし行ったところでソリュードが大勢を立て直してシーグに聞いた。
「別に・・・」
シーグも兄をひきずるのを止め、居住まいを正した。
「私はそう悪くないと思うけどな」
シーグの動きがぴたりと止まる。
「・・・どういうことだ?」
険しい顔をしてソリュードに詰め寄った。
「いや、あの娘が女王になったとして、その結婚相手だよ」
「ば・・・馬鹿馬鹿しい、できるわけないだろう!」
「そうかなぁ・・・。ま、いいや。とりあえず私は事実関係の調査、把握でいいんだな?さぁ、えらいことになったぞ」
ソリュードは嬉しそうに手をすり合わせてシーグの脇をすり抜ける。
「あ、ああ、そうだが・・・え、ちょ、ま・・・」
ソリュードは一人すたすたと歩き去った。
その姿を呆然と見送るシーグ。兄は戦いは全く駄目だが(だからこそシーグが重用されたのだが)政治的なことは巧みだ。金と権力を使って人の心を動かすのがうまく、また楽しいらしい。自分には全く分からないが・・・。
だがその前に聞いておかなければならないんじゃないか?「ま、いいや」ですまされた内容を!
シーグはダッシュで兄を追いかけたい衝動に駆られたが、なぜかはばかられてそのまま見送ってしまった・・・。