雨の行軍
翌朝。
朝から空はどんよりと曇り、朝日が全くと言っていいほど差してこない。
「これは今日は雨になりますな」
ガロンが暗い空を見上げて目を細めた。
「うむ・・・」
雨ぐらいいつもはなんてことないが、今日はリーリアが一緒だ。
雨に打たれての行軍は避けたいが、時間が惜しい。
昨日のスレッグからの報告で、すでに兵士たちがリーリアのことを知ってしまっていることを知った。 噂とははすぐに広まるもの、もしかしたらこの噂は自分たちより早く王都につくかもしれない。人の口に戸はたてられないものだ。それは仕方がないが、そのことでリーリアが危険な目に遭っては元も子もない。噂が広がる前になるべく早く安全なところに行かなければ・・・。仕方ないが、
「出発だ」
そう言った瞬間、雨がぽつりぽつりと降り出した。
雨足は時間を追うごとに強くなっていった。
リーリアをマントですっぽりと覆い、できるだけ雨に濡らさないようにしているが、隙間をつたい落ちた雨ですでに髪の毛はぐっしょりと濡れ、服にも雫が滴っている。
さらに吹く風が体温と体力をいがやおうにも奪っていく。気温も朝からほとんどといっていいほど上がっていない。
「大丈夫か?」
シーグはマントの中のリーリアに声をかけた。
「大丈夫です」
というくぐもった声がマントの中から聞こえてきたが、その声は元気がない。
「今日の行軍は早めに切り上げるが、なるべく距離を稼ぎたいのだ。すまないが辛抱しててくれ」
「はい」
だが案の定リーリアは熱を出した。
「体調が悪くなったならすぐに言え!」
「ご、ごめんなさい・・・」
ようやく雨も小ぶりになって、休憩のため馬を止め、リーリアの様子を見たら青白い顔をしていた。やはり無理をせず行軍を先延ばしにすればよかったと思うが、後悔先に立たずだ。
「まぁまぁ。折よくこの先に大きな街があります。兵士たちは外で待機させて、リーリア殿だけでも温かい宿に泊めましょうぞ」
「そうだな」
シーグは悪目立ちする黒の鎧を脱ぎ捨て軽装になる。軍の関係者など、街ではあまり歓迎されないものだ。それにあまり目立ちたくはない。
「何かあったらすぐ連絡してくれ」
「はっ」
シーグはリーリアを抱え、馬を急いで走らせて街へと向かった。
「私のせいでごめんなさい・・・」
「いいから、ゆっくり寝ていろ」
適当な宿屋を見つけて部屋を借りた。病気と聞くと、宿屋の女将がせっせと毛布を足したり、温かい食べ物を持ってきてくれたりと、とても親切な宿屋だった。
しかし、なんという不注意だろう。あまりに先を急ぎすぎて肝心のリーリアを病気にさせるとは・・・。
リーリアは熱のために苦しげに息をしている。
女性とはやはりか弱いものなのだな・・・。
そう思うとにわかに保護欲がかきたてられた。
ずっと側にいて彼女を傷つけるもの全てから守ってやりたい・・・。
そんな衝動が心の中からあふれるように湧いてきた。愛おしさがこみ上げて、うっかりするとまた無意識のうちに手を出してしまいそうだ。
ガロンの小うるさい叱責を思いだし、それはなんとか耐える。
シーグはドアを開けて部屋の外に出る。ドアにもたれかかり、そのままの姿勢で残りの日を過ごすことにする。中にいてあらぬ噂を立てるわけにはいかない。宿屋の主人には、自分は旅人で、リーリアはその途中で出会った難儀をしている病気の娘ということにしてある。一緒の部屋にいるわけにはいかない。
宿屋の使用人や宿泊人が不思議そうにシーグを見ていくが、そのような視線などいっこうに気にならなかった。
それよりも護衛の者がもっといればいいと思う。せめてもうひとりいれば交代で見張りができるのだが・・・。ガロンかスレッグを連れてくれば良かったか・・・。しかしそれでは新兵どもを見きれまい。
明日腕の立つものでも探してみるか・・・。しかし信用できる者でなければ・・・。
まあ、この道中だけのこと。王都まではあと5日といったところだろう。そう長いことでもない。
シーグは目を閉じて立ったままの姿で休息をとることにした。
夜。
日が落ちてから随分経った頃だ。
明日の朝が早い宿泊客達はとうにベッドに入り、そうでない者は階下の食堂でまだ飲んでいるというような時間。
シーグは小用のため、もたれかかっていたドアから身を起こし、階下へと降りた。
それを見計らって階段を駆け上がった男がいた。
男はあやまたずリーリアのいる部屋のドアの前へ行く。ノブを回すとガチャりと音がして開いた。内側からかける錠はかけられていなかった。
男はゆっくりとした動作で部屋の中へと入る。
「そこまでだ」
「ひぃっ!!」
音もなくシーグが男の背後に立ち、その背中に剣を突きつける。
「な、何!?」
眠っていたリーリアもただならぬ気配に飛び起きる。
「ま、待ってくれ!お願いだ、話を聞いてくれ・・・」
尻餅をついて後ずさる男。その顔は・・・。
「ダリク・・・!?」
半信半疑の声がシーグの口から漏れる。
何でこいつがこんな所に!?
「ダリク・・・?あの森の・・・?」
リーリアが思い出すと、ダリクの顔がほころび、自分の顔を指差し喜色を浮かべる。
「そうです。俺です。じじじ、実はあの時のことを謝ろうと思って・・・」
「二度とその面見せるなと言ったはずだが」
シーグがダリクの言葉を遮り、怒気をふんだんに盛り込んだ声で言う。
「わ、わわわ分かっています!で、でもどうしても、一言だけ・・・」
「知らんな」
シーグはその鼻先に剣を向ける。
「ひっ・・・」
「シーグさんやめて!話を何も聞かないのはダメだと思います。ね、何か私に用があるんでしょ?」
リーリアはダリクに向けられた剣を指先でついと押してダリクにむかって笑顔を放つ。
「・・・っ」
シーグは声にならないほど驚いた。前もそうだったが、この娘は剣を怖がらない。斬るためにある剣は触れただけで怪我をするほど鋭いというのに。誤って刃に触れたらどうなるのかわかっているのか!?
一方ダリクはぶんぶんと首を縦に振って同意をこれでもかと示していた。
「話だけでも聞いてあげるのはいいでしょ?ね?」
下から覗き込まれるようにして言われたら大概の男はうんと言うんじゃないだろうか。
シーグはその例に漏れず小さく頷いていた。
それを合図にダリクが一気にしゃべりだした。
「あ、あの、お、俺、いや、私は、改心したんだ・・・です。俺・・・私は本当にちっぽけな人間だった・・・でした。何もかもうまくいかなくって、ここでもそうで、だから、お、私はあんなことをしでかした。今では本当に悔いているんです、本当です。あの後よく考えたんです。あなたが言ったことを。『家族がいるでしょう、お母さんがいるでしょう』って・・・。私は思い出したんです。何で軍隊に入ったか・・・。お、私の父ちゃん・・・父、も兄も皆戦争で死んでしまった。母も姉もそれですっごい苦労しました。私は戦争なんてなくなればいいと、小さい頃から思っていました。でも駄目な奴だから、そんなこと忘れてて、けっこう自暴自棄になっていました。でもなぜか軍隊に入った。他に仕事なんかなかったし・・・。でも本当は思ってたんだ、心の奥底で、戦いのない、平和な国にしたいって・・・。でも俺駄目だめな奴だからそんなことできないって、いつもどこかで諦めてた。でも今は心から思うんだ、だって、あんた、いや、あなたは獅子王の娘なんでしょう?俺・・・私はあの後あなたたちの後をずっと追ってたんだ。こうやって謝ろうと思って・・・。その時小耳に挟んだ。あなたのような人なら、この国を平和にできるんじゃないかって。だって私のことなんか普通なら庇ったりしない。でもあなたは機会をくれた。助けて、逃がしてくれた。あの時私は死んでいたはずなんだ。高潔な黒い死神の手で・・・。それが不思議で、おかしくてたまらなかった。で、いろいろ考えて、私は、あなたの力になりたいと思った。何ができるか分からないけど・・・。それを伝えたくてここに来ました。あなたのおかげで目が覚めたんだ、ありがとうございました!」
長い告白。全てを話しきって満足したのか、両手を上げてどうにでもしてくれとばかりの無抵抗の意思を示した。
「シーグさん・・・」
リーリアはシーグの顔色を窺った。
シーグは未だ剣先を下ろさず、疑いの眼差しでダリクを見つめている。
「あ、あの、すっごい反省してるみたいだし、許してあげてくれませんか?」
シーグはぴくりと目だけを細めた。
シーグは許してやるつもりでいた。こいつもまたリーリアの魅力に魅せられ、その信奉者となったのだ。この娘には人を惹きつける何かがある。本当、天然にすっとぼけた娘なんだが・・・。
「だが・・・、いくらその心に邪な心がないとはいえ、勝手に女性の部屋に入るなど不届き千万」
「そ、それは謝ります!あなたがずっと側にいるから近寄れなかったんだ。それに、王都に着いたらもう会う機会なんかないと思ったから・・・だから・・・」
チャキッ、とシーグは言い訳無用とばかりに剣を鳴らした。
「ひっ・・・」
「シーグさん!」
「もう二度と、リーリア様に手を出さないと誓うか?」
「ち、誓います、誓います!もちろんです!」
「なら、お前はリーリア様の特別の護衛となれ。ただし緊急事態を除いてはリーリア様に3歩以上の距離を近づくな」
ダリクはリーリアを見てすぐに3歩の距離をとった。
「いいだろう、そして・・・」
シーグは剣を構えたままダリクに近づく。
「わ・・・」
「お前の命は私が預かっている。何かあればすぐにたたっ斬る。また、リーリア様に万一のことがあればお前も道連れだ、分かったな?」
「は、はい・・・」
ダリクは驚きながらも真剣な表情で頷く。
「では早速ドアの前の見張り番をやってもらおう」
「は、はい!」
ダリクは大急ぎでドアに向かい、外に出るとバタンと閉めた。
―――後に、レイリス王を影から守る精鋭の守護騎士たち、「獅子の盾」の誕生の瞬間でもあった。