空の王宮
王国の広間はひっそりと静まり返っていた。
この国から王がいなくなってから15年・・・。座られることのない玉座は空虚な飾り以外のなにものでもなかった。
そこに一人の若者が一人佇んでいた。
この国では珍しい黒い髪と、見たこともないような美しく端整な顔立ちは、どこか異国の血が混じっていることを物語る。
シーグ・アイガース。レイリス王国の黒い死神と言われる、戦にでれば連戦連勝の若き勇士だ。彼はレイリスでも有力なアイガース家の出だが、庶子のためその身分は低い。だが、たび重なる戦功にその評判は国内でも高い。
シーグが一歩踏み出すと、カツンと硬いブーツの音が響いてさらに壁に反響する。
初めてここを訪れた時のことを思い出すと、今の静けさが嘘のようだ。以前のこの広間には綺羅とした騎士たちが居並び、数々の諸侯たちがひしめきあっていたというのに。
ガイアス王による西部地方のアルムトと東部地方のラ・セラの併合から10年。ガイアス王が君主となり、かつてない平和をこの国は誇っていた。
シーグは庶子ではあったが、今は亡き父に愛され、嫡子の兄ソリュードとともにここ王都を訪れ、この広間でガイアス王と会ったこともある。
偉大なるガイアス王・・・。
シーグはその割れ鐘のような大きな声と、頭をなでてくれた分厚い手の平の感触を今でも覚えている。
幼心にもはっきりとその王の偉大さを悟った。自分が仕えるべき王であると、この王に忠誠を誓うと。
だが、悲劇は突然にやってきた。
ガイアス王が突然死んだのだ。戦争で幾多の死の危険を乗り越えてきたのに・・・。侍医によれば脳の血管が突然に切れ、手の施しようもなく間もなく息を引き取ったという。
そして悪いことに王は子孫を残さなかった。
・・・これが悲劇の始まりだった。
国内の有力貴族たちがこぞって王位を求めたために内乱となり、国内は混乱。
その混乱につけこんでアルムトもラ・セラもあっさり離反。そして互いに空位になったレイリスの王座を埋めようと両国が攻めてきたのだ。
以来泥沼の戦争を続け今に至っている。
シーグは歯噛みをした。
なんとかこの戦争を収め、疲弊しきった国土を回復したいが、いかんせん自分では力が足りない。
今でこそ功績を数々立て、一隊をまかされてはいるが、しょせんは庶子。アイガース家の有能な弟でしかない。
西と東、両方で戦いが起こり、その度に兵を派遣し、ギリギリの戦いを強いられる。
もう限界だ・・・。このままではレイリスはボロ雑巾のように擦り切れてやがて滅ぶしかない。
ガイアス王の後継者さえいれば・・・。
シーグは再び歯噛みした。せめて少しでもレイリス王国の王家の血を引いているまともな人物がいれば、ここまで混沌とすることもなかったかもしれない。
だが、どの人物も決定打に欠け、それよりも野心満々な諸侯たちが自らを王たらんとした。毒殺や暗殺がはびこり、誰もかれも互いを信じなくなっていった。
ガイアス王はなぜ子を作らなかったのか。いや、そんなことを言ってもせんはない。ガイアス王は正妻をこよなく愛し、その妻以外を閨に入れなかったのだ。それに王はまだ若かった。いずれ側室に子を成せばすむことと誰もが楽観視していた。 このようなことになろうとは誰もがその時思わなかったのだ。3国を平定し、かつてない繁栄の中この平和が続くと皆思っていた・・・。
今でも耳に残る民たちの平和を寿ぐ声、「レイリス万歳、ガイアス王万歳」と。
「シーグ様、準備整いました」
入口から兵士の一人が声をかける。
シーグは耳にこだまするかつての栄光の残滓を振り払い、顔を引き締めた。
「分かった。すぐ出発する」
「はっ」
北のユグラト山地に蛮族が入り込んで悪さをしているらしい。
二つの国との戦いだけでも手一杯なのに蛮族まで・・・。はっきりいって気の滅入る任務だった。東西の戦線を放っておくわけにはいかないが、行かねばならない。
守らなければならない、この国も、民も。
戦況上、多くの兵を割くことはできず、シーグは少数の兵だけを引き連れて蛮族討伐に向かうことになっていた。腹心の部下数名と、役に立つのか立たないのか分からない新兵たち。なんとも頼りない軍勢だ。
だが文句など言っていられない。シーグはくるりと踵を返すと広間を後にした。