第6章 来訪者 (SIDEジル)
「それで、何の用だ?わざわざこんな所まで。」
オリヴィアの元に向かうフィリスを見送った後、俺はフードを目深に被った怪しげな男に宿から連れ出された。
仲間達は心配そうにしていたが、心当たりのあった俺はすぐ戻るからと告げて男についていった。
「何の用!?何の用ですと!?逆にお聞かせ願いたい!あなたこそ何故このようなところにいらっしゃるのです?」
男はフードを荒っぽくはぎ取った。街頭の灯りにぼんやりと照らし出されたのは、髭面の中年男だった。
「何故って、見ての通りさ。竜王の花嫁候補をお迎えに来たんだよ。・・・なんだ、苛々するなよガント。まさか俺に文句を言うためだけに追いかけて来たわけじゃあるまい?」
「そのまさかですとも!!」
「お、おい、声が大きいぞ!ちょっと来い。」
近くの路地にガントを引っ張りこんで、魔術で防音の結界を張り巡らせる。
それを待っていたように、ガントは口から泡を飛ばしてまくし立てた。
「どこへ行くとも言わずに居なくなられて、我々がどれほど肝を冷やしたことか!一体どうやって使者の一団に紛れ込んだのです!」
「言ったら行かせてくれないだろう?それに、黙って居なくなった訳じゃない。手紙を置いてきただろう?仕事だってちゃんと先の分まで片付けてる。」
文句を言われる意味が全く分からない、とばかりに肩を竦めると、ガントはますます青筋を立てた。
「手紙には『少し散歩をしてくる』としか書かれておりませんでしたが?」
「その通り、こうして散歩に出てきたんじゃないか。」
「散歩というのはぶらぶらとその辺を歩くことです!少なくとも、散歩ならその日のうちに帰ってくると思うでしょうが!」
そう言われて、流石に少し反省した。それでは散歩ではなく、旅行に行くとでも書いておけばよかったか。
「とにかく、早々にお戻りを。これ以上あなたの不在を隠し通すのは限界です。」
「・・・・・悪いがすぐには無理だ。何とか後10日ほど待てないか?」
俺が城を抜けることは定期的にある。
そしてそんな俺を探し出して連れ戻すのは、大抵ガントの役目だった。
「・・・何か、不都合でも?」
ガントは不思議そうに聞いた。
今までいくら城を飛び出しても、見つかって戻れと言われればすぐに帰っていた。
別に家出をしたい訳じゃない。ただ気分転換がしたいだけだ。
けれど、今回に限っては事情が違う。
今すぐ俺が城に戻る事になったとして、フィリスはどうする?
他の仲間に預けていくのか?
・・・・・それは不安だ。フィリスだって不安だろう。オリヴィアもいるが、彼女は助けにはならない。
マーサは有能だがあくまでもオリヴィアの侍女だ。
じゃあ、一緒に先に城に戻るのか?
それも出来ない。
本来の姿になれば城までは一晩もあれば着くだろうが、フィリスにそれを見せるわけには行かないだろう。
思案していると、ふとフィリスの事が気になった。
俺の姿が見えなくて、また泣きそうになっていないだろうか?
「・・・この話は後でゆっくりしよう。悪いが中で酒でも飲んでてくれるか?」
もう夜も遅い。フィリスは疲れているだろうから、きっとすぐに寝るだろう。
面倒な話は、それからでもかまわない。
「はっ?酒っ?」
変な顔になったガントを置いて、俺は早足で宿に戻った。
ガントが慌てたようにフードを被り直して追いかけてくる。
食堂に入ると、奥の席でマーサ達がフィリスを取り囲む様に集まっていた。
「ねえ、フィリス?何でもいいから話して?何かして欲しいことはない?」
聞こえてくる声は泣きそうで、ただならない雰囲気だった。
他の客も、無関心を装いながら聞き耳を立てている。
「どうした?」
駆け寄ってフィリスを見た瞬間・・・・・心臓が潰れるんじゃないかと思うほど痛くなった。
顔は青白く、緑の目は何も写してはいなかった。
話しかけているマーサにも反応せず、心配して集まっている男達にも気が付かないようだった。
まるで、心が壊れてしまったみたいに・・・・。
冷たい汗が背を流れた。
心臓がドクリと大きな音を立てる。
「フィリス・・・」
自分の喉から出た声は、情けなく震えていた。
「フィリス・・・・・」
今度は、もっとはっきり呼んでみる。
ゆっくりと、緑の目に光が戻ってくる。
「フィリス、どうした?何かあったのか?」
意識を引き寄せるように、手を頬に伸ばす。
「フィリス?」
マーサは気を効かせて、他の仲間を促して離れた席に移った。
自分でも、どうかしてると思う。
この子は苦しんでいるのに・・・。
全てを拒絶して心を閉ざしてしまうほど、辛い事があったはずなのに・・・。
それを哀れだと思う気持は確かなのに、嬉しいと思ってしまった。
他の誰でもない、俺の声に、この子は戻ってきてくれた。
そして、ようやく涙を流す事ができたのだ。
「分からないの・・・・・。」
囁くような声に傷の深さが垣間見えて、俺はこの子をここまで傷つけた何かに、今まで感じたことのない強い怒りを感じた。
「無理に言葉にしようとしなくていい。」
何があったかは、マーサ達に聞けば少しは分かるだろう。
それに、今は辛い気持を自分の中で受け止めるのに精一杯なはずだ。
涙を拭ってやると、フィリスは恥ずかしそうに謝った。
その表情がいつものフィリスで、俺はようやく安心した。
そして、理解する。
俺は、怖かったんだ。
あのままフィリスが戻ってこなかったら、もう二度と微笑む事もなくなってしまったら・・・・・。
フィリスを失う事が、怖かった。
心配そうにこっちの様子を伺っていたマーサに手を降ると、マーサは勢いよく席を立って駆け込んできた。
男達ももう大丈夫だと分かったのか、ホッとした顔で酒を飲み直した。
マーサはスープを新しいものに取り替えると、フィリスに勧めた。
すると、今度は子供のように泣きながら礼を言ってスープを飲み干した。
「さあ!今度はこっちよ!身も心もスッキリしましょう!」
マーサはフィリスの返事も聞かず、奥の方に引っ張っていった。
湯浴みにでも行くのだろう。
「何があったか知らんが、落ち着いたようで良かった。」
「しかしあの子はすっかりジルに懐いてるじゃないか、まるで仔犬と飼い主みたいだな!」
酒を持って席に戻ってきた仲間に背中をバンバンと叩かれる。
仔犬とはまたひどい言い方だが、言われてみれば似ていなくもない。
「お前たちも何も知らないのか?」
「ああ。オリヴィアさんの所に行って、帰ってきたらあんな感じだった。」
だとしたら、そこで何かあったのだろう。
「年頃の娘さんだ、喧嘩くらいするだろう。まあ、そのうち仲直りするさ。」
昨日、オリヴィアとフィリスの感動の別れの挨拶を見ている彼等は、楽観的に考えているようだった。
騒ぐ仲間に苦笑を返して、ふとガントの事を思い出す。
すっかり放置してしまった。怒っているだろうか?
「悪い、知り合いを待たせてるんだ。」
「知り合い?」
「ああ、ちょっとな。じゃ、みんな飲み過ぎるなよ?」
酒が入っているせいもあるのか、誰も追求してはこなかった。
ガントはまたフードを被って奥に座っていた。
「連中は任務中だという事を忘れてるようですな。」
「そう言うなよ。ちょっと緩んでるくらいがちょうどいいのさ。まだ先は長い。」
俺はガントの前に座り、麦酒を頼んだ。
「さっきいた子、俺が村から連れてきたんだ。途中で放り出しては行けない。さっきの話なんだが・・・。」
ガントは口元を緩ませて、フッと笑った。
「では、先に戻ってその旨は伝えておきましょう。」
あまりにもあっさりと引き下がられて、拍子抜けしてしまう。
いつものこいつは、剣を抜いてでも俺を連れて帰ろうとするのに。
「ここ数年の深刻な悩みが解消されそうでしてな。今非常に気分が良いのですよ。」
「お前、ついさっきまでカンカンに怒ってたじゃないか?それに、お前の悩みなんて俺は聞いてないぞ?」
「聞いていない!?では聞いていても耳を素通りしていたのでしょう!」
また剣呑な顔にもどるガントに、何だっただろうかと思い出してみるがさっぱり分からない。
だいたい、こいつは小言を言いすぎなのだ。
「それにしても、緑の目とは珍しい。肌も白くなかなか愛らしい娘ですなあ。」
いきなり何を言い出すのか。強引な話題転換は、実直なガントらしくなかった。
「大人になればさぞかし美人になるでしょうな。家の息子の嫁に頂いてもよろしいか?」
「駄目だ。」
考える前に、即答していた。想像するだけでも嫌な気分だ。
「何故?よいではないですか。反対されるのなら、それなりの理由をお聞かせ頂かないと。」
「・・・・・・・。」
ガントの言ってる事は分る。なのに、それに対する答えが見つからない。
こんなことははじめてだった。
「はははっ、あなたは少し頭で考えすぎなのです。そういう事は、心で感じるものです。」
「そういう事ってどういう事だ?お前が心で感じるとか言うと気味が悪いぞ。」
「・・・・・。それでは、一刻も早いお戻りをお待ちしております。」
ガントはまた不機嫌な顔に戻って、机にいくらかの銀貨を置いて出て行った。
「なんなんだ、あいつは・・・。」
連れ戻しに来たと思えばあっさり帰ってしまった。暇な身分でもないだろうに。
悩みがどうとか言っていたが、まさか息子の結婚相手でも悩んでいたのだろうか?
だから、フィリスを見てちょうどいいと思ったのか・・・。
俺はモヤモヤした気持を消そうと、ぬるくなった麦酒を一気に飲み干した。